053 反逆のローランド
その日のうちに、私は〈ドーフェン〉を発った。
伯爵家の馬車に続く形で、自分の馬車で〈モルディアン〉に向かう。
しばらく町を空けるため、ルッチには町長の代行を頼んだ。
代わりに御者を務めるのは、新米のトムだ。
新米とはいえ40歳で、先月、〈モルディアン〉から移住してきた。
〈モルディアン〉でも御者を務めており、私も市長時代にはお世話になった。
「〈モルディアン〉が見えてまいりました」
トムの声が聞こえる。
昔と変わらぬ淡々とした口調だ。
(ルッチさんとは大違いね)
私は一人、馬車の中で笑う。
トムは必要最低限のことしか話さない寡黙な男だ。
絵に描いたような職人で、ルッチとは対照的な存在である。
「わかりました」
私は返事をし、表情を引き締めた。
〈ドーフェン〉を発ってから数日、いよいよ修羅場がやってきた。
◇
〈モルディアン〉に入ると、真っ直ぐ城に向かった。
「マリア様だ! マリア様が帰ってきた!」
「ライルの野郎、マリア様に泣きついたのか!」
私に対する歓声と、ライルに対する恨み言が聞こえる。
敬称が堂々と省かれているあたり、ライルに対する不満の高さは相当だ。
(こればかりはライル様が気の毒に思うわね……)
都市の経営権は、長らくエステルが握っていた。
しかし、市民にはそのことが知らされていなかったのだ。
だから、彼らはエステルの失態をライルのせいだと思い込んでいた。
「マリア様! どうか〈モルディアン〉をお救いください!」
私は窓を開けて、笑顔で手を振って応じた。
◇
城に到着した。
亡き父の考えが反映された、小さくて質素な城だ。
この城を眺めるたびに、『貴族は民の模範たれ』の精神を思い出す。
「私はローランド様やライル様とともに市長室で作業をします。6時間ほどかかりますので、トムさんは自由になさってください」
馬車から降りると、私はトムに言った。
「御意」
トムは短く答え、馬を引いて厩舎に向かう。
(相変わらず律儀な人ね。長めの時間指定をしたのは正解だったわ)
今回は長丁場だが、それでも4時間で済む予定だ。
どれだけ長引いても5時間はかからない。
トムに「6時間ほど」と言ったのは、彼の性格を考慮したからだ。
ルッチと違ってプロ意識が高いため、必ず1時間前には待機している。
6時間ほどと言っておけば、4時間半後には準備を済ませるはずだ。
「マリア様、こちらへどうぞ!」
ローランドに案内されて、私は城に入った。
◇
私たち3人は市長室にやってきた。
小さな城に相応しい小さな部屋で、内装は〈ドーフェン〉の町長室に似ている。
部屋の奥には執務机とそれ用の椅子があり、手前には応接用のソファと木のローテーブルが設置されていた。
いずれも〈モルディアン〉の職人が製作したものだ。
「それでは契約を済ませましょう」
私はローテーブルに契約書を並べる。
契約書は二通一組で、複数用意してある。
〈ドーフェン〉で事前に作成したもので、両者の署名と押印は済んでいる。
私のほうは、町長印による割印まで済ませていた。
残るは市長印による割印だけだ。
それが済めば、契約は締結される。
「ライル、市長印を」
「はい!」
ライルは執務机の引き出しから市長印を取り出した。
それを手にソファに座ると、緊張の面持ちで割印を押していく。
「これで契約完了ですね」
私が言うと、ライルは「ふぅ」と息を吐いた。
ローランドも安堵の笑みを浮かべている。
「マリアが来ているとはどういうことですか!? テーブルに並んでいる紙は何ですか!?」
そこにエステルがやってきた。
ノックもせずに扉を開けて、鬼の形相で私たちを睨んでいる。
「エステル様、お久しぶりです」
私は座ったまま微笑んだ。
「黙りなさい! あなたには話しかけていません! 私はローランド伯爵に尋ねているのです!」
「マリア様には〈モルディアン〉の再建をお願いすることにしました。ここにあるのは、そのために必要な契約書でございます」
ローランドは契約書に目を落としたまま答える。
その口調は氷のように冷たかった。
「なんですって!? どうしてそのようなことを!?」
「それが最善であると判断したからです」
「最善……!? 私は認めておりません!」
「エステル様に認めていただく必要はございません。決定権があるのは市長のライルですから。そうでございましょう?」
「ぐっ……! ですが、マリアは公爵領の町長ですわ。そのうえ、ここは伯爵領の第二都市です。重要な都市にもかかわらず、他領の人間に頼るのはいかがなものですか?」
エステルは声を震わせながらローランドを睨む。
その瞬間、ライルの表情が変わった。
不安そうにローランドを見つめている。
その様子を見て、私はライルの心中を察した。
(エステル様と同じ考えというわけね)
他領の人間に都市経営の実権を渡すなど、通常ではあり得ないことだ。
エステルが疑問を呈し、ライルが不安そうにするのは当然だった。
提案を受けた私自身、「思い切ったわね」と感じたほどだ。
「申し訳ございませんが、エステル様――」
ローランドは大きく息を吐き、エステルに顔を向けた。
「――もう、そういう時代は終わったのです」
「は……?」
「この国の精神は『貴族は民の模範たれ』でございます。最優先にすべきは自らの地位や名誉ではございません。ヴァレンティン王国の国民に喜んでもらうことこそ大事であって、地位や名誉は勝手についてくるものなのです」
「ローランド伯爵、あなた、何をおっしゃって……」
「たしかにマリア様は公爵領の貴族です。でも、それが何だというのですか? マリア様が承諾されていて、我々も納得している。そして〈モルディアン〉の市民も喜んでいる。ならば何も問題ないではございませんか」
一連の発言には、ライルとエステルだけでなく私も驚いた。
(ローランド様が地位や名誉を二の次として扱う日が来るとはね……)
レオンハルトから、ローランドとの関係が改善されたとの報告は受けている。
しかし、これほどまでに浄化されたとは聞いていなかった。
「いや……いやいや……」
エステルは何か言おうとするも、何も言えないでいた。
ひたすら「いや」を繰り返すだけで、次の言葉が浮かばないようだ。
「ちょうどいい機会ですので、エステル様にはこの場でお伝えしておきましょう」
「伝える? 何をですか?」
ローランドは静かに口角を上げると、ライルの肩に右手を置いた。
「ライル、わかっているな?」
「………………はい」
ライルは少し考えてから立ち上がった。
どうやら理解するまでに時間を要したようだ。
「エステル様、大変申し上げにくいのですが……」
ライルは体をエステルに向けると、目を泳がせながら言った。
「本日付で副市長職を廃止することになりました。それに伴い、エステル様は解任となります」
「え?」
エステルは固まった。
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