11
サイポスとの戦いは佳境を迎えていた。戦況は思わしくなく、ラマーンはじわじわと追いつめられ始めていた。
サイポスは今までも周辺国に喧嘩をふっかけては大小様々な争いを繰り返してきているのだ。それは戦争に慣れているという事でもあり、まだ年若いルカが率いるラマーンと比べると経験だけは豊富だった。
それでもルカは諦めなかったけれど、突然自分の頭上に影が落ち、あっという間にドラゴンに連れ去られてしまった時には、さすがに死を覚悟した。
「殿下……!」
地上で、アスタたち臣下も主君を失う恐怖に目を見開いて叫んでいる。
(これで僕も終わりなのか……。ラマーンを守りきれなかった)
心の中で国民に謝罪しながら、ドラゴンの鋭い爪に服を掴まれて空を飛ぶ。
仲間の魔術師が術を放って助けようと奮闘しているが、ルカを捕まえたドラゴンと竜騎士はそれを上手く避けているようだ。
「おい! 見つけたぞ、きっとこいつだ! 捕まえたら他の奴らが焦って『殿下』って呼んでたし」
「よし、よくやった!」
「さっさと戻るぞ」
ルカを捕まえた竜騎士が他の竜騎士たちとそんな会話をしてから、砂漠の外れへと進路を変えた。サイポスとの戦いに集中するあまり気づいていなかったが、空はいつの間にかドラニアス軍で埋め尽くされていたようだ。
(ハルはどうなっただろう。無事だろうか……?)
一旦引いたようにみえたドラニアス軍がまた戻ってきて自分を捕らえたという事は、彼らはハルを皇帝とは認めなかったのかもしれない。
「うっ……」
ラマーン軍とサイポス軍から離れた砂漠の上で竜騎士が高度を下げると、ドラゴンは唐突にルカを地面に離した。
地面との距離は一メートルほどだったけれど、ルカは砂に体を埋れさせながら、衝撃に軽く呻く。
「見つけたか。よくやった、トウマ」
ルカが顔を上げると、ドラニアスの司令官であるレオルザークが威風堂々とこちらに歩いて来た。彼の姿を見るのは二度目だ。一年前にエドモンドが殺されたあの日以来になる。
相変わらず威圧感のある外見をしているが、今はどこか晴れやかな顔もしていた。
「オルガとソルを牢から勝手に出した罪は不問にしてやろう」
「お、覚えておられましたか……」
自分を捕まえた赤髪の竜騎士は、怯えて肩をすくめながらレオルザークに言った。
周りでは、ルカを囲むように竜騎士たちが次々と地上に降り立ち、レオルザークの奥では年かさの将軍たちがこちらを観察している。
ルカは体についた砂を払う事すらできず、顔をこわばらせた。
最高司令官であるレオルザーク、そして四人の将軍を含めたドラニアスの全軍が自分を囲んでいる恐怖に勝つ事ができなかった。
ハルと出会った頃のルカの計画では、竜騎士たちを説得して許しを請おうと考えていたのだが、それは無理そうだと今になって思う。まず、震えて上手く喋れそうにない。
「立て」
レオルザークは乱暴でも丁寧でもない動作でルカの腕を引っ張ると、将軍たちのいる方へと足を進めた。
(あれは……)
途中で魔術師らしき人物が砂の上に倒れているのが目に入った。サイポスの衣装を着ている彼は、ルカが身を潜めていた集落を襲撃した魔術師のようだった。
彼はハルの臣下である女の竜騎士に魔術をかけて操っていたため、その報いを受けたのだろう。
外見に大きな傷は見当たらないが、火傷しそうなほど熱い砂の上に伏したままピクリとも動かないという事は、すでに事切れているのだ。
(僕もああなるのか、それとももっと酷い殺され方をするかもしれない)
ルカはぞっと背筋を凍らせながら、レオルザークに引っ張られるまま砂の上を進んだ。
しかし将軍たちの隣を通り抜けると、整った顔つきの黒髪の竜騎士がハルを抱いているのを見て、思わず声を上げた。黒髪の竜騎士の事は、確かハルがクロナギと呼んでいたはずだ。
「ハル!」
とっさに駆け寄ろうとしたものの、レオルザークがそれを止める。ハルとは一定の距離を保ったまま立たされた。
「ハルはどうしたんです? あの酷い怪我は……」
言っている途中で気づいた。ハルの魔力が底を尽きている事に。
そして怪我は全て、ハルの利き腕である右手に集中している事にも。
短い時間で解術を習得しようとして無理をし、このような酷い右腕になったのだろう。
ここまでの傷を負った事はないが、ルカも魔術を練習し始めた最初のうちは、よく利き腕に小さなやけどのような傷を作っていた。
「解術は、成功したんだね……」
ルカは金髪の女性竜騎士を見て呟いた。名前はアナリアだったか。
気が強そうだけどものすごい美人で、今はルカを警戒するように一睨みしたのち、心配そうにハルに視線を戻している。
(ハル、頑張ったんだね)
心の中で友達を賞賛して、こんな状況だが、唇の端に僅かな笑みを浮かべた。
「何を笑っている」
ルカが何か良からぬ事でも思いついたと考えたのだろうか、隣に立っていたレオルザークが低い声で言った。
「いえ……」
気まずげにルカがうつむいたところで、クロナギがレオルザークを諌める。
「総長、あまりラマーンの王子を萎縮させないでください。これからハル様を治してもらわねばならないのですから」
クロナギに言われて、レオルザークは不機嫌そうに口をつぐんだ。
「ハルを、治すって……?」
まだよく状況が掴めないルカは、一番話しやすそうなクロナギに向かって尋ねる。
クロナギはハルを抱いたまま礼儀正しく答えた。
「ティトケペル王子。あなたに頼みがあります。ハル様のこの右腕を治してほしいのです。傷跡も後遺症も残らぬよう、綺麗に」
「僕が? もちろんハルの怪我は治してあげたいけど……」
「お前は魔術師でもあるのだろう。癒やしの魔術は使えないのか?」
レオルザークが口を挟んだ。ルカは続ける。
「少しは使える。だけどハルのこの酷い傷を完璧に治せるほどの力はない。治療魔術は難しくて、それを専門に勉強してきた魔術師でないと大きな怪我は治せないよ。でも……」
竜騎士たちに囲まれながら、ルカは頭を巡らせた。
ハルの事は助けたい。友達として、打算無しに。
けれど自分とラマーンを守るためには、ちゃんと策略を立てなければならなかった。賢い王ならば、このチャンスを逃す事はしないはずだ。
ルカはクロナギに向かって言う。
「僕の臣下に、治療魔術を専門とする魔術師がいる。彼ならハルの怪我を治す事ができるだろう。けれど一つ問題がある。彼は今、サイポスとの戦争に出ていて、負傷した仲間の治療に当たっているんだ。だから彼をハルの治療のためだけにこちらへ連れてくる事はできない。ハルを治している間に、うちの兵士が何人も命を落としてしまうだろうから」
「分かりました。では、我々がサイポス軍を追い払います。敵がいなくなれば、その魔術師も手が空くでしょう」
さらりと返答するクロナギに、ルカはさらなる要求を突きつけた。
「待って。ハルを助ける代わりに、僕が望む事は二つある。一つは、サイポスを倒すためにあなたたちに手を貸してほしいという事。そしてもう一つの要求は、僕の処刑を取り止めてほしいという事だ。僕はこれからラマーンをまとめていかなければならないんだ。ドラニアスにはハルしかいないように、ラマーンには僕しかいないから、ここで殺されるわけにはいかない。この二つの要求をのんでくれるのなら、魔術師を連れて来てハルの怪我を治そう」
ルカは内心緊張しながらも強気に発言した。竜騎士たちはこれを吊り合わない条件だとは思わない、と考えたからだ。
特にあのクロナギという竜騎士は、ハルの怪我を治すためなら何だって要求をのんでくれそうだった。
「そんな要求、のむ必要ねぇな」
しかし口を開いたのはクロナギではなく、アナリアの隣にいた黒髪短髪で体格のいい竜騎士だ。
にやりと笑って続ける。
「その治療専門の魔術師を無理矢理こっちに連れ去ってくりゃあ済む話だ。そんで、脅して治させりゃいい。そうすりゃ、お前の要求をのむ必要もない。俺たちはハルを治して、お前を処刑する」
言っている事は恐ろしいが、半分は冗談で言っているような雰囲気だった。どうやら物騒な発言をしてルカの反応を楽しもうとしているようだ。
ルカは挑発に乗らないように、なるべく冷静に反論した。
「あなたたちは彼の容姿を知らないはずだ。魔術師の格好をした者の中で、誰が治療をできる魔術師か見分けがつくだろうか? ハルのこの怪我を完璧に治せる腕を持つのは、ラマーンでも一人しかいないんだ。それに、彼は僕の命令しか聞かない。脅したって言いなりにはならないよ」
ルカが怯えないと分かると、体格のいい竜騎士はつまらなさそうに肩をすくめた。
しかしルカをからかうのを止めた代わりに、気を失っているハルの鼻をふにふにとつまみ始め、アナリアに「やめて」と叱られている。
クロナギは静かにルカに言った。
「オルガのやり方は稚拙だが、我々は強硬な手段を取ろうと思えばいくらでも取れるというのは本当だ。あなたを人質にして魔術師にハル様を治療させ、その後あなたを殺してしまう事もできる」
今度はルカも顔を青くせざるを得なかったけれど、クロナギは淡々とこう続けた。
「しかし、そんな事をしてはハル様が悲しむのでしない。それに、ドラゴンに連れ去られて砂漠を彷徨うハル様を助けてくれた事、あなたには一応感謝をしているので」
その時は何も下心なんてなかったが、あの時ハルを助けていてよかったとルカは少し思った。
クロナギが最終的な決定を求めてレオルザークを見ると、レオルザークは将軍たちと視線でやり取りした後、ルカに言った。
「必死で頭を巡らせたのだろうが、お前をここへ連れてきた時から、我々はお前を殺すつもりはなかった。一年前の事件においての天逆罪の罪を、この先お前に問う事もしない。そして邪魔なサイポス軍も我々が倒してやろう。代わりにお前は、自分の臣下の魔術師をここへ連れて来て、我々のあの小さな皇帝の腕を治させるのだ。……しかし、もしも治療以外の術をかけてみろ。今度こそ、ラマーンは国ごと滅びる事になるだろう。国民諸共だ。それを肝に銘じておく事だ」
「肝に銘じるまでもなく、よく分かってる。心配しなくても変な事はしないよ。ドラニアスの不興を買うような事をしても、今の僕たちに何も利点はないから」
顔はずっと険しく怖いけれど、ルカの答えにレオルザークは一応納得したようだった。実際にルカの姿をを見て、その発言を聞いて、父親よりはずっとまともだという印象を持ったらしい。
「僕もドラゴンに乗せて行ってくれれば、目的の魔術師がどこにいるか教えられる」
「ドラゴンに乗せろって? 人間にしては度胸あるな」
オルガというらしい竜騎士が白い歯を見せて笑った。
ルカもぎこちなく笑い返す。
「一度乗った事があるからね」
視界の端にいたコルグの方をちらりと見て言った。
「空を飛ぶのは思ったよりも恐ろしくはなかったよ」
「まぁ、怖がってドラゴンの背で暴れられるよりはいい。ぎゃあぎゃあ騒がれると突き落としたくなるからな」
ドラニアスの将軍の一人だろうか、白っぽい金髪の竜騎士が本気とも冗談ともつかぬ口調で言った。
そして、自分のドラゴンの方へ顎をしゃくって続ける。
「ラマーンの王子よ、お前は俺が乗せてやる。さっさと行くぞ。治療は早い方がいい。レオルザーク、ジン、サザ、グオタオ、魔術師は俺と部下たちで連れ帰る」
レオルザークは頷いてこう返した。
「ならばサイポス軍は我々で追い払おう」
何でもない事のように言うんだなと、ルカは乾いた笑いを漏らしそうになった。自分たちがそのサイポスを相手にどれだけ苦戦しているか。
けれどとても心強い一言でもあった。
これでもうサイポスの負けは決定したようなものだ。虎の威を借る狐のようだが、何はともあれラマーンの土地は守られるし、これ以上味方の犠牲者も出さずに済む。
竜騎士たちがドラゴンに乗って出陣の準備を整えているのを見たルカは、国が守られる事に心から安堵して泣きそうになった。
敵に回すと絶望しかないが、味方だと戦いにおいてドラニアスほど心強い存在はない。
「来い。急げ」
先ほどの白い髪の将軍がルカを急かした。
「あなたの名前を訊いても?」
「ラルネシオ・ワイドだ」
ラルネシオはルカにあまり興味はない様子だったが、ドラゴンの方へ向かいながら尋ねると名を教えてくれた。
ラルネシオのドラゴンは骨の色みたいな真っ白な体色をしていて、主人と同じくらい経験豊富そうで落ち着いている。
けれどプライドも高いのか、人間のルカが背に乗ろうとすると、文句を言いたそうにラルネシオを見た。
「乗せてやれ、フライア。必要な事だ」
ラルネシオはそう言って、ドラゴンに跨るのに苦戦しているルカのお尻を押して持ち上げた。
「恐ろしく軽いし、細いな。今は食欲もないのかもしれないが、サイポスやうちとのいざこざが一段落したらちゃんと食った方がいい」
意外な言葉に驚いて、ルカは自分の後ろで鞍に跨るラルネシオを思わず振り返る。
「竜騎士の方に心配してもらえるとは思わなかった」
するとラルネシオは、少し決まりが悪そうな顔をして視線をずらした。
「俺も、まさか憎きラマーン王の息子の体を気遣う日が来るとは思わなかったよ。だが、お前がやつれればお前の臣下たちは心配するだろう」
早口で言うと、会話を打ち切るようにラルネシオはドラゴンを飛翔させる。
ルカはしっかり鞍に捕まって揺れと風に耐えながら、ラルネシオは自分をハルと重ねて見ているのかもしれないと思った。彼はきっと、ハルが少しでも痩せたらとても心配するのだろう。
ふと周りを見れば、ルカやラルネシオの周囲には竜騎士たちがずらりと横に広がって陣を組んでいた。クロナギやアナリアはハルと共に地上に残るようだ。
ルカは少しわくわくした気持ちで風に吹かれた。空を飛ぶのは気持ちがよかった。




