初めての公爵領 (3)
公爵領ではのんびり過ごすことになるかと思いきや、意外にも忙しい日々だった。というのも、王都を発つ前にパトリスから頼まれたことがあったから。
「気が向いたら、内装をやり直してくれないかな。かれこれ二十年以上もそのままだから、いい加減、古びてしまっていてね。色や柄は、きみの好みで選んでくれたまえ」
責任重大である。
パトリスが結婚したときに夫人が改装したそうなのだが、ずっとそのまま使い続けていたのだと言う。そんな大切な思い入れのあるものを、結婚もしないうちから小娘の好みで入れ替えるだなんて、どうなのだろう。そう彼女は心配したのだが、パトリスはそれを笑い飛ばした。
「単に模様替えする人がいないから放置されてただけだよ。一気にやる必要はない。少しずつ気になるところからでいいから、手を付けてくれるとありがたい」
フェリシエンヌは「承りました」とうなずきながらも、内心では半泣きだった。
(お母さま、助けて!)
色柄の組み合わせで迷ったときにすぐ母を頼っていたツケが、こんなところで回ってくるとは。
それに、先のことを思うと気が重い。だって彼女は、マリウスと結婚するまで生きていられないのだから。
いつか彼は、彼女ではない別の誰かと結婚するだろう。そのとき、領主館の内装を手がけたのが亡くなった婚約者だなんて知ったら、何と思うだろうか。モヤッと嫌な気分になりはしないかと心配だ。
フェリシエンヌは心の中で天秤にかけた。素直に依頼を受けたときのマリウスの笑顔と、まだ見ぬ彼の将来の伴侶の憂い顔とを。しばらく悩んだ末、最終的にはマリウスの笑顔をとることを選んだのだった。
ただし改装するにしても、屋敷での行事との兼ね合いは重要だ。直近で影響しそうな行事について、彼女はマリウスに尋ねてみた。
「マリウスさま、夏至祭はどのようにお過ごしになるご予定ですか?」
「いつもなら王宮に挨拶に行くけど、今年はどうしようかな」
彼の答えに、フェリシエンヌはいささか拍子抜けした。てっきり領主館に親類縁者が集まるとばかり思っていたのだ。けれども考えてみれば、マリウスの答えは当然のことだった。
デュシュエ伯爵領の領主館に親類が集まるのは、そこが彼らにとっての本家だからだ。一方で王弟であるパトリスの本家と言えば、王家に決まっている。
自分の間抜けさ加減に内心で呆れながら、彼女はマリウスの背中を押した。
「どうぞいつもどおり、王宮にご挨拶に行ってらしてください」
「フェリの調子がよさそうなら、一緒に行こうか」
「わたくしのことは、どうかお構いなく」
「嫌だよ。フェリが行かないなら、僕も行かない」
子どものような言い草に、フェリシエンヌは困ってしまう。だがマリウスは、駄々をこねたつもりはなかったらしい。黙ってしまった彼女に、説明を続けた。
「本当なら、父だけ行けば十分だからね。僕はおまけでしかない」
「そうなんですか?」
「うん。今までは特に予定もなかったから付き合ってただけ。でも今年はせっかくフェリが来てくれたんだから、フェリを最優先するよ」
面映ゆく思いながらも、とりあえず夏至祭の予定を考えるのは後回しにすることにした。彼女の体調次第ということならば、今から予定を立てても意味がない。
領主館に親類が集まるわけではないと聞いて、少しだけ気が楽になった。それでもやはり、夏至祭を目安にして予定を立てることにする。あまりのんびり構えていられるほど、時間は残されていないだろうから。
まずはマリウスに屋敷の中をひととおり案内してもらい、改装する場所の候補を絞り込んだ。
実のところ、どこも手入れが行き届いているので、どうしても改装が必要かと言われると、そうでもない。ただし二十年という歳月により、どうしても経年劣化している部分があるのは間違いなかった。
「まずは手始めに、ここの壁紙を替えてみるのはいかがでしょう?」
「いいんじゃない?」
フェリシエンヌが選んだのは、客室フロアの化粧室だった。ここを選んだ理由は、壁紙が少々傷んでいたことと、改装の規模が比較的小さくて済むからだ。たとえば廊下のようにオープンな場所を選んでしまうと、一部だけ壁紙を替えるというわけにいかず、大がかりになってしまう。
その点、化粧室のような小部屋なら、区切られた室内だけ改装すればよい。それでいて、改装したときに屋敷の印象が割と変わる部分でもある。何より、この程度であれば、まだ見ぬ未来の女主人もたいして気にしないでくれるのではないかという打算もあった。
けれども、いかに改装規模が小さかろうが、選ぶ手間は変わらない。執事が手配した壁紙の見本帳を開いては、途方に暮れる日々だった。候補を絞り込むと、執事がまた少し大きめのサンプルを取り寄せる。それを実地の壁にピンで仮止めして、見え方を確認した。
仮止めのときには従僕任せにすることなく、マリウスが付き合ってくれた。
「貼るのは、この辺でいいかな?」
「はい」
二人並んで候補を眺め、意見を出し合いながら少しずつ絞っていく。楽しかった。離宮に留め置かれていた「前回」と比べたら、夢のような日々だ。毎日楽しくて笑顔でいると、それを見たマリウスも笑みを浮かべる。それが彼女にはとてもうれしい。
そしてもうひとつ、「前回」と違うことがあった。少しずつではあるが、なんと彼女の咳が軽くなってきたのだ。ぬか喜びしたくはないと思いつつも、少しだけ、ほんの少しだけ、フェリシエンヌは希望を抱いた。
やがてついに、二人で選び抜いた壁紙を使って、来客用の化粧室を改装した。壁紙を新しくしただけなのに、室内が明るくなったように感じる。
ひと仕事を終えた充実感で満たされる中、しかしある日、マリウスが眉間にしわを寄せて険しい顔をしているところを目撃してしまった。
「マリウスさま? どうなさったの?」
「え? あ、いや。何でもない」
彼女が声をかけると、彼は一瞬で表情を和らげた。
だが手にしていた封筒を、彼女の視線から隠すようにさりげなく背に回す。見るからに挙動が不審である。フェリシエンヌはじっとその手を見つめてから、上目遣いに探るような視線を彼に向けた。それで隠しおおせないことを悟ったのだろう。マリウスは深くため息をついた。
「隠すより、話しておくほうがいいか。いきなりフェリにとばっちりが行かないとも限らないからな」
「何のお話ですか?」
マリウスはうんざりした顔で、封筒ごと手紙を彼女に渡した。
彼女は差出人を確認して、目をむいた。それは国王からだったのだ。おそるおそる中身を取り出して開いてみれば、彼がこれほど辟易している理由がよくわかった。
それは魔術師団への協力要請だった。もっと具体的に言うと「一回でいいから、コレットに魔法の講義をしてほしい」という依頼だった。依頼と言えども依頼主が国王とあらば、命令と変わらない。
思わずフェリシエンヌもため息をついた。
「またコレットさんですか……」
「これまでにも魔術師団から何度か打診があったんだけど、全部断ってたんだ。そうしたらついに伯父上に泣きついたらしい。まったく、伯父上も伯父上だよ。なんで言うことを聞いちゃったんだろうなあ」
愚痴をこぼしながらも、マリウスは気を取り直したように彼女に微笑みかけた。
「頑張れば日帰りできるから、ちょっと行ってくる」
「でしたら、わたくしも一緒に王都にまいります」
「え? 僕ひとりで大丈夫だよ」
きょとんとする彼に、フェリシエンヌは理由を説明する。
「でも、もうじき夏至祭でしょう? せっかくですから日帰りなんてせずに、王宮にご挨拶に行ってらしてはいかがですか」
「うーん……。ああ、そうか。フェリも一緒に行こう」
彼女はこの誘いに面くらった。一緒に王宮に連れて行ってほしくて提案したわけではないのだ。だが、すぐに思い直した。これもいい思い出作りになるかもしれない。彼女は微笑んで「はい」と返事をした。
こうして公爵領の滞在は、いったん一か月で切り上げることになった。さっそく翌日、二人は王都のフォンテーヌ公爵邸に戻ったのだった。
六月十五日。冬至の日まで、残り189日。




