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二度目の余命300日  作者: 海野宵人


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魔術の講義

 夏至祭の二週間後、マリウスは王宮に出かけて行った。


 フェリシエンヌの家族も数日前には王都に戻ってきている。それに伴い、ジェレミーの公爵邸通いも再開された。


「ねえさま、ごきげんよう」

「ごきげんよう、ジェレミー」

「ねえ、にいさまは?」

「マリウスさまは、今日はお仕事なの。王宮に行ってらっしゃるわ」

「なーんだ。つまんないの」


 ジェレミーはもう完全にマリウスに懐いている。だから彼が不在と聞いて、当てが外れたようにがっかりしていた。そこへ、ちょうど二階から下りてきた人物が声をかけた。


「おや、こちらがジェレミーくんかな?」

「はい。弟のジェレミー、六歳です」


 弟を紹介してから、その人物を弟に紹介する。


「ジェレミー、こちらはステファンさま。国王陛下のお父さまの弟ぎみで、パトリスさまの叔父さまにあたるかたよ。ご挨拶なさい」

「ジェレミーです。はじめまして」


 ステファンは夏至祭の数日後から、フォンテーヌ公爵邸に滞在していた。古代魔法の文献を集め、マリウスと二人で朝から晩まで何やら調べ物をしている。


 ジェレミーが行儀よかったのは、挨拶するところまでだった。キリッと挨拶した直後、彼は期待に満ちた目をステファンに向ける。


「一緒に遊ぶ?」


 フェリシエンヌはギョッとした。物怖じしないのは悪いことではないが、少しは空気を読んでほしい。誰でもすぐに遊び相手に認定するのは勘弁願いたいのだが。


 チラリと付き添いの乳母見習いに視線を向けると、それまでハラハラしながら見守っていた乳母は、卒倒せんばかりに顔面蒼白になっていた。気持ちはわかる。


 ところが少女たちの動揺をよそに、老紳士はにこやかに少年に手を差し出す。


「遊ぼうか」

「うん! 犬舎に行こう! こっちだよ」


 ジェレミーは迷わずその手をつかみ、犬舎の方向へ引っ張った。あわてて乳母もその後ろを追う。ステファンは少年に引っ張られながらも、後ろを振り向いて笑顔でフェリシエンヌに手を振った。彼が少しも嫌な顔を見せないことに、彼女はホッとした。感謝の気持ちを込めて会釈で返す。


 もうこうなっては、ジェレミーをとめることなどできやしない。だからフェリシエンヌはこの場で彼女にできる、唯一のことをした。つまりジェレミーの背中に向かって、いつもの注意をした。


「ジェレミー、家の中を走ってはいけませんよ」


 しかし幼い弟は、新しい「友だち」を得てすっかり舞い上がっていた。彼女の注意など、耳に届いた気配がない。しつけのなっていない仔犬がリードを引っ張るがごとく、ジェレミーはステファンの手をグイグイ引きながら廊下の向こうに姿を消したのだった。


 この日はマリウスだけでなく、パトリスも一緒に王宮に出かけていた。いつもならジェレミーは乳母と二人で食事をしているが、気のいいステファンは少年と一緒に裏庭でピクニックをすることにしたらしい。


 ジェレミーが迷惑をかけているのではないかと心配で、犬舎まで様子を見に行ったフェリシエンヌにステファンが声をかけた。


「フェリも一緒にどうかい?」

「ねえさま、外は気持ちいいよ!」

「そうですねえ。では、お言葉に甘えます」


 せっかくなので、彼女もピクニックに混ざることにした。


「ステファンおじさま。ご飯が終わったら魔法のお話、する?」

「お、付き合ってくれるのかい?」

「うん。いいよ!」


 フェリシエンヌは頭が痛くなった。ため息まじりに「ジェレミー」と弟に声をかける。


「ステファンさまは、あなたと遊ぶためにここにいらっしゃるわけじゃなくってよ」


 叱られたジェレミーは、ムッと口先をとがらせた。


「遊びじゃないよ。お手伝いだもん。ね、おじさま」

「そうだね。助かるよ、ジェレミー」

「うん!」


 ジェレミーは自慢げに小さな鼻をヒクヒクさせる。かわいいけれども、憎たらしい。


 子どもに甘いステファンがかばっただけかと彼女は疑ったが、どうもそうではないらしい。ステファンは笑いながら事情を説明した。


「この子はね、古代の魔法陣を見ただけで、それが祝福か呪いかがわかるんだよ」


 彼は今、マリウスとともに古代魔法の中で呪いに分類される魔法について調べている。邪法について調べるためだ。邪法とは「古代魔法の中で呪いに分類される魔法」のうちの一部なのである。


 文献をひも解きながら調べていくわけだが、古代の文献は必ずしも祝福と呪いとが別々の本になっているわけではない。同じ本の中に混然と説明されているものも少なくなかった。載っている魔法陣が祝福系なのか呪い系なのかを判別するには、説明として添えられている古代文を解析する必要がある。


 ところがジェレミーは、魔法陣を一瞥しただけでそれが呪いであるかどうかを見分けるのだと言う。古代文を解読せずに判断できるなら、効率が倍以上に跳ね上がる。呪いだけを抽出して調べたいステファンにとっては、この上なくありがたい能力だ。


 ジェレミーは得意満面の笑顔を姉に向けた。


「ほら!」

「ごめんなさいね、ジェレミー。早とちりしてしまったわ」

「うん、もういいよ」


 食事の後、老紳士と少年は仲よく図書室にこもっていた。帰るとき、ジェレミーは「ねえさま、またね」と姉に手を振った後、ステファンにも大きく手を振る。


「ステファンおじさま、またね!」

「うん、また」


 ステファンは愛想よく手を振り返しているが、どう見てもジェレミーからは遊び相手に認定されている。乳母は絶望したように両手で顔を覆っていた。気持ちはとてもよくわかる。フェリシエンヌは思わず遠くを見る目になってしまった。


 マリウスが帰宅したのは、ジェレミーとほぼ入れ違いだった。


「マリウスさま、お帰りなさい」

「ただいま、フェリ」


 マリウスはとても疲れた顔をしていた。


「魔法の講義で何かトラブルでもありました?」

「何もトラブルはなかったよ。むしろ順調すぎて、困ったことになった」

「え?」


 順調に進んだなら、いったい何が困ると言うのだろう。フェリシエンヌがきょとんとすると、マリウスは苦々しげに説明した。


「コレット嬢の光魔法が、また力を戻してしまったんだよ」

「あー……」


 よりによってマリウスが講義を再開したこのタイミングで、コレットの光魔法が力を戻してしまった。つまり「マリウスの講義がなくなったから力が弱まった」という彼女の主張を裏付ける結果となったわけだ。


 この報告を受けた国王から、「もうしばらく講義を続けてもらえないか」と頼まれたのだと言う。結局、以前と同じように週に二回、講義を続けることになってしまった。


 やり場のない怒りをぶつけるかのように、マリウスは「約束が違う」と吐き捨てる。


「一回でいいと言うから引き受けたのに」


 これに対して、彼女に言えることは何もない。困った顔で少し視線をさまよわせてから、フェリシエンヌは彼に声をかけた。


「マリウスさま」

「ごめん。こんな愚痴ばかりで」


 マリウスはハッとしたように顔を上げ、謝罪する。だが彼女は静かに微笑んで「いいえ」と首を横に振った。


「ね、マリウスさま。そんなときは、楽しいことをしましょう。愚痴をこぼしたいようなことがあったなんて忘れてしまうほど、楽しいことを」

「ああ、そうだね。それがいい。何をしようか」


 マリウスは言葉を頭にしみわたらせるように目をまたたかせてから、うれしそうにフェリシエンヌに微笑みかけた。もう彼の顔からは、不機嫌の色が消えていた。そうして二人は一緒に居間に向かって歩きながら、「楽しいこと」の案を出し合ったのだった。


 ところがこの日「困ったこと」になったのは、マリウスだけではなかった。フェリシエンヌもだったのだ。この日の夜、しばらくとまっていたはずの咳がぶり返してしまった。しかもその咳には、うっすらと血が混じっていた。


 七月五日。冬至の日まで、残り169日。

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