第90話 誰?
「く、クソ……っ!」
「お父さん!!」
村が燃えている。
倒れ伏す父に、彼に向かって手を伸ばす娘。
そして、駆け寄ることを許さない精霊の尖兵。
ニヤニヤと嗜虐的な笑みを浮かべながら、娘を抱えていた。
父は必死に彼女を守るために立ち上がろうとするが、すでに激しい暴行を受けたあとのため、立ち上がることすらままならない。
「じゃあな。娘はもらっていくぜ。なに、適当に可愛がってやるから、安心しろよ」
その言葉を聞いて、どう安心しろと言うのか。
父は懇願する。
「や、止めてくれ! 何でこんなことを……! 俺たちが、いったいなにをしたと……!」
「何でって……俺たちは尖兵だぞ? 精霊様の意向に従うに決まっているじゃねえか。で、その精霊様の命令っていうのが……」
やれやれと首を横に振る尖兵。
精霊の力を背後に、好き勝手欲望のままに生きるのが尖兵だ。
そんな彼らに、どうしてこんなことを……なんて馬鹿げた質問はない。
とはいえ、今回に限れば、彼らの意思で村を襲撃したわけではなかった。
「『悪辣な存在である破壊神に与する者に、天罰を』ってな」
「…………ッ!!」
精霊の命令。破壊神への攻撃。
それこそが、尖兵たちを突き動かしていた。
破壊神に与する、という言葉を聞いて、父は顔を青ざめさせる。
「お前ら、破壊神に結構傾倒していただろ? だから、精霊様に目をつけられたんだよ。馬鹿だなぁ。あんなクソみたいなやつを支持なんてするから、娘を奪われる羽目になるんだよ」
思い当たることが何もないと言えば、嘘になる。
男は、確かに破壊神に対して好意的であり、精霊や尖兵に対して負の感情を抱いている。
だが、それは別に彼が特別というわけではない。
誰だって、この時代を生きる者たちは、精霊や尖兵よりも破壊神を支持するだろう。
それは、精霊や尖兵たちがこの時代仕出かしていることを考えれば、当然だ。
しかし、尖兵はその考えを塗りつぶすように、毒を放つ。
「いいか? これは俺たちがやったことだが……原因となったのは、破壊神だ」
「ち、違う! あの人は、精霊を倒して俺たちを解放してくれた恩人だ!」
すぐさま否定する男。
今まで、恐怖に震え、踏みにじられても声を上げることはできなかった。
しかし、破壊神の台頭で、それはどんどんと改善されていった。
尖兵は姿を消し、見えない恐怖におびえることもなくなっていたのだ。
「じゃあ、何でその恩人は助けてくれないんだ?」
だが、尖兵の毒が、着実に彼の心をむしばんでいく。
破壊神が悪いわけではない。
実際に村を襲撃し、自分を地面に引き倒し、娘を奪い去ろうとしている尖兵が悪いのだ。
しかし、いざそのような不幸を目の当たりにすると……人は誰でもいいからその責任をなすりつけたくなる。
彼が特別弱いわけではない。
人間が、そんなものなのである。
『自分のせいじゃない』
『じゃあ、誰のせいだ?』
『目の前の尖兵もそうだが……彼らを突き動かしたあの男も……破壊神も、悪いのではないか?』
そんなバカげた飛躍しすぎた思考も、この窮地になればどんどんと進んでいく。
「いや、そりゃあ無理だろうさ。世界は広い。俺たちが散発的に村を襲えば、全てを救うことはできねえだろうさ。いくら神様でもな? だが、全部とはいかないまでも、一部は救えるはずだ。その気になればな。破壊神には、それだけの力がある。精霊様も警戒しているしな」
尖兵の言葉は続く。
毒を、さらに男の内部へと浸透させるために。
そして、彼だけではない。
この会話を聞いている他の村人たちにも聞こえるように。
彼らは殺さない。そう命令されてある。
この毒を持って、四方八方各地に散らばせるのだ。
そして、彼らは話すだろう。今日見聞きしたことを。
その毒は、勝手に浸透していくのだ。
「だが、破壊神は動いてねえ。ここしばらく、ずっと引きこもってやがる。これは、事実だ。もしかしたら、お前らも救ってもらえる一部に入ることができたかもしれねえのに……それは、破壊神の怠慢と言えねえか?」
男は、もう否定の言葉を吐くことはできなかった。
本当に……破壊神が悪いのか?
そう思ってしまうほど、彼は揺れていた。
「いいか、よく考えろよ。お前がそうして這いつくばっているのも、娘が奪われるのも……全部、破壊神が原因だからな」
そう言うと、尖兵は大笑いして去って行った。
めちゃくちゃに破壊した村を残し……彼から大切な娘を奪って。
「は、破壊神が……俺たちを助けてくれないから……!」
ぽつりとつぶやかれた彼の言葉は、まさに呪詛そのものであった。
◆
「尖兵たちに襲われた者たちを中心に、破壊神様に対する不平を申す者が現れております!」
バン! と机を叩くカリーナ。
もうこいつが発狂することにも慣れてきた。
破壊神に感情ぶつけまくるって、もはや大物だろう。
さて、その中身だが……。
「そうか」
我がどうこう思うことはなかった。
あっそう。それくらいの言葉しか出てこない。
我に不平? そもそも、称賛していることがおかしいのだ。
不平、不満、憎悪、憤怒、畏怖。それらが我に向かっている方が、世界は健全である。
「何やら、助けてくれなかったと……」
「知らんがな」
しかし、その理由には呆れさせられる。
助ける? 我が?
どうして破壊神に救いを求めているんだ、そいつらは。
我だけではなく、助けてくれる神なんて千年前の女神しかいなかったぞ。
もう今はダメだ。壊れてしまっているからな。
ともかく、何とも呆れた他力本願だ。
神が人を助けるはずがないだろう。
精霊がいるからこそ目立ってはいないが、神も相当に自分勝手で自己中心主義だぞ。
アールグレーンを見れば一目瞭然だろうに……。
「その愚か者どもは再教育しましたが……」
何したんだこいつ。
止めろ。目を覚まさせろ。
「ねえ、クソ神。ちょっといいかしら?」
「なんだ?」
カリーナをどう追い出そうとかと真剣に悩んでいると、入ってきたのは魔王だった。
もうノックすらなしに我の部屋に入ってくることには、何も言うまい。
何も思わないわけではないがな。ホントいい加減にしろよ貴様。
我の白い目を向けられても、魔王は平然としたままで……何故か、面白そうにニヤニヤと笑って後ろを指さす。
「ちょっと面白いことになっているわよ」
面白い?
我が窓から空を見れば……いつかの我のように、空いっぱいに人の姿が映っていた。
その女は、見る者を堕落させるような退廃的な笑みを浮かべて、ひらひらと手を振っていた。
『こんにちはぁ。元気かしらぁ、神様ぁ』
……誰?




