第91話 どの口が言ってんだ
『うーん……ちゃんと映っているのかしらぁ? というかぁ、神様は見てくれているのぉ? こっちからは分からないのが難点ねぇ……』
ひらひらと手を振りながら、難しそうに顔を歪めている女。
その仕草一つ一つに魔性を感じさせるような退廃的な色気があった。
だからなんだという話だが。
「なに? あれと知り合いなの、あんた?」
「知らん」
魔王が問いかけてくるが、我はすぐさま否定する。
あんな女は知らん。
我に知り合いなんて存在、そもそも必要ないし。
『おい。そう言うのはいいから、さっさと進めろよ』
『はいはい。せっかちねぇ……』
別の男の声が聞こえてくる。
姿はないのだが……あの女の仲間だろうか?
どうでもいいが、段取り悪いな。しっかりしろよ。
『バイラも相当グダグダしていたけどね』
久しぶりに喋ったと思ったらそんなことか。
もっと黙っていていいぞ。
『お酒飲んでいるわ』
我の中で吐くなよ!?
ヴィルの言動に破壊神とは思えないほど焦っていると、空中に投影されている女の準備が整ったらしい。
コホンと軽く咳払いすると、ヘラヘラと退廃的な笑みを浮かべる。
『えーとぉ……まずは自己紹介よねぇ。私はヴェロニカ。精霊よぉ』
「ほう……」
精霊。その言葉に、俄然興味が湧いてくる。
まさか、こんなアプローチをとってくる精霊がいるとはな。
『今日はぁ、これを見てくれている人にご報告というかぁ、そういったことを言いたいのぉ』
どうやら、我らだけに見えているというわけではないらしい。
つまり、宣戦布告とは少し違うのかもしれない。
うーむ……さっさと居場所だけ教えてくれれば、我自ら出向いてやるというのに……。
『それはぁ、精霊にも色々な人がいるってことよぉ』
……なんだそれは?
この精霊の言いたいことが、さっぱり分からない。
精霊にも色々な人がいる?
確かに、今の所破壊した精霊たちは、それぞれ個性があった。
ヴェニアミンは研究気質で元の世界に愛着を持っており、アラニスは生物好きの子供。
マルエラは女王のように他者を支配して君臨していた。
それは分かっているが……それを伝えて、いったいどうするというのか?
『この世界でぇ、他の精霊に蹂躙されている人たちは多いと思うわぁ。そしてぇ、そのことに私たちはとても心を痛めているのぉ。同じ精霊としてぇ、申し訳なく思っているわぁ』
眉を寄せる我。
なんだこいつは。
「……なんだ、この茶番は」
「まったくね。誰が騙されるのかしら?」
我はあからさまに呆れてしまう。
隣の魔王もそうだ。不快そうにため息を吐いている。
精霊に支配されていた彼女からすれば、なおさらだろう。
どの口が、心を痛めているだなんて言葉を使うのだろうか。
数百年前に、いきなりこの異世界に侵略して一気に世界と人を支配してしまった精霊たち。
本当に心を痛めているというのであれば、どうしてこれだけの長い年月の間何もしてこなかったのだろうか?
同じ精霊という存在なのであれば、力の差だってそれほどあったわけではないだろうに。
何もしてこなかった精霊がそんなことを言って、誰が信じるというのだろうか?
しかし、そんな我と魔王の冷めた目が届かない女……ヴェロニカは、言葉を続ける。
『私たちは力のある者としてぇ……同じ精霊としてぇ、彼らを止めるために立ち上がったわぁ。私たちが精霊を統一しぃ、この世界を治めるぅ。私たちはぁ、『ガイスト』。精霊の集団よぉ』
「ほほう!」
『ガイスト』! 名前の由来などはどうでもいいが、よいではないか。
こやつらの目的はどうでもいいが、破壊すべき精霊が集まっているのはありがたい!
そうか。複数の精霊が徒党を組んだのか。何とありがたいことだ。
「精霊が集まる……? そんな馬鹿な……。絶対に関わり合わないようにするのが、精霊でしょ? ……いえ、精霊にそうせざるを得なくさせているのが、ここにいたわね」
魔王がブツブツと呟きながら、我を見る。
そう言えば、精霊は強大な力と個性ゆえに、お互いが接触し合わないように配慮していると聞いたことがあるな。
その常識を、この『ガイスト』なる集団とヴェロニカは覆したのである。
「まあ、そんなことはどうでもいいが」
精霊が徒党を組もうが組むまいが、どちらにせよ我には関係ない。
重要なことは、これでわざわざ出向いても誰もいないということがなくなるということだ。
今までのように、一人一人ちまちまと潰していくということもなく、一気に押しつぶすことができる。楽で助かる。
『もちろん、いきなり信頼なんてできないと思うわぁ。だからぁ、私たちが暴れまわっている尖兵と精霊を懲らしめてあげようと思うのぉ。でもぉ……』
ヴェロニカは心底楽しそうに笑った。
『破壊神はぁ、何をしているのかしらぁ?』
む? 我?
唐突に我の固有名詞が出てくるので、思わず目を丸くしてしまう。
何? 宣戦布告か?
喜んで引き受けるぞ。
『あなたたちはぁ、破壊神に信仰を捧げているわよねぇ? でもぉ、その破壊神があなたたちを助けてくれたかしらぁ?』
ふ、ふざけるなよ。
『バイラヴァ教』がそこまで浸透しているわけないだろう。破壊するぞ。
『一番動揺するのが自分を崇める宗教のことって、本当面白いわよね』
何も面白くないぞ。
『答えは否よぉ』
ああ。まだヴェロニカの話は続いているらしい。
そんな仰々しい話術を使って言ったのが、助けてくれたことがない?
当たり前だろ。どうして破壊神が人を助けるんだ。定義が壊れる。
あまりにも当たり前のことすぎて、声を上げることすらしたくない。
『それにぃ、彼はずっと言っているわぁ。『精霊を破壊したら、この世界を再征服し、暗黒と混沌を齎すのだ』ってねぇ』
我の物まね、無駄に上手いな。
嬉々として楽しそうに物まねをするヴェロニカに、どうでもいいことを思ってしまう。
「物まねがそっくりでキモイ」
「そうか。死ね」
「きゃあっ♡」
ボソリと毒を吐く魔王に軽く攻撃してやれば、弾んだ声が響く。
何喜んでいるんだこいつぅ! 嫌がらんか!
『破壊神はぁ、確かに悪事を働く精霊を倒してくれたわぁ。そこには感謝をするべきねぇ。でもぉ……世界を征服しようとしているのは許せないわぁ。だってぇ、この世界はあなたたちのものなんだからぁ』
その世界を支配しているのは誰だよ……。
この精霊は、いったい何が言いたいのだ?
まるで、詐欺師のようではないか。
散々世界を蹂躙しておいて、今更になって世界はあなたたちのものだと言うのである。
「どの口が言ってんのかしらね、こいつ」
魔王の言葉が、ほとんどの者が思うことだろう。
まったく……魔王と意見が合うなんて、この精霊はどれだけヤバいことを言っているんだ。
『あなたたちを助けずぅ、世界征服を目論む神ぃ。それはぁ、この世界に必要かしらぁ?』
ヴェロニカはなおも毒を……呪詛を吐き続ける。
我はもちろん、精霊に対して微塵も好印象を抱いていない魔王などのような人種は、おそらく惑わされることはないだろう。
だが、少しでも心に隙間があれば……この甘言に乗せられる者は、もしかしたら……。
『この世界に理不尽を振りまく精霊はぁ、私たちが懲らしめるわぁ。それは約束するぅ。でもぉ……』
退廃的な笑みを浮かべる。
ドロリと、果実が腐り落ちるような、むせ返るような甘さと濁りが溢れ出す。
『その後ぉ、この世界の敵となるのは誰かしらぁ?』
今の世界の敵は、精霊である。
この世界の住人達は、ほとんどがそう思っていることだろう。
だが、精霊が去った後は?
その精霊を追い払ったであろうものが、世界の脅威となる。
そして、それが世界に暗黒と混沌を齎すとすでに公言していれば……。
『いい? よく考えておいてぇ。私たち『ガイスト』はぁ、この世界の人々の味方よぉ。あなたたちがどのような選択をしようともぉ、私たちはそれを尊重してぇ……お手伝いするわぁ』
そう言うと、ヴェロニカを移す投影が薄まっていく。
彼女の言いたいことは、言えたのだろう。
それは、まさに毒。我と世界を切り離そうとする、強い毒だった。
『じゃあ、またねぇ。神様ぁ♡』
最後に、ヴェロニカはそう言って消えるのであった。




