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過去と、これから

今回はラオレイール視点です。

 夜四刻。

 今日最後となるその鐘の音を聞きながら、俺は剣の手入れに勤しんでいた。

 ユイさんをしかと守る為に、これは決して疎かにはできないものだ。

 しかし、今日ばかりは少し、別の理由もあって始めた行為だった。

 これから訪れる人物が持ってくる話に対する緊張を、その事から気を逸らし、少しでも和らげておくために。

 俺は『あとでな?』と言っていたその人物を脳裏に浮かべ、そしてその人が訪れた時始まるであろう、予想のつく話に僅かに眉を寄せ、首を振った。

 ……今の俺にはもう関係のない話だが、それでも、聞かなければならない。

 あの後、国が、そして彼らが、どうなったのかを、俺は知っておく義務がある。


「ラオ、私だ。入っても良いかな?」

「! ……はい、どうぞ」


 しばし手入れを続けていると、ふいにノックの音が響き、待っていた人物の声が扉から聞こえてきた。

 すぐに入室の許可を返すと共に、剣を片付け、その手入れを終わらせる。

 

「ああ、剣の手入れをしていたのか。なら、邪魔をしたかな?」

「いえ、ちょうど終了したところです。どうかお気になさらずに。……お待ちしておりました、兄上」

「……ああ」


 扉を開けて部屋へと入ってきた兄上は、剣を片付ける俺を見て、形だけの気遣いの言葉を放った。

 俺がそれを否定する事も、兄上の来訪を、覚悟をもって待っていた事も承知しているだろう。

 それにもし、万が一俺が『邪魔』だと言ったとしても、兄上はそれで話をやめて帰る事もない筈だ。


「どうぞ、そちらにおかけ下さい。……少々冷めてはおりますが、茶を用意して戴いておりますので、只今お淹れ致します」

「ああ、ありがとう。遠慮なくいただくよ」


 俺は兄上に向かいの椅子を薦めると、ティーポットを手にしてお茶を淹れた。

 兄上はカップを手にしてそれを口元に運び、喉を潤すと、口を開いた。


「さて、ラオ。……まずは問おう。聞きたいかい?」

「……聞かなければならないと、思っております」

「ふむ。……この期に及んで躊躇するようなら、鉄拳制裁をするところだったけれど。……いい子だね、ラオ。では、話すとしよう」

「お願い致します」


 兄上はその顔に王太子としての笑みを浮かべ、俺に質問を投げかけた。

 それに対して俺が神妙に返事を返すと、目を細め、カップを置いた。


「まずは、お前と同じ愚行に走った彼らだが。とりあえず全員生きてはいるようだよ。他国で、腕さえ良く使えるなら良しと考える地方領主に武官や文官として拾って貰えた者もいれば、揃って冒険者ギルドに登録し、協力して依頼をこなして生計を立てている者もいるようだ」

「……そうですか。……生きていてくれているならば、良かったです。……。……俺の、元婚約者のご令嬢は?」

「新たに婚約をしたよ。己の濡れ衣を晴らすのを協力してくれた従兄弟殿とね。元々仲は良好だったようで、幸せそうにしている姿を見かけるよ」

「そう、ですか。それなら、良かった。……。……それで、兄上……」

「彼女、かい? 彼女はね、結論から言えば、修道院には行っていないよ」

「え? そ、それでは……?」

「豪商の息子が阻止したらしいんだ。修道院に送る為の馬車の御者を買収したようでね。二人で消えた。行方知れずだね」

「……行方知れず……。……無事でしょうか」

「さてね。……あの彼女が、豪商、いや、元豪商の息子程度で満足するとも思えないけれど。……ねえラオ? この先、旅路の中でもし、彼女に会ったら、お前はどうする?」

「え?」

「以前のように甘い言葉で誘われたら。すがられたら。お前はどうする? 誘いに乗らないと、断言できるかい?」

「………………」


 話の途中、兄上から問われた言葉に、俺は目を見開き、静止した。

 咄嗟に答えを返せず、兄上をじっと見つめてしまう。

 それは俺にとって、全く予想外の質問だった。


「……。……何を言っているんだ、という顔だね?」

「! ……申し訳ありません。そんな質問をされるとは、思いもしていなかったもので……」

「何故? 可能性はある事だろう?」

「ございません! ……あ、いえ、彼女に関して言えば、もし出会ったなら、そうしてくる可能性はあるでしょう。けれど……」

「……お前が、それに乗る可能性はない、と?」

「はい。俺にはもう、ユイさんがおりますから」

「……ユイさん、か。……気持ちはしかと通じているのかい、ラオ?」

「あ、いえ、それは……。……目下、努力中です。けれどいつか、必ずそうなってみせます」

「ふむ。……ならいい。どうやら本当に心配はないようだし、この話は終わりだね」

「兄上……ご心配とご苦労をおかけして、誠に申し訳ございません。今回の、この旅も……本来なら、第二王子であった俺の役目でありましたのに……」

「全くだね。お前がいなくなったせいで、私が出ざるを得なくなった。……他の魔法剣士達では、狂った魔王の相手など務まらない。戦死して来いというようなものだし、各国から出される他の仲間にも迷惑だ。何より、我が国の魔法剣士の質はこの程度に落ちたかと、他国に笑われかねない。この旅は、国の代表として赴くのだから、そんな恥は晒せない。……既に、他国の者もいる公けの場で、恥さらしな行為が行われてからさほど経っていない時期だしね」

「っ……重ね重ね、申し訳ございません」


 兄上から紡がれる言葉の数々に、俺は次第に身を縮めていく。

 今ここに穴があったなら、迷う事なく飛び込んだだろう。

 そんな俺を見て、兄上は深い溜め息を吐いた。


「ラオ。偶然とはいえ、お前はユイさんの、聖女様の護衛となった。私達とは似て非なるものだが、その役目、最後まで全うしなさい。そうすれば、その功績をもって、お前を奴隷から解放できるだろう。旅が終われば、お前がこの国で普通に生きられるよう、私はキルアリーク殿に願うつもりだ」

「! 奴隷から解放……? しかし兄上、俺は」

「ユイさんの側にいるにも、そのままでは不都合だろう? 奴隷と恋仲になっている主人だと、ユイさんが世間から笑われてもいいというのかい?」

「!! あっ……!!」

「……ラオ……。……もう少し広く世界を知りなさい。あんな事をしたのも、そもそもはお前が小さな世界で生きていたせいもあるのだから」

「……はい……すみません、兄上」


 再び大きく溜め息を吐いた兄上に、俺は心底情けない気持ちで謝罪をした。

 ……ユイさんの側にいて、その心を手に入れるだけでは、駄目だったのだ。

 俺は今の自分の身分を、どうにかしなければならない。

 国に戻る事はもう不可能だが、この国でただの、平民のラオレイールとして身分証を新たに貰い生きる事くらいは、可能だろう。

 聖女様の護衛という肩書きの元に、きっと功績を上げてみせる。

 その功績はユイさんを守り抜く事で得られるのだから、迷う事は何もない。

 俺はただ全力で、ユイさんを守るだけだ。

 ユイさんは、俺の光。

 奴隷に堕ちてこの世の地獄と言えるような生活を強いられていた俺に、再び人としての普通の生活を与えてくれた人。

 それが、どれだけ俺を癒してくれた事か……。

 甘言を囁き、俺に寄り添うふりをして堕落させた彼女とは、全く違う。

 ユイさんは恐怖に怯える俺を甘やかす事なく、そして無理をさせる事もなくゆっくりとそれに立ち向かわせ、克服させてくれた。

 ……今にして思えば、元婚約者の令嬢も、そういう人だった。

 ユイさんとはやり方も言い方も違ったけれど、きっと俺を思っての事だっただろうに……当時の俺はそれに気づこうともせず、ただ令嬢を遠ざけた。

 ……直接償うすべは、もうないけれど。

 せめて、俺はもう二度と、道を間違わない。

 たとえ、兄上が言ったようにこの先彼女と再会し、どんな甘言を囁かれようとも。

ここ、なろうで、転生悪役令嬢の婚約破棄話を読んでいる方はラオの過去に何があったか、これで想像がついたかと思われます……。

もしかしたらキーワードを見て、この回の前に既に察してらした方もいるかもしれませんが、ラオは過去、ざまあされています。

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