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第75話 さようなら、おはよう

 










「な、によ……その姿は……」

【む?】


 ヒルデの言葉に、自分の姿を確認するように見るバイラヴァ。

 彼は、人の姿をしていなかった。


 人型を形作っている、黒々とした力の集合体。

 それが、今のバイラヴァの姿である。


 影というのが、一番いい表現かもしれない。

 人の影が、実態を持ってその場に立っていた。


【ああ、この姿を見るのは初めてか? いや、初めてだろうな。我が人型を崩してしまうほどのダメージを受けたのは、貴様らの前では初めてだからな。困惑するのは当然だな】


 うんうんと頷く人影。

 目だけが煌々と輝いているのは、心から不安になるようなおぞましさがあった。


【そもそもだが、我が人間や魔族とほとんど一緒の姿をしているということに、不思議に思わなかったか? 我は、破壊神だぞ? 貴様らと同じような姿をしているとは限らんだろう】


 バイラヴァは破壊神……つまり、神だ。

 神は、信仰の集合体という側面も持っている。


 だからこそ、アールグレーンなどは自身を崇める宗教の拡大を目論み、力の強大化を画策していたのだ。

 バイラヴァは少し特殊だからそれに該当するわけではないのだが……それは、今必要ない考え方だろう。


「えと……じゃあ、それが本当の姿なの?」

【いや、どうだろうな。我自身もあまりわからん。興味ないしな】

「えぇ……? 自分のことなのに……」


 エステルが呆れたように目を細める。

 そのジト目を見なかったふりをして、バイラヴァはヒルデを見る。


【今重要なのは、貴様のお得意の腐食が我には効かんということだ、魔王。肉体を持たなければ、腐食されるものもないしな】

「そんなの、想定して対策を立てられるわけがないじゃない……! こんな……身体を持たない存在なんて……!」


 アンデッドの中には、そういったものがいることは知っている。

 だが、それらは光の魔法であったり祝福を受けた武器であったりと、対応策はいくらでもある。


 では、そのようなものが特別破壊神に効果があるのか?

 腐食は、ヒルデにとってはとっておきの切り札だった。


 これで、破壊神を殺すつもりだった。

 それが効かない。心のよりどころを奪い取られて、平然といられるはずがなかった。


【さて、貴様は言ったな。自分を終わらせてほしいと。先ほども言ったが、我は貴様に救済を与えることはない。世界を破壊する破壊神だからな。助けを求めるのであれば、女神のような神に祈るべきだ。……あれも、もう壊れているが】


 疲れた雰囲気をバイラヴァから感じ取る。


【しかし、我も神だ。懇願してくる者に応えてやるというのも、百年に一度くらいはしてやってもいいかもしれん。喜べ。貴様がその一人になることができるのだからな】


 ズアッとバイラヴァの全身から噴き出す黒いオーラ。

 その威圧感から、彼が自分を終わらせようとしてくることは簡単に感じ取れる。


「(ああ、やっぱり……)」


 ヒルデは恐怖を感じていた。

 恐ろしく、変貌した身体が震えていた。


 それでも、彼女は笑っていた。

 これこそが、破壊神。自分が戦いもせずに服従を申し出た、圧倒的な強者。


 だからこそ……自分の終わりを任せられる。


「確かに、終わらせてほしいとは言ったけど……何もせずにただ殺されるのだけは嫌よ! あたしのプライドが許さない。今のあたしは、あんたとも対等に戦える! そう簡単に終わるとは思わないことね! 『腐食』!!」


 破壊神の黒いオーラに対抗するように、彼女の身体から噴き出すのは紫の腐食のオーラ。

 生物を腐らせるそれは、凶悪としか表現のしようがない。


 力を込めて噴き出したそれは、周りの景色も腐らせる。

 大地は崩れ、草木は枯れる。


 少しでも触れた瞬間、グズグズに崩れていく。

 その脅威はバイラヴァに迫り……。


【いや、終わりだ】

「ッ!?」


 ゴッ! と大地を砕き噴きあがる黒い力。

 まるで、間欠泉のようだ。


 空高くまで伸びる黒い力は、まるで美しい空の色を無粋に黒色で塗りつぶすかのようだった。

 ヒルデの華奢な身体は、容易く空へと打ち上げられる。


 腐食の力も、使えなくなってしまう。

 クルクルと空で身動きをとることができずに身体を回すヒルデ。


 そんな彼女の目は、下から自分に手のひらを向けてくるバイラヴァの姿を捉えていた。

 そこには、黒い力が集まっている。


「(ああ、そうか。もう終わりか……)」


 戦闘狂ではない。戦いで誰かを屈服させることは好きだったが、戦いそのものは好きではなかった。

 だが、自分を終わらせる戦いが終焉を迎えることに、一抹の寂しさを覚えていた。


【さらばだ。魔王】


 しかし、破壊神のその言葉で、十分だった。

 遠く離れた場所にいるのに、その言葉は明瞭に聞き取ることができた。


 ゴウッと黒い力の奔流が攻めてくる。

 不思議と怖くなかった。


 ヒルデは迎え入れるように、腕を開いた。


「……ええ。さようなら」


 最後に残したのは、そんな言葉と満足そうな笑顔だった。











 ◆



「おはよう♡」

「…………」


 だからこそ、次に目を開けた時に満面の笑顔を浮かべたエステルが視界いっぱいに映った時、ヒルデの顔は死んだ。




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