第16話 時に、わたしの盟約者がめちゃかわなのだが。
わたしの名はフィニス・ライサンダー。
『帝国』の最前線、東部国境にて黒狼騎士団を率いる騎士団長である。
東部国境は長く紛争が続いており、ここ百年の間、めまぐるしく国境が変わり続けている。この地を守る騎士団長は『帝国』一の武人とされ、一代伯爵の爵位とかなりの俸禄を得る。
タイミングさえあえば皇帝に選ばれることも多い、重要な地位だ。
で、そんな騎士団に、女がくると聞いたときには驚いた。
「公爵家のお嬢さんだと?」
「そりゃも~筋金入りですよ。皇帝が出たこともある家柄のお嬢さん。五人いるうちの一人が何を間違ったのか騎士志望なんですって。親の公爵がゴリゴリ推してきてます。厄介払いですかね」
うんざり顔のトラバントを見つめつつ、わたしはつぶやく。
「クッソ面倒だな」
「……お嬢さんの前ではやめてくださいよ、その言葉遣い」
「どの言葉遣いだ? クソというのが駄目なのか? ここは騎士団だぞ。お前ほどの天才ならともかく、詩を唱えながら戦争なんぞしたら、舌を噛んでもんどりうっているうちにとどめを刺されて一巻の終わりだろう」
「は~~、ほんっとフィニスさまは口が上手くていらっしゃる。愚痴に自然な褒めを混入するのやめましょ? いつかそのたらしっぷりが命取りになりますよ」
トラバントはぶつぶつ言っていたが、わたしの思考は遥か遠くへ飛んでいた。
遠く――どこか遠くの、ふかふかもふもふとした楽園へ。
もう嫌だ。女のことなど考えたくもない。
癒やされたい。一刻も早く癒やされたい。癒やしと言えばもふもふだ。
黒狼の子どもの群れに埋もれて眠る妄想をしながら、わたしはつぶやく。
「あんな、いつ飯を食っているかもわからず、矯正下着を着けなければ即気絶し、着けていても気絶し、天気と服とふっるい文学と食い物の話しかできず、顔に絵の具をぬったくるような生き物と、四六時中一緒に居ろというのか……」
「だから本音が口から漏れてますって!! 女が来るのはしょうがありません、断りようがない。受け入れてから、適当にいびって追い出せばいいでしょう。本人がなんと言っても、所詮は男装なんてしてる変人です。周囲もハイハイで適当に流しますよ」
「なるほど。トラバント、さすが卑劣」
「褒めと同じ温度でひとをけなすの、やめましょ???」
トラバントは文句を言いつつ、ご令嬢の受け入れ準備を始めた。
正攻法を好むわたしにとって、帝都の巨大商家で酸いも甘いもかみ分けたトラバントは実に頼りになる副団長だった。彼は毎日パンを食べるのと同じ調子で、騎士団にとっての邪魔者を片付けられる。
果たして、噂の公爵令嬢に対面する日が来た。
「私の推し!! 実在したーーーーッ!!」
いきなり叫んだその生き物は、銀色でもふもふしていた。
もふ。もふもふもふもふもふ。
なんて触り心地のよさそうなふっかふかの銀髪だろう。
しかもその、絶妙な刈り込み具合が最高にもっふもふだ。
もふもふしたい。もふもふしたい。もふもふしたい。もふもふもふもふもふもっっっっふ!!
……ん?
違った。間違った。これはもふもふじゃない。
人間の女だ。それも、わたしの大の苦手な貴族のお嬢さま。
しかし……あまりそういう感じがしないな。
ヒールで補わなくてもなかなか背も高いし、すらりとした体にはきちんと筋肉がついていて綺麗だ。矯正下着なしでもまっすぐに立っているし、化粧なしでも肌は抜けるように白く、アイスブルーの瞳は生気できらめいている。
すごくきれいな、白い狼のこども。
思い出したのは、そんな生き物だった。
しかもその生き物は、入団試験でわたしから一本取ったのだ。
真剣勝負で、一本。
はー……………………好きッ!!
……待て待て待て。
今、一瞬混乱して妙なことを考えたな。
わたしが、公爵令嬢のことを、好き? まさか。笑える。
確かに、美しい衣装の下にめちゃくちゃ暗器を仕込んできたところとか、すごくよかった。
意表を突かれすぎて、ぎゅっと抱きしめたくなった、が、まあ、気のせいだろう。
わたしが積極的に女を抱きしめたいだなんて。
気のせい、気のせい。彼女の頭があまりにも好みのもふ具合なせいだ。
そうやって自分に言い聞かせ、気絶した彼女を抱いて自室の客用寝室に運んだ。
無骨な騎士や使用人に彼女を触らせるのはイラっとするから、当然の選択だ。
抱き上げた彼女は男どもより断然軽く、白パンみたいに柔らかかった。
やわやわな感触はしばらく手から消えず、その晩は妙に目が冴えた。
朝まで居間を意味もなくうろうろしてしまったが、もちろん彼女の寝室に押し入ることなどできない。
当たり前だ。
というか、押し入ってどうするんだ? 何をするんだ!?
………………。
もふ、もふ……?
……そうか、そうだな、もふもふだな。
真夜中に眠っている公爵令嬢の部屋に入りこんで思うさまあの頭をもふもふしたい、そういうことだな、わたし!! 一応そういうことにしておこう!!
その晩はどうにか自分をごまかしきった私だったが、翌日、決定的な瞬間が訪れる。
彼女が、セレーナが、わたしの真似をしてサンドイッチにかぶりついたとき。
わたしは生まれて初めて、とんでもない美少女が大口を開けるのを見た。
彼女の姿は、なんというか、
かわっ!! だった。
もしくは、かわいっ! 爆裂にかわわわわわ!!!!
という感じで、わたしの語彙力は消し飛んだ。
はわー……知らなかった、知らなかった。
いっぱい食べる女の子というのはこんなにも可愛いものか。
彼女の食べ方は大胆だが下品ではなく、ちょっと恥ずかしそうに口をぬぐったり、いちいちわたしにキラキラする宝石みたいな瞳を向けてきたり、頬をほの赤く染めてニコッと笑ったり、息苦しそうに切ない顔をしたり、もう、いちいちかわわ~~かわわだぞ~~、どうした、それでも女か!? 奇跡か!? 実は子狼の精霊だったりしないのか!?
「たくさん食べる貴婦人を、生まれて初めて見た。きれいだ」
表向きはそんなすかした調子で言ってはおいたが、頭の中は完全にお花畑で、青い空に白い鳥が飛んで教会の鐘が鳴っていた。
はーーーーー……結婚しよ?
……と喉元まで出かけたが、無理矢理呑みこむ。
結婚は無理だ、騎士同士だし。
わたしにはこわーい婚約者がいるし。
それに、これが恋なのかもよくわからない。なにせわたしは恋愛経験ゼロだ。
これまでも色々あったのに一切心が動かなかった。生まれつき恋する機能がない可能性も高い。
よってこの感情も、もふもふ好きの延長線上にあるのかも。
――だからここは、盟約しよ?
名案である。実に名案だ。
盟約なんかもうこりごりと思って放置していたが、こういう使い方があったとは。
ザクトはぎゃんぎゃん言ってきたが、それを逆手にとってセレーナの手料理が食べられる大会を開いたので、わたしに文句はない。
しかもまた、セレーナの料理が、どばーーーんッ!! というか、ずばばばばばっ!! というか、そういう感じで美味い。
洗練されつつも素朴で、気遣いもある。まるでセレーナ本人のような料理だ。
食べながら彼女の顔を見つめていたら、苦手なはずの詩もバンバン出てきた。
「これは………………冬が終わって厳しい氷がゆるみ、次々に目覚めた春の妖精が枯れた木々を花盛りに変えていくかのような華やぐ優しさ。今にも舌の上で妖精たちの歌声が聞こえてきそうだ」
「ぶっふぉ!! ふぃ……フィニスさまが、詩を!! 月並みレベルの詩を、詠めている!?」
嘆くな、トラバント。
恋の前では、男は詩人になるものだ。
いや、恋じゃないだろうけど。
かくして、わたしとセレーナは盟約者となった。
となれば、わたしの過去の話もしておかねばなるまい。
そんなシリアスな気持ちがあったのは最初だけだ。塔の上にやってきた彼女に白狼の子どもを渡した途端、わたしは爆発した。顔は無表情だったが、完璧に爆発していた。
最高にかわいいものを、最高にかわいいものが抱いている。
すごい。
かわいい×かわいい=大大大大大宇宙。
ここに世界が生まれた。
これが真理だ。
その時点でほとんど抜け殻となりながら、わたしは彼女にアクアリオのことを語った。
それを聞いた彼女は、泣いて――怒ったのだ。
「なんでそんな、フィニスさまだけが苦しい事態になっちゃんたんです……? なんで? フィニスさま、そのときまだ十八だったんでしょ? 相手はもっと大人だったのに、わがままですよ。フィニスさまのことを全然考えてない。あり得ないです、そんなの」
泣くのは、わかる。だが、なんで怒るんだ。
よくわからない。わからないが、彼女が怒るたび、わたしの胸は熱くなった。
わたしはそっと彼女の頭を撫でた。
ずっと撫でたいと思っていた、もふもふの頭だった。
思った以上に気持ちいい撫で心地だった。
でも、それ以上に、胸が熱い。
ずっとぽかんと空いていた穴に、とくとくと温かいものが注がれてくるようだった。
怒り。
そうか、ひょっとしてわたしは、怒りたかったのか。
アクアリオに対して、怒りたかった。
なんでわたしの理想を裏切ったんだ、なんでそんな女に走ったんだ、美しさならわたしのほうが上だろう、恋人のもたらす快感より、戦争で相手の鎧をぶん殴る快感のほうが上だろう!!
――そんなふうに、怒りたかった。
うまく怒れなかったせいで出来た心の穴を、セレーナのきれいな怒りが埋めていた。
「優しくないです。私は、フィニスさまが好きなんです。それだけです……」
かすれた声で言い、セレーナは涙でいっぱいの瞳でわたしを見上げた。
アイスブルーの瞳はゆらゆらと揺らぎながらも、熱を秘めていた。触ったら溶けてしまいそうな、ものすごい高温の炎がそこにあった。
彼女はわたしを見ていた。
わたしだけを、見ていた。
かわいく、美しく、健気で、強く、賢く、誠実で、穢れなきものが、わたしを、見ていた。
――なぜ、と、思った。
なぜ、自分は彼女と結婚出来ないのか。
なぜ。
今、わかってしまったのに。
こんな目で自分を見上げてくれるひとは、後にも先にも彼女だけだろうと、わかってしまったのに。
お前が好きだ。
愛している。
結婚出来ないとしても、いつか戦場で死に別れるとしても。
わたしの心は、勝手に囁いていた。
恋とは何かとか、もうそんなことは気にならなかった。
胸の熱さはどんどんと増していき、全身が温かくなった。
これが、恋だ。
誰に教わらずともわかった。
セレーナ。
今後何があろうと、わたしは君を守ろう。
君が動かしたこの心臓に誓う。わたしの魂は、永久に君のものだ。
来世が存在するなら、来世まで……。




