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だい よんじゅうきゅう わ ~依り代~



 瀧宮たつみや白羽しらはをこの手で殺したのは、つい六年前の事だ。

 土地を見守る焔御前や万物を知る白沢しらさわメイは事故だと言ってくれたが、俺はそう思わない。

 俺は俺の意志と傲慢によって、あの小さな体に刃を突き立てたのだ。

 それは逃れようのない事実だ。


 だから、俺は街から逃げ出した。


 最愛の妹をこの手で殺したこと。

 もう一人の妹から身の毛もよだつほどの殺気を向けられたこと。

 俺に期待していた連中から忌避の視線を向けられたこと。


 その事実から目を背け、ただただ逃げ出した。


 それまでに自分で稼いだそう多くない金と、身の内に太刀を()()ばかり宿して、後は正真正銘身一つで街を出た。

 数日後、白沢からの一方的な不在着信でどうやら生家から勘当されたらしいということを知った時は、ほんの少しだけ、気が楽になった。

 もう俺はあの家とは関係ない。

 思い出の詰まったあの街に帰る必要もない。

 逃げ続けることに躊躇がなくなった。


 だがいくら逃げ続けても、俺の心が満たされることはなかった。


 どこまで逃げても、全く逃げた気になれない。

 生まれ故郷への執着がそうさせているのか。

『瀧宮』の血がそうさせているのか。

 はたまた――身の内の太刀がそうさせているのか。


 俺の終わりのない逃亡生活に転機が訪れたのは、あの日から一年が経った頃だっただろうか。


 俺は文字通り、世界中を飛び回って逃げ続けていた。

 その頃には世界各国、訪れなかった国を数える方が楽になるほどになっていた。

 だが尽きることのない逃亡欲求に、自分でも嫌気がさしていた。


 そこで俺は、世界の外側に目を向けた。


 魔術師の中には、精霊や幻獣といった存在を異世界から召喚し使役する者がいる。

 それはつまり、異世界の存在を証明する。

 どのような世界かは皆目見当もつかない。

 この世界となんら変わり映えのない場所かもしれないし、踏み入るだけで死に至るような危険な場所かもしれない。

 それでも、この逃亡欲求を満たすには、それくらいしないといけないと思えた。

 むしろ、死して本望。

 俺の犯した罪は、それほど重いのだから。


 そして俺は世界最大規模の魔術機関の幹部と接触し、当時召喚及び送還魔術を得意とする魔術師の中でも、若くして最高峰と称された男――藤村ふじむら修二しゅうじを紹介された。



       *  *  *



「懐かしいですね」

 修二は薄暗い地下室へと下る階段を、サングラスの位置を指で直しながらゆっくりと下る。

 本来ならばサングラスでこの暗い階段を下りるのは辛かろうが、修二は平然と歩を進める。サングラスの下に封印されている赤々と燃える悪魔の右目には、昼間のように明るく映っているのだろうか。

「もう五年前ですか? 僕があなたにアヤカの救出を依頼したのは」

「ああ、そうだな。俺からしたら、まだそれくらいしか経ってないのかって感じだがな」

「最初僕、印象悪かったでしょう?」

「そりゃ仕方ねえよ。実の祖父に妹拉致られて動顛してたろ」

「それはまあ、そうなんですが」

 世篠沢よしのざわ正蔵しょうぞうとか言ったか――世篠沢病院という地方の大病院を隠れ蓑に、不老不死の研究をしていた典型的なイカれた魔術師だった。

 一般人である病院患者を生贄に悪魔を召喚し、不老不死を願うつもりだったらしいが、そんな大それた願いを叶えるのに一般人の魂だけでは全く足りず、自分の娘夫婦――修二の両親に手をかけ、それでも足りずに才能はなかったが魔力量だけはずば抜けていたアヤカも拉致して生贄にしようと企てていた。

 俺は修二に、俺の願いを叶える代わりに妹を助けてやると持ちかけた。

 さながら悪魔のように、だ。

「結局、爺の召喚魔術発動阻止は間に合わずにアヤカは魂を抜き取られちまった。……申し訳ない。大口叩いておいてあのザマだ」

「やめてくださいよ、らしくない。それにあなたは必至でアヤカを助けようとしてくれた。結果がどうあれ、僕もアヤカも、責めるつもりはありません」

「……まあ、あんな性悪爺が不老不死になって世に放たれなかっただけでもよしとするか」

 結局のところ世篠沢は、悪魔の召喚には失敗したのだ。

 不老不死を叶えるほど強大な力を持つ悪魔の召喚には、修二の両親とアヤカを足しても魔力量が足りなかったのだ。

 結局この世に顕現できたのは悪魔の頭部――顎から鼻にかけてと右目だけだった。

 よりにもよって脳の召喚が不完全だったせいで知能が足りずに悪魔は暴走。世篠沢は願いを伝える前に悪魔に生贄共々食われてしまった。

 それをまあ、俺と修二で協力し、魔界だかどっかに叩き返したんだが……その時の悪魔の言葉が、俺の転機となったと言って過言ではない。


 悪魔を現世に留める魔力の源であった魔眼を、修二が自身の右目に封印した時。

 その悪魔はこう言ったのだ。


『見エナイ 目玉返セ 食イタイ 足リナイ 人間四匹ジャ 新シイ 目玉作レナイ オ前ラ  食ワセロ!』


 もちろんその場には、俺と修二しか残っていなかった。

 アヤカも藤村兄妹の両親も、世篠沢も、悪魔が食っちまったからだ。

 だが悪魔は三人と明言した。

 知能が足りない故の数え間違えとも思ったが、その割には食った人間の数は正確に把握していた。

 違和感の正体は、悪魔を叩き斬った際に吸収される直前だったアヤカの魂をひっぺ返した時に気付いた。


 もう一人、いるじゃないか。

 俺が殺した最愛の妹――瀧宮白羽。


『瀧宮』の術者が一人前になるための儀式、太刀打ちの儀。

 そしてその際に使用する、柄も鍔もある状態の無銘の太刀。


 俺はあの太刀で白羽を貫き殺め――太刀にその力と魂を封印し、本来ならば柄と鞘を外して魂を開放する工程の直前でとどめたまま、ずっと持ち歩いていたのだった。



       *  *  *



「依り代」

 地下の研究室で待っていた快斗かいとが自慢げに語る。

「日本の民間信仰における、いわゆる八百万の神々が宿る物体の事だな。普通は樹木や岩石といった自然の物を指すことが多いが、人工物も例外ではない。付喪神なんて妖怪がいる国だしな、ここは」

 興味深そうに快斗が眺めているのは、作業台の上に置かれた一振りの太刀。

 切っ先から鍔、柄、柄頭まで混じり気のない美しい純白一色。

 無銘の太刀によって魂を太刀に吸い取られ、封印された我が賢妹――白羽。

 この街から逃げ出した直後は見るのも辛く、かと言って捨てるわけにもいかず、魂蔵の奥深くに封印していた純白の太刀。

「これが……妹さん……?」

「ああ」

「生きてるん……ですか?」

「そういうことになる」

 修二は複雑な表情で、その太刀を見つめる。

 気持ちは分からないでもない。

 肉体を失い、魂が太刀に封印されてるだけの状態のコレを、生きている人間だというにはいささか無理がある。

「だがあの悪魔はこの太刀を――白羽を、生きている人間として認識し、俺たちごと食おうとした」

 悪魔の言葉が光をもたらしたとは、我ながらなんという皮肉。

 俺はあの言葉により逃げることをやめ――白羽の復活を新たな目的として、改めてこの世界を発ったのだ。

「僕は八百刀流に関して深い理解があるわけじゃないですけど、今この太刀ってどういう状態なんですか? 肉体を失った魂は、かなり不安定になると思うんですけど」

「それについては、この俺が説明しましょう」

工藤くどう君?」

「まず第一に、この太刀自体が血縁の魔力由来の物質であることが幸いした。色々調べてみたが、時間が相当経過してることもあって、魂が柄の部分に完全に定着、いや、癒着して安定している。状態としては妖怪の顕現と安定化に近いな」

「安定化?」

「そもそも妖怪はこの世の存在ではない。だからこの世に顕現した直後は肉体も持たず、魂だけの不安定な状態だ。そのままだとあっという間に霧散して消滅してしまうのだが、妖怪には人間なんぞと比べ物にならない莫大な力――妖力とか霊力とか呼ばれるものがある。それを元に肉体を作りだし、魂をその中に封じて消滅を避ける。これが安定化、もしくは具現化と呼ばれる。さらにこの肉体を人間の形に作り替えるのが、いわゆる人化と呼ばれる技能で、長期間人化した状態でいるとその状態でこの世に定着しぐぁっ!?」

「話が長えよ」

 快斗の頭を軽くはたいて解説をやめさせる。

「一体今の一撃でいくつの脳細胞が死滅したと思っている……!」と恨み言を口にしているが、知ったことか。日が暮れるわ。

「えっと、つまり、この太刀を新しい肉体として、白羽さんの魂は生き続けている、ということですか?」

「……まあ、そうだな。流石は藤村先生、理解が早くて助かる」

 どんだけ打たれ弱いのか、快斗は頭を押さえて涙ぐみながら、しかし傲岸不遜な表情はそのままに喉の奥でクックックと笑う。

「だが状態としては生きていても、この太刀を人間と呼ぶにはいささか無理があるのも事実だ。そこでこの男が提案し、この俺が開発したのがコレだ」

 快斗が指を弾く。

しかし子供の未発達な手の筋肉では、パスンと気の抜けた音しかしなかった。

「「……………………」」

「……おい間取あいとり! この俺が指を弾いたらアレを持ってくる手はずだっただろう!」

「え? 今教授指鳴らしたんですかぁ~?」

 隣の部屋から気の抜けたのんびりとした声が聞こえてくる。そして「ちょっと待っててくださいねぇ~」という言葉の後、ガチャリと扉が開いた。

「はぁ~い、お待たせしましたぁ~」

「……………………」

 ストレッチャーを隣室から運び入れる、白衣姿の妙齢の女性。

 自身の助手である間取彩萌(あやめ)に完全にペースを崩されて顔を手の平で押さえる快斗。この辺のアドリブの利かなさが、賢者の石を持ち、年齢不相応な精神構造を持つコイツの数少ない子供っぽさだな。

「これは……!?」

 そんなことは置いておいて、修二は間取が運んできたストレッチャーに乗っていたものに瞠目する。

 純白の髪に生気を感じさせない真っ白な肌。

 まだまだ幼子と言っても差し支えない未成熟な体躯。

 一糸まとわぬその柔肌には一つのしみも存在せず、神々しさすら感じる。

「……………………」

 俺は少女の肉体を模したソレを眺めながら、息を呑んだ。

 俺自身が注文したこととは言え、あまりにも……あまりにも、そのままだった。

 六年前俺が殺した彼女と、何一つ変わらない状態で、俺の目の前に現れた。

「これ……人間の死体!?」

「……ははっ。藤村先生の魔眼をも騙せるとは、我ながら傑作だ」

 何とか持ち直した快斗が不敵に笑う。

「これはホムンクルスだ。ただし特別性。状態としては幽体離脱中の人間の肉体に近い。言うなれば、魂が抜けた空っぽの状態という感じだ。容姿に関しては当時の写真と、たっぷりと用意できる遺伝情報から設定させてもらった」

「これがホムンクルス……? まるで人間の肉体そのもの……」

「藤村先生の知っているホムンクルスとは別物と考えていいです。使用目的……というか、研究発足当初の目的は、このホムンクルスを仮の肉体として幽霊を憑依させ、生前と同じ状態にし、自ら未練を断つ一助とするというものだったのだが……その研究自体は死神に目を付けられたから完全凍結だな」

 その時の事を思い出したのか、快斗はブルリと身を震わせた。

「え……死神に目を付けられた……?」

「ああ、このクソガキがヘマしたおかげでな。賢者の石の知識にいいように踊らされて倫理観ガン無視研究続けていたら、そりゃ死神も湧く」

「……五月蝿いな、もう反省している。それにその研究を踏み台に自分の目的を今まさに達成しようとしている君にとやかく言われたくはない」

 そう吐き捨て、快斗は俺を睨み付ける。

「とにかく、前置きが長くなったがまとめるとこうだ。太刀に封印されているこの男の妹を、この俺が理論を一から練り直して完成させたホムンクルスに憑依、定着させ、復活させる。それが目的だ」

「さも自分だけの手柄みたいに言ってんじゃねえよ。基礎理論は俺が異世界から持ち込んだ知識じゃねえか」

「その基礎理論を更に発展させてホムンクルスを完成させたのはこの俺だ!」

「その材料を集めたのは俺だろうが!」

「……はいはい、分かりましたから、さっさと済ませましょう」

「ですねぇ~」

 修二が溜息を吐き、間取がのほほんと微笑む。

 ええい、こいつらは俺の苦労を知らんから蚊帳の外にいられるんだ。

「それで、僕がここに呼ばれた理由は何ですか?」

「ああ、忘れてた」

「……………………」

「そんな顔すんな。お前には間取のサポートをしてもらう」

「サポート?」

「はい~。ホムンクルスとぉ~、太刀に封印されている状態の魂だけではぁ~、じ――」

「ホムンクルスと太刀に封印されている状態の魂だけでは自力で憑依できないからな。そこで間取が絡新婦の糸で肉体と魂を結びつける。藤村先生には糸に含まれる妖質を無害なものに変えてもらいたい。その際にその他術式も組み込もうと思っているのでそのサポートを頼みます」

「むむぅ~……! 教授ぅ~、私のセリフぅ~……!」

「間取、君に説明を任せると日が暮れる。藤村先生、これです」

 快斗が何やら魔法陣やら数式やらが書かれたボードを修二に手渡す。俺からしたら何が何やら全く理解できない内容だったが、修二はうんうんと頷きながらそれを眺める。

「なるほど、魔素結合理論の応用か。でもこれだと少し被験体の負担が大きいかな。ここを弄ればもう少し簡略化できる思うんだけど、どうかな」

「簡略化できるでしょうけども、後々のホムンクルスの定期検査項目が増えそうだったので。ホムンクルスだけならばこの俺の専門分野だが、さすがに魔術分野まで関わってくると一人では確実性に欠けると思いまして」

「それなら僕も定期検査には立ち会おう。どうせなら僕もこのプロジェクトにどっぷり関わってみたくなってね」

「そうか。そうと決まれば不肖この工藤快斗、遠慮はしません」

「望むところ」

 学者気質の二人が何やら意気投合し始めやがった。

「いいのか修二。お前が俺に返す分は、扉を開いた時に全部返し終わってるんだぞ。今回のことだって、正規の報酬は払うつもりだ」

「水臭いこと言わないでくださいよ」

 と、修二は笑った。

「僕は一人の魔術師として、一人の人間として――異世界にまで送り出した友人の集大成を、この目で見たいだけなんです」



       *  *  *



「向こうの世界にいた時、俺はある一族の存在を知った」

 快斗と間取が準備を進めている間、俺は修二に奴の事を話しておくことにした。

「通称『魔剣一族』……まあ、通称が市井に口にされるほどほど栄えていたわけではないが、最高峰の魔剣作りの技術を持つ一族だ。奴らはある手段により衰退することなく、数千年もの間、魔剣作りの知識を継承し続けていた」

「知識の継承?」

「簡単に言えば、エゴソードの製造による魂の移植と保存だ」

 エゴソード……つまりは自我を持つ魔剣のことだ。

 本来は魔法生物の精製の応用で剣に人の意志の()()()()()を持たせる。それにより剣そのものに魔術を使わせることが可能となり、戦いを有利に進めることができる。

「だがその一族の始祖が伝えるエゴソードの製造法は、自身が鍛えた魔剣に自分自身の魂を移し替えるというものだった」

 人の意志のようなもの、などという不確定な物ではない、人の魂そのものを魔剣に宿させる。

 手入れを怠らなければ、魔剣ゆえに朽ちることもない。

 その魔剣が一族以外の者に流失したとして、魔剣の最終的な所有者になるような者は、例にもれず万夫不当の剛の者である場合が多く、下手な扱いをされることも少ない。

 それゆえ、一族は永遠に近い時間を生きながらえることができ、その製造法を後世に伝えることができる。

「ま、あの世界じゃ数百年前、とある吸血鬼によって大陸が滅びかける事件が起きてるからな。その時に一族の、まだ生身だった奴らは例外なく殺されたらしいから、今残ってるのは魔剣から知識を継承された新しい世代の連中だがな」

「その吸血鬼、僕も知ってる子じゃないですか……?」

「ノーコメント」

 ほぼ答えのようなものだがな。

「でも、不思議ですね。その魔剣の一族って……」

「ああ……どことなく、白羽に似ていた」

 一族の作る魔剣は魔力由来の物質ではないし、言葉も喋る。

 その点において、妖刀としての白羽とは似て非なるものだが、魂が宿る武器ということに関しては、酷似している。

「それだけならば、俺も話を聞いて参考にする程度だっただろうがな。俺が今回のホムンクルスの理論を思いついた切っ掛けが、ある時出会った魔剣を携えた剣士だ」

 そいつはいわゆる傭兵だった。

 奴が戦場に駆り出されれば戦局が変わるとさえ言われる剣と魔術の腕前を持つが、実は剣や魔術よりも素手で戦った方が強いという、なんとも珍妙な奴だった。むしろ本気で戦うには腰に下げた魔剣が邪魔だともぬかすほどだった。

 そこで、奴は徒手空拳の次くらいに得意であった魔術理論を立ち上げ、一つの魔術を完成させた。

 自分の影を使い魔として立体化させたのだ。

「影を自分の足元から切り離して人型に見立て使い魔とし魔剣を持たせ、魔剣自身が使い魔を自分の肉体のように操って自律行動をさせていた」

「それが、つまり」

「ああ。ホムンクルス義体を依代とした、瀧宮白羽復活計画の元……って感じだ」

 実は一度だけ、向こうの世界にいる時に実験したことがある。

 だが奴がやったような魔術によって影から精製された仮の肉体は、非常に強度が脆い上にどれだけ魔力を注いでも一時間程で消えてしまったのだ。さらに妖刀を憑依させようものなら、あっという間に過負荷によって消滅した。

 奴の魔剣は、あくまで魔術によって使い魔を操っていただけに過ぎなかったのだ。

 だがそれではだめなのだ。

 白羽をいつまでも、俺に縛りつけていてはいけない。

 彼女から奪った人生を取り戻すのが、俺の、兄としての役目だ。

「本当は今回みたいにホムンクルスで試せたらよかったんだがな」

「できなかったんですか?」

「ああ……あの世界は魔法技術の発達と反比例するように、科学技術が極端に遅れていたからな。科学技術の未発達……つまり、錬金術師がいなかったんだ」

「準備できたぞ」

 快斗がこちらに振り返る。

 部屋の中央のストレッチャーの上には、白羽の新しい肉体となるホムンクルスが横たえられ、胸の上には純白の太刀が置かれている。

 床には魔法陣が何重にも書かれており、修二の魔術の発動を待つばかりとなっている。

「んじゃ、頼むわ」

「お任せを」

 修二がわざとらしく恭しく頷き、ホムンクルスの元に近寄る。

 入れ替わりに快斗がその場から離れ、間取が残った。既に間取の指先からは不可視の糸が出ているらしく、先程からせわしなく動かし続けている。

「それじゃ、やりますか。サポートはお任せください」

「はい~、よろしくですぅ~」

 おっとりと笑う間取。

 修二はそれに頷き返し、ゆっくりと、呪文を詠唱する。


「――、――――――――、――――」


 俺には全く理解できそうになり発音の羅列。

 そう言えば、悪魔の魔眼を宿す修二には、もう呪文の詠唱は不要な物だったはず。

 あえて呪文詠唱するということは、それほど慎重になっているということか。


「――――、――、――――――――――、――」


 詠唱が進むごとに、床に描かれた魔法陣が仄かな光を発する。

 光はホムンクルスを中心として、どんどん広がっていく。

「本当に……藤村先生は凄まじいな」

 快斗が呟く。

「あれだけの並行作業を一人で処理できるとは……完全に魔眼を支配下に置いているんだな……」

「……………………」

 その呟きに、俺は何も口出しはしなかった。

 賢者の石を瞳に宿し、齢不相応に成長してしまった少年が、珍しく歳相応に大人に憧れを抱いているんだ。

 それは茶化すべきではない大切な感情だ。


「――――――、――、――――」


 詠唱はまだ続いている。

 修二の紡ぐルーンに合わせるように間取が手を動かし、糸でホムンクルスと太刀を結び繋げていく。

 その糸を修二が無毒化しながら指定された術式をホムンクルスに施していく。

 その繰り返しだ。


「――――、――――」


 魔法陣の全てが淡く光を放ち始めた。

 光は段々と強さを増し、暖かな魔力が肌で感じられるほどになった。

 そして一際光が強くなった時


「――――……」


 修二の詠唱が止まった。

 同時に魔法陣の光がフッと消える。

「……………………」

 修二が静かに振り返った。

 サングラスの下で、悪魔の右目がまだ赤々と燃えているのが見て取れたが、修二の表情はとても穏やかだった。

「……………………」

 俺は静かに歩み寄った。

 ストレッチャーの上には先程と変わらぬ、一糸纏わぬ美しい少女の姿をしたホムンクルスが横たわっている。

 いや……まるで生気を感じなかった白い肌に、ほんのりと赤みが差している。

「し……」

 言葉が詰まる。

 微かにホムンクルス――いや、少女の睫毛が揺れた。

「しら……は……」

 俺の呼びかけに応えるように、ゆっくりと、瞼が持ち上がる。

「白羽……!」

 呼びかける。

 今度は、少女の口元が動いた。

「……     ……」

 ヒュウッと、擦れた音が口元から漏れた。

 まだ同調が完全ではないのか、久しぶりの生身の体に慣れていないのかは分からない。

 しかし何度か声を出そうと口元と喉を動かしているうちに、ようやく、意味のある言葉が俺の耳に届いた。


「おあ……おはよ……ご、ざ……ます、です……わ……はく、ろ……お、に……あま」

「……ああ、おはよう……白羽」

 我が賢妹――瀧宮白羽は、愛らしく笑った。



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