第88話「王都への行軍」
088
それからしばらく様子を見ていたが、ファルファリエ皇女は自分の手紙を奪われたことに気づいていないようだった。
そういやあの手紙、返信は不要だと書いていたな。返事がなくてもわからないか。
俺はマリエとお茶をしながら相談する。
「ファルファリエに教えてやりたいんだが、そうなるとどうして手紙を奪われたことを知っているのか、説明する必要が出てくるからな」
「ずいぶん優しいのね」
なんだか機嫌が悪いぞ。なんだなんだ。
マリエは紅茶の湯気の向こうから、不機嫌そうなまなざしで俺を見つめてくる。
「帝国の手先であるあの子が何も気づいていないのなら、サフィーデにとっては良いことなんでしょう? あの子に危険が迫っている訳でもないし、何を気に病むの?」
「知っているのに教えないというのは、思ったより罪悪感が強くてな……」
そういや師匠も同じようなことを言っていたな。だから何でもかんでも詳しく教えてくれた。
とはいえ教える訳にはいかないのは、俺もわかっているつもりだ。
「ま、何も起きないのならそれに越したことはない。その間にサフィーデは近代化された軍隊を揃え、俺たちは通信を担う魔術師を育成する」
「今の二年生を叩き直して卒業させるまで、あと一年ちょっとしかないわ。急造のカリキュラムは穴だらけだし、心配ね」
今の二年生は一年次に旧課程で勉強してきたので、破壊魔法の投射はできるが念話はさっぱりだ。残り一年ちょっとでどこまで伸ばせるかわからないが、もう時間がない。
「念話の性質上、ある程度の数を揃えないとネットワークが作れん。個々の質は最低限でいい。頼むぞ」
「はいはい、任せといて」
マリエは溜息をつく。
「それでサフィーデ軍の方は大丈夫なの?」
「ディハルト将軍が急いでくれてはいるんだがな」
俺も溜息をつく。
「火縄銃が足りないんだ。ついでに言えば火薬も鉛も足りない」
「全部足りてないじゃない」
「火縄はあるぞ。材料の木と鉄もある。ただ、職人が足りない」
刀鍛冶や鎧鍛冶は十分いるんだが、鉄砲鍛冶となるとサフィーデにはほとんどいない。儲からないからだ。
「技術者は急には養成できん。戦列歩兵部隊はできたが、銃が足りなくて俺が鹵獲した銃を提供している有様だ」
それでも足りないので、サフィーデ軍の兵士は射撃訓練ができずに隊列や行軍の演習ばかりしているという。
「ベオグランツ帝国に行けば鉄砲鍛冶も山ほどいるんだが、帝国軍がガッチリ囲い込んでいるから引き抜けば外交問題になる」
「そっちは私やゼファーにはどうしようもないわよ?」
「わかってる」
どうしようかなあ。
今度またディハルト将軍に相談してみるか。
するとタロ・カジャが急に会話に割り込んできた。
「あの、あるじどの。サフィーデ軍関連でマリアム様に御報告することがあると思うんですけど」
「ん? ああ、忘れてた」
懸念事項だらけでうっかりしていた。俺はマリエに言う。
「王室がまた妙なことを言い出した」
「今度はなに?」
「ファルファリエ皇女を王都まで連れてこいとか言ってるんだ。適当な口実をつけてな」
するとマリエが形の良い眉をひそめる。
「まさか暗殺するつもりじゃないでしょうね?」
「さすがにそれはないだろう。王室だってそんな馬鹿なことをすればどうなるかぐらい、ちゃんとわかっている」
俺は成り行きで王室に味方しているが、王室がそんなバカの集まりならもちろん見捨てる。何よりもファルファリエ皇女はまだ子供だ。どこの陣営であれ、子供を殺させるつもりはない。
腕組みしつつ、俺は自分なりの推測を口にする。
「たぶんだが、王室はファルファリエ皇女を内政に利用するつもりなんじゃないかな」
「外国の皇女を内政にどうやって使うのよ」
「サフィーデ国内には反王室派や親ベオグランツ派の貴族もいる。王室が帝国の皇女を連れてくれば、そういう不穏な連中も黙るはずだ」
留学生の皇女は、貴族たちにさまざまな憶測と動揺を生むだろう。その多くは王室の権威を高めるはずだ。なんせ敵国の姫様を自分の手元に置いてるんだからな。
そんな説明をした上で、俺は溜息をつく。
「だから今年の行軍演習は予定を変更する。旧ビアジュ領シュナン村ではなく、王都に行くことにした」
「その方が生徒も喜ぶわね」
観光旅行じゃないんだけどな。
宮殿見学はするけど。
「本当は国境地帯に行かせたいんだが、下見のときみたいに戦が起きたら困る」
「学院から遠いものね。帝国軍が侵攻してきたら生徒の避難も間に合わないでしょうし」
「そうなんだよ。だから王都にしておこう」
王都周辺は王室と譜代の貴族たちがガッチリ押さえているし、まあ大丈夫だろう。学院からの距離もちょうどいい。
「サフィーデ王立軍が誇る最新の戦列歩兵部隊も見学させるつもりだ。ちゃんと火縄銃が配備されてる部隊を」
マリエが首を傾げる。
「あなた軍隊嫌いでしょう? いいの?」
「いいも悪いも、この学院は通信士官の養成学校だからな……」
ゼファーも渋い顔をしているが、スポンサーの意向には俺たちだって逆らえない。
「お前も一年生だから行軍演習で王都まで行くことになるが、二年生の主任教官の方はうまいこと都合をつけてくれ」
「講義は他の教官に振り分けておくわ」
二年生は行軍演習どころではないので、学院周辺の山で一泊の野外訓練をして終わりになった。あいつらは卒業までの猶予がないので、カリキュラムがギッチギチだ。
早いとこ一年生を鍛え上げないと、二年生だけじゃサフィーデ軍の通信網が不安だ。
「たぶん王室はついでに一年生たちの仕上がり具合を確かめるつもりだろう。念話の通信網を維持するには数が必要だ。トップエリートだけじゃ戦えない」
「そうね。なんのかんの言っても、お金を出してるのは王室だし……」
マリエは溜息をつく。多くの研究者はスポンサー探しに奔走しなければならないので、こいつもいろいろあったんだろう。
そしてさらに一ヶ月ほど経ち、マルデガル魔術学院の一年生は王都イ・オ・ヨルデに向かって出発した。
「これは観光じゃないぞ。王都への緊急出動を想定したものだ。指導員として王立軍の士官も同行するが、これはファルファリエの護衛も兼ねている。重要な任務だ、気を引き締めろ」
そう言って厳しい顔をしているスピネドールに、トッシュがおずおずと口を挟む。
「あのスピ先輩」
「スピ先輩っていうな。なんだ?」
「先輩、二年生ですよね? これ一年生の演習なんですけど」
するとスピネドールは厳しい顔のまま、少し顔を赤くしてそっぽを向いた。
「王都にいる叔父上がどうしても来いというので、学院長の許可をもらったんだ」
「凄い叔父さんですね」
「まあな」
お前の叔父さん、国王だもんなあ。しかもあの王様、姉を溺愛しているシスコンだ。甥っ子のことも可愛くて仕方ないんだろう。
俺はなんだかおかしくなり、背負っている責任の重さを少しだけ忘れることができた。
それにしてもファルファリエ皇女の手紙、相変わらず途中で奪われるんだよな……。伝令が殺されまくってるのに、帝国軍は何も対策しないのか?
どうにも不安だ。
俺が動かせる諜報員はジロ・カジャだけだ。だが高位の魔術師相手には為すすべがない。敵に奪われたら、あいつに使われている高度な技術を奪われてしまう。
帝国領に何度も送るのは危険だ。
「できることをやるしかないか……」
「何してんの、ジン? 行くよ?」
楽しげなアジュラにポンと肩を叩かれ、俺は背負っている責任の重さを再認識するのだった。
これ、どうすりゃいいんだ……。




