12
夢の中でも、ハルの右腕は痛んでいた。
大きく呼吸をするだけでも右腕に響いて痛むので、なるべく静かに息を吸わなければならない。
けれどしばらく痛みに耐えていると、ある時ふと右腕が温かくなった。
柔らかな何かが腕を包み、痛みを吸い取ってくれているような感覚だ。
完全に痛みがなくなると、知らない男の人の緊張した声が聞こえてきた。
「な、なな、治りまっ、治りま、した」
「緊張し過ぎだよ、セデオ。でもまぁ、これだけの竜騎士に囲まれているんだ。失敗はできないし気持ちは分かるけど。でも、よくやったね」
「は、はい、殿下。ありがとうございます」
途中でルカの声が聞こえたのでハルは目を覚まそうとしたが、泥の中に沈んでいるように体が重く。まぶたすらも持ち上げられなかった。霞がかかったみたいに意識もはっきりしない。
「本当に綺麗に治っている。少なくとも表面は……。だが、骨や神経は?」
そう言ってハルの右腕を撫でたのはクロナギだ。
クロナギの声は威圧的ではなかったけど、相手を疑うような視線を向けているのか、知らない男の人は慌てて喋り出した。
「は、はい、大丈夫だと思います」
「だと思う、では困る」
「いえ、あの、だ、大丈夫です、はい。完璧に治ったという手応えが、あ、ありましたから。……あの、こ、これで殿下は処刑をされずに済むのでしょうか?」
クロナギはハルの指を順番に曲げたり、腕の皮膚を優しく押したりしながら、ハルが痛みで目を覚まさないか確かめているようだった。
けれど、右腕はもう痛くはなかったので、ハルは夢の中でホッとして表情を緩める。
「笑っているな」
レオルザークも近くにいるらしく、ハルの顔を見てそう呟くと、知らない男の人に視線を向けたようだった。
「どうやらもう痛みもないようだ。という事は、我々もお前たちを殺す理由がない。お前たちの王子も殺しはしない」
そして少し間を置いて、静かにこう続けた。
「まさかラマーンの人間にこんな言葉をかける時が来るなど、一年前の自分……いや、昨日の自分に言っても信じないだろうが、迅速に怪我の治療をしてくれた事は感謝する。我々ではこういう無痛の治療はできなかった」
「いえ、そんな……」
知らない男の人は、感謝されてびっくりしたみたいだ。呆けた声を出している。
なんだかよく分からないけど、知らないうちにレオルザークが穏やかになっている気がする、とハルは思った。
自分が眠っている間に何があったのか知りたいけれど、意識は再び泥の底に深く沈んでいってしまった。
丸一日か二日か、長い時間眠っていたような気がする。
ハルは静かで真っ黒な霧の中から浮き上がるように、ゆっくりとまぶたを開けた。
(ここは……)
月明かりに照らされているのは、豪華だけど少し派手な内装の見覚えのない部屋だ。
ベッドは天蓋付きで薄い白のベールが垂れているため、はっきりと周囲の様子が分かるわけではないが、ベッドの支柱は金色だし、ベールの隙間から見える調度品も金が多いようだった。
床には砂色の日干しレンガが敷き詰められていて、その上には複雑な植物の模様が描かれた華やかな絨毯が広がっている。
窓には硝子は嵌められていないようでカーテンもないが、さらりとした風が流れ込んできて心地良かった。夜だからか気温は涼しいくらいだ。
(ここはまだラマーンなのかな?)
ハルは声を出そうとしたが、喉がカサカサに乾いてしまったみたいに音が出ない。
けれど僅かに身じろぎした音を聞きつけて、黒い影がベッドを囲むベールをそっと開けた。
「ハル様……?」
黒い影――クロナギは、薄闇の中でこっちを見て囁いた。
そしてハルが目を開けている事に気づくと、潜めたままの声を少し高調させる。
「目を覚まされたのですね。水をお飲みになりますか?」
ハルは水が欲しかったけれど、声を出すのも頷くのも難しかった。頷くという動作がこれほど面倒な事だとは。
風邪をひいた時のだるさに少し似ているけど、体は熱くはないし、寒気も気持ち悪さもなかった。ただ体が重くて、まだ眠り足りない。
ハルは何の反応も示せなかったが、クロナギは気持ちを読んで水をグラスに注いだ。
そしてハルの背中に手を差し入れて上半身を起こさせると、もう片方の手でグラスを持って口元へ運ぶ。
ハルはうっすら唇を開けて、クロナギが少しずつ流し入れてくれる水を飲んだ。
そして水を飲んでいる時に見えたのは、ベッドで寝ているラッチと、ハルの足もとで突っ伏して眠っているアナリアの姿だった。ラッチは完全にベッドの上に乗っているが、アナリアは床に座り込んで胸から上だけベッドに乗せている。
グラスを離すと、クロナギはハルの視線を追って説明した。
「ラッチはいつもの事ですが……アナリアは自分にあてがわれた部屋まで戻るのを嫌がってここで眠ってしまったのです。ハル様を心配して」
ゆっくりと上体をベッドへ戻されながら、ハルはクロナギを見た。クロナギもちゃんと眠っているのだろうかと気になったのだ。また目の下に隈ができているような気がする。
ハルの視線を受けてクロナギはまたもや質問を読み取ると、かすかに笑って答える。
「ちゃんと眠っていますよ」
そう言ってクロナギが顔を向けた先、ベールの向こうには、椅子が一つ置かれてあった。あそこで座って寝ているという事だろうが、ハルはベッドでしっかり休んでほしいのだ。
けれど声を出すのが億劫なので、指摘はできなかった。
ここはどこで、他の皆はどうしたのか。
アナリアの解術が成功したのは夢ではないか。ルカは無事か。サイポスとラマーンの戦争はどうなったのか。
訊きたい事は山ほどあったけど、今のハルにはまだ睡眠が必要なようだった。
「もう一度眠ってください」
クロナギに言われて遠慮がちに頭を撫でられるがまま、ハルはまた目を閉じた。
次に目を覚ました時には、随分体力が回復していた。喉は相変わらず乾燥していて、それだけが少し不快だったが。
正確な時刻は分からないが、部屋は暗いので、また夜に目を覚ましてしまったようだ。けれど前回目覚めた時と同じ夜ではないような気がする。感覚からすると、一日くらいは経っていそうだ。ラッチもアナリアもベッドにはいない。
そしてベールの向こうに目をやってみても、椅子の上にクロナギはいなかった。
ここはきっと安全な場所なのだろうけど、知らない部屋に一人というのは少し心細い。
ハルは裸足のままでベッドから降りて、サイドテーブルに乗っていた硝子の水差しからグラスに水を注ぎ、それを一気に飲み干した。そしてさらにもう一杯飲んで喉を潤すと、ぺたぺたと絨毯を踏んで扉の方へ向かう。
けれど扉を押し開けようとしたところで、そこに鍵が掛けられている事に気づく。ノブを何度回してみても途中で止まって開かなかった。
「クロナギ」
暗闇の中で、扉の向こうに控えているかもしれない相手を呼ぶ。
「起きたよ。クロナギ」
コンコンとノックすると、向こう側で鍵を開ける音がした。
しかしゆっくりと扉が開くと、そこから顔を出したのはクロナギでもアナリアでもなかった。
「あ……」
少しびっくりして、ハルは思わず一歩下がる。目の前にいたのは、相変わらず厳しい目つきをしているレオルザークだった。
意識を失う前、自分はレオルザークとどんな会話をしていただろう? レオルザークはまだ自分を殺すつもりでいるのだろうか?
逃げるべきかと顔をこわばらせたところで、レオルザークが口を開いた。
「体調はいかがですか」
クロナギみたいに柔らかな口調ではなかったが、レオルザークは一応丁寧にそう尋ねてくれた。
「体調は……うん、普通……」
ハルはぎこちなく答える。
レオルザークは視線を床に落とすと、ハルが裸足なのを見て、眉間に少し皺を寄せた。
ハルはそれを気にせず、大きなレオルザークを見上げて尋ねる。
「ねぇ、クロナギはどこ?」
レオルザークは寝室の灯りをつけ、きちんと扉を閉めてから答えた。
「強制的に部屋へ戻らせ、休ませました。アナリアもです。小陛下が意識を失われてから三日以上経ちましたが、その間二人とも僅かな仮眠を取るだけでまともに寝ていませんでしたので。体調管理も竜騎士の大事な仕事の一つです。それと、橙色の子竜はクロナギが一緒に連れて行きました。ベッドの上で動き回って小陛下の睡眠を邪魔するらしいので」
一気にそこまで話すと、レオルザークはこちらを向いて続けた。
「けれどクロナギとアナリアを寝かせたタイミングが悪かったようです。小陛下が起きられる少し前に部屋に戻したところです」
「……その、小陛下って? 私の事?」
戸惑いつつ訊くと、レオルザークは頷いた。
「皇帝の御子の事をそう呼びます」
「そうなんだ……」
という事は、レオルザークは自分の事を認めてくれたのだろうか? エドモンドの子どもで、皇帝の血を継ぐ正当な後継者であると。
ハルがそんな事を考えてぼーっと突っ立っていると、レオルザークはベッドを囲んでいるベールを持ち上げてハルをその中へ誘導しようとした。
「ベッドの中へお戻りを。まだ夜明けまで時間があります」
「でも、もう眠くないよ」
ハルが拒否すると、レオルザークはどうしていいか分からなくなったようで、ベールを持ち上げた形のまま動きを止めた。
そこでふと風が吹いてきたので、ハルの意識は窓へ向かう。足を進めて硝子のない窓から外を覗くと、そこには暗い紫の空とラマーンの街並み、その奥には夜の砂漠が広がっていた。
ここはどうやら、ラマーンの王都にある宮殿の一室のようだ。下を見下ろせば、地上までそこそこの高さがあると分かる。
「高い」
しかし首を伸ばして下を覗き込んだ瞬間、ハルは突然服を後ろから強く引っ張られて、後ろへ数歩よろける事になった。
「うわっ!?」
いつの間にか着せられていた寝巻きのワンピースの襟が喉を圧迫したので、ハルは軽く咳き込みながら振り返る。
服を引っ張ったらしいレオルザークはハッとして手を離し、僅かに声に動揺を滲ませながら言う。
「申し訳ありません」
レオルザークは口数が少ない。軍人らしく寡黙だ。謝った後、言い訳しようとしたのか一度口を開いたのだが、結局言葉が出なかったようだ。そこでハルは仕方なく、レオルザークの行動について想像を働かせた。
おそらくレオルザークは窓を覗き込むハルを見て危ないと思ったのだろう。そのまま落ちてしまいそうに見えたのかもしれない。それでとっさに服を引っ張ったが、きっと力の加減が上手くできなかったのだ。
(そういえば、レオルザークは護衛は専門じゃないもんね)
レオルザークの仕事は、司令官として軍をまとめる事だ。紫とは違って常に皇帝の側にいるわけではないし、たぶん本人の性格的にも、きめ細かい気配りをして誰かの世話をするというのは向いていないのだろう。
竜騎士たちに指示を出し、厳しく活を入れる役目には慣れていても、クロナギやアナリアみたいにハルの世話をする事には慣れていない。
「申し訳ありません」
言い訳をしない代わりに、レオルザークはもう一度謝ってきた。
「大丈夫だよ」
ハルはそう言って、少し笑う。レオルザークの顔は相変わらず険しく怖いけれど、ちょっとだけ落ち込んでいるようにも見えた。
休日に子どもの世話を任されて困り果てている育児に不慣れな父親みたいだ。
「もう私の事は殺さないの? 皇帝になろうとするのを止めなくていいの?」
壁に背を預けて言うと、レオルザークは難しい顔をした。
「竜騎士たちの中には、小陛下が皇帝になる事を反対する者はいませんでした。おそらくドラニアスの国民もそうでしょう。つまり混血の皇帝が誕生しても国は割れそうにない。ならば私があなたを排除する理由もない」
「皆が賛成ならそれでいいって事? レオルザーク自身はどう思ってるの? やっぱりまだ、私には皇帝になってほしくないと思ってる?」
数秒間を置いてから、レオルザークは答えた。
「そんな事はありません」
また少し沈黙して、続ける。
「……数日前、私はあなたに尋ねた。ドラニアスのために命を懸けられるか、と。けれどあなたがアナリアを助ける姿を見て、それは愚問だったと思ったのです。クロナギにも言われましたが、どうやらあなたは、命くらいならば簡単にドラニアスに差し出すような人だと分かった」
「私には、ちゃんと覚悟があるって分かってくれた?」
「ええ」
レオルザークは短く相槌を打つと、ハルに釘を差すように話を続けた。
「けれど命を懸けるという事と命を粗末に扱う事は違う、という事をもっとしっかり理解してもらわなければならない。皇帝になるというのなら、あなたのその身は、あなたのものだけではなくなるのです。これからは血の一滴たりとも無駄に流す事がないよう、その辺りもしっかり自覚してもらわなくては」
お説教や指導となるとレオルザークは饒舌になるらしく、すらすらと言葉が出てきたが、次にはきまり悪そうに視線を下へずらした。
「……先ほど怪我をさせそうになった私が言えた事ではないですが」
必要以上に強く服を引っ張った事を、結構気にしているようだ。
「しかし、普段の世話は侍女たちが、そして護衛はクロナギたちがする事になるので、その辺りは心配なきよう。がさつな私があなたの身の回りの世話をするという事はありません」
「別にレオルザークの事をがさつだなんて思ってないよ。オルガに比べればね。でももう少し、私に慣れてほしいな」
ハルは明るく笑って、握手をするようにレオルザークに手を差し出した。
その手を取ってほしいと思ったのだが、レオルザークは険しい顔をしたまま動かない。どうすればいいか分からなくなると、彼は怖い顔のまま固まってしまうようだ。
ハルは残念に思いながら諦めて手を下ろすと、ベッドの方へ戻った。サイドテーブルにある水をもう少し飲みたかったのだ。
しかし片手で水差しを持ち上げた時、重さで手が滑って、それを床へ落として割ってしまった。
一度サイドテーブルにぶつかった後で床に落ちたので、ハルの裸足の足からは少し離れたところで割れ、幸いにも怪我をする事はなかった。
水差しは大きく四つほどに割れていて、残っていた水は絨毯の上に広がり、ゆっくりと吸い込まれていく。
「あ! どうしよう、ごめん」
誰に謝っているのかは自分でも分からなかったが、口からは思わず謝罪の言葉が出た。そして早く片付けないとと焦って、割れた水差しの破片にとっさに手を伸ばす。
しかしそこで、伸ばしたはずの手は水差しから離れていった。レオルザークがハルを後ろから抱き上げたからだ。
きょとんとしてレオルザークを見ると、彼はとても怖い顔をしてハルを見返してきた。
「今、話をしていた事を忘れてしまいましたか?」
低い低い声で言われて、ハルは首をすくませた。
「血の一滴たりとも無駄に流す事がないよう、と私は言いました。つまり用心せずに動いて怪我をするなという事です」
「でも……怪我をしないように触るつもりだった。片付けないと危ないし……」
少し反論してみたものの、レオルザークが目を細くしてさらに強く睨んできたので、ハルは急いで口をつぐむ。言い訳はしない方がよさそうだ。
「皇帝が水差しを割った時にする事は、自分で片付ける事ではなく、人を呼ぶ事です。混血のあなたには見えていないのかもしれないが、床には小さな欠片も散らばっている。裸足のあなたが一歩でも足を踏み出せばどうなるか、分かりますか?」
「怪我をします……」
その答えにレオルザークは怖い顔のまま頷くと、ハルを片腕で抱いたまま部屋の扉を開けた。そこには控えの間があり、寝室と違って明るい照明が点いていたが、今は誰もいない。
レオルザークはまた眉間に皺を寄せて、独り言のように呟いた。
「片付けをさせようと思ったが、ヤマトとコルグも寝かせるために追い出したんだったな……」
「じゃあ、オルガとソルは?」
「あの二人に片付けをさせれば、さらに物が壊れていくだけです。永遠に部屋が整頓される事はない」
レオルザークは控えの間から廊下に出るための扉を開けた。すると廊下では、警備のためか二人の竜騎士が扉の脇に立っていた。
彼らはレオルザークとレオルザークに抱えられているハルを見ると、意外な組み合わせだと思ったのか、驚いてぎょっと目を見開く。
レオルザークはその反応を無視して言った。
「寝室にあった水差しが割れた。片付けをしろ」
「え? 水差しが? け、怪我は……」
二人の視線がハルに集まり、ワンピースから出ている裸足の足や手の上を彷徨った。自分が怪我をすると、こうやって皆に心配をかけるんだなとハルは思う。
「怪我はされていない。入れ」
「は、はい!」
一人は掃除道具を取りに行き、一人は寝室へと入っていく。
そしてレオルザークは控えの間にあるソファーにハルを座らせようとしたのだが、ハルは風に当たりたかったので、「あっち」と窓の方を指差した。
するとレオルザークはハルを抱いたまま窓に近づいてくれる。
「ありがとう」
窓は縦に細長い形をしていて、やはりここも硝子が嵌められていない。ハルが身を乗り出さないようにか、レオルザークは抱いているのとは反対の腕でハルの体を支えた。無言の忠告だ。
「ここはラマーンの王宮だよね?」
「そうです。本当はドラニアスまで帰りたかったのですが、ドラニアスに入るにはどうしても海上を飛ばねばなりませんから、強い海風にあの状態の小陛下を晒すのは躊躇われたのです。また、ラマーンの王子にも王宮で休んでいくよう勧められましたので」
「あ! ルカ! ルカは生きてるんだね? レオルザーク、殺してないよね?」
緑金の瞳を心配そうに揺らして、ハルはレオルザークに詰め寄った。
レオルザークはその瞳を懐かしそうに見ながら、冷静に答える。
「殺していません。王子には、小陛下の右腕を治すために協力してもらいましたので」
ハルはそこでハッとして、自分の右腕を見た。そういえば自分は酷い怪我をしていたんだったと、やっと思い出した。
「ほんとだ、治ってる……」
不思議そうに自分の右腕を撫でるハルに、レオルザークはハルが気を失ってからの事を簡単に説明した。
ルカに協力してもらって治療専門の魔術師に腕を治してもらった事、その交換条件としてルカの処刑は取り止めにした事、サイポス軍をラマーンから追い払った事などだ。
「じゃあもう、サイポス軍はラマーンにはいないんだね」
「慌てて撤退していきました。ある程度戦力を削いでおきましたので、しばらくは大人しくなるでしょう」
ハルは頷いて、北の方へ逃げているはずのハディたちの事を考えた。戦争が終わったのだから、早々に集落に帰ってくるのだろうか。無事でいるといいなとハルは思った。
ハディの事を考えたところで、同じように綺麗で優しい自分の母親の事がふと頭に浮かぶ。
ハルは手をそっと持ち上げて、自分の頭に触れた。
「そういえば、母さまと、あと父さまの夢を見た気がする」
レオルザークは目だけを動かしてハルを見ると、しばらく沈黙した後で静かに尋ねてきた。
「……どんな夢です?」
「あまりはっきり覚えてないけど、二人が並んで笑ってた。何か話しかけられたけど、何を言ってたのかは分からなかった。音は何も聞こえなかったから。でも二人は一緒にいて幸せそうで、それで父さまは私の頭に手を伸ばして、こうやって撫でてくれた……ような気がする」
ハルは説明しながら、自分で自分の頭を撫でた。
二人が夢の中で仲良くしていた事は嬉しいけれど、現実ではもう二度と頭を撫でてもらう事はできないのだとも思って寂しくなった。
仕方がないので、感触を覚えているうちに自分で頭を撫でて反芻する。
するとレオルザークはそんなハルを不憫に思ったのか、普段は鋭い金の瞳に同情を滲ませた。
「……もう少し早く小陛下を見つけてさし上げる事ができなかったかと、今悔やんでいます。フレアが死んだのは三年前だと聞きました。あなたはその間一人だったのでしょう?」
「うん……。一緒に働いてた人たちがいい人たちで、母さまを亡くした私を気にかけてくれていたけど……でも寂しい気持ちはあまり埋まらなかった」
ラッチやクロナギに出会う前までの事を改めて思い出して、ハルはレオルザークの太い首にきゅっと抱きつく。
「そう、その時はすごく寂しかったんだよ」
母が死んだ時の事を思い出すと、いつだって涙が溢れてきてしまう。
悲しい気持ちになるのは嫌なので、ハルは切り替えて涙を拭った。そしてふとレオルザークの顔を見ると、この話題を振った事を最高に後悔しているような表情をして、ハルをどう慰めればいいのかと困惑しているようだった。
「クロナギを起こしてきましょう」
「ううん、ごめん、大丈夫だよ」
ハルが少し笑ってみせると、レオルザークは安堵した様子を見せた。このまま号泣されたらどうしようかと思っていたみたいだ。
常に厳しい顔をしているレオルザークだが、近くでよく目を見ていると、そこに感情が表れていたりもする。特に慣れないハルへの対応では動揺しやすいらしい。
クロナギやアナリアがいればハンカチの一つでも出して目元を優しく拭いてくれそうだが、あいにくレオルザークはハンカチを持っていなかったようで、ハルの頬に残った涙をかさついた指で拭ったのだった。
「ちょっといたい」
「……申し訳ありません」




