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第95話 そして、さようなら

 










「遠路はるばる御足労いただいて感謝する。我が破壊神バイラヴァである。貴様らの滅ぼすべき悪神だ」


 満足そうに笑いながら鷹揚に腕を広げる破壊神バイラヴァ。

 とてもじゃないが、軍勢を向けられて命を狙われている張本人とは思えないほどの余裕だ。


 目の前で自分を殺そうと殺意と敵意をみなぎらせている軍勢を見てもこの態度を変えないのは、肝がとてもよく据わっている。


「あれが……」

「破壊神……!」


 自分たちが倒すべき対象。

 それを前にして、彼らが抱いたのは様々な感情である。


 興奮、怒り、殺意……。どれも、負の感情だ。

 それを受けて、バイラヴァはとても心地よさそうに笑う。


「なにふんぞり返って見下してやがる!」

「そうだ! 早く降りて来い! ぶっ殺してやる!!」


 怒声が響き渡る。

 千に近い人々の罵詈雑言だ。


 それは、大地を揺らすほどの迫力があった。

 そして、その悪意を一身に受けるバイラヴァ。


 常人なら耐えられない。一人の相手に嫌われただけでも気をもむ者がいるというのに、それが千に近く、また悪意の強さも半端ではない。

 当てられただけでも精神がおかしくなっても不思議ではないのだが……。


「うむうむ。良いな。元気だ。我はそういうのを求めていたんだよ。ありがとう、本当に……」


 バイラヴァはほろりと涙を流さんばかりに感謝していた。

 これには、レオンたちも困惑する。


 彼らは知る由もない。

 かつて、千年前は激しい戦争を繰り広げた好敵手が、色々と壊れて自分を求めてくるようになる破壊神の苦労と絶望なんて。


 こうして、大勢の徒党を組んで敵意と殺意を向けられるなんて、どれほどぶりだろうか?

 こんなに嬉しいことなんて、復活して以来初めてのことかもしれない。


 しかし……歓迎ばかりしているわけではない。

 スッと目が細まり、軍勢を捉える。


 それだけで、まるで心臓を掴まれているかのような感覚に陥り、怒声が一気に止む。


「しかし、ふむ……貴様らは……我にそのような口を利けるほどの強者かな?」

「…………ッ!?」


 格というものがある。

 それが近しい者、もしくは同列や上の存在でなければ、話しかけるなどの接触を図ることは許されない。


 地位が分かりやすいだろう。

 たとえば、貴族に奴隷が話しかけるなんてことは許されない。格が違うからである。


 では、破壊神に対しては?

 かつて、世界征服まであと一歩のところまで迫った、最強にして最悪の神に対しては?


 そんな彼に対して、普通の人間が声をかけることが許されるのか?

 おそらく、彼らだけならばこの言葉一つで不様に敗走していただろう。


 言葉にそれだけの力が込められていた。

 だが、ハッと気づく。


 今、自分たちだけではないのだということを。


「お、俺たちには、精霊様がついている! お前なんか、瞬殺だ!」

「そ、そうだ! 精霊様が最強なんだ!」


 そうだ、精霊がいる。

 後方には、破壊神の言葉を受けても狼狽していない二人の大きな存在がいた。


 タラリと冷や汗を垂らしてはいるが、それは軍勢からは見えていない。

 ただ悠然と立ち、破壊神を見据えているように見える。


 その余裕に彼らは再び気勢を上げようとして……。


「ほほう!」


 バイラヴァも喜んでいた。


「なんと……精霊まで連れてきてくれたのか。貴様らは本当に素晴らしい。ありがとう。この我がこれほど感謝することなんて、千年前でもなかったぞ。貴様らは、まさに我の英雄だ」

「な、何を……」


 殺しに来た相手に感謝される。

 なんと不思議なことだろうか。


 理解のできない恐怖に襲われる。


「さて」


 パン、と手を合わせるバイラヴァ。

 もはや、軍勢は罵詈雑言を吐くこともできず、彼の一挙手一投足に惹きつけられていた。


 それは、本能的なものだったのかもしれない。

 自分にとっての脅威となるものから、目を離してはいけない。


 野生動物ならだれしもが持っている本能を、彼らは無意識的に行使していたのである。


「では、貴様らに先手を譲ろうか? まず、我に攻撃を仕掛けてみるか? 感謝のしるしだ。何もしないで受けてやろう」


 バイラヴァの提案は、誰もが予想していなかったものだった。

 無抵抗を貫くと、そう言ったのだ。


 短気な者は、恐怖を忘れて怒りをあらわにする。


「な、なんだと!?」

「お、おい、待て! 罠かもしれねえだろうが!!」

「そ、そうか……」


 だが、それが罠でないと断言できる者が何もなかった。

 それは、精霊であるベニーやレオンも同じだ。


 絶対に何か準備をしてある。

 でなければ、今まで一切抵抗しないで聖地までたどり着けた方がおかしい。


 今まで攻撃や防衛がなかったのは、それが理由だ。

 レオンはそう確信していた。


「だから、動かないでくださいね、ベニー」

「本当に罠か? ここで動かないと、マズイことになる。俺はそう思うが……」

「確かにそうかもしれませんが、私たち精霊がいることを知りながらも先手を譲るというのはあまりにも余裕がありすぎます。何かしらの手段を講じているに違いありません」

「そ、そうか……」


 ベニーはどこか納得はいかないものの、レオンの言葉に従う。

 これは、レオンの考えた作戦だ。


 彼に背けば、面子が立たない。

 しかし、何故か強い胸騒ぎがする。


 ベニーは一切の警戒を解かずに、バイラヴァも睨みつける。


「……うん? 来ないのか? ならば、仕方ない。我のサービスだったのだが……喜んでもらえなくて残念だ」


 残念そうに顔を歪めるバイラヴァ。

 彼は、本当に先手を譲り、攻撃を仕掛けるつもりはなかった。


 もちろん、罠なんてものもない。

 彼は、そんな面倒くさい搦め手は弄さない。


 思わず舐めたようなことをしてしまうほど、バイラヴァは喜んでいたのだ。

 ちゃんとした破壊神に対する対応と姿勢。


 そうしてもらえるのが、こんなにも嬉しいことだったとは……。

 しかし、精一杯のお返しは受け取ってもらえなかった。


 それは残念だ。

 そのお返しを受け取ってもらわなければ、こんなことは一瞬で終わってしまうのだから。


「では、我から歓迎の挨拶だ。是非受け取ってくれ」


 バイラヴァの頭上に黒い魔力が一気に集束する。

 ギコォ……と、まるでバイオリンの弦をむちゃくちゃに引っ張って擦ったような、耳を塞ぎたくなるような音。


 それは球体となり、どんどんと大きくなる。

 さらに、それだけにはとどまらず、黒い炎が噴きあがる。


 それは、まさしく黒い太陽だった。


「……!! いけません! ベニー!!」

「くそ……っ!!」


 いち早く反応を見せたのは、精霊である。

 レオンが名を呼べば、ベニーが彼の前に出る。


 カッと光って彼の手にあったのは、巨大な盾だ。

 それは、成人男性の大きさである二人を容易く覆い隠すことができるほど。


 二人はその盾に隠れていたため、破壊神や軍勢の姿を捉えることはできなかった。

 しかし、その声はやけに耳に届き、そして響いた。


「ようこそ。そして、さようなら」


 そして、黒い太陽が落ちた。




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