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二度目の余命300日  作者: 海野宵人


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初めての行儀見習い (2)

 翌日の昼過ぎ、約束どおりデュシュエ伯爵家に迎えに出した馬車に乗って、フェリシエンヌの幼い弟ジェレミーがフォンテーヌ公爵邸にやって来た。もちろん、お目付役の乳母見習いが一緒だ。ついでに、いまひとつ頼りない乳母のサポート役として、しっかり者の侍女アメリーも付いてきた。


 フェリシエンヌはマリウスと一緒に、玄関ホールで弟たちを出迎えた。


「おはよう。よく来てくれたね」

「お招きありがとうございます」


 マリウスの挨拶に、ジェレミーはよそ行きの顔でキリリと挨拶を返してみせた。だが小さな紳士然としていたのは、その一瞬だけのこと。次の瞬間にはもう、かぶっていた猫がはがれてどこかへ行ってしまった。


 期待に輝く目でマリウスを見上げ、うずうずと催促する。


「犬はどこ?」

「犬舎にいる。こっちだよ」


 せっかちな幼い少年を、マリウスは笑い声を上げながら先導した。はしゃいでしまっているジェレミーは、今にも廊下を駆け出しそうだ。アメリーに耳打ちされた乳母が、あわてて少年と手をつないだ。


 マリウスの向かった先は、屋敷の裏庭にある犬舎。裏庭と言っても芝生が広がり、日当たりもよい。


 裏庭の一角に犬舎があり、その周囲は柵で囲われている。犬の世話は、専門の調教師がしていると言う。調教師オラースはよく日焼けした初老の男性だった。マリウスから事前に話してあったこともあり、小さな訪問者を歓迎してくれた。


 相手が子ども好きであることを、ジェレミーは本能的に察したらしい。オラースに引き合わされるが早いか、遠慮なくまとわりついた。


「ねえねえ、どうしてゲートが二つもあるの?」

「ゲートを開けたとき、隙間から犬が逃げないようにするためですよ」

「へえ」


 きちんとしつけた成犬であれば、逃げ出す心配などいらない。けれどもまだ幼い仔犬たちは、ちょっと目を離すと何をしでかすかわからないので、用心が必要なのだそうだ。


 それを聞いて、フェリシエンヌは笑ってしまいそうになった。


(まるでジェレミーの話を聞いているみたい)


 ジェレミーはオラースに連れられて、柵の中に入って行った。乳母も後ろからついて行く。見るからにこわごわと。母犬がこわいのか、あからさまに腰が引けていた。だが中型犬なので、威圧感はない。性格も穏やかで、ほとんど吠えなかった。そうわかると、乳母も緊張が解けたようだ。次第に笑みが浮かぶようになった。


 フェリシエンヌとアメリーは、マリウスと一緒に柵の外側から見学だ。さっそくジェレミーは、仔犬たちと一緒にボールで遊び始める。その様子を眺めながら、マリウスが解説をした。


「おとなしくて人懐こい犬種なんだ。だから子どもとも仲よくできると思う」


 そっくりに見える仔犬たちも、しばらく眺めていると個性がわかってくる。マイペースな子がいれば、兄弟で仲よく一緒に行動する子もいる。そして特に人懐こく、好奇心旺盛な子は、ジェレミーの周りをうろうろしては気を引こうとしていた。


 ジェレミーは、もうすっかり仔犬に夢中だった。これは当分、仔犬たちから離れそうもない。だが見ているだけのフェリシエンヌは、次第に体が冷えてきた。天気がよいとはいえ、まだ三月に入ったばかりなのだ。


 彼女が小さくくしゃみをすると、マリウスはあわてた顔をした。


「おっと、寒いよね。そろそろ家に戻ろうか」

「はい」


 マリウスは彼女の肩を抱いてから、振り向いて少年に声をかけた。


「ジェレミー、僕たちは中に戻るけど、きみはどうする?」

「僕、もっとここにいたい」

「そうか、わかった。ちょうどいい機会だから、犬の訓練方法も教わっていくといい」

「うん! ありがとう!」


 ジェレミーのことは乳母と調教師にまかせることにして、三人は犬舎を後にした。


「マリウスさま」

「うん?」

「ジェレミーを招待してくださって、ありがとうございます」

「どういたしまして。喜んでもらえて、よかったよ」


 フェリシエンヌが心からの感謝を伝えると、マリウスはうれしそうに目を細めた。彼がうれしそうだと、彼女もうれしい。彼女は胸の内で、ある決意を固めた。


(マリウスさまには、たくさん感謝しましょう。どんな小さなことでも機会を逃さずに、必ずお礼を言うの。たったそれだけで、こんなに喜んでくださるのですもの)


 結局ジェレミーは、日が傾いてくる頃まで犬舎に入り浸っていた。


 そして犬舎から意気揚々と出てきたときには、一頭の仔犬を抱えていた。


「ねえさま、見て!」

「まあ。かわいいこと」

「僕の犬! アローって言うんだよ」

「いい名前ね」


 ジェレミーが選んだのは、彼の周りを最初からうろうろしていた仔犬だった。きっと相性がよいのだろう。アローという名前の由来は、足が速いこと。弓矢のように、標的に向かってまっすぐ飛ぶように駆けていくことから名付けたらしい。


 アローは生まれて二か月目を過ぎたところ。基本的なしつけは済んでいるというが、デュシュエ家には犬の調教師がいない。


 ジェレミーにアローを譲った後も、当面の間は週に二回、フォンテーヌ公爵家にアローを連れてきて調教師の訓練を受けることになった。犬の訓練ついでに、ジェレミーの教育も兼ねている。犬を飼う側にも、指示を出す練習が必要だからだ。


 今後のことまで手配済みと聞き、フェリシエンヌは再びマリウスに礼を言った。


「本当に、何から何までありがとうございます」

「気にしないで。これは言ってみれば、賄賂みたいなものなんだよ」


 彼がいたずらっぽくそう言って笑うので、彼女は当惑して目をまたたかせた。


「賄賂、ですか?」

「うん。きみの弟なら、僕の弟も同然だからね。せっかくだから、仲よくしておきたい。仔犬一匹で懐柔できるなら、安いものだと思わない?」


 フェリシエンヌは吹き出した。


 確かにジェレミーから見たらマリウスは「仔犬をくれた、とてもいいお兄さま」だ。そればかりか、定期的に犬舎を訪れる口実まで与えてくれたのだ。間違いなくジェレミーは、これで完全にマリウスに懐いた。彼の作戦勝ちである。

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