第94話 ようこそ
「…………」
「まーだ気にしてるのかよ。あのなあ、お前も自分の作戦に自信があるんだろ?」
黙りこくるレオンを見て、ベニーが隣にやってきて言う。
本来であれば、彼が他人に……精霊とはいえ、気を遣うなんてことはありえない。
それだけ、今のレオンが黙りこくって辛気臭いのである。
「……ええ、それは当然です。ですが、気にならないと言えば嘘になります」
ヴェロニカの言葉。
それが、喉に魚の骨が刺さったような、小さな引っ掛かりを彼に与えた。
別に、ヴェロニカの言う通りだったとしても、それはそれで構わない。
この作戦において、バイラヴァに精神的なダメージを与えるのは、いわば副次的なものだ。
主目的は、バイラヴァのシンパ……つまり、彼の味方を減らすこと。
そして、これに関しては大成功だ。
今、自分の前を歩いている多くの軍勢は、まさしくその成果である。
だから、精神的なダメージがバイラヴァに及んでいなかったとしても、目的自体は達成されていて……。
しかし、それでもレオンの引っ掛かりはとれない。
まるで、致命的な見逃しをしているようで……。
「俺もこんな搦め手みたいなのは好きじゃねえが、効果的だとは思うぜ。破壊神は、確かに強い。それを認めているから、俺もお前に付き合っているんだ。そのお前が不安そうにしていたら、堪ったもんじゃないぜ」
「そう、ですね。すみません」
未だ落ち込む様子を見せるレオンに、はあっとため息を吐くベニー。
こんな風に気を遣うなんて、とても珍しい。
「まあ、終わったら酒でも飲もうぜ。この世界の酒って、意外と美味いんだ。俺たちの世界と違って余裕があるからかな?」
「ふふっ、そうですね」
ベニーが不慣れな励ましをしてくれるので、思わず笑ってしまう。
しかし、ちょうどいい具合に身体の緊張がなくなった。
そうだ。少し気にしすぎていたかもしれない。
本来の目的である切り離しは成功しているのである。
もともと、そうして破壊神側の勢力を削いで、複数の精霊で破壊神を押しつぶす作戦だ。
ならば、これは順調と言うことができるだろう。
レオンはそう自分を説得する。
「ベニー様! レオン様! 『バイラヴァ教』の聖地が見えてきました!」
すると、彼の元にそんな報告が届けられる。
遠くを見れば、かすかに立派な城塞都市が目に入る。
かつてはただの寒村だったそこは、今や立派な軍事都市に変わっていた。
『バイラヴァ教』を信仰することによって、ここまでの発展を見せていた。
「……結局、一度も抵抗がありませんでしたね」
「俺たちのことに気づいていないんじゃねえか?」
不可解そうに顔を歪めるレオンに、ベニーが答える。
それはありえないと、すぐに首を横に振る。
「いえ、それはありえません。私たちが洗脳した反破壊神の軍勢は、かなりの規模です。あれをもってしても洗脳しきれなかった破壊神のシンパは、まだ数こそ少ないものの確かに存在しています。彼らが私たちを見過ごすはずがないのですが……」
おそらく、情報網のようなものは敷いているだろう。
これだけの大所帯なのだ。目に入らないわけがない。
なのだが……敵が迫ってきているというのに、一度も妨害がなかった。
それは、レオンからすれば奇妙に映る。
「ふーん……まあ、いいじゃねえか。俺たちのお目当ては、目の前だ。こいつらに邪魔な破壊神の手下をやってもらい、俺たちで破壊神を潰す!」
ベニーはそんな不安を吹き飛ばすように、力強く宣言する。
レオンも、彼がいれば破壊神に負けることはないと断言できるほど、その力には信頼を置いていた。
「……だってのに、何でまたヴェロニカの奴は来ねえのかね」
「さあ、何でしょうね。もともと、親交があったわけでもありませんし」
ウキウキとしていた顔が、一気にしなびれる。
その理由は、ここにいない精霊ヴェロニカである。
彼女は……彼女だけは、この場にいなかった。
何も言わずに、姿を消してしまったのである。
もともと、彼らは親交があったわけではない。
他の精霊と同じく、適切な距離をとってお互い関わり合わないようにしていた。
それを覆してきたのが、ヴェロニカである。
彼女はヘラヘラと笑いながら近づいてきて、『ガイスト』を作った。
ベニーもレオンも破壊神の脅威を多少なりとも感じていたからこそそれを受け入れたが、まだ彼女の性格や性分というものをしっかりと把握しているわけではなかった。
「怖気づいたか? まあ、いいさ。ご執心の破壊神が、俺たちの手で殺されてもいいらしいしな」
「ええ、まったくです」
ヴェロニカの心配はしない。
信頼しているからというよりも、彼女のことがどうでもいいからである。
対破壊神ということで協調はしているが、仲間意識というのは非常に希薄である。
それが、精霊というものだった。
「……おかしいですね」
ぽつりと、またレオンが呟く。
それを受けて、ベニーが呆れた表情を作る。
「あん? 何が? また何かあるのか?」
「散発的な抵抗がなかったことは理解できます。戦力も大幅に減っているでしょうし、本拠地に籠って戦力をかき集めているのだと思っていました。しかし……」
もはや、目の前に迫っている城塞都市を見て、レオンが言う。
「どうして、未だなお破壊神の軍勢が見えないのですか?」
まだだ。まだ、迎撃が来ない。
それどころか、迎え撃とうとする破壊神の勢力すら見えない。
これは、いくら何でもおかしすぎる。
もはや、目と鼻の先なのだ。
これ以上見過ごしていれば、都市に攻撃が届いてしまう。
そうなる前に迎撃するのが当然だろう。
籠城も考えられるが、それは援軍が来ることが前提である。
それがないのに、閉じこもるというのは自殺行為以外のなにものでもない。
「……それくらい、人がいねえってことじゃないのか?」
「それはありえません。狂信者は数こそそれほど多くはないものの、存在していたことは確認済みです。まだ、破壊神を慕って彼の元に集まっている者もいます」
「じゃあ、まだ気づいていないとか……」
「この距離に来てですか? もはや、目で視認できるほどです。それに、破壊神があの聖地以外にいるということがないのは、確認済みです」
「その狂信者が破壊神を襲って俺たちに降伏しようとしているとか!」
「先ほども言いましたが、狂信者は狂信者です。それも、カルトの。となれば、信仰対象である破壊神に手を上げようとすることはありえません」
ベニーが色々と理由を上げてくれるが、レオンはそれを全て違うと断言できる考えに至ってしまっていた。
不可解……あまりにも、意味が分からない。
それが、怖くて仕方ない。
自分が、まるで毒の底なし沼に脚を突っ込んでしまっているような、そんな感覚に襲われる。
「あー……じゃあ、何だってんだよ」
ぼりぼりと面倒くさそうに頭をかくベニー。
彼もこれ以上レオンに気を遣うのが嫌になってきたのだろう。
「それがわからないから……」
こうして悩んでいるのだ。
そう続けようとしたレオンの言葉は、重厚感がありつつもよく通る声に遮られるのであった。
「ようこそ、諸君」
それは、歓迎の言葉だった。
反破壊神の軍勢が一斉に顔を上げる。
城壁の上に立っていたのは、あの男だ。
彼らにとっての大敵。世界の脅威。
破壊神バイラヴァ。その彼が、凄惨な笑みを浮かべて見下ろしてきていたのであった。




