初めての未来
冬至の日を超え、新しい年が明けた。
この日、王都のフォンテーヌ公爵邸では、マリウスとフェリシエンヌの婚約披露宴が開かれていた。
婚約したのは一年ほども前だが、「光の乙女」の任命式が終わるまでは披露宴どころではなかった。コレットに取り憑いていたものを任命式の場で浄化して、ようやく落ち着いて披露宴を開ける状況になったのだ。
招待客は、親族と王宮魔術師たち、そしてコレットと、その両親であるグランジュ男爵夫妻のみ。公爵家の催す披露宴としては、極めてささやかなものとなった。もう数か月後には結婚式が控えているからだ。今さらな感のある婚約披露は、小ぢんまりと行うことにした。
パーティーの形式も、晩餐会のような肩肘張ったものではない。カジュアルな立食形式だ。
とは言えマリウス側の親族と言えば、ほとんどが王族。国王夫妻とエヴラール王子はもちろん、年末近くまでフォンテーヌ公爵邸に滞在していたステファンも招かれていた。
気楽な集まりなので、特に開会の挨拶などはない。招待客たちは思い思いのタイミングで三々五々、会場に入ってくる。
親族以外の招待客にひととおり挨拶を終えた頃、エヴラールがにこやかに近づいて祝福した。
「マリウス、フェリ。婚約おめでとう」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
言葉を返しながらも、フェリシエンヌの腰に回したマリウスの手に力がこもる。まったくもって大人げない。彼女が一番大事に思っているのはエヴラールではなくてマリウスだと、はっきり言葉にして伝えたのに。
彼女が呆れたように横目でにらむと、マリウスは露骨に視線をそらしてしらばっくれる。
二人の声なきやり取りに、エヴラールは苦笑をもらした。
「もうすっかり以心伝心みたいだね」
「そりゃ、かれこれ一緒に暮らし始めて一年近いからな」
「え?」
なぜかマリウスは鼻で笑って得意顔をする。初耳だったらしいエヴラールは、目を見開いた。フェリシエンヌはマリウスの脇腹をひじで小突き、エヴラールに正しい事情を説明した。
「行儀見習いでお世話になっているだけですよ」
「あ、ああ。なるほど。そういう……」
エヴラールが苦笑を深めたところへ、「マリウス!」と声をかける者がいた。王宮魔術師たちだ。先ほどフェリシエンヌも一緒に挨拶したが、どうやらマリウスを囲んで話したいらしい。彼女は笑顔で送り出した。
「どうぞ行ってらしてください」
「うん……」
マリウスはいかにも渋々とうなずいてから、「ちょっと行ってくる」と言いながら彼女を抱き寄せ、髪にキスをした。魔術師たちからは愉快げなどよめきとともに、冷やかしの指笛が鳴らされる。フェリシエンヌは真っ赤になった。
この頃マリウスは、こういうスキンシップが増えた。嫌ではないのだけれども、恥ずかしい。身の置きどころがなく、彼女は火照った頬に手を当てた。エヴラールは恥じらう彼女から視線をそらし、上を見上げて、声に出して大きくため息をついた。
「あーあ」
フェリシエンヌは問うように小首をかしげた。しかしエヴラールはしばらく上を見たまま、何も言わない。やがてパチパチと目をしばたたき、何かを吹っ切るように首を乱暴に振ってから、彼女に微笑みかけた。
「これからも前みたいに名前で呼んでよ。従兄弟になるんだからさ」
「それもそうですね。では従兄弟のエヴラールさま、これからもどうぞよろしくお願いいたします」
彼女が茶目っ気たっぷりに返すと、エヴラールは「うん」とうなずいたきり、再び沈黙する。乗ってあげたつもりだけど、もしかして滑ったのかしら、と彼女が少々不安になってきた頃、不意に彼は真顔になった。
「フェリ」
「はい」
「フェリは今、幸せ?」
「はい、とても」
彼女の返事に、エヴラールは安堵したように頬をゆるめた。
「そうか、よかった。これからもずっと、きみの幸せを願っているよ」
「ありがとうございます。わたくしも、エヴラールさまの幸せを願っていますよ」
にっこりと笑顔で返したフェリシエンヌを、エヴラールはどこかまぶしそうに目を細めて見つめる。そして「ありがとう」と言った後、後ろから話しかけられて彼女の前から去って行った。
エヴラールと入れ替わりに、今度は国王から声をかけられた。国王の隣には、パトリスもいる。
「フェリシエンヌ嬢、婚約おめでとう」
「ありがとうございます」
礼儀正しく彼女が返すと、国王はため息をついた。
「ああ……。エヴラールには、かわいそうなことをした」
「兄上、うちの子には幸いでしたよ。ありがとうございます」
しれっと満面の笑顔で礼を言うパトリスに、国王は苦い笑いをこぼした。だがパトリスは兄の様子を気にもとめない。したり顔でさらに続ける。
「昔から『二兎を追う者は一兎をも得ず』と言うでしょう。当然の帰結ですよ」
「お前、容赦がないなあ。まあ、ぐうの音も出ないほどの正論だが」
二人のやり取りに、フェリシエンヌはエヴラールとの婚約が解消されたいきさつを何となく察した。国王が解消を決め、息子はそれに異を唱えたものの、「国の安定のため」と説得されて、最終的には同意したのだろう。
けれども察した内容には触れることなくただ微笑んで、彼女はこう保証した。
「エヴラールさまは、大丈夫です。きっと幸せになれます」
「そうか。ありがとう」
国王はそれを社交辞令と受け取ったかもしれない。でも彼女は大真面目だった。エヴラールは大丈夫。いつか必ず誰かと幸せになれる。
室内を見回した彼女の視線の先には、コレットに声をかけるエヴラールの姿があった。普段はまったく縁がないほど身分の高い人々の中で、すっかり萎縮している彼女を気遣ったらしい。
その様子を微笑ましく見守るうち、ふと彼女はあることに気がついた。
彼女は「前回」が終わった後、エヴラールとの婚約が解消された日に時間が巻き戻されたとばかり思っていた。だがこの事象の本質を考えるなら、それは間違っている。
彼女が戻ってきたのは「マリウスに初めて求婚された日」だったのだ。
どちらも同じ日に起きた事だから、彼女にとって、より衝撃的だったもののほうに意識が向いてしまっていた。けれども彼女が時間を巻き戻ってやり直している意味を考えるならば、重要なのがどちらの出来事だったかは明らかだ。
彼女はマリウスの「フェリ!」と呼ぶ声で、物思いから引き戻された。
フェリシエンヌは彼を振り返る。その顔には自然と、花がほころぶような笑みが浮かんだ。彼女は自分では気づいていなかったけれども、その笑顔は周囲の者が思わず息をのんで見とれるほど輝いていた。比喩ではなく、まさに彼女の周りだけ明るくなったかのようだ。
マリウスは婚約者に歩み寄って肩を抱き、顔をのぞき込んだ。
「光魔法を見たいってリクエストがあるんだけど、どうしようか」
「いいですよ。だったらマリウスさまも一緒に、先日のあれをやりませんか」
「あれか。うん、いいね。そうしよう」
マリウスは即座に同意し、招待客たちを振り向いて声を張り上げた。
「今から光魔法をご覧に入れます。よければ窓から外を見ていてください」
人々は興味津々で、窓際に集まっていく。窓の外には、冬景色が広がっていた。庭園には一面に雪が降り積もり、今もしんしんと降り続けている。
フェリシエンヌの言う「先日のあれ」とは、ジェレミーを楽しませるために二人の魔法を組み合わせて使ってみせた余興のことだ。
まずはマリウスが風魔法を使う。積もった雪の上を一陣の風が吹き抜けて行き、粉雪が空中に舞い上がった。あちらこちらから、小さな歓声が聞こえてくる。
続けてフェリシエンヌが光魔法を使った。「光の乙女」の任命式で使った魔法と、似ているが少し違う。あのときは大きな光の球をひとつ呼び出した。しかし今は、小さく淡い光の球が無数にチカチカと明滅している。ちょうどホタルの光のように。
人々は呼吸も忘れて、食い入るように見つめていた。
魔法の光を維持したまま、フェリシエンヌは笑顔でマリウスを見上げた。
「マリウスさま、あのね」
「うん。どうした?」
「わたくし、とても幸せです」
「それはよかった」
マリウスも目を細めて笑みを返す。それからおもむろに、かけ声をかけた。
「さあ、いくよ」
「はい」
それまで縦横無尽に吹き抜けていた風が、いったん止む。出し物はこれまでかのように思われた。しかし人々が拍手を始める前に、窓ガラスのすぐそばで、ひときわ大きく粉雪が吹き上がった。驚きにどよめきが起こる。その中を風は手前から庭園の奥へと、粉雪を巻き上げながら一直線に吹き抜けて行った。
(わたくしたちの未来のようだわ)
魔法によって幻想的な風景を作り出しながら、フェリシエンヌは不思議な高揚感に包まれていた。
舞い上がる粉雪の中を、小さな光の球が列になって風を追いかけていく。光と風は遠くでフワッと上空に舞い上がると、溶けるように消えて行った。
息を詰めて見つめていた人々から、ワッと歓声が上がる。
目の前に広がるのは、足跡ひとつないまっさらな雪野原。
時間が巻き戻って「前回」をなぞってきた冬至までの日々と違い、これから先の未来を象徴しているように思えた。そうして今まさに協力して魔法を使ってみせたのと同じように、今後はマリウスと手を取り合って、まっさらな道なき道を一緒に歩いて行くのだ。ひとつ、またひとつと、幸せな思い出を積み重ねながら。
拍手と歓声の中、二人は楽しそうに微笑みを交わした。そして互いにピタリと寄り添って、二人を祝福する人々の輪の中に戻って行ったのだった。
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