第32話 そろそろ夏至祭ですが、何か様子が……?
「と、いうわけで、温泉で色々あったんですよ」
私が言うと、トラバントは食堂の長卓を叩いた。
「全っ然、わかりません!! っていうか全然説明してない! 留守番だった僕にわかるのは、むくつけき男どものお肌がつるっつるになってて、ちょっとイラッとするということくらいです!!」
「そう言うと思って、温泉の湯を瓶に詰めて持ち帰った。朝晩顔に塗れば、晴れてお前もつるっつるだ」
「フィニスさまは僕をどうしたいんです……? むき卵みたいな顔になった僕を見て、何か楽しいですか? 黒狼騎士なんぞ日焼けしてなんぼ! しかも温泉運営なんていう謎の仕事を増やしてくれるし、ほんっと勘弁していただきたい!!」
青筋を立てて怒鳴るトラバントを前に、私とフィニスは顔を見合わせる。
「怒ってるな」
「怒ってますね。元気な証拠です」
「確かに。あと、なんだかんだでこいつ、仕事好きだからな」
「しかもーーーーー!! なんでそこのふたりがツーカーになってるんですかねえ!? 男女で温泉二泊三日って言われたときに一瞬気絶しそうになりましたけど、フィニスさまの恋愛音痴とセレーナの筋肉を信じて送り出したのに!! フツーに仲良くなって帰ってきてがっかりした!!」
「ま、待って待って! トラバント、フィニスさまとは何もなかったよ! せいぜい濡れ髪のフィニスさまの床ドンが猛烈にえっちで、私が軽く死にかけただけ!!」
「くっっっそエロ!! バカですか? バカですね。そんな赤裸々な話を朝から聞かせるな、勝手にやれ!!」
そうか、そう聞こえちゃうか。困ったな。
私は居心地悪く座り直す。
トラバント、帝都の商家出身っていうから、男女のことには詳しいのかなと思ったけど、そうでもないのかもしれない。っていうか、実際何もなかったんだけどな。
前世では、そりゃまあ婚約者でしたので、色々と期待しなかったわけじゃないけど。でもそれも、結婚したあとはただの現実になるんだろうな、ってぼんやりわかってた。
もっとも美しいのは、肖像画を見て感動した、あの『萌え』の気持ち。
私は永遠に、あの気持ちの延長上に立っていたかった――。
「トラバント。お前の働きにはいつも感謝しているが、わたしの盟約者に対して根も葉もない中傷をするのはいただけない」
フィニスがさらりと言う。
私はちょっとびっくりして隣の彼を見上げた。
フィニスの横顔はただひたすらにきれいで、なんとなく、前世見た彼を思い出す。
トラバントはさっと顔色を変え、敬礼した。
「……失礼いたしました、取り乱しました」
「仕事を増やして悪かったな。温泉経営については諦めてもいい」
「いえ、やりましょう。ちょっとごねてみたかっただけですよ。やるからには儲けます。戦費はいくらあってもいい」
トラバントの即答に、フィニスはかすかに微笑む。
「そう言ってくれると思っていた」
「……まったく。あなたは本当に悪い男だ。しれっと急所を軽く噛む」
深いため息を吐くトラバント。
どうにかなったならいいけど、私っていう存在が騎士団の空気を悪くしてないといいな。
私はためらいがちにフォローを入れる。
「手伝うことがあったら、私やるよ。温泉はほんとにいいお湯だったし、ルビンは『楽園』に帰ったし、明日からはますます訓練に励むから。トラバントに信じてもらった筋肉、きちんと育てる!」
「あー、その件ですが。明日からは訓練内容が変わります」
「えっ、そうなの? 水泳とか?」
私が言うと、フィニスが変な咳払いをする。
ん? と見上げても、フィニスはトラバントを見ていた。
「――あの時期か」
「はい。夏至です」
重くうなずくトラバント。
私は、ぱっと明るくなった。
「夏至かー! 何かお祝いするの? 私の実家では朝までご馳走三昧だったな。城下の広場に藁で六つの門を作って、花で飾って、女の子たちがそれをくぐりながら踊るの!」
思い出すだけでわくわくする。
数ある祝祭の中でも、夏至祭はひたすら明るくて華やかな祭りだ。
広場で踊るのは平民の女の子たち。私たちは特別席で広場を見物して、あとは屋敷の大広間で朝まで大騒ぎをする。特別な料理や果物をたっぷり浸したお酒が振る舞われ、人形劇やダンスを楽しむのだ。
あの楽しい時間を、今年はフィニスと一緒に過ごせる!
トラバントはそんな私を眺め、淡々と言う。
「アストロフェ王国と帝国の夏至祭は大体似たようなものなんですが、ここは東部辺境ですからちょっと事情が違いますねえ。この土地に古来から伝わる祭儀を執り行うんです」
「この土地の祭儀? アストロフェのとはかなり違うの?」
「大分、かなり、相当違う。なんなら六門教が力を持つ前の祭儀だからな。かつてこの地に住んでいた者たちを、我々の先祖が東へ追いやった。ゆえに祭儀は途絶えたのだが――不都合が起きた」
答えてくれたのはフィニスだ。
気のせいかな。
何か、不穏な話になってない……?
「不都合。えーっと、周辺住民から文句が来たとか? まさか、お化けが出たってわけじゃないですよね? そんなねえ、魔法動物たちが自然に生まれてた時代じゃあるまいし!」
明るく言ってみたけれど、フィニスの答えはない。
トラバントも沈黙。
えっ。
ええええ……?
――ふぉふぉふぉふぉ。これはまた、面白い話になってきたのう。
私の肩の上で、シロが面白そうに目を細める。
私は心の声でおそるおそる訊いた。
――シロ。これって、その、ひょっとして……?
――んふふ。そもそもここらへんは、原初の魔法力がちーとばかし残っておるんじゃ。未だに聖水が湧いてるくらいじゃからの。で、魔法力が残ってるってことは、ちょっとした原因でいろんなもんが生まれがち。世界を生んだのは魔法力じゃからの。
――えっ。えっ。じゃあ……?
「残念ながら、お化けのほうですねー。出ちゃうんです」
肩をすくめてトラバントが言う。
私は情けない悲鳴をあげた。
「う、うぇぇぇぇぇぇ!? や、やだやだやだ! 実害はないとしても、お化けは怖いって!! 怖いですよね、フィニスさまも!?」
「怖いし、ここのやつは残念ながら実害もある」
「めちゃ死にますよね~、祭儀サボると」
「ひーーーー!!」
私、実家に帰ります!!
喉元まで出た言葉を必死に呑みこみ、私は涙目でフィニスを見上げる。
うう、やだやだやだ、こわいこわいこわい。
ちょっとだけ、頭、触ってくれないかな。
フィニスの手って貴族っぽくないくらい温かくて、安心するんだ……って、あ、れ?
や、やめよう? 私。
なに期待してるの? やめよう!?
駄目! やめて!! そういうことを期待したら推しも私も不幸になる!
おさわり禁止! さわられも禁止!!
地獄行き決定の私はともかく、推しは清い体で生きていってほしい!!
「祭儀の資料はかろうじて残されていましたし、きちんと再現しとけばそこまで大事にはなりませんから安心してください。こちらです」
私があわあわしている間に、トラバントが卓上に羊皮紙を広げる。
「ふ、古いお祭りって言っても、資料は現代語なんだ……ね……?」
気を取り直して資料をのぞきこんだまま、私は固まった。
あれ。なんか、今、私の手……不自然にあったか……い……ね?
膝の上に置いた自分の手。
こっそり見下ろすと、そこにはフィニスの手が乗っていた。
は……はああああああああああ!?
しょ、食卓の下で? 推しと? こっそり? 手を、つな、つな、はわ……はわわわわ……!!
やっば、やっばい、これは地獄に落ちて当然だわ、むしろここが最高にしあわせな地獄だわ、落ちたら二度と這い上がれないやつだわ!
ああああああ、どうしよ、どうしよ、私の理性が『すぐに振り払って! 誰かに見られたらどうするの! でもまあ、今さらだしそのまま手を握っちゃえよ』って言ってるし、私の欲望は『どうせ誰も気づかないよ、どうせそれ以上の進展とかないんだし、そのまま手を握っちゃえよ』って言ってるし、手を握ろう、そうしよう。
――んんんー、いいのー!! 理性が全然息してない若者の叫び! 若返るのー!
浮かれたシロの声を聞きつつ、私はそっとフィニスの手を握った。
フィニスは表情ひとつ変えず、ほんのちょっとだけ、手に力をこめてくる。
うう。私が触ってほしがってたの、ばれてた、ってことだよね。
しょうがないけど。我ながら、ダダ漏れだったけど。
……顔、あっつい。
真っ赤な顔を伏せた私に、トラバントが真顔で言う。
「元は石板に書かれていたのを翻訳してますから。ここに書かれているのは、こぶし大の球を投げ、木製の棒で叩いて遠くへ飛ばす祭儀――その名も、ヤキュウについて、です」




