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第百七話

「ね、ねぇ、ヴァン」

「ん? なんだ?」

 黒色の腰掛をつけ、ベッドのシーツを直しているアリアに声をかけられて、同じく別のベッドのシーツをシワ無く伸ばしているヴァンが振り返った。

「その、私、ヴァンに・・・・・・き、聞きたいことがあるんだけど」

 上ずった声で言葉を続けるアリアの背中を見ながら、ヴァンが首をかしげて聞き返す。

「聞きたいこと?」

 それを了承と受け取ったアリアは屈んでいた上体を起こしてヴァンのほうに顔を向けた。ヴァンの目を真っ直ぐ見返すアリアの顔は少し紅くなっている。

 その表情を見て、ヴァンが何を聞かれるのかと体を固くさせるが、アリアが尋ねてきたのは予想外のものであった。

「その、ね。ヴァン、私のこと、怒ってない?」

「・・・・・・へ?」

 目を丸くさせてパチパチと瞬きを繰り返すヴァンに、アリアは視線を外して肩にかかる波打つ金髪を指でいじる。

「えっと、ほら・・・・・・前、無理矢理キスしちゃったから・・・・・・お、怒ってる?」

「・・・・・・・・・・・・へ?」

 今度は目が点となり、首をかしげるヴァン。

 何故怒っているのかと聞いてくるのかは分からなかったが、もじもじと体を揺らしつつ窺うように上目遣いで見てくるアリアは真剣なのだというのことは分かった。

 その時のことを思い出してしまい、ヴァンも顔を真っ赤にしながら答える。

「い、いや、全然怒ってないけど・・・・・・どうしてだ?」

 最初の部分でアリアは表情を明るくさせ、最後の問いかけで明度を落とし少し俯いてから返した。

「だって・・・・・・あの時、危うく窒息させるところだったし・・・・・・無理矢理だったし・・・・・・ヴァン、ずっと黙ってたし・・・・・・」

 胸の前で両手を合わせ、人差し指同士をくるくると交じらせながら言うアリアに、ヴァンは初めのきょとんとした顔を段々と苦笑に変えていく。

「はは、そんなこと、ずっと気にしてたのか?」

「・・・・・・そ、そんなことって・・・・・・」

 ヴァンの言葉にアリアは頬を膨らませるが、それでも小さく頷いた。

「まぁ、確かに無理矢理だったし、苦しかったし、恥ずかしかったけど・・・・・・」

 アリアのほうへ歩きながら一つずつ意地の悪い口調で言うヴァンと、それを受けるごとに鈍器に殴られたかのような反応を返すアリア。

「でも」

 すぐ目の前まで来たヴァンは、涙目で俯くアリアを見上げて頬を赤らめ、耳を澄ませば聞こえるほどの声量で呟いた。

「・・・・・・嬉しかったのも、あるぞ」

「ホ、ント・・・・・・?」

 目を見開きつつ聞き返すアリアに、ヴァンは眉をひそめてまた返す。

「何度も言わせるな。恥ずかしいんだから」

 ヴァンの怒ったような顔を見下ろして、魔女はくすりと笑った。

「うん・・・・・・ありがと」

「礼を言われることなんだろうか。・・・・・・って、おい、その手はなんだ」

 呆れ声と共にヴァンが自身の腰に視線を向ける。

 そこにはアリアの左手がしっかりとヴァンの腰を抱いているのが見えた。

「嬉しかったなら、もっとしてもいいわよね?」

「・・・・・・お前な・・・・・・」

 いつの間にか密着させられている体を押し返そうと、アリアの腹に両手を当てるヴァン。

「・・・・・・嫌?」

 しかし、アリアの水分を多量に含んだ瞳を見て両手はただ当てられるだけのものとなった。

「嫌、ではないが・・・・・・」

 その瞳を直視できず視線をそらすヴァンだが、アリアが右手で顎を持って無理矢理顔を向けさせる。

「あ・・・・・・」

「私は、もっとしたいな」

 先ほどまで涙目だったのに、今度は誘惑するような笑みを浮かべるアリア。

 次はヴァンの瞳が多量の水分を含むこととなり、顔もさらに赤くなっていく。

「だ、だめだ。リシャが戻ってくる、だろ・・・・・・」

 何とか逃れようと右手でアリアの左腕を掴むが、さらに体を引き寄せられてしまい上手く掴むことができない。

「今行ったばっかりだから平気よ・・・・・・すぐに済むから・・・・・・」

「だめ、だってっ!」

「・・・・・・いいじゃない。私、ずっと聞こうと思ってたけど聞けなかったのよ? 今だって頑張って勇気出して、やっと聞けたんだから」

「・・・・・・そう、なのか?」

 そんなに悩んでいたのか。とヴァンはアリアの目を見つめて心の中で溜息をつく。

 といっても、あの時からそんな素振りは全く見なかった上に、時間が過ぎているのでヴァンにしてみれば突然訳が分からないことを聞かれたようなものだったが。

 何だかそう言われてしまっては、自分が悪いことをしたような気がしてくる。元はといえばあの時黙り込んでしまった自分を見て勘違いしてしまったのだから。

 ・・・・・・その前に無理矢理キスをされなければお互い悩むこともなかったんじゃ。とも考えたが、とりあえずそれはどこかに飛ばしておくことにする。

「そうよ。だから、頑張った私にご褒美くれても良いんじゃない?」

 少々理不尽な提案ではあるが、体をずっと密着させているせいで頭がぼーっとしてきているヴァンには、自然なことに聞こえた。

「ご、ほうび・・・・・・?」

「そう。ごほうび。ね? いいでしょう・・・・・・?」

 トロンと眠そうな目になってきたヴァンの返事を待たず、アリアの顔が徐々に落ちていく。ゆっくりゆっくり近づいていき、あと少しで唇が重なる、という瞬間、二人の耳にドアが開くときに聞こえる、ぎぃという軋む音が飛び込んできた。

「・・・・・・っ!!」

 同時にヴァンの意識が完全に覚醒し、両手でアリアを思い切り突き飛ばす。

 魔力放出も使ってるんじゃないかと言う勢いで突き飛ばされたアリアは、そのまま後頭部をしたたかに床へ叩きつけた。

「あぎぐっ!?」

 両手で頭を抱えてもだえるアリアを無視し、ヴァンが愛想笑いを浮かべて扉を開いた人物に声をかける。

「は、早かったな。レリアさんはなんて言ってた?」

 だが、視線の先に居る黄髪の少女リシャは、俯いたまま何も言わない。

「リシャ? どうした、何かあったのか?」

 さっきまで淡い笑顔を浮かべていたとは思えないほどの変わりように、ヴァンは心配そうな表情で近づいていく。

 すぐ前まで来ると、少女が何かブツブツと呟いているのが分かった。

「リシャ・・・・・・?」

 怪訝な顔で俯いているリシャを覗き込もうと体を傾けるが、それより早くリシャが顔を上げてヴァンを睨んだ(・・・)

 肩を大きく震わせてヴァンが後ずさるのと同時に、乾いた音が部屋中に響いた。

「え・・・・・・?」

 その音がどこから出たのか、ヴァンは最初分からなかった。

 しかし、頬から伝わる焼けるような痛みと自分の視線が強制的に右へ向けられたのと、リシャの左手が目に入っているのとで、自分がリシャに叩かれたのだとわかった。

「ちょ、ちょっと、いきなりなにす」

 部屋の真ん中当たりで転がっていたアリアが、リシャの行動で体を起こし怒声を上げる。

 だが、その怒りの声は、さらに大きな憎しみの声でかき消された。

「あんたのせいでっ!!!」

 びりびりと体の芯に声が突き刺さる。あり得ないとは分かっていても、この家全体も震えた気がした。

「・・・・・・な、に・・・・・・?」

 何故叩かれたのか、何が自分のせいなのか・・・・・・何故この少女は自分に憎しみをぶつけるのか。

 さっきまで自分を心配してくれていたのに。さっきまで友達でいられたのに。


 さっきまで、笑い合って、いたのに。


 呆然としながらも、頬に受けた痛みがこれは現実だと教えてくれる。

 混乱する思考で、戸惑う思いで、ぐるぐると何かを吐き出しそうになるヴァン。

 それでも、リシャは構うことなく怒声を上げた。

「あんたが来なければ! あんたが居なければ! お父さんもお母さんも、ミシャも死ななかったのに!!」

「なにを・・・・・・言って・・・・・・」

 俺が来なければ? 俺が居なければ? リシャの家族が死ななかった?

 何故。何故。何故・・・・・・。

「お父さんを返して! お母さんを返して! ミシャを・・・・・・!」

 そこで少女は座り込み、嗚咽を上げて雫を落とす。

「ミシャを・・・・・・返してぇ・・・・・・」

 顔を両手で包み、大声を上げて泣き続けるリシャ。

 呆然とするヴァンとアリア。

 痛いほどに静かな部屋の外の廊下から、何人もの人が走る足音が雑音が飛んでくる。

 それはヴァンの耳に入っておらず、意識は全て思考へとまわっていた。


 本当は考えたくない。考えたくないのに、思い出されてしまう。

 滅んだ村での、師匠たちの会話。

『そうだな。ここを襲った魔獣どもがまだ近くにいるかもしれんし、魔獣除けを壊すほどの奴が』

『魔獣除けがー? それってさー、なーんかおかしくないー?』

『何がだ? 魔獣除けが無ければ、小型の魔獣を村に入れることが出来るだろう。ならば、破壊するのは当然だ』


 それは、つまり、もしかしたら、あるいは。


『つまり、最初から村を攻撃するつもりで強力な魔獣が人里まで下り、力の弱い連中のために『わざわざ』魔獣除けを破壊した、ということかの?』


 ヴァンの心臓が一つ高鳴った。感情が思考を拒む。答えにたどり着くのを拒否する。知りたくない、分かりたくない、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。


『あんたが来なければ! あんたが居なければ! お父さんもお母さんも、ミシャも死ななかったのに!!』


 それは、つまり、だから、ゆえに。


 気づきたくなかった―何故気づかなかった―。

 すぐに分かったはずだ―分かりたくなかった―。

 俺を狙う、奴らがやった。

 俺を狙う。

 俺を。


 ――俺のせいだ。



 弾かれたようにヴァンが走り、部屋の窓を音を響かせながら開けてそこから飛び出す。

「ヴァン!?」

 アリアは素早く立ち上がって一瞬リシャのほうを見るが、部屋に入ってくる母たちの姿を目に入れるとヴァンと同じように窓から飛び出していく。

「待ってっ、ヴァン!」

 アリアの声があけられた窓から部屋に漏れ入り、それを聞くのは涙を流し続ける少女と、悲痛な面持ちをする仲間たちだけだった。


読んでいただきありがとうございます。

はい、というわけで・・・悲しいお話スタートです。

といっても次回からはフォローというかなんというかなお話になるんですけどね。

・・・コヅツミに書けるでしょうか、そんな難しい会話。・・・がんばろう。

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