第99話「転生者」
099
ファルファリエ皇女が魔術学院をやめる。
やはり彼女は何か深刻な問題を抱えているらしい。
「何かあったんだな?」
質問ではなく確認だ。何もないのに彼女が学院を退学するはずがない。皇帝の意向で留学し、本人も学院生活を楽しんでいたからだ。
しかしファルファリエ皇女は言葉を濁した。
「すみません、スバル殿。私からは何も言えないのです」
「そうか」
彼女は「知らない」ではなく「言えない」と答えた。つまり事情はある程度知っているのだ。
「誰しも事情はある。無理に詮索するのは良くないな」
「ええ……」
うつむくファルファリエ皇女に俺は言う。
「だが聞かせてくれ」
「えっ!?」
予想外の反応だったらしく、ファルファリエ皇女が目を丸くする。
俺はさらに畳みかける。
「詮索は非礼と承知した上で、なお詮索するぞ。何があったんだ」
「だから言えないのです」
「言いたくないのではなくて、言いたいが言えないんだな?」
「それは……。ええ、そうです」
ファルファリエ皇女は溜息をつく。
「私だってこんなに急に学院を離れたくありません。次の微分の試験も楽しみにしていたんですよ」
「そうか……。いや待て、微分の試験が楽しみってどういうことだ」
「楽しいですよ?」
俺は楽しくないぞ。使い魔に全部計算させてるから解き方なんか全部忘れた。
まずいな、三賢者とか呼ばれてる割に大したことないのがバレてしまう。
それはそれとしてだ。
「休学にはできないのか?」
「それは可能ですけれど、その後で退学届を出す可能性が高いですから」
そう言ってファルファリエ皇女は黙った。
俺も何も言わない。しばらく沈黙が続いた。
やがてファルファリエ皇女は金髪を弄びつつ、悩ましげな表情をする。
「スバル殿は、『氷輪花』という花をご存じですか?」
「いや、知らないな」
ベオグランツ語は周辺の言語とだいぶ違うので、単語から類推することができない。
ただ、その単語には見覚えがあった。
ファルファリエ皇女はこう続ける。
「ベオグランツ人の祖先が暮らしていた、遥か北の地にのみ咲く花だそうです。私も実物は見たことがありません。ベオグランツ帝国では育ちませんから」
それっきりまた沈黙するファルファリエ皇女。
ベオグランツ人の祖先、グランツ族は北限の民族だ。気候変動で生活できなくなり、他の民族との争いに敗れて南下してきた。
「ベオグランツ帝国では氷輪花は由緒ある特別な花です。衣服や装飾の意匠にも用いられますが、帝室の血を引く家にしか許されません。花びらの枚数にも細かい制約があり、実物と同じ枚数が許されるのは皇帝だけです」
話が見えないが、俺は黙ってうなずく。
それから彼女はぽつりとこう言った。
「『氷輪花が実を結ぶ』と、故郷から便りがありました」
「ん?」
帝国では育たない花が実を結ぶということは、実際にはありえない。何かの符牒と考えるのが自然だろう。
彼女の事情や話の流れから察すると、一番ありえそうな可能性はこれしかない。
「皇帝が退位するのか?」
氷輪花が皇帝を象徴しているのだとすれば、花が実を結ぶのは枯れるときだ。つまり皇帝が死ぬか衰弱するかして、次世代に帝位を継承することを暗示している。
もちろんファルファリエ皇女は何も答えない。それが言えたら、こんな回りくどい話は不要だ。
「では学院長室に行ってまいりますね、スバル殿」
「ああ」
俺は彼女を見送ったが、最善の選択肢は何か考え続けていた。
* * *
【芽生えた疑念】
皇太子ギュイは久しぶりに導師のもとを訪れていた。
「いかがですかな、即位の準備は?」
「神義庁や諸侯への根回しを進めているところだ。父上の意向ひとつで宝冠を戴けるほど、帝国は単純ではないからな」
ギュイはそう答えたが、緊張を緩めずに導師を見つめる。
「だが本当にファルファリエを呼び戻すのが正解なのか?」
「無論にございます。ファルファリエ殿下はマルデガル魔術学院の者どもに懐柔され、サフィーデの手先となりつつあります。すぐさま帰国させ、言論を封じねばなりません」
「言論を封じるというのは、まさか『殺せ』という意味ではなかろうな?」
「さて、それはギュイ殿下のお気持ちひとつでしょうな」
淡々と応じる導師に、ギュイは不快感を強める。
(やはり危険な人物だ)
「断っておくが、私は一門の者を殺める気はないぞ。ファルファリエとは疎遠だが、父上は伯父上の遺児である彼女に目をかけている」
「それが問題だと、おわかりになりませんか」
導師は冷たく言い、机上で指を組んだ。
「いずれ帝室は新帝派と先帝派で対立しましょう。ファルファリエ殿下は明らかに先帝派。しかも不都合な真実を知る立場にあります。彼女が帰国すれば、自分の手紙がすり替えられていたことに気づきますぞ」
「貴様っ……! その件なら何の心配も無いと申しておっただろうが!」
「はい。真実に気づいたところで、物言わぬ身になっておれば何の心配もありません。違いますかな?」
(こいつ、私をハメる気か!)
目の前の導師は味方ではない。あくまでも導師自身の都合で皇太子を利用しているだけだ。そのことは薄々わかっていたが、ここに来てあからさまに態度が尊大になってきた。
危険な兆候だと、ギュイは判断する。
「導師よ、お前には問いただしたいことがある。以前、お前は私に幾つものグラフを見せたな?」
「はい。正確無比なグラフです。視覚表現の誇張などはしておりません。何かお疑いですかな?」
「そう、あれは間違いなく正確無比だった。だがそれがおかしいと気づいたのだ」
ギュイは導師に詰め寄る。
「あの数字は正確すぎる。機密扱いとなった書類まで閲覧していなければ、あの数字は出せないだろう。グリュスノの大冷夏もサプリスの蝗害も、書類上は軽微な損害に修正されているのだぞ」
帝国内部の動揺を防ぐため、大災害による減収や犠牲者は過小に発表されるのが常だ。本当の数字は機密とされ、帝室内部文書にのみ記載される。
ギュイは険しい表情で問いただした。
「帝室の機密文書を閲覧する際には、必ず日付と氏名と閲覧理由が記録される。だがお前の名はない。お前はどこであの数字を知った?」
「別に機密文書を閲覧はしておりません。そのような必要もありませんから」
「ではどこで知った?」
「知ったも何も」
導師はクククッと笑う。
「グリュスノの大冷夏もサプリスの蝗害も、帝室に報告したのはこの私ですので」
「馬鹿を言え。グリュスノの大冷夏は二十年前だ。サプリスの蝗害に至っては四十年も前だぞ」
ギュイは即座に否定してみせたが、背筋がゾクリと凍るのを感じていた。
こいつは嘘をついていない。なぜかそんな気がする。
「……ありえん。ありえるはずがない」
ギュイは震える指で導師を指差す。
「お前はまだ十八だろう?」
導師が魔術師のフードを取り払う。
そこには十代後半の少女の顔。まだあどけなさすら残る顔立ちに、ニヤリと歪んだ笑みが浮かぶ。
「そうですが、何か?」
帝立神学校で神童と呼ばれていた少女に尋常ならざる才気を見いだし、重用したのはギュイ自身だ。
しかし当時未成年だった少女をいきなり仕官させれば、世間から妙な誤解を受ける。
そこでギュイは、彼女を正式に召し抱えることは避けた。彼女の本名は書類上どこにも記載されていない。
ギュイの側近たちに対しても、「導師」という高齢男性を思わせる呼称で通している。
導師はゆっくり立ち上がる。
「おかしいと思いませんでしたか? 神学校に在籍する小娘が、帝国の誰も知らないような魔術に精通していることを」
何かがおかしいとは思っていたが、それよりもギュイは自分だけのブレーンが欲しかった。帝室に近い将軍や神官では皇帝グスコフ二世の意向に逆らえない。
だから違和感には目をつぶり、この学識豊かな少女に敬意を払って今日まで知恵を借りてきた。
「お前の経歴は調べたが、どこにも異常はなかった。お前は生まれも育ちもベオグランツで、どこにでもいる平民の子だ」
導師は薄く笑っている。
「しかしそれでは実力と経歴のつじつまが合いません。違いますか?」
たった十八年でこれほどの魔術を使いこなし、あらゆる知識に精通することは不可能だろう。
年齢を偽っている訳でもない。優れた師がいる訳でもない。
だとすれば、可能性はひとつだ。
ギュイは問い詰められ、最も恐れていた言葉を口にするしかなくなる。
「ではお前は……、お前は『生まれたのは十八年前だが、実際は十八年以上生きている』ということか?」
「さよう。さすがは聡明な皇太子殿下です」
余裕の表情で導師は軽く会釈してみせた。
「私は賢者ラルカンに学び、神秘の大書庫にて転生術を会得した魔術師。生まれもった体はとうに朽ち果てましたが、新たな赤子に転生し、幾度も人生を織りなして参りました」
珍しく誇らしげな口調。どこか自分に酔いしれているようでもあった。
「そうして何十年……いや何百年も生きてきたと言うのか?」
「さようにございます。誰かが私を亡き者にしたところで、いずれ必ず殿下の御前に参上いたしますぞ」
それは遠回しではあったが、明らかな脅迫だった。
誰かが、例えばギュイが導師を殺したとしても、導師は別の人間に転生して蘇る。誰に転生したかはギュイにはわからないだろう。そして報復を受けることになる。
「貴様……」
「おっと、そう怖い顔をなさらずに。私は殿下の忠実な協力者です。殿下に失脚されては私も困りますからな」
クスクス笑いながら導師はギュイに問いかける。
「さて、これで私を排除するという選択肢は消えたでしょう。どうなさいますかな、聡明な皇太子殿下?」
* * *




