第百十話
夜が明けてしばらく経った時刻であるが、外殻周辺は薄暗い。濃霧によって太陽の光が遮断されているせいだ。
湿った空気は灰の岩石を暗色にぬらし、より一層暗澹とした演出を醸し出している。
そして、そんな雰囲気をぶち破る一つの爆発。爆裂の閃光が霧を吹き飛ばし、爆音が周囲の岩石に響き渡った。
その黒煙と業火の中から、小柄な人影が飛び出す。体に纏わりつく煙と炎を弾き飛ばすように回転しつつ、真っ白で長い髪と真っ赤なフリルドレスを振り乱して地面へと降り立つ。
人影は、妖精と見間違える顔に紅い瞳を持った美しい少女だった。
「へっ、さすがは竜種ッてところだなァ、オイ」
激情の少女ドラステーリオスは、見た目とかけ離れた乱暴な声音に、犬歯をむき出しにする笑みをつけて黒煙を睨みつける。
少女の言葉に返事を返すように、黒煙から一体の魔獣が飛び出してきた。
鱗に包まれた巨大な体躯と長い首の魔獣は、突き出されて尖った口先と、それ以上に鋭い牙を持つ竜種。
腕は無く、代わりに大きな翼が生えている。否、翼が腕なのだろう。太い尻尾をでたらめに振り回し、近くの岩石を砕いている。
激しい金切り音を鳴らしながら少女に突っ込む魔獣。
その勢いは圧倒的な威圧感と荒々しい凶暴性を前面に押し出していて、どんなに屈強な戦士でも怯えを持つであろう程のものだった。
が、しかし、少女は後退もせず表情すらも笑みのまま、吼えた。
「弱いンだよッ、テメェはぁ!!」
少女の両足を支える岩盤が砕け、小柄な体が魔獣の頭へと飛び上がる。
あまりの速度に白と赤という色しか分からなくなったドラステーリオスの体は、魔獣の頭を一瞬で通過して、同時に、竜の頭は文字通り『四散』した。
断末魔すら上げることなく絶命した魔獣は、その巨大な体を地に墜とし、力そのものになった少女は倒れる魔獣の少し後ろに着地する。
その姿は先ほどのドレスだけでなく、両腕と両足に燃え上がる手甲と足甲をつけていた。
真っ白だった髪は、魔獣の血によってドレスと同じ赤色に染まっている。
「・・・・・・」
少女はゆっくり振り返り、頭だけが消えた魔獣を見下ろす。ずっと浮かべていた獰猛な笑みは無く、ただただ無表情だった。
そんな少女に、いつの間にか戻っていた濃霧の中から無邪気な声がかけられた。
「ドラスー、ドーラースー、どーこー?」
媚びるような甘い声に呼ばれ、ドラステーリオスの顔に表情が戻る。もっとも、その表情は笑みではなく嫌そうなものであったが。
「うるせーな。人の名前を大声で呼ぶンじゃねェ!」
声のしたほうに怒声を向かわせ、声の主に居場所を伝える。
しばらくすると、少女と全く同じ顔をした少女が霧から飛び出してきた。違うのは、着ているドレスが黄色ということだけ。
「みーつけたー。って、あれ? あれあれー? めずらしーね、きれーに残してるなんてー」
黄色のドレスをつけた少女、アペレースが魔獣の死体を見て首をかしげた。
「けっ。・・・・・・で、おまえのは? まさかまだじゃねーだろーな?」
激情の少女は両腕を組んでアペレースを睨み、問いかける。ぶっきらぼうな言い方だが、無邪気な少女はそれを全く気にせず、ニコニコと笑いながら返した。
「もちろん、らっくしょーだったよぉ。重いから向こうに置いてあるの。あとで手伝ってぇ、おねーちゃぁん」
「知るかッ。自分で運べ! だーっ、ひっつくんじゃねェ!」
そういってドラステーリオスは、自身にしな垂れかかってくる妹の頭を押すが、アペレースは腕に抱きついたまま離れようとしない。
少しの間押し返そうとしていたが、やがて諦めたように舌打ちをすると、前髪を掻き揚げて周囲の霧を見渡した。
「チッ。エピのやつ、まだかよ」
唯一妹を軽くあしらえることのできる姉の登場を待つ。
「そういえば遅いねぇ。いつもは一番早いのにぃ」
押し返されることがなくなったのをいい事に、アペレースが言いながら姉の肩に顎を置いた。
「まさか・・・・・・エピに限ってヘマをしたりはしねェと思うが・・・・・・」
顔を歪ませて姉を探すために一歩を踏み出すのと、霧の中から魔獣の金切り声が飛び出してきたのは同時だった。
二人の少女は弾かれたように地を蹴って、濃霧の中を跳ねながら奔る。肌に霧がつき、小さな雫となって頬や首を流れた。
激情の少女と無邪気な少女は、ぽっかりと濃霧が消え去っている『部屋』にたどり着き、目を見開かせる。
四つの紅い瞳に入り込んだのは、先ほど倒した竜種より二回り大きな魔獣が、大量の巨大な剣に貫かれてる光景。
竜を磔にする剣は全て違う形をしていて、共通するのはただ一箇所。柄の先に、巨大な刀身に勝るとも劣らない大きさの鎖が伸びていることだけ。
それらの鎖は、息絶える巨竜の前で佇む水色のフリルドレスを身につけた少女に集められており、少女に向かうごとに細くなっている。
「・・・・・・エピー?」
自身の手で殺しただろう魔獣を静かに見上げる少女に、アペレースが心配そうな表情で声をかけた。
静かな少女エーピオスは振り向いて淡い微笑みを見せる。
「あら、二人とも、どうかしました?」
普段と変わらぬ微笑みと口調に、ドラステーリオスとアペレースは幾分安堵の息をついて返した。
「いや、いつもよりおせぇからよぉ・・・・・・」
激情の少女の言葉を受け、エーピオスが驚きの顔で尋ねる。
「・・・・・・もしかして、心配してくれたのですか?」
面食らっている静かな少女の表情を見て、ドラステーリオスは頬を少し赤らめてから反論した。
「ち、ちげぇよ! おまえがやられちまったら、オヤジの魔力回復が遅れるだろが!」
「あれれー? ドラス、照れてるぅ?」
そっぽを向く激情の少女、その紅くなった頬をぷにぷにとつつきながら無邪気な少女が体を摺り寄せる。
それに対して反論の怒声を上げる少女と、楽しげにからかう少女、そんな妹二人を見てエーピオスは静かな微笑みを浮かべた後、その視線を再度巨竜へと向かわせた。
エーピオスたちが外殻の竜種と戦っている理由。それは魔獣の魔力をテリオスに吸収させるためだ。
別の存在から力を奪う方法に気づいたテリオスは、三人に何度も何度も他の生命を殺させている。
「お父様・・・・・・お父様は、今――――どこに向かっているのですか?」
もう何体目かも忘れてしまった生贄を見上げ、エーピオスは呟いた。
「むぅ・・・・・・ん」
ヴァンは悩んでいた。
一人で居間の丸いテーブルに突っ伏してうなるほど、悩んでいた。
悩みの種は、昨夜アリアと手をつないで帰って来たのをセレーネとヘリオスに目撃されたことでなく、かといって、その時いつか手をつないで散歩をする約束を二人に取り付けられたことでもない。
では、何を悩んでいるのか。
それは、ずばりリシャのことだ。
ヴァンはあの時リシャから逃げてしまった。突きつけられた憎しみを受け入れられず、弁解もせず、償うとも言わず、ただ逃げた。
といっても、ヴァン自身に責任はないとアリアに教えられたし、姉兄やウラカーン、フランも帰って来た自分に同じようなことを言ってくれた。
だが、それでもヴァンはリシャに謝りたいと思っている。
せめて、自分が決めたことを、告げたい。
しかし、いくら決心しようとも、リシャがヴァンと話してくれないのだ。そのことがヴァンを悩ませていた。
「はぁー・・・・・・」
頭を抱えて盛大な溜息をつくヴァン。ずっとテーブルに突っ伏しているせいで、首や顎が痛くなってきてしまった。
ちらと目を横に向ければ、テーブルの上には自分の真っ白で長い髪が散らばっている。
こんなとき、アリアたちが居れば相談の一つでも出来そうなものだが、今この家にはヴァンとレリア、リシャの三人しか居ない。
アリアとセレーネ、ヘリオスの三人は町を見回るために出て行き、ラルウァはギルドに用があると言い、ウラカーンが真剣な顔でそれについていって、フランは楽しそうな表情をしつつ後を追った。
レリアとリシャが家に残っているのは、リシャに襲われた傷跡を残す町の様子を見せるのは酷だからだ。
ヴァンは万が一のことを考え、念のためこの家に残っている。
あぁ、みんなが帰ってきたら、みんなにも聞いてもらわないとな。胸の中で呟いて顎をテーブルに擦り付け頭を左右に軽く振った。
今は仲間たちは全員出かけているので、リシャのほうを優先しよう。
そう考えるも、頭の中では不安だけが渦巻いている。
今は恐らく、リシャはレリアと共に洗濯や掃除をしているのだろう。ヴァンも手伝い所だが、リシャがヴァンを避けるので仕方なく居間でじっとしているのだ。
悲しげに眉をひそめ、テーブルの木目を数える。
しばらくそうしていたヴァンが、何かを決心したように瞳を鋭くさせると思い切り立ち上がった。
「・・・・・・いや! ここでこうしているだけじゃ何もならない! 少し強引でも俺の話を聞いてもらわないと!!」
そうと決まれば! と付け加え、居間から飛び出して裏庭へと走る。
豪快な音を鳴らしながら裏庭へ続く扉を開き、洗濯物を干しているリシャとレリアを視界に入れると、立ち止まって目を泳がせた。
そんなヴァンを困ったような笑みを浮かべて見るレリアと、視線すら動かさずに洗濯物を黙々と干し続けるリシャ。
睨まれるでもなく罵声を浴びせられるでもなく、沈黙だけが与えられたヴァンは、意を決して声を出した。
「リ、リシャ、ちょっと話が・・・・・・!」
「レリアさん、わたし、洗い物をしてきますね」
しかし、リシャはその言葉を無視して別の扉から家の中へ入っていく。その扉はヴァンが飛び出してきた扉とは違い、直接台所へ繋がっているものだ。
「あ、あうあう・・・・・・」
すっかり勢いをなくしたヴァンは、突き出した右手を弱弱しく下ろしつつ、言葉にならない声を漏らす。
「頑張って、ヴァンちゃん」
そんなヴァンに、残りの洗濯物を干しながらレリアが応援を送った。
「う・・・・・・ま、負けんっ」
応援を受けてぐっと握り拳をつくり、リシャが入っていった扉へと急ぐヴァン。
真っ白で長い髪と黒いフリルドレスを揺らしつつ走る少女を、レリアは苦笑を添えて見守った。
こうしてヴァンとリシャの鬼ごっこは始まったのである。
「リシャ、話がっ」
「あ、お部屋の掃除もしないと」
ヴァンが扉を開けるとリシャは台所から出て行き、
「リ、リシャ、俺の話を・・・・・・っ」
「そうだわ、シーツも洗浄魔道具にいれておかないといけないわ」
ヴァンが部屋に入ると入れ違いで出て行き、さらに部屋の扉まで閉め、
「リ、リシャ、待ってくれ・・・・・・!」
「忘れてたわ、地下の食材を出してといわれてたんだった」
「って、あわー!」
ヴァンが脱衣所にたどり着くと風呂場に誘導してまた扉を閉め、
「リ、シャ・・・・・・!」
「そろそろ洗濯物のお手伝いに行かないと」
ヴァンが地下の階段を降りていると、実は地下へ降りてなかったリシャが地下への扉を閉め、
「・・・・・・!」
「それじゃあ、レリアさん、洗濯物終わりましたし、洗浄具にいれたシーツ持ってきますね」
またも裏庭へ戻って来たヴァンだが、リシャはレリアにそう言うとまた別の扉から家の中へと入っていった。
ぐらりと体を傾かせて地面に手をつき、さめざめと涙を流すヴァン。
「今のは何も言ってないのに・・・・・・!」
「・・・・・・苦戦してるようねぇ」
小さく笑いながらレリアがヴァンの側で屈み、細い指で白い髪に覆われた頭を突っついた。
「私から話を聞くよう言ってみる?」
「いえ・・・・・・俺の言葉で聞いてもらわないと・・・・・・」
提案を即答で返されたレリアは、そう、と微笑みを浮かべて立ち上がる。
次いでヴァンも立ち上がり、黒のドレススカートを軽く叩き汚れを落とし、俯く。
口ではそういっても、無視されるごとにヴァンは胸が締め付けられる痛みを感じている。
もう笑い合うことは出来ないかもしれない。赦してもらえないかも知れない。
自分がすること、償いを聞いて欲しいと決心しても、そう思うと頭が揺れる。また逃げ出したくなる。
「大丈夫よ」
そんなヴァンの頭上から一つ落とされた。見上げるとレリアの微笑みが目に映る。
目を丸くするヴァンに、レリアはまた言葉を落とす。
「――大丈夫よ」
ヴァンは揺らぐ思いがまた固まるのを感じ、力強く頷いた。そのまましっかりとした足取りでリシャを追う。
家の中に続く扉を開き、綺麗に磨かれた板張りの廊下を歩き、居間に入る。
そこにリシャの姿は無く、また胸にちくりと痛みが走ったが、今度は決心は揺るがない。
別の部屋を探そうと居間から出ようと扉の取っ手を掴むのと、玄関のほうから複数の足音が聞こえてくるのは同時だった。
ヴァンが居間にあるもう一つの扉、玄関へと続く方向に目をやると、その扉は応答するように開き、足音の主たちを招きいれる。
「あ、ただいま、ヴァン」
入ってきた者たちの中、金髪の美しい少女がヴァンに笑顔と言葉を向け、ヴァンもその少女と後から入ってきた五人に同じく笑顔と声を投げる。
「おかえり、みんな」
そして、すぐに表情を鋭くさせると、言葉を続けた。
「――――みんなに、聞いて欲しいことがあるんだ」
自分で決めたこと。リシャに伝えたいこと。
それは、仲間にも伝えたいこと。
扉から手を離し、アリアたちの顔をそれぞれ見回す。
ごめん、リシャ・・・・・・でも絶対に伝えるから。
少し待たせてしまうことに、ヴァンは心の中で謝罪した。
読んで頂きありがとうございます。
・・・はい、大変お久しぶりです。更新が遅くなり申し訳ありません。
(´・ω・)っ『言い訳タイム』
実は小説の設定やプロットなどを保存しているUSBメモリがこの度天に召されてしまいまして・・・あの手この手でアレイズを試みたのですが全て「だが効果が無かった」状態。
仕方が無いので記憶を頼りに一つずつ思い出して書き直していたのです(p_q)
そのため本編執筆が非常に遅くなってしまい・・・うんぬんかんぬん。
ですがっ、書き直しは全て終わりましたので、今後は通常通り・・・・・・ふ、不定期更新となります!
こんなコヅツミですが、最後までお付き合いくださいますよう、よろしくおねがいします(*- -)(*_ _)ペコリ




