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だい じゅうご わ ~悪魔~




 ここ数日、夕方に起きて朝方に床に着くという生活が続いている。

 と言うのも、いい加減に例の黒炎の不審火の正体を突き止めなければならなければと言う焦燥に駆られているからだ。

 最初の、六角荘を始めとする数件の古い建築物が同時多発的に黒炎に呑み込まれた事件からすでに半月。もうすぐ五月も終わろうと言うのに全くと言ってもいいほど手がかりがつかめていないのだ。

 せいぜいが「大小の水晶を核とした術」であり、それが「妖怪の力によるもの」だと言うことが分かっているだけ。そして「黒炎に触れると生命力が奪われ、場合によっては死に至る」と言うこと。後は「夜に発生することが多い」くらいか。

 おかげであたしたち『瀧宮たつみや』を始めとする八百刀流の実戦担当組は、夜通し町の警備に当たる羽目となった。

 しかし情報収集に長けた『大峰おおみね』の狼衆まで駆り出しているのに、成果は上がらない。

 このままでは、妖力封じの腕輪までしてくれている妖怪の市民に顔向けができない。

 だけどこの腕輪のおかげで明確になったこともある。

 月波市が把握している妖怪の市民は八万人弱。さらに古来より月波市を住処としているが市民としては登録されていない妖怪が二百十八人。

 その全てに腕輪を配っているにもかかわらず、黒炎はいまだに発生し続けている。

 つまりは、外部から流れ着いた悪意ある者か、新たに生まれた力を制御し切れていない妖怪のどちらかだ。

 だがしかし、これだけ分かったとしても、犯人が捕まらないのでは意味がない。

 黒炎が発生次第住民には避難を呼びかけているし、八百刀流も迅速に対処に当たるようにしている。

 それでも、体の弱いお年寄りや力の弱い妖怪には少数ながらも犠牲者が出ている。

 早く何とかしなければ。

 その思いが、あたしを駆り立てる。


 早く何とかしなければ――



       *  *  *



 今日も徹夜してしまった。

 あたしは、遠くの山の間から昇る朝日に目を細めながら溜息を吐いた。

 徹夜と言っても、一晩中街中を歩き回っただけだが。

 今回あたしが見回った地区では幸いにも黒炎は発生しなかった。だが狼衆の疾風はやてさんからの連絡だと、ウッちゃんの担当地区で一件あったそうだ。

 幸いにも犠牲者は出なかったが、煙を吸ってしまった子供が大事を取って今日検査入院するそうだ。

「……そう言えば」

 ここしばらく学園に行ってないな……。

 今回の事件に対して『穂波ほなみ』は積極的に関わろうとしていない。そのため彼は普通に学園に通っているらしい。

 学園に行けば、クラスメートゆえに彼とは嫌でも顔を合わせることとなる。

 あんな奴を庇った、彼と。

「……………………」

 普段仲が良いだけに、会って気まずくなるのは目に見えている。

 あたしはそれが嫌で、こうして体を酷使しているのかもしれない。

「って……こんな逃げ腰、あたしらしくない……」

 久しぶりに、学園に顔を出してみよう。

 教科書やノートの類は全て学園のロッカーに突っ込んであるから、問題はない。加えて、今は戦闘用に術式を施して改造してあるものの、見た目は制服と変わらない服装だ。このまま学園に行っても大丈夫だ。

 それに、彼はともかく友人たちは心配しているかもしれない。

 特にこの春から仲良くなった、あのドジっ娘で眼鏡っ娘は狼狽しているかも。

「……行こうかな」

 今いるところからだと、学園まではかなりの距離がある。

 だけど歩けば始業時間にちょうどいい感じだ。

「……………………」

 あたしは無言で歩き出す。

 そう言えば、一人で登校するのって久しぶりかも。

 いつもは誰かしらが隣にいて、くだらないお喋りをしながら学園に向かうのに。

「……………………」

 今日は、一人なのだ。

 少しずつ学園に近付いてくる。

 思案に耽りながら歩いていたせいか、時間の経過が早く感じる。

 もっとも、何を考えていたかは覚えていないが。

 人の記憶力なんてそんなものだろう。

 だけど。

「……あずさちゃん?」

「あ……」

 その聞きなれた声に、あたしは顔を上げる。

 少し先に友人の姿を見つける。

 日本人形のような黒髪に灰色の瞳の少女。

 彼女は後門の所に立ち、あたしを見ていた。

「ああ……!」

 だが、あたしの視線はその後ろに立つ長身の男に釘付けにされた。

「ああっ……!!」

 男もまた、じっとこちらを見ていた。

 深海の底の如き暗く黒い髪と瞳。そして腹立たしいほどあたしと似た造形の顔立ち。相変わらず浮かべている、軽薄そうな笑みが無闇やたらとこちらの神経を逆撫でる。

「よう、今登校か」

 などと。

 ごくありふれた言葉を投げかける。

 しかしあたしは。

真奈まなちゃん!」

「え……?」

「そこどいて!!」

 叫ぶなり、あたしは言霊を紡ぐ。

「――抜刀、【睡蓮スイレン】!」

 手元に呼び出した一振りの太刀を、男目掛けて投擲した。

 フォンと唸りながら飛んでいく太刀。

「え……?」

 切先が、真奈まなちゃんの頭上数センチを飛んで行く。

 そしてそのまま、背後に立っていた男の顔面目掛けて刃を突き立てる。

 だが男は避ける素振りも見せず、それどころか、


 ――ガチンッ


 と。

 全身黒ずくめの癖にやけに白い歯で飛来した太刀を受け止めた。

「……おいおい」

 ぺっと、太刀を吐き捨てる。

「出会い頭に何物騒なもん投げてんだよ」

「うるさいっ! あんた、真奈ちゃんに何したのよ!?」

「……おいおい、心外だな。何もしてねえって。ただ月波学園に用があったから道案内してもらおうと声をかけただけだぜ? どうにも相変わらず、学園周辺は増改築が激しいからな。俺が通ってた時とまるで風貌が違ったんで道に迷ったんだ」

「そんなこと、聞いてないわよっ!」

「酷いねえ。お前から話を振ってきたんだろ」

「うるさい! あんたの声なんて聞きたくない!」

「こいつは、ずいぶんと嫌われたもんだ。兄は悲しいぞ」

 軽薄そうな笑みを浮かべたまま、兄貴は大仰に肩をすくめる。

 その人を舐めきった態度が。

 あたしをさらに苛立たせる。

「――抜刀、【翡翠カワセミ】!」

 さらにもう一振り手元に喚ぶ。

 それを今度は投げずに、

「あああああっ!!」

 大きく振りかぶり、あたしは跳んだ。

 何が起こっているのか分からずに呆然としている真奈ちゃんの頭上を、跳び越える。

 そしてそのまま、兄貴の頭上目掛けて振り下ろす。

「ほう……」

 小さく呟く声がした。

 だが兄貴は表情を変えず、二歩ほど下がった。

 あたしの着地点と兄貴の間に、ちょうど一人分のスペースが開く。

 瞬間。


「――大砲、コード【SMAW‐0‐B】」


 ガキンッと、金属同士がぶつかり合う音がした。

 同時に、太刀を持つ手が震動で痺れた。

「……くっ!?」

 あたしは思わず太刀を体内に仕舞い込んだ。とてもじゃないが物を握っていられる状態じゃない。

 だからあたしは、急に割り込んできたそれを睨み付ける。

 それは濃い緑色をした鉄の筒だった。ただし、何やらよく分からない部品がいくつか付属している。

 しかしそれを持つ人間を見て、それが銃火器であることを理解する。

「ったく……」

 彼は、呆れながらそのロケットランチャーを手元から消した。

「朝っぱらから何暴れてんだよ、梓」

「……ユーちゃん」

 普段は大人しいユーちゃんの目に、警戒の色が宿っている。

 その視線の先にいるのはもちろん、あたしだ。

「久しぶりに学園に来たと思ったらいきなり暴れてるし、なんなんだよ、お前」

「……うるさい」

「うるさくない」

「……黙れ……!」

「黙らない。ちらっと見たけど、お前、朝倉が間にいるのに太刀を投げただろ。どういう神経して――」

「うるさい、うるさいうるさい、うるさいっ!!」

 あたしは。

 ノドの限界まで叫んだ。

「どういう神経してる? それはこっちのセリフよ!! あの夜も、今も! そんな奴を庇って! あたしにも銃向けて! あんたこそどういう神経してんのよ!? ユーちゃんだって知ってるでしょう!? そいつが、六年前にしでかしたこと!!」

「……分かってる。だからこそ、話し合って」

「話し合う? ハッ、ふざけないで! そんな奴と交わす言葉なんて持ってないわよ!!」

「……梓」

「どいて!!」

 もう手の痺れは取れた。いや、本当は取れていないのかもしれないが、気にならなくなった。

 叫び、あたしは言霊を紡ぐ。

「――抜刀、【浅蔭アサカゲ】!」

「ちっ……」

 もう片方の手に太刀が姿を現すと同時に、ユーちゃんも言霊を紡ぐ。

「――小銃、コード【CSAA‐0‐B】」

 あたしが薙ぐように振るった太刀を、手元に喚び出した拳銃で受け止める。

 それがただの拳銃ならば、それごとユーちゃんは輪切りになっていたのだろう。しかし生憎と、その拳銃はユーちゃんの力そのものを具現化しているため、あたしの太刀を受け止めたまま拮抗している。

「だから……!」

 ユーちゃんは拳銃で押し返しながら呟く。

「こんな人の多いところで刀振り回してんじゃ、ないっ!」

 叫びながら、太刀を弾くように押し返す。

 やはり瞬間的な腕力は、どうしても男であるユーちゃんのほうが上だ。

「移動するよ!」

「……望むところよ!」

 叫び返し、あたしは手にした二振りの太刀を握り締め、駆け出すユーちゃんの背中を追った。


「……相変わらず血気盛んだこと。ま、ユウが梓を引き付けてくれたおかげで、俺は悠々と侵入できるが」


 そんな呟きが、わずかに聞こえてきた。



       *  *  *



 私立月波学園。

 初等部、中等部、高等部、それに加えて大学まで付属しているマンモス校だ。

 しかも一学年最大で二十四クラスもの学級があるわけで、大学生を含む全校生徒となると総数は八千人を超える。そこに教員を含めると、一万人に届くかと言う常識破りの規模を持っている。

 おかげで学園人口に比例するように、使っているかどうかはともかく、その敷地面積も月波市の総面積の二十パーセントを占める。

 軽く学園都市の規模だ。

 その上、学園施設の一つ一つも馬鹿げた規模で、ちょっとした市営の物より大きな図書館があったり、学生食堂が四十八箇所もあったり、「保健室」と皮肉交じりに呼ばれている総合病院まであったりする。

 その施設の中に、全十個のグラウンドがある。

 大体すべて同じ構造で、誰がどこを使うかは自由であるが、その中でも第三グラウンドと呼ばれるグラウンドは高等部一年生の主要グラウンドだった。

 あたしとユーちゃんは現在、そこで対峙している。

「――抜刀、二十刀」

「――小銃、コード【BM92‐0‐B】」

 二人ほぼ同時に言霊を紡ぎ、得物を構える。

 ザクザクと音を立てながら辺り一面に二十振りの太刀が突き刺さる中、あたしはユーちゃんの言霊に眉をしかめた。

「……コード【0‐B】って、弾丸なしって意味なんでしょ? このあたしを前にして、銃をあくまで打撃武器として使うつもり?」

「弾を込める必要はないだろ」

「……後悔するわよ」

 グッと、手元の太刀を握る力を強める。

「――炎陣《不知」

「バン」

 チュイン、と手元の太刀が弾け跳んだ。

「……っ!?」

「だから、弾を込める必要はないんだって」

 バンバンと、ユーちゃんは妙に気の抜けた声を上げる。

 そのたびに手短にあった太刀が次々と遠くに弾かれていく。

「な、何……?」

「一応これも言霊。純粋な力の塊を銃口から打ち出してる。威力は大幅に落ちるけど、実弾を喚んで作り上げるよりも燃費はいいんだよ」

「こんなの……いつの間に……!」

「成長してるのが、自分だけだと思わないように」

 カチャンと両手に持った銃を構え直す。

「なあ、梓」

「何よ」

「人は、変わるんだよ」

「はあ?」

 唐突に何を言い出すんだろう?

「それがどうしたって言うのよ」

「だからさ、人はずっと変わり続けるんだよ。変わり続けるし、変わっていかなきゃいけない。いつまでも過去に囚われ続けるのはどうかと思う」

「……単刀直入に言ってくれない? あたし今、あんたを斬りたくて斬りたくてイライラしてるんだから」

羽黒はくろさんと和解しろ」

「……………………」

 本当に単刀直入だった。

 そして同時に、勝手に嘲笑が浮かび上がってきた。

「……バっカじゃないの? あんな奴、許せるわけないでしょ!? あいつが何をしたのか分かって言ってるの!?」

「だからそれがいけないって言ってるんだよ。あの人を許せないのは分かるけど、いつまでも拒絶してばかりじゃ何も始まらないだろ?」

「うるさい! だいたい、そもそもあいつは今回の黒炎の容疑者の一人で――」

「羽黒さんは犯人じゃない」

 ユーちゃんは。

 そうはっきりと断言した。

「……何ですって?」

「一度、あの人と話したんだ。その時はただの予想だったけど、美郷みさとさんからの情報で確信に変わった」

「え……?」

 ミサちゃんからの?

「『兼山かねやま』の監視役がずっと羽黒さんの動向を探っていたらしい。その結果、瀧宮羽黒は黒炎に関与していないと言うことが分かった」

 ここ数日間、羽黒さんは隣の市のホテルで大人しくしていたらしい、と。

 ユーちゃんは淡々と報告するように言った。

「そんなの、水晶さえ仕込めばどこからでも発動できるじゃない……!」

「羽黒さんは水晶を仕組むなんて分かりやすい動きはしなかったそうだ。それでいて、黒炎は相変わらず発生し続けている」

「う、嘘……。そんなの、あたし聞いてない……」

「そりゃそうだろ。お前はずっと学園に来なかったし、連絡しようにもケータイは繋がらないし、一晩中駆け回ってるお前を見つけるなんて不可能だ」

「だったら、疾風さんが伝えてくれるでしょう!?」

「お前に気を使ったんだろ。報告しても、今みたいに取り乱すだけだろうと考えたんだろ」

 それに、とユーちゃんは付け加える。

「梓、お前にも分かってるんだろ? 黒炎は、()だ。どんなに化物染みていても、あの人はあくまでなんだよ」

「う……うぅっ……!」

 あたしは。

 太刀を握る力をさらに強めた。

「……うるさい」

 そして気付けば、そう呟いていた。

「梓……?」

「うるさい……うるさいうるさい……!」

「お、おい……?」

 うるさい。

 うるさいうるさい。

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいっ!!」

 うるさいっ!!

 あたしは我武者羅に叫んでいた。

「そんなこと……そんなこと、ユーちゃんに言われなくたって分かってるわよ! 黒炎は妖怪の術! 兄貴は人間! そんなこと、改めて言われなくても分かってるわよっ!!」

「だったら……!」

「それでも! あたしはあいつが憎い! 憎い憎い憎い! 殺したいほど、憎いのっ!! あの娘を殺した! 兄貴が憎いのっ!!」

「梓、落ち着いて――」

「そして兄貴を庇った、ユーちゃんも憎い!」

「あず――」

「うるさいっ!!」

 ザク。

 ザクザクザク。

 と。

 無数の太刀が具現化し、地面に突き刺さる。

「……っ!? 言霊なしに喚びだした!? まずい……暴走していやがる……!」

 もうあたしは、何も考えられなくなった。

 憎い。

 憎い。

 憎い。

 あいつを庇う、ユーちゃんが憎い。

「うああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 手元に太刀を強制的に喚び寄せ、地面に突き立てる。

「――水陣……!!」

 その時だった。

「     !!」

 声が。

「  ?」

 出ない。

 言霊が紡げない。

「  ?      !?」

 見れば、ユーちゃんも口をパクパクと動かすだけで、声が出せなくなっていた。

 何、これ……?

 そして続けざまに、あたしたちの足元に複雑な紋様が浮かび上がってきた。

 それは、灰色の光を放つ魔法陣だった。

 次の瞬間。

「「    !?」」

 網膜が焼き切れるかと思うほどの強烈な閃光が視界を覆った。

 視界を奪った。

 視界が奪われた。

 目が、見えない。

「瀧宮の!」

 背後から声が聞こえる。

 誰?

 考えるよりも先に、体が勝手に動いていた。

 突き立てていた太刀を抜き放ち、振りかざす。

 だが。

「……っ!!」

 その切先は空を斬っただけらしく、何の手応えもなかった。

 そして見えない視界の中、両手首と両肩を強く押さえられる感触があった。

「何があったか知らんが、とにかく落ち着け!」

 耳元で誰かが叫ぶ。

 うるさい。

 離せ。

 あたしは使えない言霊の代わりに全力の力を込めて暴れた。

「  !   !」

 離せ! 離せ!

 叫ぶも、やはり声は出ない。

 しかも暴れるたびに、両手首に加わる力は増していった。

 その時。

 フッと、喉の奥が軽くなったような気がした。

 そして同時に、今まで吐ききれずにいた声が一気に口から洩れた。

「離せ! 離せ離せ離せ!! こいつは! こいつはあんな奴を……!!」

「だから落ち着けって言ってるだろうが……!」

 誰かが必死の声音で叫ぶ。対してあたしは必死で振り払おうとするが、どんなに力を込めても力は拮抗してビクともしない。

 あたしはひたすらに叫ぶ。

「離せ離せ離せ! 離せ!!」

「……ぐっ」

 呻き声が聞こえた。同時に、押さえつける力が強まる。するとあたしも無理やりに振りほどこうと力を込める。

 延々と続くスパイラルのように、無意味な抵抗だと分かっていても、あたしは暴れようともがく。

 だが。

「離せ! 離しなさいよ……!!」

 と、叫んだところで。

「……………………」


 ――パンッ


 左の頬が一瞬で熱を帯びた。

 あたしは一体何が起きたのか、わけが分からずに呆然とする。

 ザリッと、誰かが目の前に立っている気配がした。

 誰?

 見えない目をそちらに向ける。

「……梓ちゃん」

 声が。

 聞こえた。

 この数ヶ月でずいぶんと聞きなれた声。

 顔が見えなくとも、声だけで誰かは分かった。

「……真奈、ちゃん……?」

 あたしはいまだに何も見えていない視線を真奈ちゃんに向ける。

「何でいきなり……こんなことをしたの?」

「こんな……ことって……!」

 こんなこと。

 真奈ちゃんにとっては、こんなこと、なんだろう。

 だけどあたしにとっては……!

「何でいきなり、こんなことになったの……?」

 再び、声が訊ねる。

「……………………」

 あたしは無言で応える。

「あの人、梓ちゃんのお兄さんなんでしょ……?」

「……………………」

「何でいきなり、お兄さんに斬りかかったの……?」

「……………………」

「何でいきなり、兄妹で殺し合いを始めるの……?」

「……………………」

 ふと、白い靄がかかっていたかのような視界に、色が付き始めた。少しずつ、真奈ちゃんの綺麗な黒髪と灰色の瞳がはっきりとしてくる。

 そして真奈ちゃんの灰色の瞳からは。

「何で、止めに入ったユッくんと……殺し合うの……?」

 涙が零れ落ちていた。

 それでも、あたしは。

「……………………」

 無言を貫いていた。

「……梓ちゃん……!」

 そっと、愛ちゃんはあたしの首に手を伸ばす。そしてあたしの亜麻色の髪を撫でるように抱きしめた。

 あたしを押さえていた力がなくなる。しかし、あたしは暴れる気がどこかに失せていた。

 あれだけ大量に喚び出していた太刀も、あたしの戦意を感じ取ってか、いつの間にか体の中に戻っていた。

「真奈ちゃん……」

 あたしは。

 ようやく、そう口にした。

「あたしは……あいつが……兄貴が憎い」

 気付けば、そう洩らしていた。

 あたしたちの事情など知らない真奈ちゃんには、到底理解できないだろう。

 それでも、あたしは彼女に伝えなければならないのだろう。

 そう思った。



       *  *  *



「あたしたち……『瀧宮』二十四代目の世代は、三人兄妹だったの……」

「三人……?」

 真奈ちゃんが抱きついていた腕を解き、涙を拭いながら首を傾げた。

「……そう」

 あたしは頷く。

「長男の瀧宮羽黒。十歳年下の長女、瀧宮梓。そしてさらに二つ下の次女、瀧宮白羽(しらは)、だ」

 声も視界も元に戻ったらしいユーちゃんが、そう補足しながら近付いてくる。

 すでに両手に持っていた銃は消したらしい。

「代々、『瀧宮』の当主の名前には何かしらの色がつくの。あたしの親父の名前も紅鉄あかがねだし。……でも、二十四代目次期当主のあたしの名前には、色がない」

 なぜか分かるか訊ねると、真奈ちゃんは遠慮がちにこう答えた。

「当主になる予定じゃなかった……から……?」

「そう。本来なら、あいつ……兄貴が当主になる予定だったの。その内に秘める力も、歴代トップクラスだった。でも……」

「でも羽黒さんが十歳の時……僕らが生まれて間もない時。当主になるための試練で羽黒さんが取った行動が問題となって、羽黒さんは次期当主の座から下ろされた、らしい」

 言い淀んだあたしに代わり、ユーちゃんが説明する。

「らしい、というのは当時のことを誰も、『瀧宮』現当主もうちの爺様も、他の八百刀流関係者も、誰も教えてくれないからなんだけど」

「な、何で……?」

「さあ。よっぽど酷いことでもしたんじゃない?」

 そうあたしが口汚く言うと、真奈ちゃんは悲しそうな顔をした。その表情が胸にチクリと刺さり、あたしは口を噤む。

 気を利かせたのか、ユーちゃんが続ける。

「何をしたのかは知らないけど、とにかく羽黒さんは次期当主の座から下ろされた。そしてまさか長男の羽黒さんがそうなると思ってなかったから、次点の長女の名前に色をつけていなかった。それで頭の硬い先代や親戚連中がやいのやいのと騒いで、結局梓の次期当主案も見送られた」

 そして未だ騒ぎが収まりきれていなかった二年後。

「白羽ちゃんが産まれた」

 次期当主問題を鎮めるためにはもってこいの赤ん坊が産まれた。

 しかも、その力は過去最高と言っても良かったほどだ。

 物心がついたときから見よう見真似で親父の自主練を模倣し、簡単な術を発動させたのだ。

「そしてその名前の通り、白羽ちゃんはここの初等部に入学する時には異能の力の使いすぎで、髪が真っ白になっていたんだ」

 その時にはすでに『最悪』と称されていた兄貴。白羽ちゃんはそんな兄貴に対し、『最高の白』などと呼ばれていた。

 とても可愛らしい女の子だった。

 妹であることを差し引いても、とても可憐な少女だった。

 そして、その力も膨大だった。

 白羽ちゃんが初等部二年生に進級した時には、すでにあたしどころか兄貴すらも凌駕していた。

 たった八歳の少女が、十五年近く修行を積んできた兄貴を超えたのだ。

「それでも卑屈にならないところがあの人のすごいところだよ。羽黒さんは基本、身内には甘いけど」

 そう。ユーちゃんの言う通りなのだ。

 兄貴はアレで、身内には甘い。

 特にあたしや白羽ちゃんの妹二人には、異様に甘かったのだ。

 頼めば何でも買ってくれたし、何でも手伝ってくれた。

 そんな兄貴が。

「あたしは、大好きだった」

 ポツリと、あたしは呟く。

 大好きだった。

 あの事件が起きるまでは。

「詳細は今でも分からない。羽黒さんが頑として口を開かないんだ」

 あの事件。

 今から六年前。

 兄貴は、夜遅くになっても帰ってこない白羽ちゃんを探しに行った。

 そして日付が変わる頃、ようやく帰ってきた。

 だが。

「白羽ちゃんは、もう……」

 それまで淡々と語っていたユーちゃんも、言い淀む。

 あたしと同い年で、仲が良かったユーちゃんは当然のように白羽ちゃんにも懐かれていた。

 それ以上の言葉は、彼の口からも言い出せないのだろう。

 だから。

「白羽ちゃんは死んでいた」

「……梓」

 あたしが、続ける。

 あたしが、続けなくては。

 いつまでもユーちゃんに任せているわけにはいかない。

「もう動かない白い女の子を抱えて、兄貴は帰ってきた」

 そして一言、出迎えた親父にこう伝えた。


 ――俺が殺した。


 偶然、あたしはトイレに起きていたためその言葉を聞いてしまった。

 次の瞬間には、全身という全身から全ての太刀を喚び出し、兄貴に向かって斬りかかっていた。

 大好きだった兄貴に斬りかかっていた。

 しかしその切先は、兄貴に届くことはなかった。

 白羽ちゃんが生まれる前は、兄貴は実質的に歴代最強の陰陽師だったのだ。

 あたしが敵うはずもないのに。

 あたしは、大好きだった兄貴と、敵対した。

 そうして、こう叫んだのだ。


 ――この町から出て行け! 兄ちゃんなんて大っ嫌いだっ!!


 そしてその瞬間、あたしは気を失った。

 今思えば無理もない。明らかに自分の力量を超えた術の酷使が原因だ。

 またそれで、あたしは三日巻寝込み、その間に黒かった髪も今の亜麻色に色が抜けていた。

 そして目が覚めた時には。

「兄貴は、町を出ていた」

「……………………」

 真奈ちゃんは。

 あたしたちの話を静かに聞いていた。

 ただ黙って、静かに聞いていた。

「わたしにも……」

 不意に。

 真奈ちゃんは口を開いた。

「わたしにも……お兄ちゃんがいるの」

「え……?」

 あたしは呆けた声を上げる。

 初耳だったからだ。

「わたしのお兄ちゃんも魔術師で、オカルトの知識を現代医学に応用できないかって……お医者さんになったの。わたしはいつかお兄ちゃんみたいな立派な魔術師になるのが夢だった……」

 そう、真奈ちゃんは言った。

 灰色の瞳からは、再び雫が落ちてきていた。

「わたしはお兄ちゃんが大好き……。それに、感謝してる。それなのに……」

 梓ちゃんはお兄さんと殺し合ってる。わたしはそれが悲しい、と。

 真奈ちゃんは呟いた。

 あたしは。

 ただ呆然と、涙を流す真奈ちゃんの瞳を見続けていた。

「   」

 あたしは何かを呟いた。

 おかしい。

 もう声は出るはずなのに。

 何を口にしたのか、自分でも分からない。

 どう言うわけか、視界も再び歪んだように感じた。

 さながら、涙を流しているかのように。



       *  *  *



 騒動の後処理はユーちゃんと風紀委員の皆がやってくれると言うので、あたしは家に戻ることにした。

 とてもじゃないけれど、授業を受ける気にはなれなかったからだ。

 それにとても眠い。徹夜明けで学園に向かおうという発想そのものが間違いだったのかもしれない。

 ……この思想、生徒会役員のものじゃないな。

 などと考えながら、あたしはかなり早い家路に着いた。

 わけでもなく。

 本当にここ最近の疲労が、さっきの告白を皮切りに一気に襲い掛かってきていた。正直、歩きながらも何度か気を失うように寝ていた気がする。

 そこであたしは仕方がなく近くの公園のベンチに腰掛け、仮眠をとることにした。

 そして気付いたら、辺り一面夕焼けで真っ赤に染まっていた。

「……………………」

 いやいやいや。

 さすがに、これには驚いた。

 お財布も携帯電話もちゃんとポケットに入っていたから安心だが、さすがに無用心だったか。しかしよく昼間から制服姿でベンチで寝ている女子高生が補導されなかったものだ。

 まあ自分で言うのも何だけど、あたしは顔が広いから、夜通し走り回っていることを知っている人は苦笑交じりにスルーしてくれたのかもしれない。

 そういう町だ、月波市と言うのは。

 十時間近くベンチに腰掛けて居眠りしていたため、いい加減腰と首が痛くなってきた。

 立ち上がり、ウンと伸びをしてから歩き出す。

 今朝の騒動も、さすがに家に伝わっているだろう。これは、親父の雷と母様のお小言は覚悟しなければならない。

 そう思うと足取りは遅くなるが、今回の件に関しては全面的にあたしに非があるので、飲み込むしかない。

 それでも嫌だなー、と。

 ブツブツ呟きながら、今度こそ家路に着く。

 そしてようやく屋敷に戻り、でかい門扉を叩く。

 ゴンゴン。

「……………………」

 あれ?

 ゴンゴン。

「……………………」

 応答なし。

 珍しい。

 たいていは鍵がかかってるから、屋敷に住み込みで働いている使用人の誰かか、暇を持て余したミオ様が開けてくれるのに。

 訝しがりながら、そっと門に力を加える。

 すると門扉はギイ、と軋みながら案外あっけなく開いた。

「……何かあったの?」

 呟くも、誰も返事はしてくれない。

 玄関に向かって歩くも、やはり別段変わったこともない。

 いや。

「何か……静か過ぎる気が……」

 いつもなら誰かが庭先で掃除をしているのに、今日は誰もいない。

 そう言えば、何かこう、空気がピリピリしているような……。

「……………………」

 あたしは縁側から直接家に上がりこみ、廊下を走り出す。

 その間、誰ともすれ違うことはなかった。

 これはただ事ではない。

 直感的に、公式の場として使われている大広間に向かった。

 バンッと無遠慮に襖を開く。

 すると、どこかの旅館の宴会場の如き広さの和室の両脇に、ズラリと人が並んでいた。

 全員見覚えがある。というか、全員八百刀流『瀧宮』の関係者だ。

 しかも上座に座る親父と母様を始め、普段は顔も見せない親戚連中から使用人に至るまで、全員集合している。その上、あのミオ様まで親父たちの後ろに大人しく鎮座している。

「な、何これ……?」

「あら~、梓ちゃん。今帰ったの~?」

「……梓。とりあえず座れ」

 ミオ様の間延びした暢気な声とは裏腹に、親父はいつも以上に低く重厚な声音を発した。

 その声に込められた、威圧感とはまた異なるプレッシャーに、あたしは素直に従う。

 真ん中に開いた道を歩き、上座近くまで進む。

 その時。

 ようやく気付いた。

 親父たちの前に座る二人の人影。

 一人は美しい夜空色の長い髪を持ち、髪に合わせた漆黒のワンピースを身に付けてた女の人。彼女は礼儀正しく正座していた。

 そしてもう一人。

 どうして今まで気付かなかったのか不思議で仕方がなかった。

 だらりと適当に胡坐をかき、暗き深海の如き黒髪をボサボサに伸ばし、黒い革ジャンに黒のジーンズと、見事に全身黒ずくめの男。

 二人はその後姿だけでも、誰なのかがすぐに分かる。

「もみじ先輩……」

 それに。

「兄貴……!」

「よう」

 首だけ捻り、こちらに顔を向ける。

 今朝会ったばかりだが、相変わらず腹立たしいほどの軽薄そうな笑みを浮かべていた。

「……………………」

「……へえ」

 しばしその深海色の瞳を見据えたが、兄貴は興味深そうに笑った。

「今回はいきなり斬りかかって来ないんだな」

「……あの後、友達に泣かれたから、我慢してるだけよ」

 それは、ある種の見栄だった。

 半分は本当だし、半分は嘘だ。

 真奈ちゃんに泣かれたからというのが大きいが、そもそも今のあたしには兄貴に斬りかかる気力がない。


 ――わたしはそれが悲しい。


 その言葉が、脳裏に焼き付いて離れない。

 あの娘を悲しませるのは、嫌だ。

「……………………」

 あたしは無言で親父の隣、母様の反対側に座った。

 ちょうど、もみじ先輩の真正面だった。

「さて」

 兄貴は大袈裟に手を叩いて場を仕切りだした。

「面子が揃ったところで話を始めようか、親父殿」

「……もうすでに貴様の父ではない」

「冷たいねー。御袋、どう思うよ」

「……………………」

 母様は。

 一瞬だけ悲しい顔をして、すぐに目を伏せた。

「……さようで」

 まあいいけど、と。

 兄貴は大仰に肩を竦める。

「じゃあ早速本題に入ろうか。こんなところで雑談に興じても意味はない」

 そう言って真っ直ぐに親父の目を見据える。

 そして率直に、こう言った。


「黒炎の犯人を捕縛する。八百刀流、手伝え」


『『『――――!!』』』

 兄貴ともみじ先輩を除く、その場の全員が息を飲んだ。

「……それは」

 親父は。

 あくまで冷静に応える。

「黒炎の犯人の手掛かりを掴んだ、と言うことか?」

「つい今日のことだけどな」

 そう言って兄貴は煙草を咥える。だがライターがガス欠を起こしたらしく、舌打ちしながら火を点けるのを諦めて箱に戻す。

「俺がこの町に戻ってきた理由は、黒炎の犯人を捕まえるためだ。とある女の依頼でな」

 そう言って、兄貴は説明を続ける。

「黒炎の犯人は、その女が管理する施設に収容されていた化物だ。だが一ヶ月近く前に、化物を縛り上げていた封印が突如として解かれ、施設から姿を消した。そして半月ほど前、この町に逃げ込んだらしいという情報が入った」

 半月前。

 まさに初めて黒炎が発生した時期だ。

「そこで女はこの町に縁のある俺に化物の捕縛を依頼した。最初は面倒だったから断ったんだが、報酬はいくらでも出すと言われたから受け入れた」

 そして今日、と。

 兄貴は続ける。

「ようやく見つけた」

 そう締めくくって、兄貴は親父の様子を窺った。

 今の話には、その化物とやらの情報は全く含まれていない。

 それはつまり。

「取引をしよう、と言うことか?」

「察しが良くて助かる」

 兄貴は軽薄な笑みを顔中に浮かべる。

「……フン。貴様、取引できる立場だと思っているのか?」

「思っているさ。あんたらは町の安全のために化物を捕らえたい。俺は自分の報酬のために化物を捕らえたい。だが化け物の情報を掴んでいるのは俺だけだ」

 十分に取引ができる、と。

 兄貴は笑った。

「この場にいる全員で貴様を叩きのめして情報だけ吐かせるという手もある」

「やれるものならやってみな」

「挑発としては安いぞ」

「挑発じゃねえ。余裕だ」

 不意に、大広間が殺気で溢れる。

 親戚連中から使用人に至るまで、この場にいる全員は一流の術者だ。いざ当主である親父や、その妻である母様の合図があったならば、全員で兄貴を文字通りの袋叩きに合わせるつもりだろう。

 だが。

「……………………」

 親父も母様も、もちろんあたしも、微動だにできなかった。

 なぜなら。

「……………………」

 軽薄そうな笑みを浮かべる兄貴の隣で、もみじ先輩も変わらずに微笑を浮かべていたからだ。

 しかしそれは、いつもの優しく温かな微笑ではない。

 黒く薄ら寒い、化物のように美しい微笑だった。

 彼女はいざとなったら、兄貴のためにこの場の全ての人間を、あたしも含めて殺してしまうだろう。

 普段の温厚なもみじ先輩を知っているあたしでさえ、そう考えてしまうほどに恐ろしい微笑だった。

 この場で最も畏怖すべき存在は親父でも兄貴でもなく、もみじ先輩だ。

 もみじ先輩がこの場に同席しているのは、八百刀流の事実上トップを威圧するためなのだろう。

 忘れがちだが、もみじ先輩もれっきとした妖怪なのだ。

 その恐怖を、忘れてはいけない。

「……いいだろう」

 親父は、そう低く呟いた。

「交渉のテーブルに着こう」

「そいつはどーも」

 物騒にも、少々期待はずれといった風に兄貴は肩を竦める。

 例えもみじ先輩がいなくとも、この人数を相手取る自信があったようだ。

「では単刀直入に。貴様は化物の情報を与える。我々八百刀流は手を貸す。それでいいな」

「いや、お釣りが出る」

「貴様からか」

「冗談。親父殿からだ」

「……聞こう」

「これから先、八百刀流……特に『瀧宮』は俺個人に干渉しないと誓え」

「……っ!」

 それには。

 あたしが息を飲んだ。

「あんたらが個人個人で俺にちょっかい出すのは勝手だが、八百刀流として、『瀧宮』として関わって来るのは拒絶する。それだけだ」

「絶縁、か」

「はっきり言えばな。正直、『瀧宮』の名も捨てたいところだが、これはこれで便利だからもう少し名乗らせてもらう」

「……フン」

 親父は鼻で笑い、しばし無言を貫いた。

 その間、母様はずっと兄貴のことを見ていた。

 だが兄貴は、一度も母様の方を見なかった。

「いいだろう」

 と、親父は厳かに呟く。

「貴様の要求を呑もう」

「交渉成立」

 兄貴は。

 軽薄な笑みを顔一杯に広げた。



       *  *  *



「悪魔」

 兄貴は軽薄そうに笑いながら呟く。

「堕天した神。悪の象徴。神の敵。悪その物……と、どれをとっても良いイメージはねえな。まあ現在のサブカルチャーじゃ一周回って格好良いみたいな扱いをされてるが、それでも連中が、俺が言うのもアレだが『絶対的な悪』と言ってもいいだろう」

 そこで一呼吸置き、兄貴は続けた。

「今回のターゲットは、そんな『悪その物』だ」

「……悪魔……か」

 親父が苦々しく呟く。

「それはつまり、この町の者が悪魔を召喚した、と言うことか」

「多分な。しかも封印されていたところを無理やり召喚されたらしく、力は不十分にしか解放されていない。それで恐らくは黒炎を使って生命力を集めて、自分の食い物にしているんだろう」

「フン。なるほど……忌々しい」

「まだあるぜ。しかもその悪魔は階級にも入らない下級悪魔らしいが、悪知恵が働く上に魔術師としては一流の腕を持つらしい」

 魂と引き換えに三つの願いを叶えてやろう、と。

 兄貴は指を三本立てた。

「これは悪魔の常套句だが、この悪魔には魂と引き換えにしても願いを叶えるような力はない。だがそれを黙って召喚主を騙し、黒炎によって周囲の生命力を奪うだけ奪い、最後には願いは叶わないと告げ、絶望したところを喰らう。これがこいつの常套手段だ。今回はこれが顕著に現れている状態だな」

 しかも、と兄貴は続ける。

「悪魔は今現在、召喚主に取り憑いて自身の力を補っているらしい。捕縛しようにも、器が邪魔で手が出せない」

「それで、我々の手を借りて器から引き離そうというのか」

「いや、引き離すのは俺がやる。八百刀流には捕縛の下準備をしてもらいたい」

「ほう?」

「『伍角天石』――あの結界を準備しろ」

「……何?」

 伍角天石……確か、五つの柱となる術者を配置し、中にターゲットを閉じ込め、少しずつその面積を狭めていくという封印用の結界だったはず。だがこれには、『瀧宮』だけでなく『穂波』はもちろん、『大峰』『兼山』『隈武』の八百刀流五家の協力が必要となる。

「すでに他の四家の了承はとっている。『大峰』には金銭を、『兼山かねやま』には俺に対する監視を許可することで協力の了承を得た。『穂波』のエロジジイと『隈武くまべ』のばーさんは『瀧宮』の判断に任せるとのことだ」

「……彼奴らめ、聞いておらんぞ……」

「俺が口止めしたからな」

 飄々と兄貴は言ってのけた。

 こいつ、本丸に攻め込む前にしっかりと外堀を埋めてやがった。

 ホント、相変わらず最悪……。

「で、どうする。まさかここまで状況が整っているのに今さら断るなんてないよな」

「……フン」

 親父は渋い顔をして、あたしのほうを見た。

「残念ながら、わしはこれでも一線を退いている身でな。実戦における判断は全て梓に任せている」

「……………………」

「……………………」

 兄貴は胡散臭そうにこっちを見、あたしも嫌そうに兄貴を見た。

 そのタイミングが示し合わせたかのようにピッタリだったため、あたしはさらに嫌そうな顔を浮かべる。

 視界の隅でもみじ先輩がクスリと笑ったのは、まあ無視しよう。

「つまり、こっから先の交渉はこのじゃじゃ馬相手にやるのか……」

「ちょっと何よその嫌そうな顔は」

「お前だって人のこと言えるか」

「……………………」

 あたしは無言で立ち上がる。

「……………………」

 兄貴も無言で立ち上がった。

「「……………………」」

 そしてお互いの顔立ちがはっきりと分かる距離まで近付く。

 身長差は二十センチ近くあるため、あたしは見上げ、兄貴は見下ろしているためそうは見えないが、これはある種のメンチの切り合いだった。

 場が一気に殺気立つ。

「一つ聞きたいわ」

「何だ」

「あんた……白羽ちゃんを本当に殺したの?」

「そうだ」

 沈黙も置かずに。

 兄貴は即答した。

 あれほど妹に甘かった兄貴が白羽ちゃんを手にかけた。それはひょっとしたら、誰かを庇ってのことかもしれないと、今まで一度たりとも考えなかったわけではない。

 だがこの即答具合から察するに――本当に、こいつは白羽ちゃんを殺している。

「そう。だったら」

 だったら。

 返答は決まっている。


「あんたに、協力はしない」


 シンと、場が静まり返る。

「ほう」

 兄貴は。

 ただそう呟いた。

「代わりに」

 あたしは続ける。

「あんたが、あたしたちに協力しなさい」

「……………………」

 無言。

 兄貴はじっとあたしの瞳を見据える。

「あたしたちの因縁は、いい加減、落とし前をつけなきゃいけない。今回の件であんたがあたしたちに協力する――これが最低限の譲歩よ」

「俺を……許すと言うのか?」

 その呟きに、あたしは言霊を持って応える。

「――抜刀、六本」

 ピタリと、六本の刃が兄貴の首筋に当てられる。

 視界の隅でもみじ先輩がピクリと動いたが、すぐに思い止まったかのように居住まいを正した。

「勘違いしないで。あんたは一生許さない。八百刀流として関われなくなっても、あたし個人がいつか絶対に復讐する」

 だけど。

「大局を目の前にすれば、あたしの復讐心なんて二の次よ。今はあんたを利用するだけ利用してやるんだから」

「……………………」

 兄貴は。

 静かにあたしの瞳を見た。

 そして不意に、軽薄そうな笑みを満面に浮かべた。

「合格だ」

 兄貴はそう呟く。

「合格だ梓。俺を信用するな。信頼するな。利用しろ。とことん利用しろ。自分の心も肉親も、兄も、友も、愛する者も全てを利用しろ。そうすればお前は――」

 もっと強くなる、と。

 兄貴は笑った。

 対してあたしは。

「だからあんたは――」

 最悪なのよ、と。

 呟いた。


 この日。

 あたしと兄貴は六年前の因縁に決着をつけた。

 実質的な和解だった。




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