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平凡なる皇帝  作者: 三国司
第四章 解術と戦争と帝国の希望と

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13

 ラマーンの空に朝日が昇る頃、ハルは盤と駒を使ったボードゲームでレオルザークと戦っていた。

 控えの間に置いてあったものを拝借して遊ばせてもらっているのだ。このボードゲームはジジリア発祥のものだが、最近ではラマーンでも浸透してきているらしい。


「また負けた」


 ハルは唇を尖らせて言った。レオルザークはこのゲームのルールを知らなかったのに、一度教えただけで覚えてハルを負かしてしまったのだ。しかも十回対戦して、十回とも。

 ハルも元から強かったわけではないが、レオルザークも容赦がない。


「少しは手加減してくれてもいいのに」


 拗ねた口調で言うと、


「小陛下はこのゲームにおいては私の師です。師に対して手加減する弟子はいません」


 と、レオルザークは真面目に返してきた。

 このままでは師匠としての面目が立たないけれど、これ以上対戦しても負け続けるだけに違いないので、ハルは大人しく引き下がる事にした。

 ドラニアスの竜人たちはこのゲームを知らない初心者ばかりのようなので、クロナギかアナリアかオルガかソルか、手当たり次第に対戦を申し込んで勝てる相手を探そうとハルは思った。ヤマトやコルグ辺りなら気を遣って負けてくれるかもしれない。

 すると、ハルが駒を片付け始めたところで、部屋の扉が二度ノックされた。


「入れ」


 レオルザークの返事を聞いて入ってきたのは、クロナギとアナリア、そしてラッチだ。

 ラッチは一直線にハルに突っ込んできて胸元に張り付いたので、その勢いでハルはちょっとむせた。

 

「ハル様! 目を覚まされていたんですか」


 クロナギも軽く目を見開いてこちらへ歩いてくると、椅子に座っているハルの隣で片膝をついた。


「体調はどうです? 起きていて大丈夫ですか?」

「問題ないよ。まだ魔力が十分に戻ってないからかな、少しだるいような感じはあるけど、気にならないくらいだし」

「そうですか」


 クロナギはハルの答えを聞きながら、注意深くこちらの様子をうかがってきた。本人の申告だけではいまいち不安なのか、自分の目でも確認して、ハルの顔色が悪くないかを見ているようだ。

 そしてアナリアは寝室へ向かうと、薄い肩掛けを持ってきて、まだ寝巻き姿でいるハルに着せる。


「護衛というより侍従や侍女だな」


 皮肉ではなく、見たままの感想をそう漏らしながら、レオルザークはアナリアが持ってきた肩掛けをじっと見ていた。それを羽織らせるくらいは自分も気がつけばよかったと思っているのかもしれない。


「ところで、寝室にあった水差しが別のものに変わっていましたけど」


 自分の髪を耳にかけながらアナリアがレオルザークに尋ねる。

 レオルザークは簡潔に答えた。


「落として割れた」


 しかしその一言で、クロナギとアナリアはハルが不注意で割ったのだと気づいたらしい。竜人らしく反射神経のいいレオルザークが水差しをうっかり落とす事は、まず無いからだ。

 

「あの、ごめん……。私が落としたの」


 ハルの足や手に割れた硝子でついた傷がないか素早く調べ始めた二人に、ハルはとりあえず謝ってみた。


「怪我はない。硝子は触らせなかった」


 レオルザークも口を出したが、クロナギとアナリアは一度レオルザークの方を見た後、また無言でハルの体のチェックに戻る。レオルザークの子守りはあまり信用されていないようだ。

 レオルザークが不満そうな顔をしながら二人を睨んでいるので、ハルは少し笑ってしまった。


「ハル様、本当にもう体調はいいのですか? どこか痛むところは?」


 アナリアはそう尋ねながらハルの右腕をちらりと見た。自分のためにハルが無理をした事を、まだ気にしているのだろう。

 ラッチを抱いていた腕をアナリアの方に伸ばして、ハルは笑った。


「どこも痛くないよ。腕ももう大丈夫。アナリアもちゃんと元に戻ってよかった」

「はい……ありがとうございますハル様。私の心にハル様が戻ってきて嬉しい」


 いつもは勝気に上がっている眉を下げて、アナリアはハルをぎゅっと抱きしめる。

 と、そこへ、ノックも無しに扉を開けて部屋に現れたのは、アナリアの父親であるグオタオだった。彼もハルが目を覚ましていると思わなかったのか眠そうに頭を掻きながら部屋に入ってきたが、ハルとアナリアを見るとパッと目を輝かせた。


「おお……! 次代よ、目覚めておられたか! アナリアがずっと心配しておったのです。よかったよかった!」


 グオタオは口を大きく開けて笑顔になると、アナリアごとハルを抱き上げた。しかしハルにくっついていたラッチはソファーへと転がり落ちている。


「わっ!」

「ちょっと、お父様」


 一緒に抱っこされたアナリアが迷惑そうに父親を睨むが、喜んでいるグオタオは気づいていない。


「仕方がないな、グオタオは」

「朝から騒がしい事だ」

「次代の頭を天井にぶつけないようにしてくれよ」


 と、グオタオに続いて残りの将軍たちも続々と部屋に入ってくると、サザ、ジン、ラルネシオの順番に発言して呆れた顔をした。この部屋の天井は高いが、グオタオなら高い高いをしてハルを放り投げそうだとラルネシオは心配したらしい。


 他の将軍たちも現れて、アナリアはいい加減父親に抱き上げられている事が恥ずかしくなったのか、

「もう、降ろして」と父親を突っぱねると、ハルを抱いたまま床へと降り立った。

 そこでちょうどクロナギが室内用のサンダルを持ってきてハルにそれを履かせてくれたので、ハルも床に降ろしてもらう。

 自分の足で立ったところで、ハルは将軍たちに向き直った。


「そういえば、あの、グオタオ以外は名前を訊いてなかったなと思って……」


 自分よりずっと大きくてずっと年上の将軍たちに少し人見知りをしながら、たどたどしく言う。

 一番に口を開いたのはラルネシオだった。


「これは失礼。俺はラルネシオ・ワイド。西のオーラットの将軍だ」


 ラルネシオはその場で片膝をつくと、ハルの手を取ってその甲に口づけを落とし、ついでにウインクもしてみせた。

 少しだけ軽薄そうだが、レオルザークも含めた五人の将軍の中では一番器用で柔軟そうだとハルは思った。レオルザークの前で冗談を言っても通じなさそうだが、ラルネシオならきっと笑ってくれるだろう。


 キスされたこの左手をどうしようかとハルが照れながらあたふたしていると、クロナギがさっとその手を取って、自分の手で何気なく拭いてから、緑金の石がついた指輪を中指にはめてくれた。


「あ、指輪……」


 ハッとして右手を胸元に当てるが、指輪をつけていたはずの鎖もいつの間にか外されている。


「おい、クロナギ。今さり気なく拭いただろ。人を汚いものみたいに」


 ラルネシオの声を聞こえなかった振りをして、クロナギはハルに説明した。


「着替えさせていただいた時に外しておいたのです」

「着替え……クロナギが?」


 ハルは少し頬を赤らめて、自分が着ている見慣れない寝巻きの裾を軽く握る。いくらクロナギでも着替えまで任せるのはさすがに恥ずかしい。

 クロナギは珍しくハルをからかおうとしたのか一度意味深にほほ笑んだけれど、次にはこう言ってハルを安心させた。


「いいえ、アナリアが」

「そっか、よかった……」


 ハルは中指にはまっている指輪に目を落とした。細かったフレアの指のサイズに合わせて作り直されているからか、ハルにもちょうどいいサイズだ。

 フレアが死んだ時ハルはまだ十一歳で、形見の指輪を指にはめてみても緩かったのだが、この三年で少しは成長したんだなと自分の事なのに感慨深かった。

 すると今度はサザがハルの手を取って、ラルネシオと同じように膝をつく。


「私は東の(ナルフロウのサザ・アラスカです。次代が無事に目覚められた事、そして一緒にドラニアスへ帰れる事を嬉しく思います」


 サザは思慮深い青い瞳でハルを見た。一番良識的で優しそうな顔立ちをしている将軍だが、身長は誰よりも高い。

 ラルネシオのようにキスをするのではなく、サザは指輪をはめたハルの手を、頭を垂れた自分の額の前に持っていき、触れるか触れないかのところまで近づけた。


 続いてジンがサザの隣に並んで、同じようにハルの手を自分の額の前に掲げる。


「北のサルーファのジン・ゲートだ」


 レオルザークに似た厳しい目つきとソルに似た無口さを併せ持つジンだが、ハルの手を握る手は温かかった。見た目ほど厳しくはないのかなと思える。


 そして最後にジンからハルの手を奪ったのはグオタオだ。「グオタオの事は知ってるよ」と言おうとしたハルだが、グオタオの行動の方が早かった。

 皆と同じように膝をつくと、ハルの手を自分の額に強く押し付けた後、顔を上げて笑う。


レドリアのグオタオ・フェニックスだ。そしてアナリアの父親だ! よろしく頼むぞ、次代よ!」


 がははと笑って、グオタオはまたハルを抱き上げた。ハルが目を覚ました事、新しい皇帝が現れた事、アナリアがハルの側で幸せそうにしている事、その全てがグオタオには嬉しいようで、興奮気味だ。


「うう、よろしく」


 ハルはグオタオの分厚い肩に手を回し、しがみつきながら答えた。グオタオがハルをあやすように揺らしてくるので、頭がグラグラするのだ。


「お父様、揺らさないで。ハル様は赤ん坊じゃないんだから。それに酔いそうだわ」


 娘に注意されてもグオタオはまだ笑っていた。


「すまんすまん!」


 けれど揺らすのはやめてくれたので、ハルはホッとして手の力を抜いた。ラッチはハルの胸とグオタオの胸の間に体を滑り込ませ、再びハルにくっついてくる。

 ハルはラッチにぺろぺろと顎を舐められながらクロナギに尋ねた。


「そういえば、ルカはどこにいるの?」

「ティトケペル王子もこの王宮におられますし、ハル様の事を心配しているようですよ。回復したら一緒に食事をしようと言っておられました」


 そういえばお腹が空いてきたので、後でルカに会いに行ったついでに食事もご馳走になろうと思いつつ、続けて訊く。


「あと、他の竜騎士たちはどうしたの? たくさんいたはずだけど」

「ほとんどの者は帰らせました。ここはラマーンですし、いつ何時も警戒は必要ですが、ご覧の通り四人の将軍と竜人最強と言われる総長が揃って残ると言い張られたので……他の竜騎士は必要ないかと」


 クロナギはわがままを言った子どもを見るかのように、将軍四人とレオルザークにちらりと視線をやる。実際、五人も残る必要はないと言ったのに誰も言う事を聞かなかったのかもしれない。

 いい大人であるはずの五人の軍人たちは、今もクロナギの皮肉を聞こえなかった振りをしている。

 クロナギは小さくため息をついてから続けた。


「けれど念のため、他にも二十名ほどの竜騎士は残らせています。あとはオルガとソル、ヤマトとコルグも残っていますよ。……噂をすれば、来ました」


 クロナギが言った後で、ハルの耳にもオルガとヤマトが喋っている声が廊下から聞こえてきた。ラマーンにはどんな動物がいて、狩りをすれば何が獲れるのかという事を、オルガがヤマトに訊いているようだ。

 そしてオルガは他愛のない話を続けたまま、やや乱暴にこの部屋の扉を開けた。


「あん? 何だよ、将軍たちに総長まで揃って」

「部屋が狭くなったように感じますね」


 オルガとヤマトが部屋を見回して言う。

 喋っていなかったため声は聞こえていなかったが、ソルとコルグもいたようで、オルガとヤマトの後ろに立っていた。ソルは相変わらず無表情で、普通の“平”竜騎士であるコルグは上官たちを前に緊張しながら中へ入ってくる。


 言葉を発さずにアナリアが目で『うるさい』とオルガを睨みつけたところで、オルガは肩をすくめて誤魔化すように笑った。

 そしてアナリアに近づいてなだめるように肩を抱くと、そこでやっとグオタオの腕の中にいたハルに気づく。


「あ!? 起きてたのか、ハル。チビだから見えなかったぜ」


 チビと言われたハルが「べ」と舌を出して返事をすると、オルガはハルの頭蓋骨を掴むかのように大きな手を伸ばしてきて、髪の毛をぐしゃぐしゃにした。

 それはハルが目を覚まして嬉しいという気持ちもこもったオルガなりの親愛の表現なのだが、周りからはそう見えなかったようで、アナリアやクロナギ、ラルネシオやサザから矢継ぎ早に注意を受け、レオルザークやジンからは顔をしかめられている。


「ハル様、気分はどうですか?」


 オルガが皆から叱られている間に、ヤマトはそっと近づいて来て言った。コルグもそわそわしながらハルを見ていて、ソルは何だか眠そうだった。


「もう大丈夫だよ」

「そうですか、よかったです」

「ヤマトにはたくさんお世話になったね。心細かった時に一緒にいてくれてありがとう」


 ハルはそう感謝の気持ちを伝えた後、


「でも、クロナギたちと逸れて夜に寂しくて泣いてた事は絶対に内緒だからね」


 と、グオタオに片腕で抱っこされながら首を伸ばし、ヤマトの耳に顔を近づけ小声で伝えた。

 しかし耳のいい竜人たちにはその内緒話が聞こえてしまっていたのだが、皆ハルが恥ずかしいだろうと聞こえていない振りをしたので――からかおうとしたオルガの口はクロナギによって塞がれた――ハルはこの部屋にいる全員に自分が泣いていた事がバレたとは思っていない。

 ヤマトも笑って、声を潜めた。


「はい、内緒ですね」


 ハルは真剣な顔でコクコクと頷いてから、改めて部屋にいる皆の事を見回した。

 ラッチにクロナギ、アナリア、オルガとソル、ヤマトにコルグ、レオルザーク、ラルネシオ、ジン、サザ、グオタオ。

 そしてこれからドラニアスに向かえばたくさんの竜騎士たちが自分を待っていてくれて、まだ見た事のない竜人たちとの出会いもある。


「なんだか不思議……」


 誰に言うでもなく、ハルは呟いた。

 生まれてからずっと、ハルの世界の中心は母親であるフレアで、フレアの事を一番に考え、大切にしながら生きてきた。

 下女仲間には友達と呼べるような関係の子もいたけれど、何よりも大事な家族はフレアだけだったのだ。

 

 けれどそのフレアも死んでしまって、一度は一人ぼっちになったのに、ラッチを見つけ、次にはクロナギと出会って、いつの間にか自分の周りにはこんなにたくさん仲間が増えた。

 血は繋がっていないけれど、まるで家族のようで、皆とても大切な存在だ。


 一人ぼっちだった時には小さくて隙間だらけだった自分の心が、今は大きくなって、さらに愛情のようなものがいっぱいに詰まっているような気がする。

 これは自分が皆に与えている愛情なのかもしれないし、皆からもらっている愛情なのかもしれない。どちらにしてももう寂しさは感じないし、心はいつも温かだ。

 

「嬉しい……」


 ハルはまた呟いて、へにゃっと笑った。

 ハルが何を考えているのか、その気持ちは部屋にいる竜人たちは正確には分からなかったけれど、のんきで平和なハルの笑顔を見れば、彼女が今、幸せを感じているのだろうという事は読み取れた。

 いかつい将軍たちも含めた竜人たちは、ハルに釣られて思わず全員表情を崩したのだった。

 

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