第37話 わたしは君に、もっと危険でいて欲しい。
……はー……。
楽しかったな、夏至祭。
何が楽しかったって、わたしの盟約者が楽しかった。
可愛くて勇ましくておかしくて楽しくて、最高だった。
その盟約者を、今、わたしはお姫さまだっこしている。
……はー……。
生きててよかった。
わたしは新鮮な空気を吸いこみ、とっとと騎士団本部へと向かった。
腕の中のセレーナは、なんとさっきから寝息を立てている。
そう、ヤキュウの疲労で寝ちゃったのである。
どんだけかわいいんだ?
もう、存在自体が神では?
ただでさえ無垢で美しくてふかふかなものが無防備になると、なんかもうすごい。
頭の中で祝福の鐘が鳴りっぱなしだし、スキップしないように必死だ。
大体この状況、わたしがセレーナに猛烈に信用されていないと実現しないのでは?
されてるな? されてるよな、信用?
あーーーー、何度でも言う。
生きてて、よかった!!
いや、とにかくここまで無事にセレーナを守れてよかった。
ルビンが来たときはひやっとした。あいつはわたしに盟約者が出来たとなれば、即殺しにくるだろうとはわかっていた。
ルビンは、『危険な友達』だから。
『友達には二種類いるんだよ。危険な友達と、安全な友達だ』
そうやって教えてくれたのは、わたしの父だ。
父。
シュテルン・ライサンダー。
物心つく前に離ればなれになってしまったから、わたしが父のことを認識した時期は遅かった。
魔法使い候補を育成する館から出て、やっと直接顔を見たのだ。
父の見た目はひょろっとした優しげな男で、なんの特徴もない。
顔がいいわけでもない。服装もそこまで高価そうではない。
ただひたすらに、感じがいいだけの男だ。
彼がわたしに初めてかけた言葉は、こうだった。
『やあやあ、僕の長男くん! 久しぶりだねえ、よーく顔を見せておくれ。これはまた、しみひとつなく美しく育ったものだ』
『健康だけが取り柄です。はじめまして、お父さま』
『皮肉を言えるくらいに頭もいい。すてきだ。今までいた場所では、君はどんなふうに役に立った?』
優しく訊かれ、わたしはどきりとした。
わたしはあの館で何もできなかった。
魔法の才能はなかったし、友達を――ルビンを『楽園』から救うこともできなかった。
『……魔法使いの友達ができました。僕は、それ以外何もしませんでした』
わたしは吐き捨てる。
それを聞いた父は、なぜか目の色を変えて喜んだ。
『なんだって! 素晴らしい!! フィニス、君には友達を作る才能がある!』
『……? 友達を作る、才能?』
『そう。それが君の力だ。あとは、危険な友達と安全な友達を使い分ければ、君はきっと偉くなれるよ』
父はにこにこと言う。
わたしは、胸がむかむかしてくるのを感じた。
なんでかはわからなかった。
『お父さま、僕は』
『そうそう、君がいないうちに、たーくさん兄弟が増えたよ。挨拶させよう!』
父が指示すると、部屋にどっと子どもたちが入ってきた。
『にいさま!』
『フィニスにいさま、はじめまして!』
『はじめまして、にいさま。僕の名前は――』
『私の名前は――』
『にいさま』
『にいさま』
『にいさま!』
わたしはぽかんとして、父への文句を忘れてしまった。
父は、わたしがいない間にも妻をとっかえひっかえして、大量の子を作ったのだ。
屋敷はまるで学校だった。どこへ行っても兄弟がいて、それぞれが得意なことを教わっていた。
絵を描ける者がいた。
詩作にふける者がいた。
軽業のできる者もいた。
図書室中の本を暗記する者もいた。
不思議な実験室の中にこもる者も。
そして、わたしは早めに気づいた。
自分には、なんにもない。
兄弟たちに勝る才能は、なーんにも。
『そんなこと気にしてるの? バカだなあ。僕は君のことが一番好きだよ』
相談しにいったとき、父はあっけらかんと言った。
『でも、僕は何もかも半端で……』
『違うよ。君、兄弟全員に好かれてるだろ。君の才能は、友達を作ることなんだよ』
『それって、僕自身は空っぽってことじゃないですか!?』
『そうだよ。君は空っぽ』
あっさり言われて、胸にぼこんと穴が空いた気がした。
胸が重くて、全身が重かった。
わたしはうつむいて、本当に胸に穴が空いていないかどうか、確かめようとした。
その顔を、父が両手でつかんで上向かせた。
『でもね。きっと君が、一番出世するから』
善良そうな顔が、善良そうな笑みを浮かべて言う。
『これからも、たくさんたくさんお友達を作るんだよ。危険な友達の扱いに慣れなさい。安全だけど取り柄のない友達より、有能で危険な友達のほうがマシだからね。たくさんたくさんひとを集めて、その頭をひとつひとつ踏みつけて、登っていくんだよ』
これは登山だからね。
てっぺんの王冠を取るための、すてきな登山。
……父の教えは確かだった。
友達を作れば作るほど、彼らがわたしを押し上げてくれた。
わたしに多少踏まれても、友達は嬉しそうな顔をするだけだった。
数少ない例外が、ルビンだ。
彼は魔法使いになって帰ってきた途端、わたしを操縦しようとした。
わたしを愛しているがゆえに、自分の好きなように動かそうとした。
彼は『危険な友達』だった。
同時に、利用しがいのある実力者でもあった。
わたしは、彼をうまく操縦しなくてはならなかった。可能なはずだった。
だが……わたしは、ルビンを好き勝手させていた。
なぜだろう。
最近少し、疲れていたからかもしれない。
わたしを引きずるような『危険な友達』は、もう、彼が最後のひとりだった。
彼すらも操縦してしまったら、なんだか、わたしはひどく、さみしくなる気がした。
――そう。
ルビンがセレーナを殺そうとしなければ、わたしとルビンはしばらくなあなあで生きていっただろう。セレーナさえ、いなければ。
『萌えに関してはセレーナが詳しい。うまく説明してやってくれないか?』
『わ、私!? え、えーっと』
聖水の泉の前でわたしが頼みこんだとき、セレーナは戸惑っていた。
彼女は気づいていないのだ。
彼女の『萌え』は、行き過ぎた好意を『危険』にしないための、高度な技術なのだと。
ルビンがセレーナを認めるには、わたしに『萌え』てもらうしかないと思った。
『萌え』という技術で、操縦可能な状態にするしかないと思った。
そして、わたしのもくろみは、成功した。
セレーナは死なず、ルビンは操縦可能な友達になった。
父の言う、『安全な友達』に。
□■□
長い回想を終え、わたしは騎士団本部に戻ってくる。
「部屋だぞ、セレーナ。まだ寝るつもりか?」
わたしは囁き、彼女を居間のソファに寝かせる。
すぐに起こすのはもったいなくて、しばらく彼女を見下ろしていた。
くるくるの銀髪を、指先だけでちょいちょいと整える。
整えても、整えても、くるん、となる髪。
ぷうぷうとしあわせな寝息を立てている愛らしい鼻。
銀色のまつげは長くてくるんとしていて、頬はほんのり赤くて、柔らかな唇は薄く開きっぱなし。
はーーーー。雑。
雑な女の子、かわいい。
美しい。
生きているだけですばらしい。
しかも、君はわたしのことを好いている。
好いているのに、『萌え』だと言って、ひたすらに『安全な友達』でいようとする。
――そんな人間は、めったにいない。
君は、強い。
「セレーナ」
名を呼んでから、ふと気づいた。
セレーナの腕に巻いた紐がゆるんでいる。
わたしはそれを、丁寧に結び直した。
毎日毎日、丁寧に紐を結ぶ。
これは儀式だ。
結ぶたびに、わたしは祈っている。
いつか、君がもう少しだけ、わたしに無茶を言ってくれるように。
君の『萌え』の砦が崩れて、わたし自身を見てくれるように。
……おかしな話だな。
ひょっとしたらわたしは、君に『危険な友達』になって欲しいのかもしれない。
この世でたったひとりの、『危険な友達』に。




