第78話 元気でいいわね
精霊の侵略。
彼らは、突然現れた。
草木の生い茂る広大な森に、突如として巨大な爆発と共に降り立ったのだ。
その爆発は凄まじく、数百年経った今でも草木が生えず、荒廃した土がむき出しになった巨大なクレーターが残されている。
降り立った精霊は、数えるほどだ。
十名前後だろうか? 少なくとも、異世界を侵略するには、数がまったく足りていない。
まず、その時点で彼らのたくらみに気づいた者は誰もいなかったが、もし知っている者がいたとしても、彼らのことを脅威とはみなさなかっただろう。
たった十名程度で、世界をどうにかできるはずもないからだ。
……かつて、たった一人でそれを成し遂げようとした者もいたのだが、もはやあの戦争から数百年も経てば風化してしまっていた。
人は、愚かな生き物だ。
歴史から学ばない。
いや、学ぶこともできるが、数百年も経てば考え方は変わる。
『昔の人間がへたくそだったからだ。今の自分たちなら、うまくできる』
そう思ってしまう。
技術も文明も発展し、さらに戦争の傷跡ももはやほとんど残っていない。
当時の戦争のことを伝えることができる者も、ほとんど存在しない。
そうなると、皆軽く見てしまうのは当然のことだろう。
結果として、一週間足らずで世界の3割の国が侵略された。
世界の人々に与えた影響は凄まじいものだった。
たった十名程度で、世界の3割が乗っ取られてしまったのである。
想像できるはずもない。
厄介なのは、精霊たちは自分たちの人手不足をしっかりと認識しており、この世界で手先となる者たちを調達していることだ。
それが、精霊の尖兵。
精霊に従い、この世界に牙をむいた、この世界の住人達である。
彼らが精霊たちに与したことにより、数という圧倒的不利な状況はどんどんと改善されていった。
今では、小国の軍隊くらいなら軽く超えるほどの勢力になっているのではないか?
これが困る。
愛国心や忠誠心などといった高尚なものとは縁のない尖兵たちであるが、精霊の力への恐怖というもので縛られているため、精霊に対してはかなり協力的である。
元が、荒くれ者やはみ出し者とは思えないほどだ。
そして、そんな軍勢はこの魔族たちの国……ブリーゲルにも近づいてきていた。
尖兵の中には、魔族も存在する。
彼らが手引きしたのだろう。
「はあ……馬鹿ね。あたしが終わらせてあげるわよ」
ヒルデは立ち上がる。
これは、いい機会だ。
実戦を積み重ね自身の力を高めていき、破壊神から逃げられるほどに成長することができる。
それに、彼女が前向きなことには、もう一つ理由があった。
それは、魔族たちのためである。
魔王である彼女は、民である魔族たちを守らなければならない。
……もちろん、ヒルデがそんなことを考えることはおかしい。
何よりも自分勝手で、自分の快楽を追及し続けていた彼女が、今更魔族のために誰かと戦うなんてことはありえないことだ。
彼女にも、ちゃんと理由があった。
それは……。
「いざというとき、一緒に戦ってもらわないといけないしね」
理由は、やはり破壊神である。
いくら鍛えているとはいえ、それで破壊神とまともに戦って逃げ切ることができるなんて甘い考えは持っていない。
では、どうする?
数をそろえるしかないのだ。
自分と一緒に戦ってくれて……いざとなれば盾にして逃げられるような数を。
それを、魔族にしたのだ。
とはいえ、いきなりそんなことを求めたとしても、魔族は受け入れてくれるはずがないだろう。
魔王である自分でさえも恐ろしく屈服したのだ。
他の魔族ならばなおさらである。
ならば、彼らの方から率先して自分のために戦ってくれるように仕向けなければならない。
そのため、ヒルデはとても良い『魔王』をしていた。
魔族のために行動し、豊かで穏やかな治世を敷いていた。
だからこそ、無駄に人類に戦争を仕掛けることもしなかったのだ。
「さて、じゃあ、その魔族の平穏を脅かす精霊を殺さないとね」
立ち上がり、不敵な笑みを浮かべるヒルデ。
これから、もっと魔族たちの住みよい世界にしなければならないのだ。
それには、精霊は不要である。
それに与した尖兵もまた同様だ。
ヒルデは認めたがらないが、数百年魔族のために王として君臨した結果、彼らに対して庇護の心のようなものが芽生えていた。
王として、魔族のために精霊を倒す。
そんな王道とも言える決意が、ヒルデの心にくすぶっていたことは間違いない。
残念なことは、その決意があっても、精霊に踏みにじられることになるということである。
「さあ、行くわよ。殲滅よ」
立ち上がり、玉座の間を出て行くヒルデ。
次のその間に戻ってきたとき、彼女は王としてではなく精霊の犬として戻ってくることになるのだが……。
そんな未来は、もちろん知る由はないのであった。
◆
『おおおおおおおおおおおおおお!!』
地響きと怒声。
それらは天に届くほど大きく、何の覚悟もなければあっけなく気圧されてしまうほどのものがあった。
それは、精霊の尖兵たちと、それに抗戦する魔族たちのものだ。
尖兵たちは、自分たちの勝利とこの先甘い汁を啜ることしか考えておらず、だらしない笑みを浮かべて突撃してくる。
そうなってしまうのも仕方ないだろう。
今まで彼らは一度たりとも敗戦したことがないのだから。
精霊の力は凄まじい。
国と戦い、国軍を相手にしても、彼らは負けなかった。
ただのごろつきでしかなかった自分たちが、国をひっくり返すことができたのである。
勢いづかなければおかしいほどだ。
ただ、彼らもいつも通り蹂躙することができる、というわけではなかった。
なぜなら、彼らの相手は魔族。
そもそもの身体能力や魔法の扱い方が、人間とは違うのである。
一人一人の実力も高いため、尖兵たちは数で勝っていても攻めあぐねていた。
一方で、魔族たちも攻めきれない。
数が違いすぎるし、何よりも尖兵たちの力が普通の人間のそれよりも強かった。
それは、精霊から与えられた力らしいが……詳しいことは分からない。
そのため、この硬直状態がしばらく続くかと思われたのだが……。
「……面倒くさいわねぇ。魔族を下がらせなさい」
ヒルデが魔族に命令を下す。
あの大戦争前ならば、いくら魔王の命令でも我の強い魔族たちが従うことはあまりなかったのだが、数百年自分たちのために治めてくれた王の命令は、酷くすんなりといきわたったのであった。
「本当は精霊まで力は使わない予定だったけど……まあ、いいわ。高みの見物を決め込んでいるあいつらを引きずり出して、地面にへばりつかせるのも悪くないしね」
「何だか知らねえが、今がチャンスだ! 皆殺しにしろぉ!!」
わっと一斉に襲い掛かってくるのは、尖兵たちだ。
怒声と笑い声をあげて、ヒルデに迫る。
褐色の肌の、見目麗しい美女。
身体の凹凸も分かるため、彼らは下卑た目を彼女に向けていた。
しかし、ヒルデは彼らを視界に入れない。
入っているのは、尖兵たちのはるか後方で、こちらを観察するように見ている数人の人影……すなわち、精霊である。
余裕ぶっている彼らを引きずり出してやる。
「はいはい。元気でいいわね」
自分に対してそういった欲望の目を向けられることを、煩わしく感じると共に多少の優越感を得る。
だからと言って、好きにされるわけにはいかないのだが。
ヒルデは冷たく言い放つ。
「じゃあ、さようなら」
『腐食』。
紫の毒々しい魔力が、一気に吹き荒れるのであった。




