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平凡なる皇帝  作者: 三国司
第五章 混血と婚約者と平凡なる皇帝と

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「待ちくたびれたぞ!」

「ようこそ、陛下。アナリアもおかえり」


 レドリアの将軍であるグオタオの屋敷に着くと、グオタオは夫婦でハルたちを迎えてくれた。

 グオタオの妻、そしてアナリアの母であるソフィアとは即位式の日にも会っているし、ちゃんと顔を覚えている。

 アナリアの容姿はやはり母親似だったようで、ソフィアは勝気な目をしたスタイルの良い金髪美女だった。目元には小さな皺も見えるけれど、それで魅力が下がる事はない。美しい人が美しく年を取った感じだ。


「グオタオ、ソフィア」


 首巻きを取って、クロナギにヨミの背から降ろしてもらってから、タタッとハルは駆けた。

 グオタオは嬉しそうに笑うと、まるで我が子のようにハルを抱き上げる。


「寒かっただろう。クロナギ、籠を出せばよかったではないか」


 ハルに声をかけてから、クロナギを見て言う。


「あれはかなり揺れるので。ドラゴンの背に乗るよりよっぽど酔いますよ」

「む、そうか。そういえばエドモンド様も籠に乗れば必ず酔っておられたな」


 籠とは、空飛ぶ竜車のようなものらしい。ドラゴン二頭、もしくは四頭に屋根付きの籠を運ばせるのだ。中に乗れば風は当たらないので寒くはないが、ドラゴンたちの息が合わなかったり、風を受けたりしてよく揺れるのだという。


 護衛としてついてきてくれていたオーラットの竜騎士たちに別れを告げ、グオタオの屋敷に入る。

 レオルザークの屋敷よりは内装に凝っているが、ラルネシオの屋敷より派手でない。ただ、絨毯やカーテンなど、至るところに赤が使われているのが特徴的だった。

 クロナギやオルガもこの屋敷には何度か来た事があるのか、勝手知ったる様子だ。


 グオタオの家でも他の将軍たちの家に行った時と同じように皆でお茶を飲んだり、屋敷の中や庭を案内してもらったりして過ごした。グオタオは大きな犬を七匹も庭で飼っていたので、その犬を撫でさせてもらったりもした。


 あとは、ここへ来る前に、赤い飛竜の『三号』――ウラグル山脈で、風邪を引いて熱を出していたハルを攫った飛竜だ。三号というのはハルが勝手につけた仮名である――に会いたいとアナリアからグオタオに頼んでもらっていたので、グオタオは南の要塞にある竜舎から三号を連れてきてくれていた。


「三号ー!」


 犬に警戒気味に吠えられつつ、一頭だけで所在なさげにしていた三号にハルが駆け寄っていくと、三号も「!」と目を見開いた。

 そして勢いよくこちらに突進してきたのだが、それはグオタオとオルガが体を張って止めてくれた。


「元気だった?」

「ぎゃるるるる……!」


 喉を鳴らしながら甘えるように鳴く三号を撫でる。ラッチは『なんかこの匂い知ってる……』というふうに三号の匂いをフンフン嗅いでいた。

 オルガの話によると、三号はこの前まで翼に包帯を巻いていたらしいが、今は矢を受けた傷跡が残っているものの、穴も塞がってほぼ治っているようだった。


「三号とは?」

「あ、ごめん。仮の名前だよ。『ドラゴン!』って呼びかけるのも変かと思って」


 グオタオに尋ねられてそう答えた。岩竜である一号と二号は野生のドラゴンだったが、三号は竜騎士軍で飼われているドラゴンであるため、すでに名前があるかもしれないと思って〝仮の〟名前だと説明する。

 

「そうか、それならこのドラゴンの名は三号に変えよう。ドラゴンは生まれた時に一応名前が与えられるが、パートナーの竜騎士と出会った後で新しい名前をもらうドラゴンも多いのだ。しかし、こいつはまだ調教を終えたばかりの若いドラゴンでな、竜騎士と引き合わせるのもこれからなのだ」

「でも『三号』って、大丈夫かな……。個人的には呼びやすくてすごく可愛い名前だと思うけど――」

「可愛い?」

「――でも、パートナーになる竜騎士は嫌がるかも」


 ハルの話の途中で、オルガが耳を疑うように片眉を上げた。他の皆も可愛いという言葉には引っかかっている。どうやら『三号』という名前を可愛いと思っているのはハルだけのようだ。


「皇帝がつけた名前だ。光栄だと喜びこそすれ嫌がる事はない。三号自身も気に入ったようだしな」

「それならいいけど……」


 いっそもっと格好良い名前をつけようかとも思ったが、やはり三号という名前はお気に入りなのでやめておいた。三号の主人になる竜騎士も、三号という名前を可愛いと思ってくれる感覚の持ち主であると嬉しい。


 その後、ラッチや三号のところに、グオタオのドラゴンやヨミたちヴィネストのドラゴンたちも連れてきて一緒に遊ばせた。

 グオタオのドラゴンは他のドラゴンたちより年上で、皆を上手くまとめてくれた。例えば三号が力の加減を忘れてラッチに飛びかかったりすると、駄目だというふうに噛んで叱ってくれるのだ。

 あとは、三号と同じく調子に乗ってはしゃぎがちなオルガのドラゴンも何度か教育的指導を受けていた。

 一方、ソルのドラゴンはわりと良い子で、ヨミも優等生なので叱られる事はなく、子どもであるラッチはかなり大目に見られ、雌であるアナリアのドラゴンは丁寧に扱われていた。


 そして夕方には三号を竜舎に帰し、ハルたちは屋敷の中へ入る。

 夕食のために案内された部屋でハルがテーブルに座って待っていると、一度どこかへ消えていたグオタオが見知らぬ男性を二人連れてやって来た。


「陛下、この二人も夕食に招待して構わんか?」

「もちろん。でも誰なの?」

「エドモンド様に仕えていた元紫ヴィネストの二人だ」


 ハルはハッとして二人の男性を見た。

 グオタオが順番に紹介する。


「サタケとタイガだ。クロナギたちも会うのは久しぶりだろう。今日は私が無理矢理引っ張ってきたんだ」


 サタケは見た目は三十代半ばくらいに見えた。一重の細い目をしていて、短い黒髪は耳から下を刈り上げて、耳から上の髪は整髪料をつけて後ろに撫でつけている。少し特徴的な髪型だ。

 服の着こなしといい、全体的にきっちりしていて神経質そうに見える。

 

 一方、タイガは歳や背丈はサタケと同じくらいだが、雰囲気は正反対だった。短いくせ毛の茶髪も顎髭も無造作で、適当に整えている感じがする。気軽な雰囲気はラルネシオとちょっと似ていた。


 二人は扉のところに立って恐る恐るといった様子でハルを見ていたのだが、グオタオに「早く入れ」と背中を強く押されると、たたらを踏んでよろめきつつハルに近づいた。


「サタケとタイガ?」


 確認するようにハルが名前を呼ぶと、二人は同時に目頭を押さえて泣き出した。


「え?」


 静かに涙を零す二人に、ハルが戸惑いの声を上げ、オルガが吹き出し、クロナギやアナリアがフッと笑う。無表情が常であるソルも珍しく唇の端を上げていた。


「だから嫌だったのです、私は。エドモンド様の御子とお会いして泣かずにいられましょうか。しかも、まさかこんなに似ているとは」

「全くだ。せめて後輩のいないところで会いたかったぜ」


 鼻をすすりながらサタケとタイガが順番に言う。


「ハルの近くには常に俺らの誰かがいるんだ。後輩のいないところでなんて、それは無理だろ」

「黙ってろ、オルガ。お前ら後で覚えとけよ」


 ニヤニヤ笑っている現紫のメンバーをタイガが睨みつけている。

 ハルは夕食が運ばれてくるのを楽しみにしながらすでに箸を手に持っていたのだが、一旦箸を戻して椅子から降りる。

 そしてサタケやタイガの目の前に立って彼らを見上げると、二人はまた目頭を押さえ始めた。


「ああ、駄目だ……」

「まるでエドモンド様が戻ってこられたようです」


 ラルネシオのところで会ったサナと同じように、二人もハルをエドモンドと重ねて見ているようだ。

 しかしそれも最初のうちは仕方がないと思う。よく似た親子なので、切り離して見ろというのは難しいだろう。

 エドモンドの突然の死にまだ追いつけていない竜人たちに、自分越しにエドモンドの姿を見せてあげて彼らの心を癒やす事。それも自分の仕事の一つなのかなとハルは思う。


「この緑金の瞳をまた見られるとは」


 サタケがひざまずいてハルの瞳を覗き込んだ。その後でハルの手を取って自分の額に当てる。タイガも隣で膝をつくと、同じように手を取って挨拶をした。

 いつかクロナギに訊いたところによると、元紫の四人――クロツキとナギサ、それにサタケとタイガは、エドモンドを守れなかった事に責任を感じて紫を辞めたものの、レオルザークほど自分を追い詰めてはいないという。


 けれどやはり、自分の中でエドモンドの死をまだ完全に処理できているわけではなかったらしく、ハルに会うのも怖かったのかもしれない。全く似ていなければ複雑な気持ちになるし、似ていたら似ていたでこうやって涙腺が崩壊してしまうからだ。


 泣いている人間を前にしてただ突っ立っている事もできず、ハルはおずおずと二人を抱きしめた。

 まずはサタケの背中に両腕を回す。オルガやグオタオに比べれば細いが、やはり筋肉がある分、体が分厚い。

 サタケは最初遠慮してとっさに離れたが、むきになったハルがもう一度抱きしめると、今度は大人しくしていた。


「小さいですね……」


 鼻をグズグズすすりながら言う。

 次にタイガを抱きしめると、観念していたのかされるがままだった。


「エドモンド様の子に慰められるとは情けないな」


 そう言って自分で自分を笑うので、タイガを抱きしめているハルまで振動で揺れた。

 ハルが離れると、二人は目を赤くしたままだが笑っていたので、ハルも笑顔になった。

 もう、これからエドモンドの事を引きずっている竜人に出会ったら手当たり次第に抱きしめていこうかな、などと考える。ハルもどう声をかけていいのか分からない時があるし、それが一番手っ取り早い。


「元気になった? ねぇ、二人は今は何をしてるの?」

「お声もなんとなく似ている……」

「喋り方もな。フレア様に育てられたはずなのに、血とは不思議なもんだ」


 ハルがちょっと喋ると、二人はまた目頭を押さえて泣き出した。今日はもう涙腺が壊れてしまって戻らないようだ。

 二人の代わりにクロナギが教えてくれる。


「タイガさんは実家に戻って家業を継ぎ、今は漁師です。サタケさんは八賢竜の下で文官として働いています。大体いつも禁城にいますよ」

「ほんと? 今まで姿を見た事なかったけど」

「ハル様に会わないようにしていたんですよ」


 サタケはハンカチで目元を拭いながら言った。


「申し訳ありません。けれど心の準備が必要でしたので、即位式も欠席させていただきました」

「心の準備などと言っておったら、いつまでも時間がかかるだろう。それで今日は半ば無理矢理に二人を引きずってきたのだ」


 グオタオは前半はサタケに、後半はハルに話しかけた。


「ありがとう、グオタオ。二人に会えてよかった」

「我々もお会いできてよかったです」

「ああ、そうだな」


 ハルの言葉に、サタケとタイガが和やかに返す。


「さぁさぁ、二人も座って。そろそろ食事を運ばせてもいいかしら?」


 グオタオの妻のソフィアが手を叩いて皆の注意を引き、そう言った。サタケとタイガは最初遠慮していたものの、グオタオやソフィアの勧めで、結局夕食を食べていく事にしたようだ。


 皆でテーブルを囲んで食事を始めると、サタケとタイガはハルを見ながら「食べる順番がエドモンド様と一緒だ」とか「お好きな物が一緒だ」とか言いながらいちいち涙を流すので、その度、他の皆は笑った。

 クロナギやアナリア、オルガやソルは紫の先輩と久しぶりに会って嬉しそうだったし、四人ともいつもより少し幼く見えた。

 

(今日の夕食も楽しかった)


 食事が終わると、ハルはそう思いながら笑顔で箸を置いたのだった。




 

 グオタオの用意してくれた寝室でラッチと一緒に寝ていたハルだったが、ラッチが何か良い夢でも見ているのか、寝ぼけて振ったしっぽが顔面にばちばち当たって目が覚めた。


「いたい……」


 ラッチの体を押してベッドの隅に追いやると、ハルはごろりと寝返りを打った。

 すると、目線の先にあった隣室に続く扉から灯りが漏れているのに気づく。あの扉の向こうは控えの間なので、クロナギたちの誰かがいるのだろう。警護のために、交代で紫の誰かは夜通し起きているのだ。ぼそぼそと話し声も聞こえる。


 アナリアとクロナギ、オルガ、タイガの四人が主に喋っているようだが、まだ夜も浅い時間のようだし、他の皆もまだ眠らずそこにいるかもしれない。

 タイガがいるならサタケもいるだろうし、グオタオもいるかも。静かだが、気配は四人だけではなさそうだった。


「――ハル様の――――、誰にも分からない」

「――――だな」

「――だったら、しょうがねぇよ。――――だろ」

「――、――ヤマトが――」


 自分の名前やヤマトの名前が出てきたので気にはなるのだが、眠気が勝っているので扉に近づいて聞き耳を立てる気にはならない。寒いし、ベッドから出たくないのだ。

 一応、ベッドの上で耳を澄ましてみるが、話の内容は聞き取れなかった。

 こちらにも聞こえるように皆もう少し大きな声で話してくれないだろうかと思いつつ、ハルはいつの間にか再び眠っていた。



 朝起きると、昨晩の記憶はおぼろげだった。もしかしたら一度目を覚ましたのは夢だったのかもしれない。


「おはよー」

「おはようございます、ハル様」


 皆の様子もいつも通りで、昨晩何か話し合いをしていたとしても大した事ではないのだろうと思えた。


(うーん、でも、やっぱり……)


 少し気になる事もある。クロナギはいつも通りハルにほほ笑みかけてくれるし、オルガも相変わらずハルに構ってくるし、ソルも安定して無表情。

 グオタオやソフィア、侍女たちの様子も変わりなく、昨晩は泊まったらしいサタケやタイガも、昨日泣き過ぎたせいで目が腫れぼったい以外におかしなところはない。


 ただ、アナリアがほんの少し変な気がする。

 時々ふと視線を感じて振り返ると、アナリアが悲しげな目でこちらを見ているのだ。そしてハルと目が合うと、きゅっと唇の端を持ち上げて、なんでもありませんよというふうに笑顔を作る。

 悲しげな目、というのはハルの勘違いかもしれないし、それくらい微妙な変化だった。

 だけどやはり、何かおかしいと感じるのだ。


 じっくり問い質して話を聞きたいと思うものの、各地でのパレードが終わって禁城に戻るまでは、落ち着いて時間を取れそうにない。


「ハル様、そろそろ時間です。要塞の方へ向かいましょう」


 アナリアをじっと観察していたら、クロナギにそう促された。パレードの出発点である南の要塞――グオタオの屋敷のすぐ近くにある――へ行かなくてはならないのだ。

 ハルはひとまずパレードに集中する事にして、侍女たちにマントを着せてもらったのだった。



 南でのパレードも滞りなく終わった。

 サタケとタイガが沿道で人波に紛れ、いい笑顔でこちらに手を振っていた時は少し笑ってしまったが、ハルもちゃんと手を振り返しておいた。二人はもう竜騎士ではないので、こちら側でパレードの列には入れないのだ。

 竜人の若者の〝挑戦者〟も三人と多かったが、パレードの進行に問題が出る事はなかった。

 そうしてここを発つ時間になると、


「うう、苦しい……」

「おお、すまんな」


 グオタオに長い抱擁をされ、ハルはか細く呟いた。ぶ厚い胸筋に口を塞がれて、もう少しで窒息するところだった。


「ありがとう、グオタオ、ソフィア。サタケとタイガもまたね」


 地上にいる四人に手を振ると、ハルの乗るヨミは空高く飛翔した。紫の四人とラッチ、侍女たち、それにレドリアの竜騎士たちを護衛につけて、今度は東に向かう。

 

「次で最後だね。楽しかったけど、やっぱり少し疲れてきたかも。あ、でもまだ全然元気だよ」


 東でのパレードを延期するほどではないからねと、心配症のクロナギに先手を打って言うと、クロナギも笑って頷いた。


「無理はなさらないでくださいね。ハル様は普通の竜人とは違うのですから」


 

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