第83話「勉強会の罠」
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しかしファルファリエはジン主催の勉強会で、いきなり打ちのめされることになる。
「今日はファルファリエ殿が初めて参加してくれたから、概論的な内容にしよう。もちろん、みんなが初めて聞く内容もあるぞ」
テーブルに集まった一同に、ジンはそう言って笑う。とても楽しそうだ。
(ああいう笑顔を向けてくれれば、私も気が休まるんですけど)
心の中で文句を言う。とはいえ、彼は敵だ。あの笑顔がこちらに向くことはないだろう。
ジンはテーブルの上で分厚い本を開いた。だが白紙だ。
(何でしょうか、あれは……)
そう思った瞬間、白いページに次々に文字が浮かび上がった。
(もしかして、あれも魔法なの!? 初めて見ました!?)
浮かび上がった文字をなぞりながら、ジンは言う。
「この世界は未知の力、魔力に満ちている。そして我々人類もまた、その魔力を体内に取り込んで生きている。これがなくては生きていけない」
(これも初めて聞く話ですね……本当でしょうか)
他の生徒たちの反応を見る限り、サフィーデではそう信じられているようだ。とりあえず話の続きを待つ。
「あまり一般的ではないが、魔力の単位は『カイト』で表される。この世界で成人の体内に蓄積されている魔力量は、およそ1.4カイト。多少のばらつきはあるが、1.2~1.6カイトの範囲に96%の人が収まっている。ここからはみだす人は、上下それぞれ2%ずつしか存在しないんだ」
(この世界の? まるで他に世界があるみたいな言い方ですけれど……いえ、それより気になる点が)
ファルファリエが質問しようか迷っていると、ジンは話を先に進めてしまう。
「この魔力量の調査は、『魔女』マリアムによるものだ。彼女が百年以上かけて、世界各地の人々の魔力量を調べ上げた結果、面白いことが判明している」
(あら、何でしょう?)
「時代や地域、それに年齢や性別に関係なく、成人の魔力量は平均1.4カイトだった。身分による違いもない。王族だろうが奴隷だろうが魔力量はだいたい1.4カイトだ」
この言葉に生徒たちが明らかに動揺している。
ベオグランツ人の常識として、身分の差は神が定めたものだ。当然、身分が違えば体のつくりも異なってくるとされる。だから王室の典医は王族以外の診療はしない。貴族には貴族、平民には平民の医者がいる。
(私もこの生徒たちも、魔力量は大差ないということなんですか?)
さすがにこれには質問が出る。物怖じしないトッシュが真っ先に挙手した。
「なあおい、それって本当なのか? 王様や貴族ってのは、生まれも育ちも違うし食ってるものも違うだろ? 体つきだって違う。魔力も違いそうなもんだけどな」
(そう、そうですよね? 私もそう思います)
ファルファリエは内心で力強くうなずいたが、ジンは首を横に振る。
「国家や身分ができる以前から、人間は人間だったという証明だな。魔力を蓄積する臓器は、現時点では脳だと推定されている。そこから血管や神経を巡って全身に運ばれるそうだ」
ジンは自分の頭をトントンとつつく。
「そして成人の脳の大きさは病的な萎縮などがない限り、それほど差はない。身分制度ができるずっと前から、脳の大きさは一定だ」
「ああ……あれだな。人間の先祖は猿みたいだったっていう。進化論だったか? あれも未だに信じられないんだけどな」
(なにそれ!?)
ファルファリエは思わず叫んでしまうところだった。
人間の先祖が猿? ありえない。人間は万物の霊長たる存在。神に祝福されし、特別な生き物なのだ。だから魔法だって使える。
しかしジンは当然のような顔をして、話を先に進めてしまう。
「まあその辺はいずれ生物学の講義でやるだろう。学院長自らが講義してくれるはずだ。とにかく人間はどこにどんな境遇で生まれようが、魔力量に大した差はない。俺も素の魔力量は1.3カイトしかない。平均以下だ」
「あら、じゃあ私がジンより上達する可能性もあるってこと? 確か私、生まれつきの魔力は1.5カイトぐらいよね?」
嬉しそうな顔をしたアジュラが冗談っぽく言う。
ナーシアもぼそりと言った。
「私も1.6カイトあったよ。ジンに勝てるかな?」
ジンは真顔でうなずいた。
「もちろんだ。もっとも0.2カイト程度の魔力量は、魔術の世界では誤差に過ぎない。達人は周囲の魔力を集め、千カイト以上を扱う。お前たちも魔力量は少しずつ増えてきているはずだ。アジュラとナーシアも今は2カイト以上ある」
なんだか途方もない話になってきた。
「魔法の世界はある意味でとても公平だ。もともとの魔力に大きな差はないし、魔法を使っていれば自然と魔力量は増えていく。誰でも大魔術師になれる可能性を秘めている」
「おお、すげえ……」
「まじか」
みんな真剣な表情でジンの話を聞いている。すっかり惹き込まれている様子だ。
ジンは笑顔でこう締めくくる。
「要するに魔術師としての先天的な素質なんてものはない。どれだけ学んだかで魔術師としての実力が決まる。他国が魔術師を戦場に送り込むようになれば、教育水準と層の厚さが勝敗を分けるだろう」
そう言って、彼はちらりとファルファリエを見た。何を言わんとしているかは明白だ。
(こちらがサフィーデの魔法を軍事技術に取り込もうとしていることは、お見通しってことですね……。いいですよ、それぐらいは当然わかっていますから)
ただ、不安はあった。教育水準という意味では、ここのレベルはかなり高い。いったいどこから手に入れたのか、最先端の知識を溢れんばかりに注いでくる。帝国にはこんな学校はなかった。
層の厚さという点でも帝国は出遅れている。帝室が雇用している魔術師は、ファルファリエが知る限り一人もいない。
(魔法が軍事方面で重みを増してくるなら、サフィーデが軍事大国になる可能性も捨てがたいですね……叔父様に報告した方がいいかもしれません)
一方、ジンは次の話題に移っていた。
「まあそれはそれとしてだ。この『人間の魔力量』という数字を割り出した方法に興味はないか?」
(ある! とてもあります!)
ファルファリエはさっきからそれが気になって仕方なかった。
だが他の生徒たちはそれほど興味がないらしく、反応が薄い。
「『魔女』マリアムって、確か三賢者の一人だろ?」
「じゃあ調べ方に間違いはないよな……」
(調査方法がわからなければ、数字の信頼性を判断できませんよ。少ない人数しか調べていないのなら偏るでしょうし、何よりその数字が……)
ファルファリエが内心で悶えていると、ジンがちらりと彼女を見た。
「ファルファリエ殿はどう思う?」
絶妙なタイミングでの問いかけに、思わず口を開いてしまうファルファリエ。
「調査対象がどれぐらいの規模なのか興味があります。それに1.4という数字が平均値なのか中央値なのか、それとも最頻値なのか。その辺りを聞いてからでないと判断ができません」
(しまった)
思いっきりまくし立ててしまった。この勉強会に興味を持っているのがバレバレだ。
(私が帝室の密偵だということは露見しているのですから、何に興味を持っているのかは知られてはいけないのに……)
ジンの罠にまんまとはまってしまった。
少し焦るファルファリエだが、ジンは真面目にうなずいて一同に言う。
「みんな聞いたか? これがベオグランツ帝国で最高の教育を受けた者の見識だ。今の一瞬でここまで考えている。凄いだろう?」
「ああ……ちょっとびっくりした」
「そんなところにまで気を配ってるのね」
「ファルファリエ様、かっこいい……」
「やっぱすげえな、帝国のお姫様って」
(え?)
生徒たちはみんな感心した様子で、しきりにうなずいている。
(えー?)
予期していた反応と全く違うので、頭の中が真っ白になってしまうファルファリエ。
(私の知らない内容を聞かせて、私を笑いものにするつもりなのだと思っていたのですけど……?)
ジンが何をやりたいのか、ファルファリエの視点からでは全く読めない。
生徒たちはみんな、ファルファリエを尊敬のまなざしで見つめている。ちょっといい気分だが、それ以上に困惑してしまう。
(こんなところで私の評価を上げて、この男は何がしたいんですか?)
しかしジンはまだまだしゃべる。
「ファルファリエ殿はたぶん軍学を修めておられるんだろう。で、最新の軍学というのは数学をかなり使うんだ。だから数字が重要な意味を持つときには、その数字を精査する癖がついている」
「おおー……」
「帝国の学問って進んでるんだねえ」
混じりけのない感嘆と尊敬のまなざし。
ファルファリエにとっては大変好都合なので、気持ちを切り替えて微笑みながらうなずいておく。
「ジン殿の仰る通り、軍学に必要なので数字の見方は学んでいるんですよ。でも実際の計算は苦手なんですけどね」
ちょっと隙のあるところもアピールして親しみやすさを誘う。尊敬されるばかりだと敬遠されてしまうので、間合いの取り方は重要だ。
一同が和んだところで、ジンがまた口を開いた。
「開校以来、この学院の卒業生には軍役の義務が課せられている。そして今後の軍務では様々な数字を読み取り、分析することが求められるだろう。俺たちは読み書きも計算もできるからな」
「そうだよね。読み書きと計算できる人って、募集してもなかなか集まらないんだよねえ」
ミレンデ出身のナーシアが溜息をつく。確か彼女の実家はミレンデでも指折りの豪商だ。
ジンはうなずき、さらに言う。
「魔女マリアムの場合、魔力測定時に対象の年齢・性別・出身地・身分・職業・体格なども細かく記録していった。ちなみに対象者は一万を超える」
「そんなに」
トッシュが唖然としているが、その横でなぜかマリエが大きな溜息をついていた。
ジンは構わずに話を先に進める。
「で、その膨大な情報を魔法で整理し、統計学の決まりに従って分析した訳だ。統計学は三年生でやるので、今は『大事なんだな』と思っておけばいい。でだ」
ジンは魔術書に浮かび上がる「1.4カイト」という記述を撫でる。
「この『1.4』という数字は、実は平均値だ。測定した魔力の総量を頭数で割った単純な数字だな。正直に言うと俺は平均値があまり好きじゃない。これは勘違いを起こしやすい数字だからな」
(平均値は便利でしょうに)
不思議に思うファルファリエに、ジンが急に話を振ってくる。
「でもこの場合は平均値でいいんだ。ファルファリエ殿はその理由がわかるか?」
「えっ!?」
うっかりして声が出てしまった。
(平均値がどうしてダメなのかわからないから、平均値でいい理由なんてわかりませんよ!?)
わからないものは素直にわからないと言うべきなのだが、周囲の視線が期待に満ちていて言いづらい。
ファルファリエは必死に考える。
(平均値……平均値の欠点といえば……ああ、思い出しました! 税務のあれですね!)
こほんと咳払いして、ファルファリエは澄まし顔で答える。
「個々の数字に大きなばらつきがある場合、平均値はさほど意味を持ちませんからね」
領主と農民の資産には数千倍の格差がある。だから領主と農民の資産で平均値を出しても無意味だ。税務の講義で習った。
ついでに、金を搾り取るなら狙いは領主に絞るべきだとも習った。
余計なことを言うとボロが出そうなので、ファルファリエは少し緊張しながらジンの言葉を待つ。
するとジンは笑顔でうなずいた。
「そう、そうなんだ。だから平均値が意味を持つ場合はそう多くない。しかし今回のようにばらつきが極めて少ない場合なら、平均値でも問題はないだろう」
そして不意にジンは真顔になる。
「統計の数字には王侯貴族すら動かすほどの説得力がある。だが数字というのは切り取り方や丸め方で随分変わってくる。気をつけないと騙されるし、逆に人を騙すこともできる。これからいくつか、そんな怖い話をしよう」
そう言ってジンはファルファリエを一瞬だけ見る。皮肉だろうか。彼女にはわからなかった。
ただひとつだけ、わかったことがある。
(この男のせいで、後に退けなくなってしまったじゃないですか。もっと、もっと勉強しないと……)
さっきのやり取りで、他の生徒たちの尊敬を集めてしまった。今後も優等生として振る舞わなくてはいけないだろう。
他の生徒たちに失望されると情報を集めにくくなるし、帝室の威信にもかかわる。
それに何より、学園生活が居心地悪くなる。
(何を考えているのか全くわかりませんけど、私は負けませんからね)
テーブルの下で拳をぎゅっと握りしめるファルファリエだった。




