第86話「破られた封印」
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ファルファリエ皇女が「故郷の叔父上」に出した手紙は、どうやら無事に国境を通過したようだ。俺がかけた『追跡』の魔法は、手紙の封印が帝国領内に入ったことを示している。
彼女の叔父は皇帝なんだけどな。
俺が自室で手紙を追跡していると、マリエが勝手に入ってきた。
「どう?」
「お前、また周囲の認識を狂わせて男子寮に入ってきたのか」
「別にいいでしょう? それで手紙は?」
「移動速度も安定しているし、このまま無事に届きそうな感じだな」
手紙の内容については、学院長であるゼファーの判断で「国防上必要な検閲」としてチェックさせてもらっている。
文面は以下のようなものだ。
叔父様
お久しぶりです。ファルファリエにございます。叔父様の猟犬たちは元気にしていますか? 黒毛の子とまた会いたいです。
マルデガル魔術学院での生活はとても新鮮で、毎日が発見の連続です。
数学の講義が大変多くて驚きました。学問の水準が高く、講義中にも教官からよく質問されますので緊張しています。
まだ魔法の講義は始まっていませんが、『念話』という魔法を重点的に学ぶようで今からとても楽しみにしています。これがあればきっと、叔父様に直接御報告できますね。
生徒にはサフィーデの富裕層の他にも、外国からの留学生の方もおられます。ミレンデから来ているナーシアさんと仲良くなりました。国際交流は良いものですね。みんなとても親切です。
スバル殿だけはあまり仲良くしてくれませんが、親切にはしてくれています。どこか不思議で、私には計り知れない部分があるように感じられました。
まだまだお伝えしたいことはありますが、化学と史学の課題がありますのでまた今度にしますね。
叔父様は御多忙でしょうから、返信は結構ですよ。
どうかお体にお気をつけて。
「微笑ましい手紙ね」
マリエがつぶやき、それから肩をすくめてみせる。
「そして巧妙な報告書ね」
「そうだな……」
俺はファルファリエ皇女の手際に感心しつつも、少し困る。
「学院の講義が発問を多用する双方向的なものであることや、数学を重視していること、そして『念話』の存在と利用方法についても、実にうまくまとめている」
それにミレンデ人が留学していることも重要な情報だ。留学生の実家はかなりの富裕層に決まっている。これも外交のネタになるだろう。
マリエも口元に指を当て、じっと考え込む。
「この文面を検閲してしまうと、やっぱり問題が起きるかしらね?」
「一読しただけだと、本当にただの私信だからな。これぐらいの内容なら他の生徒たちも書いているだろう。ファルファリエ皇女だけダメだとは言えんよ。表向きは同盟国のお姫様だ。なかなか大したもんだな」
やはりあの子は頭がいい。なるほど、皇帝がわざわざ送り込んできた訳だ。
「ジン、あなた感心してる場合じゃないでしょう?」
「いやいや、感心すべき点はまだあるぞ。この冒頭の挨拶もかなり怪しい」
「冒頭の挨拶って、猟犬がどうとかいう部分?」
マリエは軽く首を傾げて、ぽつりと言う。
「確かにここだけ情報に意味がないわね。挨拶なんてそんなものでしょうけど……」
「符牒かもしれない」
「だったら黒毛の猟犬はあなたのことかもね」
そう言ってマリエが俺の髪を見る。若返った俺の髪は、ゼオガの民に多い黒色だ。
とはいえ、サフィーデ人にも黒髪は多い。
「まさかそんな単純なものじゃないだろう。だが確認する方法がないな」
前もって打ち合わせている符牒の場合、暗号表がないと解読できない。そしてファルファリエ皇女ぐらいの記憶力と慎重さなら、暗号表は持ち込んでいないだろう。
「参ったな。ゼオガ間者が使う符牒には『以降は五番の暗号表で解読せよ』みたいな厄介なヤツもあった。そういうのだとお手上げだぞ」
「そうね、さすがに使い魔の演算能力でもそれは無理だし……」
思案顔のマリエが、ふと首を傾げた。
「他にはどんな暗号があるの?」
暗号に興味を持ったらしい。
「わざと書き損じる方法があるな。書き損じた文字やその位置が符牒になる」
「あら、面白いわね」
そう言われるといろいろ話したくなってくるな。
「暗号だけでなく、封筒に細工する手もある。封筒の糊付け面に小さな文字で書いて、剥がしやすい糊で貼るんだ」
「普通、封筒の方にメッセージがあるとは思わないものね。他には?」
まだ話さなきゃいけないのか?
「ずいぶん前に壊滅させた暗殺教団は指令書の本文がダミーで、罫線が通信文だったな。手書きの罫線の強弱がモールス信号のようになっていたんだ」
「モールス信号?」
「『書庫』で調べろ」
あのときはまだ兄弟子のアーティルが存命だったので、解読装置を作ってもらった。おかげで組織を壊滅に追い込むことができたな。懐かしい。
「他にも火で炙ると文字が浮かび上がる手紙もあるが、あれは勝手に変色することがあって……」
そんな話をしかけたとき、不意にタロ・カジャが叫ぶ。
「あるじどの、『追跡』の魔法が反応しています!」
「なに?」
「えーとですね、これはたぶん手紙が開封された感じですね。蜜蝋の封印が剥がされているという情報が入ってますから」
おかしい、早すぎる。
同じことはマリエも感じたらしく、カジャに問う。
「まだ帝都には着いてないわよね?」
「たぶんそのはずなんですけど、ベオグランツ領の正確な地図がありませんので……」
俺の魔術書に表示されているマーカーは、地図の外で光っている。サフィーデ国内の正確な地図は王室からもらっているが、帝国領の分はない。正確な地図は軍事機密だからだ。
「街道と都市の略図ぐらいしかないから、どこの辺りかはさっぱりわからんな」
だからこの惑星の正確な地図を作っておこうとあんなに言ったのに。ゼファー以外誰も興味を示してくれなかった。
「移動速度と休止時間を見る限り、移動手段は馬だ。それも騎手と馬を交代させていた可能性が高い。その場合、野宿はまずしないだろうから……」
俺は行商人向けの略図で、それらしい地点を示す。
「開封された地点はおそらく、宿場町ダラウと交易都市ファルガオンの中間点。深い森の中だ。こんな辺鄙な場所に皇帝がいるとは思えん」
「ということは、手紙は何者かに強奪された?」
「そうだろうな。代理人が受け取ったとしても開封はしないだろうし」
俺はそう言いながら地図を見たが、マーカーは動きを止めている。
マリエが首を傾げた。
「動いてないわね」
「これは手紙じゃなくて封印の蜜蝋の位置情報だからな。たぶん封筒は破棄されたんだろ。手紙は行方不明だ」
するとマリエが俺を軽く睨む。
「なんで便箋じゃなくて蜜蝋に魔法をかけたのよ」
「いや、今回一番重要なのは開封された地点だから……」
まさか皇女の私信を強奪する命知らずがいるとはな。ベオグランツ帝国はああ見えて治安が良く、山賊や追い剥ぎの類は意外と少ない。
「早馬を使えるのは富裕層だけだ。今回はベオグランツ軍が輸送していたはずだから、軍の伝令を襲撃したことになる。どう考えても普通の追い剥ぎじゃない」
サフィーデでもそうだが、軍の伝令は相応の強者が任命されることが多い。
マリエが不安そうな顔になる。
「じゃあこれ、反皇帝派の皇族か貴族の仕業かしらね?」
「そう考えた方がいいかもな」
俺は頭を掻き、それからジロ・カジャを呼び出した。
『ジロ・カジャよ。ファルファリエ皇女監視の任務を一時中断する。ただちに指定の座標に向かえ』




