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第74話 なにか

 










「ほほう」


 我は愉快そうに口角を上げて笑った。

 精霊の玩具か。そう自覚できるようになったのはなによりだ。


 いや、魔王はもともと分かっていただろう。

 分かっていて、目を背けていたのだ。


 精霊から好かれたかったというわけではなく、ただ自分のプライドが許せなかっただけだろう。

 まあ、そんなことはどうでもいい。


 我が気になるのは、魔王の変貌したその姿だ。

 身体から溢れ出す強いオーラも、以前までとは比べものにならない。


「随分と力を底上げしたようだな。この短期間で跳ねあげるには、あまりにも不自然だ。貴様、何をした?」

「…………」


 応えるつもりはないということだろうか?

 多少なりともそこまで進化した方法は気になるのだが……まあ、我がその方法で自分を鍛えるというわけではないのだから、教えられないのであればそれでいい。


 しかし、勇者は非常に興味を持っていた。


「……魔王、おかしいよ。その目、どうしたのさ」

「……話すことはないわ。さっきの言葉が、全てよ」


 バチバチと恐ろしい炸裂音を時折鳴り響かせる目。

 ……見えているのか?


 傍から見ていたら、とても本来の目の役割を果たしているとは思えなかった。


「自分大好きの自己中クソ女だった君が、自信しかなかった容姿を変えるなんて相当なことだよ!」


 ……勇者、お前割と酷いこと言っていないか? 大丈夫か?

 彼女なりに魔王のことを心配しているのだろうが、逆効果にしか聞こえない。


 まあ、勇者からすると、自分の生前を知っている者は……既知の存在はほとんどいない。

 だからこそ、魔王のことも気になってしまうのだろう。


 彼女は、敵対関係にあって殺し合いすらした間柄である魔王に、優しく手を差し伸べる。


「今からでも遅くないよ。精霊から、離れた方がいい。絶対に」

「…………ッ」


 歯を強く噛みしめる。

 ギリギリという音は、本当に噛み砕いてしまうのではないかと思うほどだった。


「僕は……僕たちは、君を受け入れられる。受け止められる」


 なに勝手に我も入れているんだ。

 別に受け入れないし、受け止めないぞ。


 ……流石に我も空気は読める。

 そういうことを言うべきでないことは分かっている。


 諭すように魔王を説得しようとする勇者。

 我は受け入れないし受け止めないが、精霊から離れようがどうでもいい。


 それゆえに、我は静観する。


「だから、クソみたいな精霊から離れて……」

「もう、遅いのよ!!」


 怒声が響いた。

 勇者の説得は、強制的に止められる。


「もう、引き戻すには遅すぎるのよ、ゴミ虫。あたしは、もうそこまで歩いてしまった」


 彼女の道は、どのようなものだったのだろうか。

 我が想像できないようなことも、多々あったに違いない。


 それだけの雰囲気を、彼女は醸し出していた。


「だから、あたしがやるべきことは……やらないといけないことは!!」


 ギラリと光る目に、迷いはない。

 冷たく、深く、濁った殺意が、我と勇者に向けられていた。


 ああ、いい。いいぞ! こういうのだよ、我が求めていたのは!

 かつて、激しく敵対して戦争をしていた千年前でも、そんなそそる顔はしていなかったぞ、魔王!


「精霊に従い、あんたたちをここで殺す。それだけよ」

「ほほう。随分と自信があるようだな。修行……をしたわけではないだろう? 短期間すぎるし、その程度の時間で我に届くまで成長することはあるまい」


 我はウキウキしてしまい、思わず饒舌になってしまう。


「ええ、そうね。そんな正統派で正攻法なんかじゃなく、薬なんかに頼った力だから」

「薬って……君、その副作用は……」

「今のあたしを見たら分かるでしょ? でも、いいのよ」


 目を丸くする勇者に、魔王は軽く肩をすくめる。

 そして……。


「ここで、クソ神を殺せるだけの力を手に入れたんだからね!!」


 生まれ変わった魔王の力が、ほとばしるのであった。











 ◆



「ほほう! 言うではないか。その力、我に見せてみろ!」


 バイラヴァが撃ち出すのは、力試しの意を込めた魔力弾である。

 だが、それは力試しなんてものに使われていいような威力ではなかった。


 この世界のほとんどの生物を消滅させることができるような、そんな力。

 魔王であるヒルデも、全力で迎撃しなければ危険なほどのものだった。


 なるほど。これほどの威力の攻撃を力試しとして打つことができるのが、破壊神なのだ。

 やはり、こんな化け物相手に勝てるはずもない。


 ヒルデは苦笑いする。


「少し前までのあたしなら、ね」


 ヒルデは、一切気負いすることなく、ただただ自然に手を前に伸ばす。

 そして、バイラヴァの放った魔力弾が炸裂する。


 ゴッと大地が割れて衝撃波が吹き荒れる。

 エステルも力を込めて立っていなければ、吹き飛ばされてしまうほどのものだった。


 避けずに受ける。それも、何の防御姿勢をとらないで。

 自殺行為以外のなにものでもない。


 エステルは、ヒルデが命を落としたと本気で思っていた。

 だから……。


「……ちょっと痛いわね。全部捨てたあたしでも、ダメージを負うのね。……本当、クソ神は規格外だわ」

「嘘……」


 平然と立っているヒルデを見て、エステルは驚愕した。

 ひらひらと痛そうに手を振ってはいるが、それだけだ。


 他にダメージを負っている様子は、微塵もない。

 大地は彼女が立っている場所以外は大きくえぐれており、バイラヴァの魔力弾の威力をまざまざと教えてくれる。


 しかし、それだけの攻撃を、ヒルデは簡単に抑え込んでしまったのである。


「でも、あんたがそんなに強くないように見えるの。これって……あたしがあんたを越えたってことよね」


 さらに、エステルの驚愕は続く。

 ヒルデが全身から噴き出させた魔力は、毒々しい紫色のもの。


 それが、一気に膨れ上がり、全方位に伸びていく。

 エステルは小柄な体躯を活かして跳び回り、避ける。


 それができているのは、その魔力をあまり向けられていないからだろう。

 ほとんどは、バイラヴァへと向けられている。


 そして、その彼はもはや逃げ場がないほど追いつめられていた。

 上下左右。ありとあらゆる方向が、紫の魔力で塗りつぶされていた。


 そして、それがバイラヴァに手が触れると……。


「なっ……!?」


 バイラヴァの手が腐っていく。

 ぐじゅぐじゅと、思わず嘔吐してしまいそうな水っぽい音が鳴る。


 そして、匂いだ。

 生物が、腐っていく匂い。


 それは、凄まじいおぞましさだった。

 皮膚が解け、赤い肉が見え、白い神経が見える。


 どれほどの苦痛を味わっているのだろうか。

 流石にバイラヴァも、顔中にびっしりと汗を浮かばせている。


 彼も、痛覚は人間のそれと同じなのだから、想像を絶するべき苦痛を味わっているだろう。


「……ほほう。我もあまり見たことのないものだな。それはなんだ?」


 それでも、彼は平然を装って話しかける。

 この凶悪な力は、千年前ヒルデは使っていなかった。


 どうして使っていなかったのか。


「『腐食』。もともと、あたしの持っていた魔法よ。まあ、相手と接触して数秒間そのままにしておかないと効果を発揮しないから、ほとんど使えたことはないんだけどね。あんたとの戦争の時も、当然使えなかったわ。あんたとの殺し合いで数秒間隙を見せると、間違いなく殺されるし」


 使っていなかったからくりを説明する。

 あの破壊神を相手に、ぴったりと寄り添って数秒間身体に接触できるはずがない。


 間違いなく、殺されていたことだろう。

 しかし、今は違う。


 そのような面倒な手間は必要ない。

 オーラとして溢れ出させ、触れた瞬間から腐敗させていく。


 まったくもって恐ろしい力へと変貌していた。

 それが、自分の力ではなく、薬というのが胸を張ることができない理由だが。


「でも、薬の力で大幅に強化されたのよ。こんな風に、あんたを腐食させることができるほどにね!!」


 そう言って腕を振るうと、その腐食のオーラはバイラヴァの地面から渦を巻いて噴きあがった。


「ぐおおおおおおおおおお!?」

「破壊神!?」


 腐食のハリケーンに取り込まれたバイラヴァは、悲鳴を上げる。

 そんな声を聞いたことが一度もなかった勇者は、驚愕の声を上げる。


 やはり、ヒルデは恐ろしいほどに進化していた。

 見た目からして、その代償はかなりのものだったのだろう。


 だが、それに見合うだけの力は、確かに手にしていた。


「どうしたのよ! 大したことないじゃない! あんたはそんなものじゃないでしょ!?」


 紫のハリケーンに取り込まれているバイラヴァに、声を張り上げるヒルデ。

 そうだ。この程度ではない。


 千年前、自分を絶望させた彼は、これくらいの男ではない。


「もっと力を見せなさいよ! 世界をあと一歩のところまで追いつめた力を! じゃないと……!!」


 ヒルデの目から、ポロリと涙がこぼれる。


「あたしを終わらせてくれるのは、誰なのよ……!!」


 それは、助けを請う言葉だった。

 魔王ヒルデが、破壊神バイラヴァに助けを求めたのだ。


 自分の命を救ってくれというものではない。

 自分を終わらせてくれと。もう解放してくれと。


 そう、懇願したのである。

 自分のことが何よりも大切で、何かあれば保身に走るヒルデ。


 そんな彼女が、自分を殺してくれと言ってきたのである。

 それほどの境遇にあって、そして味わってきたのだろう。


 エステルも胸がキュッと締め付けられるような、そんなものを感じていた。

 しかし、そのバイラヴァは生きていないだろう。


 身体をぐちゃぐちゃに腐敗させてしまう恐ろしい魔力に包み込まれてしまった。

 もう、死体すら残らないかもしれない。


「まだ、アーサーの子種をもらっていないのに……!」


 少しおかしな絶望をするエステル。

 だが、それは杞憂だった。


【知らん。そんなものを、我に押し付けるな】


 そんな声が、渦巻く紫のハリケーンの中から聞こえたからである。

 もちろん、バイラヴァだろう。


 囚われているのは、彼だけなのだから。


「え……?」

「は、破壊神……?」


 殺したと思ったヒルデと、死んだと思ったエステルは、二人揃って呆然とする。

 その表情がさらに劇的に変化をするのは、次の瞬間だった。


【我は世界を征服し、暗黒と混沌を齎すだけだ。貴様を終わらせるなど、片腹痛い。しかし……】


 ゴウッと吹き荒れる暴風。

 腐食の竜巻が霧散する。


 そして、中から現れたのは……。


【その過程で貴様を破壊してやろう。なにせ、我は破壊神だからな】


 黒々とした瘴気が人型を作っている、おぞましい【なにか】だった。




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