二度目の流行病 (2)
ナバール風邪の流行を予見させるものは、実はもうひとつあった。周期である。
ナバール風邪は古来より、周期的に流行することが知られている。おおよそ二十年周期で流行し、百年から百五十年に一度、大流行する。
前回の流行は、フェリシエンヌの生まれる少し前のことだった。そして最後の大流行は、百二十年ほど前。この二つを考え合わせれば、いつ大流行しても不思議ない時期ではあるのだ。
フォンテーヌ公爵邸に戻ると、マリウスはさっそくフェリシエンヌの手を引いて当主の部屋に向かった。執務机に向かって何やら調べ物をしていたらしきパトリスに、マリウスは声をかけた。
「父上、ちょっといいですか」
「おや。どうしたね」
「フェリの『お願い』をかなえるのを、手伝っていただきたいんです」
「いいとも。まあ、まずは座りなさい」
公爵はすぐに本と書類を片付けて立ち上がった。息子たちにソファーを勧め、自らはその向かいに座る。
最初のうちパトリスは、ニヤニヤと息子をからかいたくて仕方のないような顔をしていた。だがマリウスが話を始めると、じきに真顔になった。口を挟むことなく、真剣な表情で耳を傾ける。そして息子の話が終わると、ゆっくりうなずいた。
「なるほど。それは国として行うべき施策だな」
「そうですね」
マリウスが同意するのを、フェリシエンヌは内心の不安を押し殺して見つめた。やはり無茶だったのだろうか。
パトリスは息子から彼女に視線を移した。
「だが、ことは一刻を争うのだろう?」
「はい」
おそらく今から数週間が勝負のときなのだ。何も手を打たなければ、二か月後には王都中に手の付けようがないほど蔓延してしまう。
硬い表情でうなずくフェリシエンヌに、パトリスは「だろうな」と皮肉げな笑みを浮かべてみせた。
「大臣を説得したり、議会に根回しして承認を得たりしてる場合じゃない。うちの個人的な事業として、とっとと片付けよう」
「お願いします。僕が個人的にやってもよいのですが、父上の助力を仰ぐほうが、手広く早くやれると思いまして」
「そうだな。もちろん全面協力するさ」
これで話がついたかに思われたが、パトリスは最後にひとつ質問をした。
「ところで、仕入れた薬の半分は神殿に寄付するとして、残り半分はどうしたらいいのかな?」
「『家族の人数分まで』と購入制限をつけて販売してください。価格は、現在の相場の三倍ほどでお願いします」
フェリシエンヌが答えると、パトリスは一瞬、目を丸くした。それから「あいわかった」と大きく破顔した。彼女の意図は正しく伝わったようだ。
相場の三倍と聞くと暴利のように思われるかもしれないが、決してそうではない。
仕入れたうちの半分は神殿に寄付するわけだから、残り半分は最低でも二倍で売らないと、持ち出しになってしまう。売れ残りが出ることを考えれば、三倍という価格設定であっても慈善事業なのだ。
むしろ三倍という価格設定は、上限を抑える狙いがあった。公爵家からいつでもこの価格で買えるとわかれば、法外な価格付けをした転売屋から購入する者はいないからだ。
「前回」の流行時には、三倍どころか、数百倍、千倍、とみるみるうちに価格がつり上がったものだ。最終的には一万倍を超えたと聞いている。そこまで法外な価格であっても、命にかかわる薬。手に入れるためなら、財をなげうつ者も少なくない。
命が助かっても多額の借金を背負うことになったり、金の工面が間に合わずに命を落としたりという悲劇が後を絶たなかった。
だが相場の三倍程度なら、もとより高価な薬ではないので、庶民でも十分に手の届く価格である。それでも買えないほど貧しいなら、神殿へ行って施しを受ければよい。施しを受けるのを恥ずかしく思う程度に収入があるなら、薬を買えばよいのだ。
聞き取りを終えた後、パトリスは即座に動いた。サラサラと書状をしたため、従者を呼ぶ。
「まずは王都内にある薬の在庫を買い占めてくれ。そしてそのうち半分を、中央神殿に寄付してほしい。その際、神殿長にこの書状を渡してくれないかな」
「かしこまりました」
パトリスから依頼を受けた神殿の動きも迅速だった。
薬を買い占める一方で、ホウコルダーの葉も買い占めた。そしてフォンテーヌ公爵家と取り引きのある薬師を総動員して、特効薬の作成に当たらせる。見る間にフォンテーヌ公爵家には特効薬の十分な在庫が積み上がっていった。
数日後、フェリシエンヌは再びマリウスと美術館に出かけた。その道すがら、あちらこちらで神官たちの姿を見かけることになる。どうやら彼らは、薬を買えない貧困層の見回りをしているらしかった。
ナバール風邪とおぼしき咳をしている者がいれば、その場で薬を飲ませる。その場に患者がいなければ、ナバール風邪の特徴を伝え、咳が出たら神殿を訪ねるようにと伝える。神殿に行けば無償で薬を飲ませてもらえることは、やがて口づてに貧困層の間に広まった。
神殿に行くと無償で与えられるのは、薬だけではない。ナバール風邪の咳が続いている間は、神殿に行きさえすればパンがゆが振る舞われた。
こうした慈善活動のおかげで、ナバール風邪の感染中に無理押しして働こうとする貧困層が減った。具合の悪い時期にしっかり休むことで、仕事への復帰が早まる効果もあったようだ。
最終的に、ナバール風邪の大流行自体は抑えることができなかった。蔓延はした。おそらく「前回」と変わらないくらいに。だが驚くべきことに、ナバール風邪による死者はほとんど出なかったのだった。
パトリスの初動が早かったおかげだ。
貧困層も含め、必要とする全員に特効薬が行き渡った。特効薬の相場は三倍に上がったまま落ち着いてしまったが、それ以上に高騰することはなかった。公爵家の収支としては、ちょうどトントンくらいだったらしい。
二か月近くが経った四月の下旬、この事業は王家が国の施策として引き継ぐことになった。枠組みは、ほぼそのまま。ただし規模を大幅に拡大して、国全体での施策となる。
王家が事業を引き継ぐにあたり、発起人であるフォンテーヌ公爵が国王から表彰された。市民の命をナバール風邪という災厄から守った功績を称えてのことだ。
このことは夕食の席で、パトリスが上機嫌に報告した。
「今日、陛下から表彰を受けたよ」
「まあ、おめでとうございます。何の表彰でした?」
「今回のナバール風邪への対応について、だね。全てはきみの発案だということは、きちんと説明しておいた」
フェリシエンヌは何と返してよいのかわからなくなり、居心地悪く身じろぎした。
彼女はマリウスに漠然としたお願いをしただけだ。それを具体的な施策に変え、破綻なく実現してみせたのは、パトリスとマリウスの政治の腕だと彼女は思っている。
「でも、実際に動いてくださったのはマリウスさまとパトリスさまですから」
「いやいや。物乞いが咳をしていたというだけで、普通はここまで先を見通せるものじゃない。きみだからこそだよ。ありがとう」
「とんでもない。こちらこそ、無茶を聞いてくださってありがとうございます」
フェリシエンヌはマリウスに向かって、心からの感謝を込めて「マリウスさまも」と付け加える。彼は面映ゆそうに微笑んで、「どういたしまして」と返した。
(またひとつ、思い出が作れたわ)
マリウスに微笑み返しながら、彼女は思った。彼女が彼の尽力に感謝していたことを、どうか彼に覚えていてほしい。とても、とても感謝していたことを。
四月二十八日。冬至の日まで、残り237日。




