第80話 三度目の相対
「……? なによぉ。そんなに驚くことでもないでしょぉ? 確かに面白い力ではあるけれどぉ……尖兵みたいな雑魚どもならまだしもぉ、まさか精霊に効くなんて思っていなかったわよねぇ?」
「…………ッ!?」
ヴェロニカの言葉に硬直するヒルデ。
とっておきの切り札……というわけではない。
これが心のよりどころでもない。
だが、強力な力であることには間違いないはずなのだ。
生物を触れるだけで腐らせるのは、脅威以外のなにものでもない。
しかし、精霊には通用しないという事実に、彼女は硬直してしまったのだ。
「……え? 本当にあれだけで私たちを倒そうとしていたの? ちょっと期待外れにもほどがあるわよ……」
「ねぇ。これがこの世界でも最強クラスなのぉ? 本当につまらないわねぇ……」
ニコニコと退廃的に笑っていたヴェロニカも、普段のつまらなそうな表情へと変わってしまう。
「というか、あんたは手を出してんじゃないわよ。私がやるって言ったでしょうが。本当、厭らしい力ね」
「ごめんなさぁい。でもぉ、マルエラがあれをまともに喰らえばダメージは受けていたでしょぉ?」
「舐めるな。あれくらいでどうにかなるはずないでしょうが」
「はいはい。ごめんなさぁい」
そんなあまりにものんきな会話を、精霊たちはしていた。
自分が目の前にいるというのに、好きだらけで……。
「くっ……!」
だが、その隙をついて攻撃を仕掛けることもできなかった。
それは、『腐食』の力が腕を振るわれただけで霧散させられたという事実に対する警戒。
何らかの力を行使したのは間違いない。
腕を振っただけで、どうにかできるような生易しい力ではない。
しかし、霧散させることができる力を楽に行使できている時点で、ヴェロニカの異様さが分かる。
「ほら。流石にあれだけじゃないでしょ? 魔王なんて仰々しい称号があるんだから。全部見せてみなさい。大したことなかったら……殺してあげるから」
久しぶりに……破壊神以外では、これが二人目となる見下した目。
それを受けて、ヒルデの中で何かが切れる音がした。
「舐めるな!!」
怒りと共に、大地に『腐食』を放つ。
鍛錬を重ねた彼女は、生物だけでなく自然をも腐らせることができる。
むき出しの土色が、毒々しい紫に変色していく。
それは、毒の大地。
そこに立っているだけで、生命力を貪られるおぞましいもの。
空を飛ぶ鳥ですらも、地面から噴きあがる『腐食』の力で地面に堕ちる。
正真正銘の全力。
すでに、倒れていた精霊の尖兵たちはさらに腐って原型も留めない。
魔王の絶大なる力が精霊に迫り……。
「あー……もういいわ」
マルエラが地面を踏み抜く。
と同時に、大地が砕ける。
多少ヒビが入るとか、亀裂が入るとか、そんな生易しいものではない。
ゴッ! と、まるで巨大な爆弾がさく裂したようなクレーターが発生する。
いくつもの巨大な瓦礫が宙に弾きあげられる。
そのおかげで、ヒルデの『腐食』はマルエラに届くことはなかった。
ヴェロニカとはまた違った、無効化のやり方だった。
「え、は……?」
今度こそ、ヒルデは完全に硬直してしまった。
そして、それは彼女にとって致命的なものとなる。
ふっとヒルデの眼前に現れたマルエラ。
「戦いの中で呆けるのは、死に直結するわよ。まあ、殺しはしないけど」
「がっ……!!」
腹部にマルエラの膝がめり込む。
無防備な柔らかい部分に衝撃を受け、息もできなくなる。
臓器もあるそこにダメージを与えられ、こみあげてくるものを何とか飲み込む。
腹を抱えて丸まりそうになっている背中に、容赦なくマルエラの肘が叩き込まれる。
地面に倒れ、魔王は精霊の前に突っ伏した。
「うーん……まあ、及第点ね。殺すには惜しいわ。そのクソ生意気な性格も合わせてね。だから……」
考える仕草を見せるマルエラ。
彼女は、ニヤリと笑って倒れるヒルデに告げる。
「あんた、私の犬になりなさい」
「い、ぬ……?」
何を言われているのかわからない。
犬? どういう意味なのか。
「そうよ。私が命令したことを、全て忠実にこなす犬。どんなことでも、喜んで尻尾を振って遂行する……そんな犬よ」
「そんなこと、誰が……!!」
カッと顔を赤らめるヒルデ。
そんな屈辱的なこと、誰がやるものか。
自分は魔王だ。魔族の王だ。彼らに示しがつかない。
それに、これ以上……破壊神以外に膝を屈するなんてことは、あってはならないのだ。
しかし、マルエラの脚が自身の背中を踏みつけ、強く体重をかけてくることによって、拒絶の言葉は悲鳴に変わる。
ミシミシと骨がきしみを上げる。
「あんたに選択肢なんてないのよ。犬になるか、ここで殺されるか……。あんた、死にたくはないでしょ? 死を覚悟した人間の目をしていないもの」
マルエラはこの世界に来てから、いくつかの国を滅ぼしている。
その中で、死を覚悟して一矢報いようとした兵たちの目は、その者たち特有の覚悟が現れている。
だが、ヒルデにはそれがない。
ここを死地と認めていないのである。
そういった者は、死というものを受け入れられない。
ヒルデは、それに該当するとマルエラは睨んだ。
そして、それは真実だった。
「魔王様! 今お助けします!!」
「ば、馬鹿……! 来るな!」
倒れ伏すヒルデを見て、失望した魔族はいなかった。
彼女が数百年間魔族のために尽くしたよき魔王であることを、彼らは知っているからだ。
そのため、必死になって彼女を助けようとする。
それが、ただ犠牲者を増やすだけのことだとも知らず。
「あー……お仲間も元気ねぇ。結構好かれているのね、あんた。まあ、どうでもいいわね」
精霊同士ですら疎みあっている自分たちと比べて、何とも美しいものだ。
だからといって、彼らに慈悲を与えることもヒルデを助けてやることもないのだが。
ふと、明暗を思いついた。
マルエラは美しく微笑む。
「ああ、そうね。こうしましょう。えーと……魔族だっけ? それって、ここにいるのが全部じゃないわよね? 当たり前のことだけど」
「なにを……」
何が言いたい。
それが予想すらできず、ヒルデの心に大きな不安の渦が巻き起こる。
「あんたが私の犬にならなかったら、魔族全員こうなるってこと……教えてあげる」
ズッとマルエラの全身から立ち上る異質な力を感じとり、背筋が凍りつく。
彼女の目が捉えているのは、こちらに殺到してくる……守るべき魔族たち。
「ま、待っ――――――!!」
「さあ、皆殺しよ」
◆
その日、魔族たちの国ブリーゲルは滅び、しばらくして植民地を意味するヘドルンドへと屈辱的な国名の変更を強要された。
精霊を迎え撃った魔王軍は全滅。生きたまま地面に生き埋めにされた。
唯一生き残ったのは、魔族たちの王であるヒルデ。
だが、彼女は精霊の犬に成り下がっていた。
それは、精霊の強大な力に屈したという理由……それと、これ以上魔族に手を出させないという取引の上行われたことだった。
それを知らない魔族たちからは軽蔑と非難が向けられるが、それでもヒルデは耐えた。
「まあ、それも結局耐えきれず、本当の犬に成り下がったんだけどね」
「……結構壮絶だったんだね」
貴様も人のことを言うことはできないと思うぞ。
守っていた存在から裏切られて売り飛ばされ、四肢切断をされた上に化け物を産みだす母胎にさせられていたというのは、かなり厳しい。
破壊神の我でもそう思う。
「マルエラは強いわ。ずっと側にいたからこそ分かる。あれは……化け物よ」
未だに、魔王はそう言う。
我と精霊、どちらが強いのかを図りかねているのだろう。
くだらないし、考える必要のないことだ。
どれだけ強かろうと、知ったことではない。
「ふん、関係ない。たとえ、どのような化け物でも、精霊は破壊する。この世界は我のものだ」
世界を征服し、暗黒と混沌を齎す。
それが、我の存在意義なのである。
それを邪魔する者は、誰であろうと破壊する。それだけだ。
それを聞いたヒルデは、どこかうっとりしたように我を見て……。
「破壊神様……」
それは止めろ。
「いや、世界は君のじゃないからね。子種だけ置いてさっさとどこかに行ってくれていいよ」
「ふざけるなよ」
勇者も勇者だ。
早く炎の勇者のように消えろ。
我の精神安定のためにな。
ため息を吐いて、この場を離れようとした時だった。
「――――――へー。面白いこと言うじゃない」
美しい女の声が届く。
透き通るような声は、よく耳に届いてくる。
我だけではなく、この場にいる全員の視線が、彼女に注がれる。
空からゆっくりと降り立つ女は、とてつもない威圧感を放っており、まさしく王のようだった。
「私を破壊するって? 是非やってみてほしいわ。そこの口だけ女と違って、ちゃんとできるところを見せてくれるわよね? 破壊神様」
冷たく、しかし好戦的な笑みを向けてくる女……精霊。
魔王は頬を引きつらせ、勇者も表情を硬くする。
だが、我は彼女に応えてやるように、笑みを浮かべるのであった。
「ふん。そんなことを言わずとも、見せてやるとも。いや、貴様は破壊されるのだから、見ることはできんか」
破壊神と精霊……三度目となる相対を果たすのであった。




