第41話 婚約者って、上から襲撃するものですか!?
「な、何? 何? 花びら……?」
私は降ってきたものをつかまえる。
てのひらを開くと、そこには乾いた花びらがあった。
トラバントが言う。
「七色の花びらと金色のリボンですよ。上からです」
「上からって……うわ!!」
もう一度上を見て、私は叫んだ。
路地に張り出した、大きなバルコニー。
そこに、なんか、うるさいものがある。
うるさい……鳥?
いや、違った。
すっごい羽飾りを背負った、黄金と黒のドレスの姫君だ。
周りには美少年たちがいて、いーっぱい星座の描かれた背景布をかかげている。
ド派手姫君――フローリンデは、声を張り上げた。
「ごきげんよう、婚約者殿! こんなところで会えるとは、運命の星のお導きですわね?」
「ほんとに、ほんとにフローリンデだ……なんで、上からきたの……?」
――上から襲ったほうが、攻撃力が上がるからじゃろうかの?
――普通、姫君は婚約者を上空から襲わないよね!?
私はシロに心の声で叫ぶ。
トラバントはフィニスに囁いた。
「フィニスさま、いいですね? 教えた比喩を使うんですよ?」
「わかっている。――フローリンデ嬢。あなたに久しぶりにお会い出来たことで、わたしの心は震えています。あなたという美の女神が、この胸の弦楽器をかき鳴らすのです」
おっ、不意打ちでも冷静!
これならいける!!
がんばれ、フィニス!!
私は息を呑んで見守る。
頭上のフローリンデは、扇の後ろで微笑んだみたいだった。
「嬉しいですわ、フィニスさま。あなたの言葉はいつだって高貴な詩を詠うのね」
「鳴らない楽器は墓石に刻まれたものと変わりません。こうして間近にあなたの息吹を感じられるがこその詩なのです」
「惜しい!! フィニスさま、全然感じられてませんよ、息吹!!」
トラバントが必死に囁き、私もうなずく。
「ですです、背丈の三倍くらい距離があいてます!!」
フィニスは物憂げに目を伏せて考える。
そしてすぐに、うるわしい顔を上げた。
「……こうして遠くにあったとしても、あなたの息吹を感じられるような錯覚に襲われる。つまり、さみしいわたしは、幻聴、幻覚すらも味方につけているのです。この現象に名を付けるとしたら、『いつでもどこでも誰とでも、愛・フローリンデ』でしょう」
「なんで名付けた!? なんで!!??」
頭を抱えるトラバント。
私は必死に囁き続ける。
「フィニスさま、ちょっと私みたいになっちゃってます!! ペース取り戻して!!」
「近くにいると影響されるものだな。頭を整理する」
フィニスも小声で答えた。
もう無茶苦茶だ。
私も頭を抱えようかな、と思ったとき、フローリンデが鼻で笑う。
「面白いお付きがついていらっしゃるのね。でもわたくし、金にならない詩には興味ございませんの」
「えっ!」
思わず声が出た。
シロが肩から身を乗り出す。
――どうした、セレーナちゃん。
――ううん。どうもしないんだけど、その……彼女、詩が好きそうだと思ってたから。
シロにはそう答えたけど、好きそう、どころじゃない。
フローリンデは本が大好きで、詩が大好きだった。
自分でもこっそり書いた詩を、一度だけ私に見せてくれたことがある。
私はそれを聞いたとき、びっくりしたんだ。
このおとなしい女の子の中に、こんなにも強くて、豊かな世界が広がってるんだ、っていうことに。
なのに……。
「詩なんて自己満足なものですわ。恋愛詩とか基本『勝手にやってろ』ですし、冒険叙事詩とかは『書いてるお前はうっとりしてんだろーな、書いてるお前はな』ですし、風刺詩に至っては『悪口で芸術のつもりになってんじゃねーよ、自分で短剣持って宮殿につっこんでみせろ』ですし」
「ひえ……!!」
フローリンデの暴言は続き、私は青くなった。
トラバントは苦い顔だ。
「ここまで詩での攻略が難しい姫君、なかなかいませんねえ。いっそ感心します」
「大丈夫? トラバント」
私はつい訊いてしまう。
トラバントはちょっと変な顔をした。
「何がですか?」
「トラバントは、詩人だから。悲しい気持ちかなと思って」
私が言うと、トラバントは顔をしかめる。
「僕は騎士ですよ。ただの騎士」
吐き捨てるように言い、黙ってしまう。
悪いこと言った……のかなあ。
休暇になると、トラバントが部屋にこもって詩作をする。
寝食を忘れるから、部屋から出てくるときはいつもへろへろだ。
それだけ好きなものをけなされたら、普通はかなしい。
私が考えているうちに、フィニスが話し始める。
「それでは金にならないものは早々に引っこめましょう。どうぞ、天からわたしのもとへ下りたってください、星の光のような方。わたしは天の星の光と同量の富を、あなたに注ぎ続けましょう」
このうえなく美しい、星々の奏でる音楽みたいな美声で、なんてことを言うの。
フィニスの横顔は今日もきれいだ。
どんな言葉を吐こうと、唇の形は完璧で、瞳は夢みるように、かなしい色で。
そんな彼が、フローリンデに手を伸ばす。
お姫さまを、踊りに誘うように。
あなたは、きれいに嘘を吐くね。
……それとも、嘘じゃないのかな。
フィニスは、こんなフローリンデでも、愛せる……?
――これはまた……ひどい顔色をしておる。
シロがほっぺをぺろぺろ舐めてくれるけど、私には笑う余裕もない。
代わりに、フローリンデが、笑った。
「ありがとうございます、フィニスさま。わたくし、あなたが好きですわ」
扇からのぞいた顔。
私は息を呑む。
前世で見たのと同じ、白い肌。薄い鼻。少しつり目の一重まぶた。
前世では、正直地味だったフローリンデの顔。
そこに、前世の十倍華麗な化粧がほどこされている。
……正直、きれいだ。
大したお手入れもせずに訓練に明け暮れてる私より、ずっと。
フィニスは微笑む。
どこまでも、やさしく。
「存じておりますよ、フローリンデ嬢」
甘い声。
反射的にぶわっと涙が出そうになって、私は急いで唇を噛んだ。
だめ、だめだめだめ。
私は、自分の意志でここまできたのに。
自分で選んだ道なんだから、泣いちゃだめだ。
「わたくし、これから宿に帰るところですの。ですがあいにく、石畳で足を痛めてしまって」
フローリンデはどこか、勝ち誇った声で言う。
私は思わず、涙目で叫んだ。
「そこまで上れたのに!?」
「えっ、そこつっこむの?」
フローリンデの声が素になる。
お付きの少年たちもざわざわし始めた。
「そこ、つっこんじゃうんだ……うわ、寒」
「ありえなくない? 空気読めてなくない?」
「なんていうか、都会的ではないよね。ダサめ」
「う、うわあああ!! 何このいたたまれなさは!? 私が悪かったです、つっこんだ私が!!」
私は思わず叫ぶ。
トラバントが暗い声で言った。
「説明する暇がありませんでしたけど、彼女は『つっこみ無効少年団』を連れています。フィニスさまも過去に散々傷を負わされました」
「フローリンデが用意周到すぎるし、フィニスさまにつっこみが出来たことにびっくりだよ!!」
「確かに……」
トラバントがうなずく。
私がよろよろしていると、フローリンデが言った。
「――ところで、そこの小さなあなたも、黒狼騎士なの?」
「私のことでしたら、はい。黒狼騎士団団員、セレーナ・フランカルディです」
どうにか足を踏ん張り、せいぜい胸を張る。
フローリンデは驚いたみたい。
「まあ、フランカルディ家の! 噂の男装のお嬢さん! 騎士になるだなんて、本当に女を捨てていらっしゃるのねえ」
「……はい」
またも、ずーん、と全身が重くなる。
がんばれ、がんばれ、がんばれ。
本当のことを言われてるだけなんだから!!
フローリンデはすぐに気を取り直し、力強く言った。
「とにかく私、足を痛めてしまったの。フィニスさまに宿まで運んでいただきたいわ。フィニスさまも、当然、マルクト・ホテルにお泊まりになられるんでしょう?」
ううううう、つっこみどころが大量にあるけど、とにかくフィニスに宿泊予定はない。
買い物が長引いたら一泊する余裕はあるけど、買い物は終わったし。
……まさか、泊まらないよね!?
私は祈るような気持ちでフィニスを見上げる。
でも、フィニスは私を見なかった。
「あなたが望むなら、そういたしましょう」
フローリンデだけを見つめて、彼は言う。
そっか。そうだよね。
うん。これは、断れないか。
フィニスが、婚約者と、お泊まり。
あっ、まずい、暗黒だ。
目の前が、うっすら暗くなってる。
この薄闇、知ってます。
絶望って名前です。
そして。
その薄闇の中で、誰かが鋭い舌打ちをしたのを、私は聞いた。




