第100話 私は神さまにはなりません!!
「『天書』の、核。……これだ」
私はじっくり『天書』を見つめる。
『天書』は、巨大な宝石の原石の形だ。
ゆらゆらと色を変える石の奥に、ちかり、ちかりと輝いている『核』がある。
「で、手を突っこむってどうやるんだろ。割っていいのかな」
「不安だな~~凄まじく不安だ。本当にこいつでいいのか? 本当に?」
ルビンは嫌そうに言う。
フィニスは、私の左手に何かをのせた。
「セレーナ、これを」
「あ! 盟約者の短剣だ」
「そうだ。今回はわたしがずっと持っていた」
ずっと――つまり、アクアリオが死んでからずっと、か。
私は短剣を受け取り、ぎゅっと握る。
「大事にします」
「ありがとう」
フィニスは囁く。
なんだかお守りをもらった気分だ。
私はフィニスに笑いかけ、『天書』に向き直った。
おそるおそる指を近づける。
冷たくも熱くもないな――というか、感触がない?
私、ほんとに『天書』に触ってるのかな?
もうちょっと、と思って手を伸ばす。
と、手首までが『天書』に埋まった。
「えっ」
つい、声が出た。
次の瞬間。
ばちん、と辺りが暗くなる。
「あれ? れ? れれれ? フィニスさま? ルビン?」
きょろついても、どこまでも暗いだけ。
えっ、何これ。っていうか、核は!?
私が取り出さなきゃいけない『天書』の核も、見えないんだけど!?
「あわわわわわ、ど、どこ行った!? えーっと、確か、星みたいに光ってるやつ。……あれかな!?」
闇の中に目をこらすと、どうにか、ちか、ちか、という光が見える。
あれだ。きっとあれだ。
私は走った。
走って、走って、走って……と、遠くない!?
ここ、本当に『楽園』の塔の中なの?。
それにしても『楽園』って、何が『楽園』だったんだろ。
きれいな名前だけど、そもそも『楽園』ってなんだっけ?
私、そこにいたの? いるの? 何するんだっけ。
何? 私? 私は……。えーっと。
――私、って、何?
う、なんかまずい気がする。
頭がぼんやりしてきた。
とにかく、足を止めて考えよう。
足を止めて。……足? 足って、なんだっけ?
走るって、止まるって、何。
考えないと。かんがえないといけない。きっと。もっと。
わたし。わたし、は――。
「セレーナ・フランカルディ」
震えるような美声が聞こえて、私は目を見開いた。
見ると、すぐ横にフィニスがいる。
しっかり手を繋いで、私を見ている。
「君はセレーナ・フランカルディ。そうだろう?」
「はい、そうですけど……あれっ、フィニスさまも来たんですか?『天書』の操作は私しかできないって言われたような……? あ、そっか。……短剣だ!」
私はちょっと大きな声を出した。
私、こっちの手に盟約者の短剣を握ってたはず。
「盟約者の短剣には、盟約者の魂が半分入ってるんですよね。つまり、あなた、フィニスさまの、魂の半分……?」
おそるおそる聞くと、フィニスはちょっと笑う。
そして、ざらっと光の粉になった。
ちょっとびっくりしたけど、多分、いなくなってないね?
まだそばに、あなたの気配を感じる。
「えーと……そう。私はセレーナ。セレーナ・フランカルディ。役目は、『天書』の核を取り出すこと。『天書』の核、『天書』の核……きっと、これだ」
口の中でつぶやきつつ、私は歩いた。
フィニスの魂が残した粉のおかげか、辺りは少し明るい。
『天書』の核らしき光が、だんだんと近づいてくる。
ちかり、ちかりとまたたき、不自由にうごめく光――。
「あれ。……こども?」
私は首をかしげた。
近づいてみると、光は一歳くらいの赤ちゃんだった。
「えっ、あっ、これを、連れて帰るんです? 嘘、ちょ、ま、私、子ども抱っこしたことないんですけど!?」
ど、どどどどうしよ!?
どこ持ったらいいのかな、これ!?
うろたえる私に、背後から声がかかる。
「あらっ、セレーナさまじゃないですか!」
振り返ると、懐かしい顔があった。
「えっ、何!? あ、乳母やだ!! こんなところで何してるの? でもちょうどよかった、助かる、よ……」
そこまで言って、私は固まる。
乳母。私の、乳母。
夢の中では助けた乳母。
……今回の世界では、休暇中に疫病で死んでいる。
――一度きりの人生の果てにあるのは、完全な終わり。
そんな神の声が、耳元で蘇る。
私がこのまま今回の世界を先に進めたら、彼女は生き返らない。
絶対に、死んだままだ。
先へ進めなかったら?
また、長生きできる未来もあるかもしれない。
どうしよう。
私、どうしたらいい……!?
乳母がにこにこしながら私に一礼し、赤ん坊を拾いあげる。
「せっかくですからご覧になっていってくださいな。可愛いでしょう? 本当に、うっとりするほど立派な女の子! この子は美人になります。体も丈夫ですしね」
乳母はひどく優しい目でこどもを見た。
すやすや眠っている女の子。
真っ白できめ細やかなほおに、やさしく、やさしく触れる、乳母の指。
「乳母や、私」
何か、言いたくて。言えなくて。
そんな私に、乳母はにっこり笑って赤ん坊を差し出した。
「抱いてみてください。この子、セレーナさまっていうんです」
私は、言葉をなくす。
どうにか赤ん坊を抱いて、顔を見た。銀髪にアイスブルーの瞳。
これは、私。あなたに愛されていた……私。
熱い涙が、ぼろっ、とこぼれた。
「乳母や、どうしよう……私、あなたを、救いたい。あなたと、一緒に、生きたい。絶対に、そうしたい、のに。……でも、私、これから、あなたのいない、未来を選ぶの」
「セレーナさま?」
不思議そうな乳母。
涙が止まらなくて、私は全部を放り出したい。
やめちゃえばいいんだ。こんな無理なこと。こんなの放り出して、同じ時間を繰り返せばいい。
繰り返しの中にだって色んな可能性があるんなら、そのほうがいい。
そう、思う。でも、だけど。
だけど。それよりも、強く。
私は、フィニスと生きる未来を、捨てたくない……。
「わかっ、てた、んだ。気づいてた。気づかないふりしてた、だけ。私……世界を救うとか言って、いっぱい、いっぱい取りこぼす。これからも、きっと、未熟な皇妃になって。自分勝手な幸福を守ろうとして、いっぱい、いっぱい、不幸を生むんだ」
あふれちゃった。
涙も、言葉も、止まらない。
世界を救うというのは、ここになかった世界を、滅ぼすということで。
誰かを幸福にするというのは、他の誰かを、絶望に叩き落とすことで。
私は。
私は――。
「救うってなんです、神さまじゃあるまいし!!」
「えっ……」
私は顔を上げた。
バンッ、と背中を叩かれる。
ちょっとだけ、痛かった。
乳母は私の顔を見ると、真剣な顔になって言う。
「いいですか。神さまでもないのに、神さまのふりはやめなさい。それを持って帰るんです。私が、何より大切にしてたものですよ」
「それ、って、これ、のこと?」
私は、自分の腕の中を見下ろした。
途端に赤ん坊は真っ白な光に変わる。
「うわ……!!」
強い光。何も見えない。
ぎゅ、と目を閉じた。
こんなまぶしくちゃ、何も見えない。
帰れって言われても、どうしたらいいの!?
何もかもわからなくて、自分じゃどうにもならなくて、そういうときって、どうするんだっけ?
あ、そっか。
――助けて、って言えばいいんだ!!
「フィニスさま!! 助けてください!!」
叫んで、がむしゃらに手を伸ばした。
こんなところで、こんなときでも、応えてくれる気がした。
だってあなたは、半欠けだから。きっと、私の抱いたあなたの半分を見つけてくれる。
だから、この手を、のばして、のばして、のばして――。
ほら、触れた。
「セレーナ!!」
はっきりした声。
手首を握りこまれる。
ぱっ、と視界が開けた。
明るい。光に包まれていく。
なんてまぶしくて、温かい光!!
懐かしい腕にぎゅっと抱きしめられて、私はほっと息を吐いた。
フィニスだ。フィニスの腕だ。あなたの体だ。
あなただ。
「セレーナ。君だな?」
フィニスが少し体を離して囁く。
私は涙をごしごししてうなずいた。
「はい、私です。ここ、外ですよね? なんか『天書』の中、寒かったです……。あれ?」
言いながら辺りを見渡すと……な、なんだ、この人数。
天門の間、人でびっしりですね!?
えーと、きらきら魔道士がいっぱい最前列にいるし、その後ろに楽園守護騎士団がみっしりいるし、張り合うみたいに黒狼騎士団もいるし、あのへんは実家関係で、ありゃ、選帝侯の臣下っぽい人たちもちょろちょろいる。
あっ、あそこで楽園守護騎士団に捕まってるの、ザクトとトラバントだ!!
私は泣くのを忘れて叫ぶ。
「ザクト! トラバント! 元気!? 大丈夫、怪我とか!?」
「お姫さまーー!! 俺たちは無事です!! っていうかお姫さまこそ、よくぞご無事で!!」
ザクトが跳び上がって叫ぶ。後ろ手に縛られてるけど、元気そう。
トラバントは固まってるみたい。こっちも無事。
ちょっとほっとした。
「っていうか、すごい大勢いますね……? ぎっしりだ、ぎっしり」
私は言い、隣に立つフィニスを見上げる。
フィニスは少し青ざめた顔で、私を見ていた。
「まあ、色々あってな」
「色々って、ざっくりすぎません? それにしてもフィニスさま、目がすごい。今日、特に輝いてます、ほとんど顔が見えないくらい」
私が目を細めて言うと、フィニスがかすかに笑う。
「輝いているのは君だ。星の光をまとっている」
「星の、光?」
びっくりして自分を見下ろすと……うっわ、ほんとだ!!
きらきらした光が、頭のてっぺんからつま先にかけて、次から次へとこぼれていく。
「星座になったみたいな気分ですね……。あの、私、外から見たらどうなってたんです? っていうか、時間は? 世界は先へ進みましたか?」
「時間は今、真昼をすぎたところだ。君は……一度は完全に姿が消えた」
「消えた? とは??」
「言葉通り、消失だ。そのあと色々あって、今度は『天書』のほうが消えて、君が出てきた」
……????
さっぱり想像がつかないけど、なんかすごいことになってたんだな。
私は自分の手を見下ろす。
ちゃんと、手はある。
左手には短剣があって、フィニスが手首をつかんでいる。
右手には赤ん坊を抱いてたはずだけど……本、だな。
私はいつの間にか、本を抱いている。
立派ではあるけど、まあ、ふつうの、本。
「……私、なんだか真っ暗なところを歩いて、懐かしい人に会って……『天書』の核を抱いて帰ってきた、はず、なんですけど。……なんで本なんでしょう。『天書』、本になっちゃったんですかね?」
「なっちゃったんですかね、と言われてもな。どうなんだ、ルビン」
フィニスが台座の下に聞く。
私たちの足下で、ルビンは青い顔をしていた。
「『天書』の核が、本になっただと……? つまり、あれほど、我々の解析を拒んできた『天書』が、誰にでも読める本に……!?」
「大丈夫? これ、『天書』研究予算削減されちゃうやつ?」
私は不安になって聞く。
そこに、トラバントの派手な笑い声が響いた。
「……ふ。ふ、は、あははははは!! いいじゃないですか!! つまり、神が人の言葉で語り出したってことでしょ?」
「トラバント! ねえ、これの意味がわかるの? ちょっと、お願い、こっち来て助けて!」
私が呼ぶと、楽園守護騎士団はしぶしぶトラバントを解放した。
トラバントは楽しそうに私のところにやってくる。
私が本をぺらぺらやるのをうきうき眺めて、トラバントはみんなに向き直った。
「――さて、皆さまもここで、嫌というほど奇跡は見たと思います。この方は『天書』の中から星の光をまとって帰還された。しかも、人の言葉で書かれた本を持って。これがどういうことかわかりますか?」
んんんんんん?
わ、わかるようなわからないような話だな。
私はただ、あの星みたいな光を追いかけただけなんだけど。
フィニスを見上げても、小さく肩をすくめられてしまった。
その間に、トラバントはさらに声を張りあげる。
「ここにあられる方は、魔道士たちが為しえなかったことをたったひとりで為したのです。神の言葉を受け取った! この本こそ、神が彼女に与えた使命。すなわち、この世界に神の真意を広げるべしとの命でありましょう。彼女こそ天より下りし神聖なる使者。天の使命を背負う新たな二つ星に、ひざまずくがいい!!」
わ、わあああああ!!!!
こ、これ、解説とかじゃないよね!?
なんかむやみに盛り上げられてるよね!!
どどどどうしよう、みんな目がキラキラし始めたし、こっち見てるし、ひざまずいてるし!?
ええい、素直か!!!! もっと自分の意志を持て、こっちはただの小娘だぞ!?
「フィニスさま、これ、いいんですか!? なんだか大変なことになっちゃってる気がするんですけど!!」
「そうだな。……まあ、あとのことはまたあとで考えよう。ほら、セレーナ」
フィニスは多分、ぼーっとするモードに入ったんだと思う。
あっさり言って、私の頭に硬いものをのせた。
星座をあしらった、金色の……待って。
これって、帝冠じゃないです!!??
「ま、まままままま待ってください、えっ、これ、フィニスさまのでは!!??」
「気にするな。わたしはこっちをもらう」
フィニスはくすりと笑って、私の頬をてのひらで覆った。
いや、待って、待って、まっ……ま、まあ、もう、待たなくても、いいのか。
私はいそいで目をつむり、棒立ちになった。
手袋越しでも、彼の手が硬いのがなんとなくわかる。
剣を持つことで硬くなったてのひら。
それでも、やさしい、やさしいてのひらが私を包んでいる。
そっと唇が重なった。
その瞬間、まぶたの裏で、何かがチカっと強く光る。
これ、なんの光なんだろ。
星の光か、太陽のきらめきか、それとも、フィニスの金眼?
よくわからないけど――どっちにしろ、とても温かくて、きれいな光だ。
100話までお付き合いありがとうございました!
本編はここまでになります。
いやはや、本当にありがとうございました……。
と言いつつ、結婚式のエピローグが1話ぶんつきますので、お付き合いくださると幸いです。
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