025 エステル:賢者の提案
「この世界とは異なる前世の記憶?」
エステルは首を傾げた。
案の定、彼女は理解できなかったのだ。
「実はわしにも前世の知識があります。地球という世界での記憶です」
ベンゼルは気にすることもなく話を続けた。
「地球……」
「地球の文明は、この世界よりもはるかに発展しています。そして、マリアがこの世界で広めているものはすべて地球で生まれたものです」
「じゃあ、マリアも前世では地球人だったということですか?」
「まず間違いなくそうでしょう。ただ、地球人というだけであなたより知性があると言っているわけではございません。この世界と同じで、地球人の能力にも個体差があります」
「マリアは地球人の中でも優秀ということですか?」
「これまでの活動を振り返った限りでは、そう断言できます。わしは文明への干渉は最小限にすべきと考えているため、マリアの行動を好意的には見ていません。ですが、通貨供給量に対する意識や文化受容性に配慮する姿勢を見る限り、彼女が優秀であることはまず間違いありません」
「文化受容性……?」
エステルの頭上に疑問符が浮かぶ。
「別の言い方をすると、マリアはこの世界の歴史や伝統を尊重しているということです。彼女が文化受容性に配慮していないのであれば、地球の文化を独善的に押しつけて、強引に普及させていたでしょう」
「それができるから優秀だと?」
「はい。〈万能ショップ〉の乱発によるデフレを予期すること自体は、地球人であればそれほど難しいことではありません。しかし、文化受容性に配慮することは非常に難しい」
「そういうものなんですか」
よくわからないため、エステルは反論することができなかった。
だからといって、「ではお手上げですね」と引き下がるわけにもいかない。
「それでも、私はレオンハルト様と結婚したいです。この思いを曲げることはできません! それに、レオンハルト様やベンゼル殿がどう言おうと、私は自分がマリアに劣っているとは思いません!」
エステルは対抗心を剥き出しにして言った。
「ふむ……」
ベンゼルは長い髭を右手で撫でながら考え込む。
「確認したいのですが、あなたの目標はレオンハルト公爵とのご結婚であって、マリアに勝つことではありませんな?」
「はい! マリアには嫉妬しているだけです。レオンハルト様に振り向いていただけるのであれば、私はそれでかまわないのです」
「であれば、方法はあります」
「本当ですか!?」
エステルの目に希望の炎が灯った。
「大前提として、マリアに敵対することは絶対に避けましょう。仮に相手があなたと同等の知性だとしても、相手にはユニークスキルがありますので、挑むだけ無駄であることを自覚してください」
「……わかりました」
エステルは渋々頷いた。
「それで、方法というのは?」
「まずは勉強しましょう」
「勉強?」
「経済学と経営学に関する知識を深めるのです。一口に『知性』と言ってもいろいろありますが、お話を伺っている限り、レオンハルト公爵の言う知性とは経済学や経営学に基づいた知識だと思われます。ですので、それらの分野について勉強し、実際の領地経営で成果を出せば認められる可能性があります」
「なるほど!」
「もちろん成功を保証することはできません。ですが、領地経営で成果を出せば、あなたに対する評価が『ただの王孫』から格上げされることは間違いありません」
「私もそう思います!」
エステルは「ベンゼルに相談してよかった」と思った。
「ここで問題になってくるのは、経営する領地をどう確保するかです。あなたは王孫ですから、ご自身の領地はお持ちでないはず。大都市ではなく小さな町や村でもかまいませんが、どこか当てはありますか?」
「いえ……。ですが、問題ありません! レオンハルト様には断られると思いますが、それ以外の大貴族であれば、私が頼めば領主の席を用意してくれるはずです。第二都市や第三都市の市長だって夢ではありません!」
「わかりました。では、官吏に命じて経営状況が悪化している領地を探しておいてください。領地の規模も大切ですが、それ以上に経営状況が重要です。理想は派手な失敗をしていることです」
「派手な失敗が望ましいのですか?」
「はい。そのほうが立て直したときに評価されるからです」
「なるほど! さすがはベンゼル殿! 賢者の異名は伊達じゃありませんわ!」
ベンゼルは優しい笑みを浮かべた。
「それでは、本日はここまでとしましょう」
「え? 勉強をするのでは……?」
「今日はしません。教材がないからです。エステル様が最適な領地を探している間に、私は教材の準備をしておきます。ですので、勉強は二週間後から始めましょう」
「二週間!? かなり先ですね……。私のほうで教材を集めることで時間を短縮できないでしょうか?」
ベンゼルは「できません」と即答した。
「教材の調達には大した時間を要しません。ですが、わしが経済学と経営学の知識を深めるのには時間を要します。他人に何かを教えるには、自分自身が十分に精通している必要がありますので」
「ベンゼル殿は経済学や経営学に詳しくないのですか? 何年もの間、王家に仕えてきたのに?」
「はい。今のわしは最低限の知識しか有しておりません。この状態ではレオンハルト公爵にご納得いただけないでしょう」
「そんな……」
エステルは絶句した。
そんな彼女に、ベンゼルは優しい口調で尋ねた。
「諦めますか?」
「諦めません!」
エステルは折れなかった。
「わかりました。それでは、わしはさっそく教材の調達に向かいます。二週間後にお会いしましょう」
ベンゼルは立ち上がった。
◇
エステルは王城に戻り、官吏に命じて最適な領地を調べさせた。
現代と違ってパソコンがないため、作業は数日に及んだ。
「エステル様、お待たせいたしました!」
エステルが部屋で休んでいると、官吏が報告にやってきた。
「こちらが候補地の一覧でございます!」
官吏はエステルに紙を渡し、一礼して部屋を出た。
(思ったよりも候補地があるわね……)
エステルはソファに腰掛けて一覧表を眺める。
(でも、知らない都市ばかり……)
一覧表に記載されているのは、一般に名の知れた都市が多い。
エステルが知らないのは、彼女の無知に他ならなかった。
エステルは貴族の作法に詳しい反面、地理には疎い。
そんな彼女が知っている都市は、原則として大貴族の直轄地だけだ。
例外はマリアに縁のある場所くらいだ。
(あ、この都市は……)
エステルの知っている都市が載っていた。
その名は――〈モルディアン〉。
伯爵令息のライルが治めている都市だ。
かつてはマリアが市長を務めていた。
エステルが〈モルディアン〉を知ったのは昨日のことだ。
マリアの過去を調べる過程で知った。
そういうこともあって、エステルは運命のようなものを感じた。
「ここに決まりね」
エステルはニヤリと笑った。
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