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第38話 新しい婚約者は、様子が変です!

「フィニスさま」


「セレーナ」


「こんな……こんなの、いいんでしょうか?」


「何を戸惑っている。君は慣れているんじゃないのか」


「フィニスさまこそ、慣れてるんだと思ってました。でも、ちょっと震えてる……?」


「……そうだな。きっと君と共にいるからだ。君といると、見慣れたはずの世界がまったくの別物に見えてくる。これは奇跡か、それとも」


「気のせいです。やめてくれませんかね、茶番!!」


 トラバントの言葉で、私とフィニスは顔を見合わせる。

 トラバントはいらいらと続けた。


「どうしてちょっと地方都市に出てきただけで、そんな浮かれられるんです。お二人ともガチ貴族でしょ? 年の半分くらいは帝都で豪遊してるでしょ!?」


「それはまあ、ガチ公爵令嬢なんだけど」


 つぶやく私の目の前には、四角い中央広場。

 びしっと敷かれた石畳の上に、左手から、市庁舎、大聖堂、議事堂と、壮麗な建物が並ぶ。広場にはいくつも屋台が出ていて、どこも買い物客で賑わっていた。

 黒狼騎士団本部から、馬車を使った急がない旅で三日ほど。

 ここ、ヴェーザは帝国北部最大の商業都市だ。


「……どうですか、フィニスさま。私は正直、勉強してるか狩りしてるか筋トレしてるかの人生だったんですが。帝都の記憶はあるけど、大体屋内だし」

 

 私が聞くと、フィニスは小さくうなずく。


「わたしもだ。帝都の騎士団にいたときも早く出世したくてな。消灯時間が過ぎても、廊下の蝋燭の下で隅でうずくまって、ずーっと勉強していた」


「ひえ……暴力的かわいい案件では? こう、膝とか抱えてました?」


「そうだ。気配がなさすぎて、よく他の騎士に踏まれかかっていた」


「うっっそだーー! そんなにかわいいフィニスさまに気づかないとか、そいつ鉄仮面でもかぶってたんじゃないですか!? かわいいは光ですよ? 輝きですよ? 私だったらどんな闇の中でも、膝を抱えたフィニスさまの姿を見分けられる自信があります!!」


「セレーナ……」


「なんで今ので感動した!? ったく……。まあ、おふたりとも遊び慣れてないことだけはわかりました。真面目も結構ですけど、そんなことで女性への贈り物なんか選べるんですか?」


 トラバントが嫌そうに言う。

 フィニスは落ち着き払って答えた。


「選べないからお前がここにいるんだろう、トラバント」


 ――そう。そうなんです。

 私たちは今、女性への贈り物を買いに来ています。

 フィニスの、今世での婚約者への贈り物を。


 あ、あはははは。うふふふふ。

 ふ。ふ。

 はふー……。

 さすがに心に堪えるなあ。

 前世では、フィニスの婚約者だったのは私。

 途中で死ぬことがなければ、彼の手を取って、きらびやかな『楽園』で結婚式をあげ、フィニスが戴冠するところを間近で眺め、そのまま何十年も連れ添うはずだった――。


 割り切ってるつもりだけど、やっぱり、かなしい。


「どうかしたか、セレーナ」


 声をかけてくれるフィニス。

 その背後に、ガラガラとものすごい音を立てて馬車が走ってきた。

 石畳のくぼみに溜まった水が、ぴちょん、とフィニスの長靴にかかる。


「……」


 フィニスが馬車を見やったので、御者が慌てて声をかけた。


「失礼いたしました、騎士さま!」


 騎士って下っ端貴族くらいの地位だから、平民のことは腰の儀礼用サーベルで切り捨てられる。

 だから御者は慌てるんだけど、相手はフィニスなので。

 怒るでもなく、ぼそりと言う。


「馬車が近くを通っても埃が舞わない。舗装というのは、いいな」


 ピュア。めっちゃくちゃ反応がピュア。

 こんなひとを皇帝にしたら、帝国はどうなっちゃうんだろう?

 全国民がフィニスのファンになって、百年くらい平和になったりするのかな。

 考えこむ私の耳に、遠くで


「なんてことをなさるの!? さっきの馬車、泥を跳ねたわ! ご覧になって、わたくしのドレスが台無しよ!!」


 ……と、叫んでいる貴族のご令嬢の声が届いた。

 うん、まあ、あーいうのもいるし、全国民は無理だな。

 せめて、フィニスの婚約者が彼を愛してくれるといいんだけど。


「移動しやすい石畳に感謝して、とっとと仕事を済ませましょう。本部をザクトとジークに任せて来てるんです、正直僕は生きた心地がしませんよ。婚約者殿、フローリンデ嬢のお好みはなんでしたっけ?」


 フローリンデ。

 え、えへへ、えへへへへ……。

 そ、そーーーなんだよね。


 実は私、新婚約者のこと、知ってます。


 っていうか、知ってました、前世で。

 今世で改めて名前を聞いたとき、あ~~……って思った。

 あ~~……。

 フローリンデか、まあ、わかる、っていう。


 フローリンデ・ヴェーラーは帝都近くに領地を持つ公爵令嬢で、前代皇帝の親族だ。

 皇帝が世襲制だったら、彼女と結婚するのが一番帝位に近くなる。

 実際には選帝侯の会議で選ばれる形式だから、色々面倒になるんだけど……。

 ま、とにかく、フローリンデはいい子だ。

 前世では、謁見とか狩りとか夜会とかで何度も会った。

 品がよくて地味な格好で、おどおどにこにこと話しかけてくれる、優しい子。

 気は弱いけど、よく話すとすっごく教養がある。


 つまり、フローリンデは、いい子。

 きっと贈り物も、押し花と手紙とかが一番喜ぶはず――。


「フローリンデ嬢の手紙には『見るからに高そうで、実際高いもの』がいい、とあった」


「は!?」


「うーん、身も蓋もない。僕は好きですけどね、選ぶのが楽で。じゃ、宝飾品街へ行きましょう。本部に商人を直接呼びつけられれば、さらに楽なんですけどねぇ」


「ヴェーザ商人はあまり騎士の土地に入りたがらないからな」


「ほんとそれ、です」


 トラバントはうなずき、とっとと歩き始める。

 私は慌てた。


「ま、待って待って、トラバント! フィニスさまも! それってほんとですか!?」


「ヴェーザ商人の話ですか? ヴェーザは帝国自由都市ですが、商人たちの自治区です。彼らはどんな権力者にも媚びることなく――」


「いや、そうじゃなくって、贈り物の話!」


 私が叫ぶと、フィニスがぴたりと足を止めた。

 そのまま私の肩を抱き、建物の陰に隠れる。


「ふわっ!? フィニスさま、どうしました!? ここ、街中ですよ……!?」


「少し、しずかに」


 フィニスの薄い唇に、革手袋の人差し指が当てられる。

 ふ、ふわ。ふわーーーーーーー。

 縫い目になりたい。

 あの手袋の縫い目になりたい!!!!

 来世があったらそうしよ! きっとないけどそうしよ!!

 いつでも思い出せるように記憶しよ!

 私がフィニスの手袋の縫い目をガン見しているうちに、小道の奥から怒鳴り声が聞こえてきた。


「冗談じゃありませんわ、こんな安物を勧めるだなんて。このわたくしが何者だと思ってらっしゃるの!?」


「それはもう、お美しいお嬢さまだと……」


「美しいのは当然でしょう!! そんなものは目があればわかるわ!! 汚らわしい! こんなところで買い物ができますか。帰るわよ!」


「は、はい、お嬢さま!」


 口論が収まってしばらく経つと、小道からピンク色の輿が出てくる。

 わざわざ人間が運ぶ類いの乗り物だ。

 どんな高慢お嬢さまが乗ってるんだろう、と目をこらし、私はぎょっとした。


「へ……え……!? フローリンデ!?」

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