第百二十九話
純白の翼で大気を一度叩く。
ヴァンは正面の異形を見据えたまま、両手の前に両刃の魔力の剣を出現させた。その形は一切の無駄がなく、刀身は白に光り輝いていて、切っ先はヴァンの斜め下へ向けられている。
手のひらから少しの間隔をあけて浮かぶ二振りの両刃剣。ヴァンがその剣の柄を握り締める。
同時に、ヴァンを中心に同じような魔力の剣が空中に出現した。その数、計八本。
まるで姫を守る騎士のように整然と並ぶそれに、守られる姫は右手に握った剣を横に振り薙ぐことで命を下した。
騎士たちはその場で自らを回転させ、切っ先を真後ろの斜め下に定める。その先に居るのは、大切な仲間たち。
アリアたちに疑問を浮かばせることもなく、八の剣は動いた。大気を切り裂きながら高速で飛ぶ。その姿は電光石火と呼ぶに相応しかった。
対するアリアたちの顔には、恐怖は微塵もない。そんな信頼に答えるかのように、八本の騎士は自らを大地に突き刺した。
連続する音が響き終わる頃には、五人の周囲には剣がそびえ立っていた。アリアたちを囲む八角形の陣。
五人は剣の主を見上げる。これの意味を問うために。
ヴァンは振り返らず、右に振った剣を高く上げることで答えた。十の剣が一斉に光り輝く。
それは握られている二本の剣以外に変化をもたらした。それぞれ手があれば、お互いに握り締めている光景があったはずだろう。
淡く薄い純白の膜が剣と剣を結んでいく。さらにその膜は空高くまで昇っていった。
「これは・・・・・・結界・・・・・・?」
ヘリオスが呟く。
「あぁ。そこから出なければ、安全だから」
その呟きに剣の主が返す。
「こんなに高い結界・・・・・・見たことありません」
空高く続く障壁を呆然と見上げてセレーネが声をこぼした。同じように呆けた顔で空を見上げているアリアとフラン。
だがすぐに、異形の咆哮によって視線を戻すことになる。
巨大な肉の塊は、全身から大量の触手を伸ばし、ある触手の先は剣の形をし、ある触手の先は穴が開いた筒の形をしていた。
それを見て、怒りとも後悔ともつかない感情が生まれる。あの剣や筒は、エーピオスとアペレースのもののはず。守れなかった少女たちの、成れの果て。
また一度、翼が大気を叩く。鈍い羽音が響いた。
同時に、大量の触手が一気にヴァンへ向かう。
「ヴァン!!」
アリアは思わず叫んだ。しかし、次の瞬間、アリアは、否、アリアだけではない。フランたちも目を見開かせた。
触手に囚われるより早く、違う、いつそうなったのかすら分からない。
大量の羽根だけを残し、ヴァンの姿が消えていたのだ。
慌てて視界を彷徨わせる。
「あ、そこにいるー・・・・・・」
声を出したのはウラカーンだった。信じられないといった表情で、異形の左側辺りを指差している。
アリアたちはその指先を追い、視界に入った光景にまた目を見張った。
そこには、今まさに巨大な肉の塊へ右の魔力剣を振り下ろしてるヴァンの姿があった。
「はああっ!」
気合と共に一閃。
数多の触手、それらの根元を巻き込んで丸型の肉塊に亀裂を走らせる。
「オオオオオオオオオッ!」
異形が雄叫びを上げ、一時は標的を見失った触手を反転させた。
しかし、先端の剣や筒が触れることが出来たのは、またも大量に残った羽根だけとなる。
次の瞬間には、ヴァンは先まで居た宙と全く反対のほうへ移っていた。
「やっ、はっ!」
両手の剣を素早く振り、肉塊に十字の亀裂をいれる。そして、また消えた。残るのは純白に輝く羽根たちのみ。まさに目にも写らぬ速さで縦横無尽に飛び回り、次々と異形に亀裂を残していく。
斬りつける時だけ姿を現すヴァンの速さは、アリアたちに本当に消えているのかと錯覚させるほどだった。
動きを止めれば文字通り四方八方から襲い掛かってくるだろう触手の森を飛び抜ける。
目まぐるしく動く視界。今まで味わったことのない速さ。だが、ヴァンはそれに振り回されることなかった。
まるで今までこの景色で、この力で、この速さで戦ってきたような感覚。
「ふっ!」
また見えた。触手が手薄な箇所。すかさず左の剣で斬りつける。そしてまた動く。
凄まじいはずの風圧も、ほとんど光の線になっている視界も、胸から湧き出る力も、どれも心地よい。
しかし、それとは裏腹にヴァンは表情をゆがめた。
触手を翻弄し、その狙いを振り解いて再度壁のような肉塊を斬りつける。だが、ヴァンがそこから離れるころにはもう再生が始まっていた。
切り入れた亀裂が戻るところは何度も見ているが、それの再生速度が徐々に速まってきている。両手に持つ魔力の剣では力不足だ。とは言え、これ以上自分に魔力とマナを傾けるわけにはいかない。
何故なら、数こそ少ないが、触手の剣や先についている筒からの魔弾は仲間たちを守る結界にぶつかっているからだ。ここで結界を弱めることはできない。
ならばどこを狙う。あの本体のように見えるテリオスの形をした異形か? 否、そこを狙えば恐らく、先のような魔力の光線を放つだろう。テリオスの形がまたあれを放てば、それと対面するような位置にいるアリアたちにまでその光線が向かうことになる。
「くそ・・・・・・!」
どうすればいい。
眼前に迫る触手を切り捨て、滅茶苦茶な軌道を取って飛び回る。さらに肉塊に亀裂を入れるが、やはり効果のほどはなさそうだ。
大量の筒から発射される魔弾を急降下で避ける。視界が、砕かれた床とヴァン自らが切った大量の触手に埋め尽くされた。どうやら、斬られて落ちた触手は肉の塊に戻らないようだ。
「ならっ!」
大気を翼で叩き急上昇。頭上にあった触手を切断する。そのまま直角に曲がり、回転しながら巨大な肉の塊の周りを旋回する。速さを緩め、わざと触手をこちらに向かわせながら。
自分の真後ろをついてくる大量の触手に目を向けながら、前から来る触手を避ける。その触手もヴァンを追いかける集団に加わった。
結果、大量の触手はほとんどがヴァンを追い、一房にまとまったそれらはとてつもなく巨大な一本の腕のようになっている。
もう一度翼で大気を叩き、再度急上昇。それにつられて巨大な腕も上へ上った。その触手がほぼ真っ直ぐになったところで、ヴァンは空中で急停止する。
翼を大きく広げて純白の羽を咲き乱し、両手の剣を左右に広げ、
「はああああっ!!」
巨大な触手の束に向かって、一気に飛ぶ。速さは一瞬で最高のものとなった。
両手の剣を巨腕に突き刺し、螺旋を描きながら降下する。微妙に伸びきっていない部分で二回三回と余分に回り、剣を振りぬいた。
触手の束から離れて少し上昇し、異形を見下ろす。次いで、右手の剣を斜めに振り下ろした。それに合わせるように、巨大な腕は形をぼろぼろと崩していく。
狙い通りの結果に、ヴァンは唇を鋭く歪ませた。
しかし、会心の笑みはすぐに消えてしまうこととなる。
「オ、オオ、オオオオオオオオオオッッ!!」
突然ヘリオスの形をした異形が叫んだ。空気が震え、体に振動が伝わる。
「やっぱり、本体を叩かないと駄目か・・・・・・」
舌を打って剣を構えなおす。そこで、肉の塊の表面が波が揺れるように蠢いているのに気づいた。
眉をひそめつつ、羽を動かす。
そして、それは起こった。
「なっ!?」
巨大な肉塊から大量の触手が飛び出す。先に切り捨てた束より確実に多い。
何故なら、肉塊の表面という表面全てから飛び出しているのだから。
触手は異形の前、後ろ、右、左、斜め前上方、斜め前下方、斜め前右方、斜め前左方、斜め右、斜め左、斜め右上方、斜め左下方、斜め後ろ、斜め後ろ上方――――ありとあらゆる方向を貫く。
まだ遺跡の体を残していた床を砕き、大気を自らで満たし、そして、ヴァンを喰らおうとしている。
「く、そっ」
視界一杯に映る触手。右へ飛んでも左へ飛んでも上へ向かっても下に避けても、そこにも触手は向かっている。
ヴァンは背の翼を羽ばたかせて、思い切り後ろへ飛んだ。一瞬まで自分が浮かんでいた空間を飲み込む触手の波に剣を叩き込みながら。
「ヴァン! 後ろ!!」
アリアの悲鳴に、ヴァンは反射的に背後に目をやった。視界に入ったのは、大量の触手。
他のほうへ伸ばしていた触手が、大きく迂回しながら後ろに回っていたのだ。
次の瞬間ヴァンは、自分が触手の波に飲み込まれたのだと、全身を襲う激痛で分かった。
「・・・・・・なんて速さだ・・・・・・」
そう呟いたのはヘリオスだった。呆然とした顔で、ヴァンと異形の戦いを見ている。
アリアは、自分の顔も同じようになっているのだろうと思った。
それほど、ヴァンはとてつもなく速い。消えたかと思えば、もう全く別の箇所を切り払っている。
「すごい、これなら勝てるわ!」
自然と口から歓喜の声が漏れた。しかし、仲間たちがそれに続かないことに僅かに首をかしげる。
「それはーどうかなー・・・・・・」
先に言ったのは、立てた膝の上に左手を置いて座るウラカーン。
続いてセレーネがゆっくり頷いた。
「えぇ、このままでは倒すことはおろか、状況が変わることもありません」
「ど、どういうこと? あれだけ攻撃当ててるんだから、いつかは倒せるでしょ?」
ヴァンの攻撃は全て当たっているし、テリオスの触手はヴァンに触れることすら出来ていない。優勢なのは明らかなはずだ。
困惑する頭に答えをくれたのは、フランだった。
「アリア、ヴァンが斬ったところを見ろい」
言われて視線を移す。
「・・・・・・なに、あれ。傷がなくなってる・・・・・・?」
「そういうことじゃ。斬りつけた端から元に戻っておる。これではジリ貧じゃろうて」
愕然とするアリアに、ウラカーンが立ち上がりながら声を投げた。
「何か決め手になるのがあればいいんだけどー・・・・・・なんであの剣しか使ってないんだ・・・・・・?」
その言葉で気づく。
そうだ、何故ヴァンはあの両手の剣だけで戦っているのだろう、と。もしあれが超鎧魔術だというなら、もっと凄まじい力を持っているはずだ。
それこそ、セレーネが街中の魔獣を短い時間で殺せるほどの。否、二人の魔力と魔術を吸収したなら、それ以上のものが。
「・・・・・・多分、アリスはあの魔力剣以外の力が使えないはずです」
「これの・・・・・・いや、僕達のせいで、な」
三人の疑問に、魔族の姉兄が答えた。姉は肩を落としてうつむき、兄はアリアたちに示す様に自分たちの周囲を囲んでいる結界を指差す。
「どういう、意味?」
頭ではそれだけで理解していた。だが、聞き返さずにいられなかった。自分の考えが間違っているということを、僅かに祈って。
しかし、さらに返ってきた答えは微塵も間違ってなど居なかった。
「この結界を、僕達を守るために作ったこの結界を維持するために、アリスはあの剣以外に魔術や魔力が使えなくなっているんだ」
体の血の気が引く。
それはつまり。
「なんだよ、それ。それじゃあ、オレたち、ヴァンちゃんの足引っ張ってるだけじゃねぇか!」
「ほむ、なら、わしらは出て援護するとするかのぅ。セレーネ、ヘリオス、おぬしらはここにおるんじゃぞ」
ウラカーンが吼えて一歩を踏み出し、フランはリャルトーの弓を杖代わりにして立ち上がった。
アリアも慌てて後を追おうとする。
「待ってくださいっ!!」
だが、その動きはセレーネの悲鳴で止められた。悲鳴の主は地面についた手を握り締めて俯いている。
「結界は・・・・・・出たらもう入れません・・・・・・。出ないでください」
絞るように出てきた声に、アリアは頭に血が上るのを感じた。
「馬鹿言わないで! 私たちのせいでヴァンが満足に戦えないっていうなら、行かなきゃいけないでしょ!!」
「それが出来たら僕達が行ってるッ!!」
アリアの怒声よりさらに大きな怒鳴り声。
皆の視線がヘリオスに集まる。魔族の男の握り締めた拳から赤い血が滴り落ちていた。
「超鎧を発動するには魔力が全然足りない・・・・・・だからといって、今のまま結界に出たらアリスを援護するどころか、自分の身を守れるかすらも危うい・・・・・・。そうなったら、アリスは絶対に僕達を守ろうとする。それは・・・・・・それは大きな隙になってしまうんだ・・・・・・ッ」
ギチギチと握った拳から音が漏れる。俯いたままのヘリオスの表情は見ることが出来ないが、口から垂れる赤い雫で、それは分かった。耐えているのも分かった。
そして、自分たちが『大きな隙』になってしまうのだということも、また分かった。
「そんな・・・・・・それじゃあ、どうすれば・・・・・・」
「はああああっ!!」
ヴァンの気合の声に、全員がそこへ視線を向ける。
視界に入ったのは、大量の触手が一束になった、まるで巨大な腕のような固まりと、それの周りを螺旋を描きながら飛ぶ一筋の純白の光だった。
その純白の光がヴァンの姿を取ったのは、巨大な腕の付け根辺りで余分に回転し、上昇した後で停止した時。
「あっ!?」
ヴァンが右の剣を振るのと同時に、大量の触手がバラバラに崩れ落ちる。切り刻まれた異形の肉は地面に落ち、ぴくりとも動かなくなった。
触手の残骸で出来た山を見て、ヘリオスが呟く。
「斬られた触手は、再生できないのか・・・・・・?」
その一言で、アリアの視界が明るいものとなる。
「それなら、触手を切り離していけば」
「ふむ、彼奴の体は攻撃手段を失うというわけじゃな」
続けるフランの唇も、小さな笑みを作っていた。
そんなアリアたちの心に宿った希望を塗りつぶすように、異形が吼える。
「オ、オオ、オオオオオオオオオオッッ!!」
結界の中に居るのに、振動が体を貫く。黒く濁った叫びは耳に入るだけで心が食い破られそうだった。
刹那、絶望が始まる。
巨大な肉の塊、その全てから、無数の触手が飛び出す。
大気にひしめき合い、大地を侵食し、全てを喰らおうと進んでいる。
「きゃっ!?」
眼前にまで迫ってきた大量の触手が、結界に触れて蒸発していく。それでも触手は結界の周りを這うように包んでいく。そしてまた燃えて灰となった。
「な、にこれ・・・・・・。あっ、ヴァン!」
結界の中に居る自分たちは良い。だが、本当の力を発揮できず、両手に握る魔力の剣しか力を持っていないヴァンは?
見上げた先に、ヴァンは居た。自身の前から迫る大量の触手を切り捨てている。大きく迂回して背後から忍び寄るモノに気づかず。
「ヴァン! 後ろ!!」
思わず叫んだ。そして、ヴァンはすぐに気づいてくれた。
しかし、遅かった。
純白の翼を持つ、愛しい少女が、触手に覆われる。
「いやああああっ! ヴァンっ、ヴァンー!」
頭の中が真っ白になった。今自分が何をしようとしているのか分からない。
不意に右腕が握られる。
「やめんかっ、今結界の外に出たら、触手の波に飲み込まれてしまうぞい!」
フランの怒鳴り声が聞こえる。
「離して! ヴァンが、ヴァンが!」
「落ち着け、アリア! 結界がまだ動いてる! アリスは死んでない!!」
今度は左腕が掴まれた。無理矢理止められたような痛みで、自分が暴れていたのだと分かった。
「でもっ、あのままじゃっ」
最後まで言えなかった。
一つの空間に集まり蠢く大量の触手。それらの隙間から、凄まじい光があふれ出たからだ。
「ヴァン!」
また叫ぶ。同時に、触手の固まりから一筋の光線が突き出る。さらに遅れてもう一筋。
純白の光線は真っ直ぐ伸び、そのまま斜めに動き出す。そして、二筋の光の剣は、一気に加速した。
触手の固まりを両断、その際、巨大な肉の塊に近かった部分すらも切断。さらに地面に転がる無数の残骸すらも切り捨て、床をえぐる。
純白の光線に触れた触手は尽く灰となり、黒煙を持って蒸発し、跡形もなく消え去っていった。
一塊になっていた大量の触手が消失する。現れたのは純白の翼を持つ少女。両手に持つ魔力の剣を極限まで伸ばし、そして。
「はああああああっ!!」
二つの光線を振りかぶり、異形に向かって振り下ろす。極超の刀身は巨大な肉の塊の上半分、否、ヘリオスの形をした化け物を、両断した。
大量の肉を触手にしたせいか、少しだけ小さくなっていた肉の塊がさらに半分になる。切り離された上半分、ヘリオスの形をした化け物の上半身は、一瞬宙に浮いて、ゆっくりと後ろへ落ちていった。
巨大な肉塊が大地を揺さぶるのと、純白の羽を持つ天使が地に墜ちたのは、同時だった。
「ヴァン!」
「アリスッ」
「まだそれから出るなっ!!」
駆け出そうとしたアリアとフラン、ヘリオスをヴァンが一喝する。体を震わせて動きを止めたアリアは、ヴァンの姿を見て息も止めた。
一対の羽は片翼がへし折れ、真っ白に輝いていた長い髪は薄汚れている。白銀の鎧も所々砕け、その下の素肌は傷だらけで赤い色が塗られ、左の腕があらぬ方向に曲がっていた。
両手に持っていたはずの魔力の剣も、今は右手に握る一本だけ。それも、頼りなさげな短さだった。
「どう、して? もう終わったんでしょ? 早く傷の手当てをしないと!」
「まだだ・・・・・・まだあいつは」
ヴァンが言い終わる前に、肉塊の半分が、テリオスの形をした化け物の下半身部分が波打つ。
巨大な肉塊はなくなった上半分を補うように左右の肉を上へ上へと動かしていく。肉の塊の前の部分がへこんでいく。肉塊の後ろの部分が、全体を覆い隠すようにあがっていく。
「そんな・・・・・・」
異形の動きが止まるのに合わせて、無意識に口から失意の声が出た。
新しく出来上がってしまった異形の体。
自身の中央は大きく抉れていて、椀のような形をしている。しかし、その深さは巨大な筒のようにも見える。
「あれは、まさか」
震える声で言うセレーネ。表情は本当に血を失ったかのように青ざめている。
「・・・・・・さっきのやつより、でかいのを撃ちそうだねー・・・・・・」
ウラカーンは普段の口調だが、いつものヘラヘラとした笑い顔など少しも見えない。
「なら、この結界内から、わしらの攻撃を一斉に出せば」
「・・・・・・結界の内側から攻撃を出せば、その結界を破壊することになる。それはアリスの魔力を破壊するのと同じことだ・・・・・・」
リャルトーの弓を構えるフランに、ヘリオスが首を横に振った。
「ヴァン、結界に入って」
異形の、深い闇で、よどんだ魔力が見える。
「ここに入れば、そいつの攻撃防げるでしょ? だから」
ヴァンは振り返らずに答えた。
「駄目だ。その結界だけじゃ防げない。結界に当たる前に威力を殺がないと。それに、俺は、約束を守らないと。こいつを止めないといけない」
そこでやっと振り返って。
「安心しろ、お前らは俺が絶対に守るから」
穏やかに、微笑んだ。
「・・・・・・ヴァ」
異形から、闇が迫ってきた。
ヴァンが顔を前に向け、右手を思い切り後ろに引き、
「おおお・・・・・・ああああああっ!!」
突き出す。
異形の発する禍々しい闇の光線に向かって、輝く刀身から純白の光線が放たれた。
光と闇が、激突する。
「ぐ、うぅ・・・・・・!」
光は闇に染まり、闇がヴァンに迫るごとに、純白の翼が弾ける。白銀の鎧が砕ける。剣を持つ右手の皮膚が裂ける。体が血に染まっていく。
「ヴァン!!」
傷ついていく愛しい人。視界が歪む。喉が渇く。ヴァンに、守られているはずなのに全身が痛い。
私だって、あなたを守りたい。
守られるだけで、あなたを守れないなんて、嫌。
私に力があれば、あなたを救えるのに。
一緒に、戦えるのに!!
――――それじゃあ、ちょっとだけ、私を手伝って欲しいな――――
「え・・・・・・?」
――――一緒に、がんばろうね。お姉様――――
声が消える。否、一緒にいてくれる。
「アリア・・・・・・おぬし、どうしたんじゃ」
傍に立つフランが、驚いてるのが分かる。
「な・・・・・・その白い髪と赤い瞳は・・・・・・」
ウラカーンも呆けてる。あまり、自分に向けてはしない顔だからちょっと可笑しい。
「そんな、アリア、あなたは」
「魔族、だったのか・・・・・・?」
セレーネとヘリオスが、信じられないって顔してる。
「アリスが、手伝ってくれるって」
それだけ言って、走った。
自分たちを守ってくれた結界から出るのは、驚くほど簡単だった。薄い膜を通る時、暖かな感触が体を包む。
この結界をつくった少女の心のように、温かい。
そして、その愛しい少女は、もう目の前にいる。
「ヴァン」
後ろから抱きしめる。傷ついている右手を、両手で撫でた。
「アリ、ア?」
見上げてくるヴァンの瞳は、大きく見開かれていた。赤い瞳に、真っ白な髪と同じ赤い瞳になった自分の姿が映る。
また右腕に痛みが走ったのか、ヴァンが顔をゆがめ、視線を前に戻した。合わせて、前を向く。純白の光が、闇に覆われそうになっていた。
呟くようにヴァンが言う。
「『二人』とも、力を貸してくれ」
「――――えぇ、もちろん」
――――うん――――
ヴァンの右手を握り締め、全て注ぐ。想いも、力も。
光は闇を貫き、前へ前へと進んでいく。
――――悲しみはおしまいだよ――――
「その通りよ――――これでっ!!」
「終わりだぁぁぁっ!!!」
光が急激に大きくなる。
音も色も純白に染まる。
――――さようなら、テリオスのおじ様――――
―――― ――――
世界が純白になる瞬間、穏やかな声が聞こえた、気がした。
視界に色が戻る。そこには闇も異形もなく、ただ純白の粒子が空から降り注いでいるだけだった。
「アリス」
呼ばれ、振り返る。
そこにはウラカーンの肩を借りて立つヘリオスが居た。いつの間に消えているのか、結界も、八本の騎士も無い。
「終わり、ましたね」
同じようにフランに支えられているセレーネが言う。
「あ、ぁ。おわ、った」
途端に体が重くなった。小気味良い音が響き、自分を包む力が砕け散る。
視界が揺れ、奇妙な浮遊感が体を襲った。
「っとと、危ないわね」
次に襲ってきたのは、地面の固い痛みではなく、柔らかくあたたかな感触。
「大丈夫?」
見上げれば、金髪に新緑の瞳を持つ少女の顔。さっきまでの真っ白な髪と赤い瞳は、やっぱり。
「これで、全部終わったのね・・・・・・でも・・・・・・」
「・・・・・・あぁ。エーピオス、ドラステーリオス、アペレースは・・・・・・」
アリアの表情が悲しみにかげり、ウラカーンも声を落とす。
そうだ。結局、エーピオスとの約束は守れなかった。三人は、もう。
「・・・・・・エーピオス・・・・・・」
搾り出すように名前を呼ぶ。だが、守れなかった少女たちからの返事などあるわけがなかった。
――――大丈夫だよ――――
声が聞こえる。
反射的にヴァンは顔を上げていた。見れば、アリアも、フランも、ウラカーンも、セレーネも、ヘリオスも、皆目を見開いている。
――――あの子たちには、私を分けるから――――
「アリ、ス?」
問いかけるセレーネの瞳から雫が流れる。しかし、声は答えるなく、消えた。
代わりに。
おぎゃあ。
弾かれたように全員が声の方を見る。
幻聴だと思った。こんな場所で、聞こえるはずが無い。赤ん坊の泣き声なんて。
だが、小さく、か細いものだったが、それは聞こえてきた。
三人分の、赤ちゃんの泣き声。
声を上げる時間すら惜しむように、満身創痍の体を引きずって、皆で駆け出した。




