第84話「魔女の就任」
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「それで、ファルファリエ皇女の様子はどうだ?」
ゼファーが紅茶を飲みながら……正確には紅茶を冷ましながら尋ねてきたので、俺は少し誇らしげな気持ちで答える。
「よく勉強している。勉強会にも欠かさず参加しているし、空き時間は図書館や自室で自習しているようだ。予想以上だな」
「非常に良い兆候だな。……待て、そうではない」
ゼファーは紅茶を一口飲もうとして、ふと困ったような顔をする。
「確かに大変喜ばしい話だが、彼女はベオグランツの密偵でもある。そちらの話を聞きたかったのだが」
「なんだ、そんなことか」
俺はソファにもたれながら天井を仰ぐ。
「今のところ、外部と連絡を取り合っている様子はない。手紙も出していないしな。むしろ手紙のひとつも出してくれた方が助かるんだが」
「魔法で追跡するつもりか」
「そうだよ」
ちゃんと届いたかどうかは確認してやらないとな。
ついでに宛名の誰かさんの居場所も突き止められるし、一石二鳥だ。
ゼファーは紅茶が冷めるのをじっと待ちながら、考え込む様子を見せる。
「ジロ・カジャのレポートは私も見た。学院内では不審な挙動もなく、ほとんどの場合は他の生徒と行動を共にしている」
「彼女は人気者だからな。皆に慕われているよ。さすがは皇女様だ」
「だからそうではなくだな」
ゼファーは溜息をつき、軽く首を振る。
「諜報戦はお前だけが頼りなんだぞ? 外交や政治のことは私にはわからん」
「今のところは問題ないから心配するな。それよりも彼女の学力向上は素晴らしいぞ」
俺は成績処理用の本を開き、試験結果の一覧を浮かび上がらせる。
「やはり基礎となる語学と数学の力があるのは大きいな。難解な学術書もすらすらと読み解くし、論理的な思考もできる。これで物理法則への理解が深まれば、より効率的に魔術を修得して使いこなすだろう」
ゼファーは俺の顔をじっと見ていたが、やがてこう言う。
「お前が入門したときはとんでもない暴れん坊が来たと思ったが、そのお前が誰よりも師匠の影響を受けたようだな。師匠の魂が乗り移ったのかと思ったぞ」
「過分な褒め言葉だな。ありがたく受け取っておくぞ。もちろん彼女の監視は継続する」
俺はそう言って茶菓子を頬張り、紅茶で流し込んだ。
「ファルファリエ皇女は今、学院に溶け込むことに専念している。年単位で留学する以上、性急に情報収集する必要はない」
「では勉学に励むことは、彼女の本来の目的と合致しているな」
そう言ってゼファーがうなずく。
ファルファリエ皇女は本来の目的を忘れていない。彼女は帝室のためにここで情報収集をするつもりだ。
そのためにはまず、少々のことでは怪しまれないように周囲の信頼を得ておく必要がある。
その近道が勉強に専念することだと考えたのだろう。そう思うように俺が仕向けた部分もある。
「俺がファルファリエ皇女を勉強へと誘導したのは、二つの理由がある。ひとつは外交的な理由だ」
「確かに、学院側に落ち度があってはいかんからな」
「ああ。表向きはベオグランツは同盟国だし、相手は帝位継承権を持つ皇女様だ。きちんと学問させんと俺たちの責任問題になる」
帝国側は俺たちが何かやらかすのを待っているはずだ。うまくいけば外交問題にして、あれこれと要求を突きつけてくるだろう。
「もうひとつの理由は、彼女に帝国側の交渉相手になってもらうことだ」
「懐柔する気か?」
「いや違う」
俺は首を横に振る。
「ファルファリエ皇女がここで学問を修めれば、対サフィーデ外交の重要な地位に就けるだろう。こちらとしても顔見知りが相手だと話がしやすい」
サフィーデだけでなくベオグランツにとっても利益になる。サフィーデとの交渉がスムーズになり、交渉中の誤解も減るからだ。
俺がそう説明すると、ゼファーはうなずきながら紅茶を一口飲んだ。
「ファルファリエ皇女は我々の喉元に突きつけられた剣だったが、それをうまく利用しようというのだな。それも皇女が不幸にならない方法で。そうだろう?」
「そうだよ。教え子を不幸にしたら師匠に顔向けできん」
「だがそうなると、サフィーデの軍事力を強化する意義が薄れてきたな」
「いや、軍事力の強化は必要だ。ベオグランツはグランツ王国時代から国土を拡大し続けてきた。こちらも武力を誇示し、侵略が困難だと思わせないと交渉にならんぞ」
なんだか獣じみているが、ベオグランツ帝国は常に腹を空かせている猛獣だ。征服を繰り返し、被征服民に負担を押しつけることで内政の帳尻を合わせてきた。
もし侵略をやめてしまえば、いずれ国庫が空になるだろう。
ゼファーは溜息をつく。
「難儀な国だな。ではサフィーデの軍事力はどうだ? お前の意見を聞きたい」
「まずまずといったところだな。そちらはディハルト将軍に任せているが、彼の手腕は戦場以外でも確かだ」
「報告書は読んだ。諸侯の私兵を吸収し、王立軍として再編成したそうだな」
「見てくれだけは立派になったな。だがベオグランツのような近代的な軍隊に育て上げるには、まだまだ時間がかかるだろう」
ベオグランツ帝国は兵士にそれなりの給料を払っており、職業としての歩兵が存在している。だから常備軍の兵力が多いし、練度も士気も高い。
若くて健康な何万人もの男たちに農作業をさせず、逆に飯を食わせている訳だ。これはなかなか贅沢なことで、それなりに豊かな国にしかできない。
一方サフィーデはといえば常備軍が乏しく、農民に臨時の兵役を課してやりくりしている。だが農民兵は農閑期しか戦えないし、自分の農地から離れられない。
そして人口や生産力では、帝国の方が圧倒的に上だ。
どこを取っても勝てる要素がない。
だから俺はこう言う。
「鉄錆平原だけ守っていればいい訳ではないし、兵力は慢性的に不足している。そして労働人口が急に増えない以上、兵力不足が解決する見込みはない」
「どうする気だ?」
どうするもこうするも、足りない兵力で何とか回すしかない。
「念話による通信で軍の配置を効率化し、必要な場所に必要な兵力を割り振る。機動防御の概念を国全体に適用する」
鉄錆平原に敵が現れれば近隣の兵力を結集して迎撃し、どこかの山を越えて敵が現れればその近くにいる兵力を差し向ける。索敵と通信の速度が高まると、少し遠い場所にいる部隊でも迎撃に間に合う。
それを聞いたゼファーは少し考えてからうなずく。
「要するに『小さな盾』を素早く動かすことで広い範囲を守るのか」
「そうだな。『盾』を大きくできない以上、他に方法がない。だがこの方法を採用すれば、もはや念話による通信なくして国を守ることは不可能だ」
俺はニヤリと笑う。
「つまり魔術師はサフィーデにとって不可欠の存在となる。マルデガル魔術学院は国防の要となり、潤沢な予算を獲得できるだろうな」
「なかなかに狡猾だな。だが合理的だ。そして私には唯一の正解に思える」
「俺もそう思ってるよ」
問題はこの方法がまだ十分に機能しないことだ。
念話通信網は魔術師によって維持されるが、人数が全く足りていない。ディハルト将軍の報告によると、今は鉄錆平原と王都イ・オ・ヨルデをつなぐ一本の線でしかない。
「国中に通信網を張り巡らせるには、最低でも数千人の魔術師が必要だ。今のペースでは百年かかっても終わらん」
退役や戦死でいなくなる魔術師の分も補わないといけないので、学院の規模拡大は急務だろう。しかし教官が足りない。
するとゼファーは少し考えながら言った。
「カリキュラムと指導方法を改良すれば、より多くの魔術師を育てられるかもしれんな。例えば国境地帯から遠い場所に勤務する魔術師なら、軍事教練は不要だ」
「ああ、確かにな。通信網の中継地点は文官で十分だ」
そんな後方で戦闘が起きている状況なら、どのみちもう勝ち目はない。
俺は自分の考えが少し軍事偏重だったことに気づいて頭を掻く。
「必要ない訓練は省いてどんどん人員を増やそう。両国の同盟が失効もしくは破棄される前に、通信網を完成させる必要がある」
ゼファーはうなずき、サラサラとメモを取る。
「まずは今の二年生たちだ。最も早く現場に出る彼らには、王立軍の通信網を支えてもらわねばならん」
「二年生か……」
正直あんまりいい印象がないんだよな。特待生の大半はボンクラ御曹司だし。一般生はまともだと思うけど。
「あいつらを一人前に叩き直すには、厳しさと優しさを備えた高位の魔術師が必要だ。もちろん指導経験が豊富な者に限る」
「そんな都合のいい人材がいるはずが……」
ゼファーが腕組みしたとき、学院長室にマリエが入ってきた。甘い香りのする菓子盆を持っている。
「オプテュリエ地方の伝統菓子を作ってみたんだけど、お茶にしない?」
俺とゼファーは一瞬、視線を交わす。どうやら兄弟子も同じことを考えていたようだ。
「他にないな」
「ああ、適任だ」
なんだか最近、ゼファーと意見が合うようになってきて少し嫌だ。
そしてマリエはというと、俺たちを見て怪訝そうに首を傾げている。
「……どうしたの? あなたたちがそういう表情をしているときって、大抵ろくでもないことを考えてるはずなんだけど」
「その通りだ」
俺はうなずき、彼女の肩に手を置いた。
「おめでとう、マリアム」
「何が?」
「拒否権はないぞ」
「だから何が?」
こうして『魔女』マリアムが二年生たちの主任教官に就任したのだった。




