第13話 私のもふもふと、はじめましてです!
それは、料理対決の日の夜。
夕食後、騎士団員たちの自由時間のことだ。
「セレーナ、いるか」
フィニスに呼ばれ、私は慌てて振り返った。
「はい! もちろんです。鍵はかかってませんので、どうぞ!」
「では邪魔しよう。――相変わらず片付いている、というか殺風景な部屋だな。ちなみに、壁に出現したおどろおどろしい鳥小屋みたいなものはなんだ?」
「ああ、フィニスさまから頂いた紐を祀る宝物庫です。宝石箱の表面をフィニスさまにふさわしい漆黒で塗り上げ、さらに極限まで先端を尖らせた木筆でフィニスさまの素晴らしさについて書き連ねてあります」
「紐は見えるところに巻いておくよう言ったはずだが?」
「はい……でも」
でも、正直、汚したくない。
フィニスの肖像画だって、観賞用と保管用に模写を作らせた過去のある私だ。
推し本人からもらった唯一無二の品となれば、飾るのすら気が引ける。
通常使いなんかとてもじゃないが無理だ。
そんな私に、マント姿のフィニスは静かに言い聞かせる。
「でも、はない。それと、宝石箱は大事にしろ。ここに泥棒が入ることはめったにないだろうが、いくらか宝石は持って来たのだろう?」
うっ、宝石か。
触れられたくない話に、私の視線は泳いだ。
「まあ、ドレスを着るお役目がないとも限らないので宝石も持って来ましたが、別にいいんです。私、騎士になったからには結婚する気はないですし」
そう。この人生を選んだ時点で、私の結婚の予定はまっさらだ。
両親は変な趣味の貴族に押しつけようとしていたらしいが、先手を打って辺境の騎士団に入ってしまった。ちょっとやそっとで引き戻される気はない。
私はここで、フィニスさまのもとで生きられればそれでいい。
心はとうに決まっている。
「そうか」
フィニスは短く答えると、間を置いてから続けた。
「星を見ないか、セレーナ」
「えっ、もうガン見してますが。フィニスさまというきらめく星を」
「空の星だ。嫌でなければ付いてこい」
……このひと、確実に私の物言いになれてきたな。
「そんなところも大好きです! 着いていきます、どこまでも!!」
私ははきはきと言い、壁に掛けたマントをひっつかんで彼を追った。
フィニスのマントとフィニスの狼のもふもふの尻尾が、ひらり、ゆらりと揺れながら私を導く。
初夏とはいえ、ここは帝都よりは大分北だ。夜になると肌寒い。
城壁の上へ出ると、私はぶるっと震えた。
「ふわ……すーごい。まるで、宝物庫をひっくり返したみたい」
ここは小さな見張り台だ。
騎士団本部を半分抱えこむような巨大な湖と、そこから水を引いた堀、その周辺に広がる漆黒の森までが見渡せる。森の向こうには、他の大陸の影響を強く受けるカグターニ大公国があるはずだ。
六門教の影響力が弱いカグターニは、しばしば魔法の技術のみを奪おうと帝国に侵入してくる。
ここは、帝国の最前線なのだ。
矢はざまが穿たれた壁に囲まれた円形の床に、私とフィニスが座る。
フィニスの狼は主の後ろに背もたれのように座りつつ、私の膝にふかふかの尻尾を乗せてくれた。
「ありがと」
私が囁くと、狼は黄色い瞳に私を映し、『構わんよ』とでも言いたげにする。
この子、結構歳を取ってるんだろう。大人で、優しい。
「居間でもふたりきりにはなれるが、仕事で邪魔をされることも多い。いっそ落ち着いて話が出来るかと思って、見張りを代わってもらった。迷惑ではなかったか」
「迷惑だなんて、そんなわけありませんよ! あえて言うなら、私の命が心配です」
「お前はすぐ命の話をする。命は大事にしろ。自分の命を軽んじるものは、他の命を預かれない」
「はい、申し訳ありませ……ん? あれ、フィニスさま、マントの下に、何かいます?」
しょぼくれかけた私だけれど、つい彼のマントがもぞもぞ動いているのに気づいてしまった。
フィニスはすぐにマントの下から、白い毛玉を取り出す。
「ああ、もう出たいだろうな。そら、お前も空をごらん」
「わっふ!!」
「はわ!! かわ!! 白っ!!」
私の理性は一瞬で蒸発した。
かわいい。かわいい。かわいい。かわわわわわわわわわいい!!
毛玉。毛玉だ。完全に毛玉。しかも真っ白。
狼の子どもなのだろうが、毛が長くて白いので、もう全然毛玉という表現しかしようがない。かろうじて生き物だとわかるのは、真っ青な目と、湿った鼻と、しまいきれない赤い舌のせい。
毛深い生き物の小さいときって、なんでこんなにかわいいんだろう。
しかもそのかわいいものを、私の推しが両手に捧げ持っている。
最高にえっちな手に、最高にかわいいものが乗っている。
今、私は悟った。
えっち×かわいい=宇宙。
ここに世界が生まれた。
これが真理だ。
私はとっさに毛玉とフィニスを拝む。
フィニスは気にせず続けた。
「お前の狼にどうかと思って連れてきた。季節外れに生まれた、色違いの子だ」
「大歓迎ですもちろん大歓迎です! めちゃめちゃのかわかわな毛玉くん、こんばんは。私、こういう者ですよ~!」
今すぐ抱きしめたい気持ちをどうにか抑え、私は両手首を子狼に差し出す。
子狼はふんふんふんふんと推しの手袋や夜空の匂いを嗅いでいたが、はっ! と私に気づいた。
すぐに手首のにおいを嗅がれる。湿った鼻がつんつん触れる。
かーわいーなぁ。いいなあ、毛があるって。それだけで美しさ十割増しだよなあ。
フィニスも髪を下ろすと尊さ百割増しになるし。
「狼は、手首のにおいで人間の性別や年齢などの情報を得る。……セレーナは動物になれているな。公爵家では色々飼っていたのか?」
「猟犬はたくさんいましたね! 世話をするのは使用人たちだったけど、私はずっともっと触りたいなって思ってて。男装で暮らすようになってからは、猟番のところに入り浸って犬の世話をしてました」
そこまで言ったとき、子狼は顔を上げて私を見た。
そして、ちっちゃな顔で、にぱーー! と笑う。
「はわーー、笑顔がめっちゃ笑顔! かわ、かわぁ……!! ああ――なんて賢い目をした子なんだろ。見てください、フィニスさま。目に星が写ってる」
かわいさのあまり涙目になって叫ぶと、フィニスが不意に顔を寄せてくる。
子狼に私を見せたまま、私と耳と耳が触れあいそうな距離にきて子狼をのぞきこみ、ふ、と笑った。
「本当だ。美しいな」
えっ、美。
狼じゃなくて、推しが。
「おっとすいません、死……じゃなくて、気絶しかけました」
一瞬真っ暗になりかけた意識を取り戻し、私はぜえぜえと呼吸をした。
フィニスはそんな私の腕に、そっと子狼を預けてくれる。
「気絶も死も、軽々しく口にするな。これからはお前がこいつを守るんだ。色違いの子はたまに生まれるが、目立ちすぎるせいか、他の狼に殺されてしまうことが多い」
「他の狼に? 見た目が違うだけで、ですか? それとも魔力が弱いとか?」
不安になった私は、萌えを心の隅に押しこめて聞く。
腕の中のもふもふは、何度か身じろいだあと、私の肘と体の隙間で満足そうに丸くなった。
フィニスはあくまで穏やかに言う。
「色が違うだけだ。魔力の強弱は関係ない。色が違うだけで、白い狼は生きづらい。――残念ながら、人間も同じようなものだぞ。セレーナ、お前は女だ。ただそれだけで、これから山ほど苦労をする」
「……はい」
それは、きっと事実だ。
このひとは、本当のことを隠さない。
私はじっとフィニスの顔を見上げる。
彼の目が、まっすぐに私の目を見る。
「『違い』を生かす方法はただひとつ。突き抜けることだ」
「突き抜ける、こと」
「そう。お前は下手に他と馴染もうとするな。馴染むのではなく、誰よりも強く、誰よりも賢く、誰よりも輝いてあれ。そうなれば、お前はこの子と共に星への階段を駆け上がっていけるだろう。伝説になれ。そこまで突き抜けられれば、『違い』が武器になる」
ぞわっ、と、鳥肌が立った。
私は目を見開いていた。
フィニスの目にも、星が映りこんでいるのが見えた。
それとも、違うのかな。フィニスの心のきらめきが、そのまま見えてるのかも。
「フィニスさま。私」
口を開いたけど、それ以上、何を言えばいいのかわからなかった。
信じてくださってありがとうございます、なのかな。
ご助言嬉しいです、なのかな。
すきです、なのかな。
どんな言葉も足りない気がして、私は、震えながら言う。
「フィニスさま。フィニスさまは、そうやって、私を信じてくださる。でも、私はまだ、自分がフィニスさまの盟約者にふさわしいのかどうか……わかりません」
「わかるわからないの問題ではない。盟約はただ、結ぶものだ」
フィニスの返事はどこまでも優しい。
でも、私は、知りたい。
フィニスが私を盟約者に選んだ、本当の訳を。
「……ザクトの言い方からして、フィニスさまには以前、他の盟約者がいらっしゃったんですよね?」
ついに、気になっていたことが口から出てしまう。
フィニスの瞳の中の星がゆらめく。
彼は薄い唇を静かに引き結んだのち、囁いた。
「話さねばならないと思っていた。お前には話そう。わたしの最初の盟約者について」




