第83話 再征服
「正解よ。だてに私の側に数百年いたわけではないわね。……まあ、この場に来る前に分かっていれば、破壊神がこんなにも痛めつけられることもなかったでしょうけど。やっぱり、大事なところが抜けているわよね、あんた」
マルエラは自身の秘密を見破ったヒルデを褒めるどころかけなす。
素直に他人をほめるような性格ではないのは明らかだったが。
それにしても、あっさりとその秘密を認める。
これほどうまくいっているのだから、それを隠して完封してしまうのが普通ではないだろうか?
認めたのは、マルエラの性格ということもあるが、それ以上にたとえばれたとしても絶対に自分が敗北することはないと確信していたからである。
「相手を弱くする力? そんな力があるなんて……」
「少し違うけどね。詳しく言うと、私よりも必ず弱くなるようになっているのよ。だから、あまりこの力は作用しないわ。だって、この世界の存在って、ほとんどこの力なくしても私よりも弱いんだもの。その点から考えると、破壊神は確かに他とは違うわね」
相手の能力を下げるような魔法や力は、確かにこの世界にも存在する。
しかし、確実に相手を自分よりも弱くするような便利なものはない。
どれほど強くても、確実に相手よりも弱くなる。
あまりにもおぞましく、凶悪な力である。
「だからこそ、私には勝てない」
破壊神の力を認めつつ、彼をせせら笑う。
なるほど。確かに強い。ヴェニアミンやアラニスを殺したということも理解できる。
それでも……いや、だからこそ、自分には届かないのである。
「私は、最強の存在。それは、世界から宿命づけられているものなのよ。たとえば、空中で物を手放せば落ちるように。たとえば、太陽が東から上がるように。私が最強なのは、この世界のそういった常識と同列なのよ」
世界から愛されていると言ってもいいだろう。
その力は、それだけの価値がある。
相手を無理やり低い場所へと引きずりおろす力。
これがある限り、彼女が敗北することはない。常に勝者になるのだ。
世界に、勝者として宿命づけられた者。
それが、マルエラなのである。
言葉を発することが出来ないヒルデやエステルを見て、満足そうにうなずく。
そして、どこからか取り出したのは、巨大な杭のようなもの。
それを用いて何をしようとしているのかは、誰の目から見ても明らかだった。
「だから、これでおしまい。この世界は私のものだし、精霊のものよ。決してあんたのような古い遺物のものなんかじゃないんだから」
パっと離される杭。
大砲から弾丸が射出されるように、凄まじい勢いで放たれる。
それは、一直線にバイラヴァの元へと向かい……。
「――――――」
腹を貫通し、串刺しにした。
ズドッと重たい音が鳴り響く。
杭も、針のように細いものではない。
とても太く、バイラヴァの腹には大きな風穴ができてしまっていることだろう。
脚を破壊されて避けることもできなかった彼は、地面に縫い付けられてしまった。
終わった。誰もがそう思うのは当然のことだろう。
マルエラは狂喜の笑みをこぼし、ヒルデとエステルは絶望の表情を浮かべる。
ああ、終わりだ。普通ならば。
【いいや、違う。貴様は何も分かっていない】
「……っ!」
ズッと闇が溢れ出す。
ボロボロになり、血を流していたバイラヴァの身体が崩壊していく。
人の形を保てなくなり、現れたのはただただ純粋な闇である。
それは、ヒルデとの戦闘でも見せたもの。
しかし、それ以上にどす黒い何かだった。
腹部に突き刺さっていた杭に、闇がまとわりつく。
そして、硬い材質でできているはずのそれが、大して力も込められていないにもかかわらず、ボロボロと崩れ落ちていくのであった。
【この世界は貴様らのものではなく、我のものである。そして……】
闇の中に、赤々とした二つの目が現れる。
それに見据えられたマルエラは、生まれて初めて身がすくむという現象を味わった。
彼女は、恐怖したのである。
【この世界……いや、ありとあらゆる平行世界においても、最強とは我のことである】
「はっ! だから、あんたの力は効かないって言っているでしょ!? どんなに力を出しても、私の前では弱くなる! 私よりも確実にね! それが、この世界の常識! 必然なのよ!!」
その恐怖を振り払うように、マルエラは叫ぶ。
そうだ。何も怯えることはない。
自分は、最強の存在なのだから。
相手は無条件で自分よりも弱くなる。そういう常識なのだ。
だから、今まで見たことがない異質なものになっているバイラヴァも、いずれ自分の前に膝を屈する。
マルエラは魔力弾を放つ。
決して受けきることのできない、命を刈り取る殺意の塊を。
【いいことを教えてやる、精霊。地獄でしっかりと教訓にするといい】
逃げようともしないバイラヴァは、ぽつりとつぶやく。
その間にもどんどんと魔力弾は迫っており、もはや逃げることは不可能だ。
直撃して異質な闇が吹き飛ぶ様子を妄想し、歓喜に震えるマルエラ。
【常識や必然とは、覆されるもののためにあるのだよ】
ゴウッと闇が吹き荒れる。
全てを吹き飛ばさん勢いで突き進んでいた魔力弾は、あっけなく霧散する。
魔力弾を相殺しただけでは飽き足らず、さらにそれはマルエラへと迫り……。
「いたっ……!」
ビシッと彼女の頬に傷をつける。
美しい皮膚が裂け、血が流れる。
それを、呆然と視界の端で捉えるマルエラ。
大した傷ではない。
それこそ、毒でもなければ、軽く手当てをして終わりだ。
傷が残るほどのものでもない。
一週間もすれば、そんなこともあったと笑い話で済ませられるものだ。
「…………は? 私が、痛みを……?」
だが、マルエラにとっては普通のことではなかった。
痛みなんて、彼女は今までろくに感じたことすらなかった。
相手を確実に自分よりも弱くする力。
これがあれば、相手の攻撃がこちらに届くことはありえないのだ。
だが、この痛みは現実のものだ。
それはつまり、絶対に相対する相手よりも強くなる彼女に、ダメージが通ったということである。
常識が、覆されたのである。
だらりと流れるのは、気持ちの悪い脂汗だ。
ガチガチと歯が震える。
ありえないことが、目の前で起きたのだ。
たとえば、西から太陽が昇ったらどう思うだろうか?
それだけの衝撃を、マルエラは受けていた。
「そんな……そんな馬鹿なことがあるはずないでしょ!! あんたは弱い! 私よりも、弱くなる! だから、私がダメージを受けるなんてことは……!」
【貴様は、自分が最強なのはこの世界の常識と言ったな?】
自身を奮い立たせるように、目の前で起きたことを否定するマルエラ。
ゾクリとするほどの地の底から這い出てくるような声に、びくりと身体を硬直させる。
【だから、我はその常識を破壊した。破壊神なんだ。それくらい、できて当然だろう?】
「――――――!!」
破壊神。それは、ありとあらゆるものを破壊し、世界に暗黒と混沌を齎す存在。
彼の前では、常識でさえも破壊される。
それを、まざまざと見せつけられた。
そして、それらを見ていたヒルデとエステルもまた、思い出す。
そもそも、彼が常識外にいる存在だということを。
常識の範囲内に存在するのであれば、千年前彼一人を相手に世界中が一致団結することもなかったし、あれほど荒れる戦いになることもなかったのだ。
「は、はは……。余計な心配ばかりしていたのね、あたしたちは」
自分自身に苦笑する。
破壊神が敗北するなど、本当に余計な心配だ。
考える必要すらなかった。
彼は……自分の依存対象は、この程度でやられるような存在ではないのだ。
【さて、ここに一つの常識が終わる。喜び、喝采せよ。貴様は、一生目にかかれるかどうかわからないこの現場に遭遇しているのだから】
ズアッと闇が深まる。
その闇は渦巻き、空間が歪むほどの何かを発する。
ぐにゃりと崩壊していく世界。
大気が悲鳴を上げ、空が異質な色に輝く。
世界が、悲鳴を上げている。
そんなことができるのか、この破壊神は。
世界から愛されているはずのマルエラは、その事実を受け入れることができず……。
「ふざけるなあああああああああああああああ!!」
声を張り上げ、がむしゃらに魔力弾を撃ち放つ。
どれもこれも、相手を弱くする力なんて必要ないほどの威力だ。
それが、数十……いや、数百迫る。
360度。視界が広がる範囲を埋め尽くすほどの爆弾がバイラヴァ目がけて突き進み……。
【さらばだ、精霊マルエラ。この世界は、我が再征服してやろう】
闇が、それを覆い潰した。




