第27話 わたしと幼なじみは、いつだって楽園におびえていた。
ルビンと過ごしたのは、お互いが二歳から六歳の間。
わたし、フィニス・ライサンダーは、帝国の伯爵家の長男に生まれた――はずだった。
だが、そのことを確認できるのは、月一回来る手紙の中でだけ。
『坊ちゃんは捨てられたんだと思います。なんでって、そりゃあ、そのぎらぎらした目が気持ち悪いからじゃないですか? あなたのお義母さまはね、その目を見ると眠れなくなるんだそうです!』
口の悪いメイドには毎日そんなことを言われ、親との面識はなかった。
住んでいたのは実家の屋敷ではなく、帝都の外れの奇妙な館だ。
そこに住んでいたのは、三歳から十二歳までの子どもがわらわらと五十人ほど。大人は世話係が数人住みこんでおり、『先生』と呼ばれる大人たちは日中だけやってくる。
『先生』の授業は個人授業で、わたしは週に一回呼び出されて変なカードを見せられるだけだった。
その館で、わたしは、ルビンと出会った。
当時のルビンは、小さくて、ガリガリで、泣き虫で。髪色のせいで目立ってしまい、周囲にひどくいじめられていたのだ。
『フィニスは、どーして、俺のこと、いじめないの、ひっく』
『どうしてって……そんなことしてもつまんないし、学びもないし、強くもならないし、つまり、無駄だから。僕、実家から送られて来た本を読むので忙しいんだ』
……今考えると、普通に腹立つセリフだな。
まあ、当時はわたしもひねていた。
年中個室に逃げこんでくるルビンのことも、邪魔だな~、同類と思われたくないな~、なんて思って邪険にしていたのだ。
だが、ルビンはけっしてわたしを嫌おうとしなかった。
『ふ、ふわあ……すごい。かしこい答えだ! フィニスって王子さまみたい! それに比べたら、俺ってほんとに出来損ないだよね。毎日先生に呼び出されるし、他のみんなにもいじめられるしさ、ゴミだよね。世のため人のため、なるべく早く死んだ方がいいよね』
えへへ、とルビンは笑う。
その顔が死人みたいに青ざめていたので、正直わたしはいらっとした。
『……自分のこと、出来損ないなんて言うな。そんなことを言うからいじめられるんだ』
『へええ、それもかっこいいセリフだ! すごいなあ、いいなあ。フィニスはすてきだ。でも、俺はフィニスみたいに顔がいいわけでも、親が金持ちなわけでもないし、ゴミ――』
『……親がなんだ!! 最高の親だろうが、最低の親だろうが、どっちにしろこの館にはいないじゃないか!! 誰ひとり、親なんかいない!! ここにいるのは自分だけなんだから、自分で、自分は強いと信じろ! 才能があると信じろ! 今は無理でも、いずれ、いじめてきた奴すべてを蹴散らしてやると思え! 自分が、自分を、信じろ!!』
力のかぎり、わたしは怒鳴った。
半分くらいは、自分に向けた言葉だったのだと思う。
親に捨てられ、こんなところでくすぶっている自分の横っ面を殴りたかったのだ。
――ルビンは、目をまん丸にしてわたしを見ていた。
その瞳の中で、きら、と火花みたいなものが光った――気がした。
ルビンは、その日からほんの少しずつ、変わっていった。
黙りこむことが少なくなり、愛想笑いも減った。やがて言いたいことを言い始め、最終的には、体格の大きないじめっ子たちにも暴力で対抗した。
不意打ち、噛みつき、なんでもあり。
けんかっ早くなったルビンを放っておけなくて、わたしも喧嘩三昧の日々になった。
覚悟が決まってしまうと、ルビンは強かった。
そして、出来損ないでもなかった。
後々わかったが、あそこは魔法の才能がありそうな子どもたちを預ける施設だった。
ルビンは見込みがあったからこそ、様々な検査と実験を繰り返されていたわけだ。
そして、弱冠六歳で、『楽園』行きが決まった。
『『楽園』行きの最年少記録ですって。すごーい! それに比べて坊ちゃんは、魔法の才能はぜーんぜんでしたねえ。でもま、もうすぐおうちに帰れるみたいですよ? 坊ちゃんの目を嫌ってた、二人目の奥様が亡くなりましたから。よかったですね~』
メイドはにやにや笑ってそう言った。
そして、ルビンが『楽園』へ行く日が来た。
『嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! フィニスも一緒じゃなきゃ死んじゃう!!』
あまりにも暴れたせいで、わたしが呼び出された。
わたしは、迷った。
ルビンになんと言ったらいいのか、わからなかった。
大丈夫だよ、とも、逃げよう、とも、一緒に行こう、とも言えない。
だから。
『ルビン、聞いて。僕は魔道士にはなれない。だから、皇帝になるよ』
わたしは言った。
ルビンはぽかんとして、暴れるのをやめた。
『皇帝……?』
『ルビンは前、僕のことを王子さまみたいだって言っただろ? あの言葉、信じてみる。……僕は皇帝になるから、お前は最強の魔道士になれ。そして、立派な大人同士になったら、また会おう。会って、ふたりで、世界を変えよう』
わたしの言葉で、ルビンの顔色はみるみるよくなった。
自分は正しいことを言ったのだ、と、よくわかった。
嘘だったけれど、これは正しい嘘だと、思った。
『――わかった!!』
ルビンは輝かんばかりの笑顔で、でも、涙をこぼしながら叫んだ。
そして、実際に彼は帰ってきた。
輝かんばかりの希望と野望に満ちた、魔道士となって。
己の目的のためなら、あらゆる邪魔者を排除する、非情の魂を抱えて。
ごお、と風が吹く。
岩場の砂がざらざらと舞い上がる。
目の前に粘液まみれで這いつくばるルビン。
わたしは、思い切ってセレーナの手を放した。
ルビンの前にひざまずき、わたしは言う。
「――ルビン。六歳の時の誓いは、お前を守るための嘘だった。わたしが作り替えたかったのは、現実の帝国ではない。お前の目の前に広がっていた、広大で、悲しい世界だ」
「かなしい、せかい」
「そう。『楽園』が、けして楽園ではないことを、わたしたちはあの館でうっすらと予感していた。そこへひとりで行かねばならないお前に、希望をやりたかった。わたしが与えられる中で、一番の希望を」
真剣に告げる。
ルビンの目は、死んだみたいに暗い。
暗くて、ぎらついている。
「じゃあ、おれは、おまえの、嘘のために……ここまで、来た、のか」
地を這うような声。
わたしは、うなずく。
「そうだ。わたしの嘘が気にくわないなら、殴ってくれても、焦がしてくれてもいい。――でも、わたしは謝りはしない。お前が三年前、立派な魔道士になって会いに来てくれたとき、わたしは、嬉しかったから」
「フィニス」
ルビンの瞳が揺れた。
わたしは卑怯なことを言っている。
自覚しながら、それでも、わたしは心から言う。
「生きてここまで来てくれて、ありがとう。でも、わたしはこの先、お前の手を取って歩いて行けない」
「……無理だ。お前の手がないのに、どうやって立ったらいい。どうやって息をしたらいい。どうやって、あそこで生きていったらいい?」
ルビンの声が一気に涙声になる。
ぼたぼたっ、と地面に涙が落ちた。
わたしはそっと手を伸べ、昔みたいに彼の髪を撫でてやる。
「お前にはもうわかるはずだ、賢いルビン。たくさん学んだんだろう?」
「わか、ら、ない、わからない……! わからない、わからない、わからない! 学びはしたさ、夢中に学んだ、学べるかぎりのことを学んだ、でも、俺が学んだことの中には、『俺が生きていく理由』なんてものはなかった!! その理由は、お前だけが教えてくれたんだ!!」
ルビンは泣きながらわめき、わたしの袖を掴んだ。
殴っても焦がしてもいいと言ったのに、ほんの少し袖を掴んだだけで、ガタガタ震えていた。
わたしは祈るように目を伏せ、囁く。
「ルビン」
「何を言っても無駄だ、その上手な口を今すぐ閉じろ! 俺は、俺は、俺は……!!」
「ルビン。お前は――わたしに、『萌える』わけにはいかないか?」
「…………? 萌え?」
びっくりしてルビンが顔を上げる。
わたしはゆっくり繰り返す。
「そう。萌え」
「萌え……。……萌えって……なんだ?」
もっともな疑問だな。
萌え。萌え……。
それは、つまり、えーっと、なんだっけ?




