第15話 推しの過去は、急展開すぎます!
「狼たちの助けを借りて、わたしはついにアクアリオに追いついた。黒い森の真ん中にある、国境近くの廃村だった。そこに、彼の女が待っていた」
フィニスはゆっくりと言う。
アクアリオの女が、敵国、カグターニ大公国の人間なのは顔でわかったらしい。
これは妻帯がどうの、という話ではない。今は戦時だ。敵国の女と会っていれば裏切りを疑われる。
フィニスは目の前が真っ暗になるのを感じた。
『……なんで? なんで、こんなことをなさったんです?』
雪深い森から彼のほうへ歩みよりながら、フィニスは言った。
アクアリオはぎょっとした様子で、背後に女をかばった。
女は旅装で、持てるかぎりの荷物を背負っていた。
どう見ても、二人で逃げるつもりだった。
『わたしにはわたしの役目がある。お前は野営地に帰りなさい、フィニス』
『はい――と、言いたいです。でも、アクアリオさま。……いや。アクアリオ。わたしは、十八だ。もう、十四のときの小鳥じゃない』
『あ、は、あはははは、そうだ。そうだとも、お前はもう大人だった。そうだったな、フィニス。大人だったらわかるだろう? 騎士として、最前線で戦い続けることの苦痛を。孤独を。死んでも何も残せないむなしさを。わたしは騎士団を裏切りたいわけじゃない。ただ、人間として生きたいんだ!!』
アクアリオは叫んだ。
フィニスはひどく悲しくなった。
「……彼の言うことがわからなかったわけではない。子どもを遺すこともなく、明日死ぬかもしれない人生を続けるのは苦しいものだ。ただ……彼が、まるで知らない人間になったようで、悲しかった」
フィニスは囁き、空に光る星を見上げる。
わかります、という言葉を、私は呑みこむ。
でも、わかる。わかるとしか言えない。
フィニスは、自分が愛した光の騎士が消え去ってしまったのが、悲しかったんだ……。
だから、十八歳のフィニスは、そのまんまの本心をアクアリオに告げたそうだ。
『なんで、殺してしまったんだ?』
『殺した? わたしは誰も殺してなんかいない。こっそり逃げて来ただけだ。人殺しなんかまっぴらだ。わたしは本当は誰も殺したくなんかなかった。騎士団でしか生きられず、しかたなく人殺しになった。嫌だったんだ。本当は、殺したくなんかなかったんだ!!』
叫ぶアクアリオを見て、フィニスは、もう、理想のアクアリオは戻ってこないと悟った。
「……それで?」
ぐすん、と鼻を鳴らして私が聞く。
フィニスは星から私に視線を戻した。
「泣いているのか、セレーナ」
「泣いてます。フィニスさまも泣いたでしょ? 十八歳のとき。アクアリオが、帰って来ないと知ったとき」
「いや。泣きはしなかった。ただ、剣を抜いた。――ここで逃がしてやっても、逃げ切れるわけはないと思ったからな。大公国の人間に殺されるか、裏切り者として追われて殺されるか。どちらにしろ、不名誉な死の前に六つの門は閉ざされる」
静かに言い、フィニスは自分の手を見下ろす。
不意に、フィニスの狼が動き、フィニスのほっぺに自分の頭をぐりぐりと擦りつけた。
フィニスは微笑み、狼の首を撫でながら言う。
「当時、わたしのやるべきことはひとつだけだった。彼を殺し、左手だけを持って帰り、『彼は戦死だ』と言い張ること。そうすれば彼の名誉だけは守られる。――わたしは十八だった。いつの間にか、アクアリオより強くなっていた」
「う……うわーーーーん!! あまりに! あまりに悲しいです、フィニスさま!!」
とっくに流れていた涙を、私は思いっきり解放した。
子狼は落ちてくる涙にびっくりして、目をぱちぱちし、一生懸命私の頬を舐めようと背伸びをする。
が、すぐにしょっぱすぎる涙に「うええ」という顔をして、やめた。
フィニスは手を伸ばし、私の頭をぽんぽんしてくれた。
普段なら興奮しまくる展開だが、今はそれどころじゃない。
「嫌な話をしたな。すまなかった。あのときのことは、みな薄々気づきつつも受け入れてくれている。表向き、アクアリオは戦死。わたしの盟約者は空席になり、そのまま六年が経った。これで、わたしと最初の盟約者の話は全部だ」
「なんでそんな、フィニスさまだけが苦しい事態になっちゃんたんです……? なんで? フィニスさま、そのときまだ十八だったんでしょ? 相手はもっと大人だったのに、わがままですよ。フィニスさまのことを全然考えてない。あり得ないです、そんなの」
文句はいくらでもあふれ出てくる。
それを全部口に出さずにすんだのは、フィニスがずっと頭を撫でてくれていたからだ。
フィニスは穏やかに言う。
「死んだアクアリオにも苦しみはあったはずだ。能天気に見える他の団員たちにも、もちろん苦しみはある。まあ、世の中はそういうものだ。お前は優しいな、セレーナ」
「優しくないです。私は、フィニスさまが好きなんです。それだけです……」
「お前がわたしを好いているのは本当だろう。だが、お前はわたしのことも、騎士団のことも、『間違っている』と言える。盲目的に見えて、けしてそうではない。だからわたしの盟約者にふさわしいんだ。……ザクトはわたしの若い頃と同じだ。わたしが間違っても、どうにかして信じようとしてしまう」
フィニスの言葉はありがたかったけど、全然素直に喜べない。
世界って悲しい。
もっとみんなの『好き』の気持ちが、きれいなままで終わればいいのに。
私はまだまだ泣き続け、フィニスと狼たちはしんぼうづよくそこにいてくれた。
悲しくてしんどいのに、空の星とフィニスはびっくりするほどきれいなままだった。
私は泣きながら、やっぱりこのひとを守らなきゃ、と思う。
どこまでも、守らなきゃ。
これ以上、彼に辛い目は見させない。
それが、騎士としての私の誓い。
……でも、このとき、私はまだ気づいていなかった。
部屋に置いてきたフィニスの紐が、消え去っていたことに――。




