第85話 好きにさせてもらうわよ
精霊マルエラが倒されたことを真っ先に知ったのは、彼女が支配していた魔族たちの国ヘドルンドの人々である。
彼らは歓喜に沸いた。
抑圧され、理不尽な圧制を強いていた支配者が、倒されたのである。
その喜びは、言葉には言い表せないほどだ。
それが、破壊神バイラヴァによるものだと知れば、なおさら歓喜した。
精霊を破壊して回っている、この世界の救世主とも言える存在。
彼は、自分たちも助けてくれたのだ。
人間だけではなく、魔族である自分たちも。
しかも、千年前には敵対し、戦争をしたというのに。
破壊神に対する好意的な崇拝にも似た感情は、一気に膨れ上がることになる。
そして、そんな魔族たちにとってもう一つ大きな変化となったのが、魔王ヒルデの帰還である。
「何をいまさら……!」
「精霊と一緒に俺たちを痛めつけたくせに!」
そんな非難の声が上がるのは当然のことと言えるだろう。
事実、彼女はマルエラの命令に従い、魔族を何人も捕らえて拷問していたのだから。
もはや、ヒルデを名君と崇める者は誰もいなかった。
その殺意と敵意に満ち満ちた目は、いずれ彼女に危害が及ぶことを明白に語っていた。
「待ってくれ! 魔王様は……ヒルデ様は、進んで俺たちを痛めつけていたわけではないんだ!」
致命的なところにまで暴走しなかったのは、ヒルデを庇う者がいたからである。
それは、魔王の元側近の魔族たちである。
彼らは、ヒルデが魔族のために精霊に屈し、犬として振る舞っていたことを知っているのである。
その真実を、彼らは余すところなく魔族たちに伝えた。
その甲斐あって、最初ほどの殺意と敵意は薄れる。
とはいえ、一切なくなるということはなかった。
たとえ、どのような事情があったとしても……たとえ、自分たちを守るためだったとしても、彼女が魔族を痛めつけたことは事実なのだから。
そして、ヒルデもまた彼らに許してもらおうなんてことは考えていなかった。
ただ、精霊から解放された。
そのことを、伝えたかったのである。
もう一つは……。
「今まで、ごめんなさい」
深く頭を下げるヒルデ。
誰かを屈服させることに至上の喜びを感じていた彼女が、誰かに頭を下げる。
本来であれば、ありえないことである。
数百年による精霊の支配。そして、破壊神。
これらの経験を経て、彼女も何かが変わったらしい。
この謝罪は、非常に自分勝手なものだと言うことができるだろう。
自分が謝りたいから謝り、それで許されることなんて考えていない。
ただ、そうして謝罪したという事実を作り、満足を得たかっただけである。
しかし、それを見て怒りを膨れ上がらせることができる者は、誰もいなかった。
魔族は、人間と違って長命である。
その分、数や出生率は比べものにならないくらい少なく低いのだが……それは余談である。
長命であるため、ヒルデが魔王として君臨していた時に生きていた者も、大多数とは言えないもののまだ確かに存在するのだ。
そんな彼らは、魔族のために政治を行っていた優しい魔王のことを知っている。
だからこそ、憎み切れなかったのである。
そして、ヒルデがヘドルンドからブリーゲルにもどった魔族の国に留まらず、姿を消したというのも大きい。
再び魔王として君臨しようとするのではなく、何も言わずにどこかに消える。
自分たちを守っており、しかもその真実を伝えることができずに敵意や憎悪を向けられ続けた魔王。
そんな彼女が、ひっそりと姿を消そうとするのを見てしまっては、これ以上叩くことができなくなるのが人情である。魔族だが。
「い、行かないでくれ! 俺たちの魔王は、あんたしかいないんだ!」
そんな声が聞こえるようになるのは、自然なことだったのかもしれない。
ヒルデを引き留めようとする声は、日々大きくなっていく。
それを受けて、ヒルデは驚いたように目を丸くしながらも、どこか嬉しそうに微笑んだ。
「あんたたちの声は嬉しいわ。でも、もうあたしは魔王としては死んだの。だから、新しい魔王を立てて、その人に導いてもらいなさい」
ヒルデはそう言って魔王の続投を固辞した。
それが、彼女なりの責任の取り方なのだろう。
しかし、それでも彼女を求める声はなくならない。
その様子に、多少なりとも嬉しさを感じてしまうのが、ヒルデは情けないと自嘲するのであった。
結局、魔族たちの求めに応じたヒルデは、ブリーゲル特別顧問として要職につき、魔族たちのために力を尽くすことになったのであった。
そんな特別顧問である彼女が、最初に行ったこと。それは……。
◆
「ブリーゲルの国教を、『バイラヴァ教』にしたわ!」
『おおー』
ふふんと胸を張る魔王に、パチョパチョと気の抜けるような拍手を送る女神と勇者。
魔王の衣服は精霊に強要されていた尊厳を奪うような痴女スタイルではなくなっているが、それでも露出度は高い。
もともと、そういうものを好むのだろう。
いや、そんなことはどうでもいい。
なんだったら、魔王が全裸でも知ったことではない。
我がやるべきことは、ただ一つ。
スーッと息を吸い込んで……。
「このボケがあああああああああああ!!」
爆発させた。
「貴様ぁ! 何を勝手なことを……バカげたことを……! ふざけやがってえええええええええ!!」
我は荒ぶる感情のままに叫ぶ。
こ、国教だと? あの邪教を? ば、馬鹿なのか……!?
「なによ。クソ神が自由だ、好きなことをやれって言ったんでしょ」
「人様に迷惑をかけるなよ!!」
というか、我に!
「破壊神の言葉とは思えない発言ですわね」
「自分だって千年前なんか迷惑かけまくりだったくせにねー」
こそこそと話しあう女神と勇者。
うるさい! それとこれとは話が別だ!
当たり前のように我の居所にいるのも止めろ! 我は迎え入れたことなんて一度もないぞ!
「大体、こんな邪教が受け入れられるはずがないだろうが! 貴様、せっかく受け入れられて戻ったのに、またすぐさま排斥されたいのか!?」
破壊神を……世界を破壊しようとする者を崇める宗教だぞ?
そんなものを強要されて、喜ぶ連中がどれほどいるだろうか?
むしろ、激怒するのが普通だろう。
せっかくまた魔族たちの元に戻ることができたというのに、台無しである。
しかし、魔王は何故かキョトンとして……。
「とくに混乱もなく受け入れられたわよ。むしろ、歓迎されて」
「なん、だと……!?」
愕然とする。
そんな馬鹿な……。歓迎だと?
千年前、激しく戦争をした間柄だというのに、その怨敵を崇める宗教を受け入れる、だと……?
「そりゃあ、千年前と違って、今の破壊神は救世主そのものだもん。自分たちを助けてくれた救世主を崇めないはずないでしょ?」
「絶対に勝てないと思われていた精霊をこの短期間で3人も打ち倒したんですもの。やっぱり、救世主ですわ」
勇者と女神の言葉に、背筋をゾクゾクとした悪寒が走る。
救世主だと? 誰がだ!
「破壊神だ! むしろ、救世主と呼ばれる者と戦う側だ!」
そもそも、そう呼ばれていたのは勇者の方だろうが!
救世主として尊敬を集め、我と戦ったのではないか!
「まあ、とにかく、好きにさせてもらうわよ、破壊神様。あたしの依存対象……頑張ってね」
「――――――」
ふふんと笑みを浮かべる魔王。
その笑みは、一切裏表のない花が咲くような明るいもので……。
本来なら、それに影響されていい笑顔を浮かべても不思議ではないのだが……。
我の顔が死んでいたのは、言うまでもないだろう。
こんな世界、絶対に破壊してやる……!




