第90話「皇女は踊る」
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式典では生徒代表として俺がゼファーの挨拶文を代読した。もっともこの挨拶、俺が文面を考えたので俺の挨拶でもある。当たり障りのない眠たい挨拶文だ。
それよりも大事なのが、留学生として登壇したファルファリエ皇女だ。
「皆さん、はじめまして。ベオグランツ帝国皇女、ファルファリエ・ファルマーニェ・フィッツ・ノイゼンデルヒ・ベオグランツです」
優雅に挨拶したファルファリエは、穏やかに微笑みながらスピーチを始めた。
「留学生としてマルデガル魔術学院で学ぶ日々は、とても新鮮で喜びと驚きに満ちあふれています。これほど素晴らしい学院にいられることを帝室と王室に感謝しています」
あくまでも一生徒のスピーチ。
だがこの言葉に外交的な影響力がないとは誰も思わないだろう。
ファルファリエ皇女はマルデガル魔術学院を称え、サフィーデ王室に感謝し、両国の平和と発展を「個人的に」願いながらスピーチを締めくくった。
そう、「個人的に」だ。
『ファルファリエに戦争する気がなくても、それとは全く無関係に戦争は起きるからな』
『そうね。そのときは彼女、どうするつもりかしら?』
『帝室のために死ぬ覚悟ぐらいはありそうだな。もちろん、そんなことはさせないが』
たとえ戦争になっても、皇女を安全に帰国させるぐらいの人道的配慮はあってもいい。彼女はまだ子供だ。
スピーチの後、歓迎式典は出席者の談話と舞踏が始まる。サフィーデ王室の宮廷楽団による演奏が流れ、なかなか良い雰囲気だ。
魔術学院の生徒は貴族や豪商、富農などの子弟が大半だ。そして半数が女子。
一方、軍の下士官や貴族将校たちは全員が若い男。恋のひとつも生まれそうだな。
ふと見ると、トッシュもアジュラと何か言い合っている。
「いや、踊るのが嫌な訳じゃないんだけどさ」
「じゃあ何なのよ」
ぐいぐい詰め寄ってくるアジュラを前に、トッシュは情けない笑みを浮かべていた。
「俺、田舎育ちだから舞踏なんてやったことがないんだよ。オトゥモ神の奉納の舞いならできるけど」
「あら、そんなのいいじゃない」
アジュラは露出度の高いいつもの服装で笑う。
「私も火の精霊を称える踊りしか知らないわよ?」
「じゃあ一緒に踊りようがないだろ!?」
トッシュが珍しくツッコミに回っているということは、あの二人なかなか良い感じだな。
するとアジュラがトッシュの手を取る。
「だから一緒に練習したらいいじゃない? ほら、やろ?」
「お、おう……」
サフィーデの伝統的なリズムに合わせて、二人がぎこちなく踊り始める。
甘酸っぱいな。こっちが照れくさくなるぞ。
『若いってのはいいな』
俺が念話でマリエに語りかけると、マリエは壁際の椅子に腰掛けたままそっけなく返す。
『羨ましければ一緒に踊ってきたら?』
なんでそこで冷淡に返すのかな。
俺はこういうとき、どう返せばいいのか何となくわかる。
『一緒に踊るか?』
『えっ!?』
あれ、予想と違う反応だぞ。やっぱりこいつ、さっぱりわからん。
マリエはそわそわと周囲を見つつ、落ち着かない様子で返事してくる。
『そうね……まあ、たまにはそういうのも悪くないかしら』
『だろ? せっかく若返った体だ、たまには人生を楽しもう』
人生を楽しむことを忘れてしまった兄弟子たちは、だいたいみんなストレスが原因で亡くなっている。賢者などと呼ばれようが、しょせんは生身の人間だ。休養は欠かせない。
『ではお嬢様、一曲いかがかな?』
『やめなさい、そういう軽口は』
凄い顔で睨まれた。
マリエの手を取って椅子から立ち上がらせたとき、俺は不意にファルファリエ皇女に気づく。
『おや?』
『どうしたの?』
怪訝そうな顔をしているマリエに、俺は念話で教えてやる。
『せっかくの貴賓なのに、ファルファリエ皇女が誰とも踊っていない』
『みんな萎縮してるのかしらね?』
『ああ、帝国の姫君だからな……』
こんな公式の場で彼女に何かあれば、外交問題になってしまう。
それにファルファリエ皇女は帝国の貴人。この場にいる貴族や軍人や役人にとっては明確な敵だ。変に親しくしてしまうと、後々立場がまずいことになるかもしれない。
だから迂闊には近づけない。
たぶんそんなところだろう。
マリエが俺をちらりと見る。
『踊ってあげないの?』
『サフィーデの宮廷舞踏なんか俺は知らんぞ。それに』
『それに何よ?』
『いや……』
俺がファルファリエ皇女に絡むと、マリエがメチャクチャ怖くなるので行きづらい。
さすがにこいつが嫉妬しているとは思えないので、「あまり敵陣営に肩入れするな」ということなんだろう。それも一理ある。
とはいえ、敵国で独りぼっちのお姫様が歓迎会でも独りぼっちというのは、さすがに気の毒だ。そこまで割り切れない。ファルファリエ皇女は大人ぶっているが、まだ多感な年頃だ。
『まあ俺が下手なダンスを披露したところで、ささやかな生き恥がひとつ増えるだけだ』
恥なら山ほどかいてきた。今さら気にしても始まらない。
『タロ・カジャ、舞踏の支援を頼む。サフィーデ流宮廷舞踏のステップを俺の視野に投影しろ』
『はぁい』
これで何とか踊れるだろう。
準備ができた俺はファルファリエ皇女に歩み寄ると、彼女に声をかける。
「良ければ一曲どうかな、ファルファリエ殿下?」
ファルファリエ皇女は少し……いや、結構驚いた顔をしていたが、公式の場で彼女がミスをするはずがない。すぐににっこり微笑んだ。
「ええ、ぜひ」
ファルファリエ皇女のサフィーデ流宮廷舞踏は、実に洗練されたものだった。俺は視界に投影されるステップをぎこちなく踏むだけだが、後の動きはファルファリエ皇女が自然にサポートしてくれる。
「うまいもんだな」
「ベオグランツの皇女として、サフィーデの文化に敬意を払うのは当然のことですから」
優等生的な答えを返してくるファルファリエだが、やはり「偽証」の術には反応しない。完全に本心で言っている。大したお姫様だ。
「それよりもスバル殿は、ダンスはお嫌いなんですか?」
「嫌いではないが、習ったことがない」
ゼオガは東方にルーツを持つ文化圏だったので、サフィーデのリズムや身体表現とはなじみがない。見たことはあるんだが、実際にやろうとするとなんか違う。
今も視界に表示されるステップを踏むのが精一杯で、他の動きはファルファリエ任せだ。彼女にリードされっぱなしだった。
「くるりと回りますよ」
「ああ」
言われるがままにくるりと一回転。次はどうすればいいんだろうと思っていると、ファルファリエの手が自然に俺の手を取る。また踊り出す俺たち。
「ふふ」
ファルファリエがおかしそうに笑っているので、俺は少し気まずい。
「笑わないでくれ」
「すみません。でも武芸の達人であるスバル殿が、ダンスに苦戦しているのがおかしくて」
悪かったな。戦うための体の動きとは違うから、どうにもうまくいかない。
「失礼しますね」
いきなり腰に手を回される。おい待て、これ俺が女性側になってないか?
「調子に乗るな」
「社交は戦場ですよ」
くるくる回される俺。
だが傍目にはうまく踊っているように見えるらしく、いつしか他の踊り手はいなくなっていた。みんなが俺たちを見ている。
「最後はスバル殿が」
「えっ? あ、ああ」
ファルファリエの背中に手を回し、演奏が終わると同時にぴたりと決めポーズ。
「さすがはファルファリエ殿下」
「魔術学院の英才、ジン殿もお見事です」
本気か世辞かわからないが、拍手が巻き起こる。
どうやら貴族や軍人たちも少し警戒心を解いた様子で、ファルファリエ皇女に近づいてきた。あれやこれやと世間話が始まる。
「良かったな、じゃあ俺はこれで」
「あっ、スバル殿!?」
ファルファリエ皇女が名残惜しそうな声をあげたが、俺はマリエの視線が気になっていたのでその場を離れる。
マリエはふくれっ面でワインをがぶ飲みしており、目が完全に据わっていた。
あれはヤバい。
マリエの機嫌をどうにかしなくてはと思いつつ、俺はふと違和感を覚えて背後を振り向く。
するとちょうどスピネドールが退室するところだった。王室の侍従が案内している。どこかに向かうようだ。「叔父さん」と会うのだろうか?




