第102話 あの人からの、最後の挨拶ですね
一ヶ月半前の天書解体のとき、フィニスは私に帝冠をのせてくれた。
だけど、女帝誕生にはすっごい難しい手続きがあるらしくて……結局、フィニスが皇帝に落ち着いている。私には何か、新しい象徴的な地位が作られるみたい。
どっちにせよ、私たちはまだ、新しい人生に慣れられずにいる。
「で、私に用って何、な、ななな!?」
言い終える前に、カーテンの陰の椅子に座らされる。
おそるおそる見上げると、フィニスはものすごーーーーく、真顔だった。
「あ、の……? 私、何か、しました……?」
「いや。会が長引いている。体はつらくないのか」
「へ? 体? 全然大丈夫ですよ~! ご覧の通り筋肉はまだまだですけど、元気そうでしょ? 私」
私は細い二の腕を叩いてにっこり笑う。
………………。
………………。
い、いたっっっ。
真顔と沈黙が痛いです、フィニスさま……。
フィニスは思いっきりため息を吐いた。
「君の『元気そう』があてにならないことは、この一ヶ月半で充分学んだ。天書解体の直後にぶっ倒れて、そのあとの五日は尋常じゃない高熱。次の五日は幻覚。次の十日は体調は落ち着いてきたものの、『もう大丈夫です』を繰り返して寝台を脱走、のち、行き倒れ」
「は、はは、は、あははは……」
「笑いごとじゃないことは、わかってるな?」
「はい……。すみません」
私はしょんぼりしてしまう。
そうだった。
この一ヶ月は本当に大変だった。
細い体で無理をしたのと天書解体の影響で、人生初のレベルで体調ガタガタ。
体調不良に慣れてないもんだから「もう治った気がする!」って起きてはぶっ倒れるのを繰り返し、新皇帝陛下はブチギレ、ついに「自分で監視する」と宣言し、私の寝室近くに自分の臨時執務室を設けたという……。
ううううううう。
まさに人生の汚点というかなんというか……やっぱり、筋肉ないと駄目だわ。
私がしょんぼりしていると、フィニスは困り顔になる。
椅子の肘かけに腰かけ、私の頭をそっと抱いた。
「謝らせるつもりじゃなかった。すまない。ただ、心配なんだ」
「はは……夢の中でめっちゃ健康体だった人間がいきなり十日も寝こんだら、心配にもなりますよね……あはは……へこむ……」
ずーん、と暗くなっているところに、フィニスが追い打ちをかける。
「寝こんだだけならまだいい。幻覚で暴れるから、寝台に縛りつけるかわたしが抱きしめ続けるか二択だった」
う、うわああああーーーーん!!
そ、そう、それ、それ聞いたとき、さすがの私も萌えられなかったですよね。
私は両手を組み合わせて叫ぶ。
「その節は、本っっっ当に申し訳なかったです!!!! しかも私、フィニスさまのきれいな顔引っ掻いたんでしょ!!?? 万死に値するやつ!!!!」
「……くそ。こんなことが言いたかったんじゃない……いいんだ、化粧で埋まるくらいの怪我なんか」
フィニスはつぶやき、私の手首を取ってしまった。
そのままぎゅっと私を抱きしめ、耳元で囁く。
「戻って来てくれてよかった」
「……戻って来れてよかったです」
本当に、ね。
ひどい体調不良のあと、私は天書の中の景色を忘れつつある。
多分、私にとっては、そのほうがいいんだろう。
これからは、現実を生きていかなきゃならないから。
私には、この腕さえあればいいんだ。
と、そのとき。
後ろから声がかかった。
「――皇帝陛下、皇后陛下」
「うひゃっ!? だ、誰!? 気配全然なかった……」
私は叫び、フィニスは私を放して、サーベルに手をかける。
声がしたのは、部屋の隅。
いつの間にか、ほそっこい少年の人影がひざまずいている。
こちらを見た顔は、フィニスによく似ていた。
「小鳥ちゃん!! じゃなくて……えっと、名前があるんだっけ?」
私は思わず叫んでしまった。
この子はフィニスの弟だ。暗殺に特化して育てられた子。
でも、今回は皇帝暗殺もしてないし、足を洗ってどこか養子に出てるって聞いた。
小鳥ちゃんは静かに言う。
「シリウスです。あの。兄さまに、こっそりご挨拶したいという方が」
「こっそり、ご挨拶?」
私は首をひねる。
フィニスには心当たりがあるみたいだ。
「なるほど。表から来ても誰も文句は言わないだろうに。――いかにもあなたらしいな」
フィニスが言うと、誰かが笑った。
シリウスの後ろ、隠し扉から大人の人影が現れる。
多少めかしこんではいるけれど、どこにも特徴の無い中肉中背の男。
シュテルン。
フィニスの、お父さんだ。
シュテルンは軽く両手を広げてから、おおげさに頭を下げる。
「新しき皇帝陛下のご健勝と帝国の民の安らかなることを言祝ぎ、ますますの星のご加護と永遠の繁栄をお祈りいたします。――やあ、表から来てもよかったんだけどねえ。数限りない人生の中では、色んな子にご無体を働いちゃったからさ。顔を見るたび、良心が痛んだりするんだよねぇ」
にこにこ笑う彼を見ると、私の体はこわばる。
何せシュテルンは、異端だ。
無理矢理自分の記憶を維持して、何度も何度も人生をやり直していた。
シュテルンの言う『ご無体』の中身なんか聞きたくもないけど――。
そもそも、ここにいるフィニスとシリウスだって、相当ご無体を働かれたのでは?
私は心配になってフィニスを見上げる。
――あれ。
でも、フィニス、しっかりした顔してるな。
彼はシュテルンを見つめ、淡々と言う。
「どうして嘘を?」
「ん? どの嘘のことかな」
首をかしげるシュテルン。フィニスは続ける。
「神から直接聞いた。最初から最後まで、あなたがわたしを殺したことはなかった、と。あなたはクソ親だったかもしれないが、ただそれだけだ」
シュテルンはちょっとだけ目を見開く。
そして、すぐににっこり笑った。
「クソ親だっただけで充分じゃないかい? あのねー、早い時点で、君はほっといてもカリスマに育つってわかったんだ。使えるなって思ったから、とっとと力を伸ばすほうに舵を切った。金眼の度合いは毎回バラバラだったけど、いつかは完璧な金眼で生まれるかも、って思ったし。……それに」
一度言葉を切って、シュテルンは笑うのをやめる。
「何度繰り返したって、妻は死んだし。いちいち君のせいにするのも面倒になった」
う、わ……。
淡々としたシュテルンって……びっくりするほど、フィニスの面影がある。
フィニスはそんなシュテルンをじっと見つめた。
「……なるほど」
「苦しかったろ? 金眼の人生」
「もう忘れた」
素っ気ないフィニス。
シュテルンはわざとらしくうなずく。
「うんうん。美人のお嫁さんも来たしね。色々忘れるのが得策だ。こっちもあとは君たちにお任せして、全力で引退したいところ……なんだけど~。――君が僕を、念入りな拷問ののち殺したいとか思うんなら、それでもいいやと思ってね。来てみたんだよ」
えっ。
そ……そういうこと、言います……!?
先へ進もうとしているフィニスに、そういうこと言います!?
この男は、もーーーーーー!!
私は拳を握る。
その手に、ぽん、とフィニスの手がのった。
「――あなたとわたしは似ている。だから大体わかる」
フィニスが言うと、シュテルンは首をかげた。
「ん? 何がわかるの?」
フィニスは私を置いて、ゆっくりとシュテルンに近づく。
そうして指の長い手を父親の肩に置き、耳元に囁いた。
「わたしに罰してほしくて、最初は殺したなんて嘘を吐いたんだろう?」
「…………君さあ…………」
シュテルンの顔が引きつったのを見て、フィニスはやんわり眼を細める。
「育て方を間違ったな? あなたもわたしの大事な臣民だ。殺すなど、もってのほか」
ひええええええ……。
ひ、久しぶりに見たなあ、誘惑フィニスさま。
やっぱりものすごくきれいだし、怖いし、圧がつよーーーーーーい。
なんかもう、自動的にどきどきしちゃう。
シュテルンは顔をひくつかせて言う。
「……やめてよね、実の父親まで魅了しようとするの」
「素だ」
「そのほうが怖いよ!! は~~~。わっかんないね。何度育てても、子どもってのはわかんない。……ま、それが希望なんだけど」
ぷいっとそっぽを向いて、シュテルンは歩き出した。
あとはさよならも言わず、隠し扉をくぐって去って行く。
「ありがとうございます、兄さま。――では」
シリウスは静かに一礼し、シュテルンのあとについていった。
ぱたん、と隠し扉が閉まって、あとに残るのは私たちだけ。
しばらくして、フィニスがため息を吐いた。
「……はー……めんどくさい男だった」
「それで終わりにするんです……? え、フィニスさまほんとにものすごい男前では? 知ってましたけど!! 最初から知ってましたけど、すごっ!!」
びっくりして言うと、フィニスは私に微笑みかける。
「そうでもない。あいつも言ってただろう、『美人のお嫁さんも来たし』って。わたしはあともう少しだけ、君のことだけ考えていたいんだ。血なまぐさいことなんか、しばらくはごめんだな。――おいで」
喋るにつれて、ほどけて、とろけてくるあなたの声。
私だけを見つめる金の瞳。
そっと開かれた手。
どうしようもなくめまいがして、私は息を吐く。
あなたはすべてが最高で、何もかもが美しくて。
あなたの半分は私のもので、私の半分はあなたのもの。
……逆らえるわけ、ありません。
熱い呼吸を扇に隠して、私はそっと、あなたの手を取る。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!
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