第48話「白い尋問」
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「うぅ……?」
黒装束の男は、寝台の上で目を覚ました。今は黒装束を剥ぎ取られ、武装解除された下着姿だ。おまけに寝台に拘束されている。
俺はフルフェイスのマスクの下から、彼に声をかける。
「おはよう、『灰色鴉』……いや、イゼット・ハーシュナー君」
「なっ!?」
驚いた表情だ。
組織内の通名だけでなく本名まで知られていれば、そうもなるだろう。
ここは魔術学院の実験室だ。清潔で明るく、無駄な調度品は一切ない。余計な物があると燃えたり悪霊が憑いたりしてロクなことがないからな。
だから彼を怯えさせるものは何もないはずなのだが、イゼットはしきりに視線を動かして周囲を見ていた。心拍と血圧が急激に上昇しているな。
だがさすがにプロの密偵らしく、彼は何もしゃべらない。相当な恐怖を感じているはずだが、なかなかの自制心だ。
彼は今、こう考えている。
(魔術師に捕まった!? だがこの部屋は何だ? 魔術師たちが俺を尋問するつもりなら、こけおどしの髑髏だのトカゲの干物だのをちらつかせるはずだ)
もちろん、俺はそんな方法で彼を脅すつもりはない。
なぜなら彼はプロフェッショナルであり、そんなチャチなものに動揺などしないだろう。
だが彼はプロだから、こうも考える。
(俺を脅すつもりがないということは、もう何も訊くことはないということか? じゃあどうして、俺は生かされている? まさか魔法で尋問されるのか? 俺はどうすればいい?)
人間にとって最も恐ろしいのは、不可解な状況だ。未来を予測することができなくなると、人間は平静でいられなくなる。それはわかりやすい危険よりも恐ろしい。
だから俺はもっと状況を不可解にしてやる。
「では意識が戻ったところで、手短に済ませるとしようか」
俺の今の服装は、白いローブに白い仮面だ。いずれも実験用の安全装備であり、特に威圧的なものではない。
俺は細筆を執ると、イゼットの左肩に黒い線を引く。
「何も答えないだろうというのはわかっているが、右腕と左腕のどちらがいいかは選ばせてあげよう」
「うっ!?」
どうやら何か想像したらしい。
俺は彼の表情をじっと見るが、彼は無言だ。ただ、必死に感情を押し殺しているのがわかった。
気の毒だが、彼から生きた情報を引き出すのが目的だ。もう少し怖がってもらおう。
俺は彼の左右の腕を見て、小さくうなずく。
「右利きか、では右にするか」
「やっ、やめろ!」
おっと、予想以上に早く口を開いたぞ。
「ああ、まだしゃべらなくていい。体力は温存しておいてくれ。まずは1本処置してからだ」
俺は指先に『霊剣』の魔法を付与して、試し切り用の薪をその指でなぞる。スパリと切れた薪が床に転がった。断面が磨き上げられたように光沢を帯びている。
「問題なさそうだ。もう一度訊くが、右腕と左腕のどちらにする?」
「やめろ! やめてくれ!」
「やめるという選択肢はないんだよ」
俺は彼にゆっくり近づく。
「それに君も五体満足では祖国に帰りづらかろう? 怪しまれるぞ? だが腕の1本も負傷していれば、妙な嫌疑をかけられずに済む」
「嫌だ! やめろ、頼む!」
「脚の方がいいかと思ったんだが、脚をやられてしまうと君も仕事が続けられなくなる。さすがにそんなことはできない」
「俺の話を聞け!」
必死の形相だ。
おそらく彼らは後遺症を負った時点で、お払い箱にされてしまうのだろう。そして国家レベルの陰謀に関わるような連中の場合、それは抹殺という形で完了することが多い。
俺は彼の言葉に一切耳を傾けずに、頭のおかしい魔術師を演じ続ける。
「で、右にするか? 左にするか?」
「俺から何を聞き出したいんだ!? やめてくれ!」
「特に聞きたいことはない。ゴッセル君からあらかた聞いたからな」
もう片方の黒装束、俺が殺した方の男の名前だ。
そしてイゼットはゴッセルが死んだところを見ていない。
「ゴ、ゴッセルはどこだ!?」
「質問しているのは私の方なんだ。早くどっちの腕にするか決めてくれないか」
自分で演じておいて何だが、この魔術師は完全に頭がおかしいぞ。
それについてはイゼットも全く同感らしく、俺を見る眼が恐怖に彩られている。
あと一息だ。
「決めないのなら両方処置してしまうが、それでいいか?」
「うっ……」
イゼットは顔面蒼白になったが、俺がさらに歩み寄るとこう言った。
「わ、わかった……。右腕は切らないでくれ……」
「ではそうしよう」
落ちたな。
こいつは今、俺の質問に答えた。一度でも答えてしまえば、二度目以降は答えることへの抵抗感が薄くなる。人間の自制心は一度目が最も強い。
我が故郷のゼオガでは捕虜の殺傷は道に背く行いとされているので、やらずに済んでホッとする。
俺は止血用の道具を引っ張り出して準備するふりをしながら、イゼットに問う。
「そういえば、あの黒い凧のような道具は誰が作ったんだろうな? あれを作れる者はそうはいないはずだ」
「し、知らん……」
よしよし、ちゃんと答えているな。
おそらくイゼットは本当に知らないのだろう。
ゴッセルの脳記憶を洗ってみたが、機密管理が徹底されている。知らなくていい情報は何ひとつ知らされていない。
セキュリティクリアランスの概念が導入されているとしたら、やはり『書庫』の情報が漏れている可能性が高い。
「あの死んだ女……ミザイアとか言ったな」
本当は死んでないけどな。しかしイゼットの認識では、ゴッセルがミザイアを毒殺したことになっているはずだ。
これはこの後の工作で必要な手順なので、俺は意図的に「ミザイアは死んだ」ということを強調する。
「ミザイアを殺せばビアジュ家が黙っていないだろうに、なぜ彼女を殺した?」
俺の口から重要な単語がポンポン出てくるので、イゼットはもう観念した様子だ。
「知るか、そう命令されただけだ」
「ふむ」
つまり帝室情報部とやらは、ミザイアが生きていると困るということだな。
ミザイアは俺の設置した警報用の魔法陣を2つ、正規の手順で解除している。あの警報を起動させずに解除するのはかなり難しく、今の魔術師たちには相当な難題のはずだ。
だがミザイアは破壊魔法の投射しかできない、ごく普通の魔術師だ。自力で解除できるはずがない。
だからミザイアに解除方法を教えた者がいる。口封じが必要だった理由はそれかもしれない。
そう考えると、これはなかなかに有益な情報と言えるだろう。
するとそこにマリエが念話で話しかけてくる。
『ちょっとシュバルディン、何をしているの?』
『死霊術では硬直した情報しか手に入らんのでな。こうして生者から柔軟な情報を集めているところだ』
『ずいぶん悪趣味な情報収集ね』
『死者より生者の方が多くの情報を引き出せる。それともうひとつ、生者には大きな利用価値がある。例え敵でもな』
俺が答えると、マリエは不思議そうに問いかけてきた。
『彼を懐柔するつもり? 彼は本職の密偵よ、おそらく彼は死んでも味方にはならないわ』
『そうだな、俺も同感だ。こいつの相方であるゴッセルは、死を覚悟しても降伏すらしなかった。彼らは筋金入りの敵だ』
俺は薄く笑う。
『だから最高の利用価値があるんだ』
『……ごめん、あなたのことがときどき全くわからないわ』
俺もお前に対して、同じことをときどき思っているぞ。
さて、作業を続けるとしよう。
彼が実験室を脱走したのは、それから少し後のことだった。
* * *
【帝国の密偵たち】
人気のない森の中で、男たちは大きな残飯桶取り囲んでいた。男たちは全員、農民に偽装している。
「もう大丈夫だ、『灰色鴉』と『赤蛇』」
リーダーが声をかけると残飯桶からゆっくり2回、ノックの音が聞こえてきた。少し間を置いて、今度は3回。
残飯桶に敵が潜んでいた場合に備え、『灰色鴉』たちが出てくるときはこのノックで合図することになっている。合図がなければ敵が潜伏している。
「よし、残飯桶の蓋を開けろ」
農民たちは隠し武器を構えたまま、用心深く蓋を開ける。仲間の無事な姿を見るまで、安心はできない。
すると残飯桶の中から、黒装束の男が出てくる。全身が残飯にまみれ、腐った野菜の臭いを放っていた。
「はあ……はあ……」
出てきたのは『灰色鴉』ことイゼットだ。
腐汁まみれの部下を、リーダーは嫌がる様子も見せずに抱き起こす。自身が汚れることなど全く気にせず、リーダーはイゼットの肩を抱いた。
「よくやった、よく無事に戻った。お前は俺たちの誇りだ」
そしてリーダーは他の残飯桶を見る。誰も出てくる様子はない。
「……『赤蛇』はやられたか」
イゼットは仲間から手拭いを受け取って顔を拭いていたが、リーダーの言葉に表情を引き締める。
「俺たちは無事に学院の中庭に着陸しましたが、そこで敵の魔術師に待ち伏せされていたんです。相手は1人でしたが、恐ろしい使い手でした」
「例のヤツかもしれんな。それで『花』はどうした?」
リーダーはサフィーデ人の魔術師ミザイアの消息を問う。
するとイゼットは小さくうなずいた。
「『赤蛇』が針で処理しました」
「確実に葬ったか? 死体は確認したか?」
「はい」
イゼットは懐からグシャグシャに丸めた紙の束を取り出す。
「俺は隙を見て抜け出し、研究室から機密文書を盗んできました。後は朝まで残飯桶に隠れて、逃げ出してきたって訳です」
「ということは、敵はまだ城内でお前を捜索している段階だな。捜索の網はすぐ城外に広げられる。ここに残飯桶を放置すれば多くの情報を残すことになるが、隠蔽する余裕はない。急いで国境を抜けよう」
一行はすぐに行商人に変装し直し、その場を後にする。
街道に出て手配しておいた荷馬車に乗り込むと、街道を南東に向かって移動を開始した。
* * *
俺はそれをカジャからの映像で確認しながら、ほっと安堵する。
「やはり本職だ。イゼットの能力や人柄に対する信頼が非常に高い。彼の報告は上層部に信用されるだろう」
するとマリエが朝食のスープを優雅に飲みながら、首を傾げる。
「でもどうして、イゼットはあんな嘘の報告をしたの? 彼を懐柔した訳ではないでしょう? 魔法であんな緻密な記憶を植え付けたの?」
俺は首を横に振る。
「緻密に作った記憶は、緻密であるがゆえにごまかしが利かない。他の記憶との整合性に欠けやすいんだ。本人がそこに違和感を覚えてしまったら、偽の記憶は無意識のうちに修正されてしまう」
「厄介ね、人間の記憶って」
「その通り。書物や彫刻とは違うからな。だが前にも言ったが、人間の記憶なんてものは非常にあやふやだ。断片的な情報を与えておけば、無意識のうちに自分自身で記憶を再構成してしまう。ちゃんと整合性を伴うようにな」
「そんなことできるの?」
「『書庫』には『神世界』での実例が記述されていてな。ラザフォードとかいう女性が心理療法を受けた結果、『実父から虐待されていた』という偽りの記憶が生まれてしまったそうだ」
「まあ、何てことを……」
このケースでは医学検査の結果、虐待の事実が存在しなかったことが証明されている。
「だから俺はイゼットに断片的な記憶を与え、彼自身に記憶を再構成させた」
「それで魔法で朦朧とさせた後、いろんなものを見せたり触らせたりしてたのね」
いやあ大変だった。うまくいくか自信もなかったし。
ただ、彼が残飯桶の中で目覚めたのは決定打になったようだ。他の記憶があやふやでも、機密書類を持ったまま残飯桶に潜んでいる事実は動かせない。
彼はその事実を足がかりにして、断片化された記憶を無意識のうちに再構築していったのだ。
「おかげで貴重な実験結果が得られたし、ついでにベオグランツに偽情報も流せた」
「そっちがついでなのね。で、どんな偽情報を流したの?」
「ふふ、聞きたいか?」
俺はパンをスープに浸して野蛮にムシャムシャ食いながら、ニヤリと笑う。
「サフィーデ軍が研究中の魔法技術についてだ。戦死者を骸骨兵として半永久的に戦わせるシステムや、超巨大魔法陣による敵国本土爆撃計画を研究中だということにしておいた」
「ああ、いかにも魔術師が考えそうなことよね……」
「同じ費用で軍隊をそろえた方が遥かに安上がりだが、魔術師以外にはわかるまい」
さて、これでミザイアは表向きは死亡したことになった。彼女の身柄を無事保護できたことだし、次はビアジュ家だな。




