第73話 精霊の玩具
「さて、じゃあ少し出る。貴様らは面倒だし付いてくるな」
朝になり、我は何故か神殿に集まってくる連中に向かって言った。
毎朝我の許可もなく勝手に入り込んでくるなよ。
すると、一緒に食卓を囲んでいた出禁にしているはずの女神が、我を不思議そうに見る。
「あら? どこに行くんですの? うっ……ふう」
貴様のいないどこか遠いところに行きたい。
ビクビクと身体を震わせている彼女を見て、我の目は死んだ。
どうして朝っぱらからこんな気持ちにならなければならんのだ。
しかし、目的地を告げなければ死ぬまで付いてきそうなので、ため息を吐いて教えてやる。
「精霊のいる……ヘドルンド、だったか? そこだ。最初に挨拶に来てくれたからな。我の方からも挨拶をしてやらねばならん」
随分と過激な挨拶をしてくれた。
我の方からも、それ以上のものをしなければならん。
ヘドルンドという場所を、粉々に破壊する形でな。
「あっ。じゃあ、僕も行くよ。また魔王と会ってみたいし」
「いらん。我一人で十分だ」
手を上げてくる勇者に、我は却下する。
話を聞いていたか?
我は付いてくるなと言ったのだ。
「まあまあ、そう言わずに。君と精霊の戦いは邪魔しないからさ。精霊は国と魔族を支配しているみたいだし、大勢の雑魚がワラワラ群がってきたら鬱陶しいでしょ? その露払いを、僕がしてあげるからさ」
……まったく見当違いのことを言っている、というわけではない。
今まで破壊した精霊であるヴェニアミンとアラニスは、それぞれ群れずに一人で存在していた。
だから、必然的に一騎討ちのような形になっていたのだが……今回の精霊は国や魔族を支配しており、群れを作っている。
当然、その群れを利用するはずだ。
もちろん、そんな有象無象が何人集まろうと、破壊神である我を止めることはできない。
だが、手間がかかることは間違いない。
その群れを破壊してからでも十分に精霊は倒せるだろうが……面倒なのは面倒だ。
であるならば、この勇者に任せてしまうというのも、悪くない。
こいつも壊れていてなかなか面倒だが……。
「……まあ、女神よりはマシか」
「どうしてですのおおおおおお!?」
キラキラとした目でこちらを見ていた女神を切り捨てる。
今さっき身体をビクビクさせたことを思い出せ馬鹿者。
我に近づいてくるたびにそんなことをされてみろ。
我のストレスが半端ないことになるだろうが。
「……さて、では行こうか。精霊を殺し、我という強大な存在をさらに知らしめるために」
立ち上がる我に、勇者も付いてくる。
……まさか、世界の守り手である勇者が、世界に暗黒と混沌を齎す我に付いてくることがあるとはな。
千年前では、決して想像できなかったことだ。
正直、嬉しくない。
「わたくしもお供しますわ!!」
意気揚々と胸を揺らしながら立ち上がる女神。
ヴィル、あいつを魔法で縛り付けておけ。
数百年動けない程度でいい。
『ごめんね、バイラ。あたしはもう……ひっく』
貴様! また酒で買収されたか!!
◆
我を信奉するカリーナたちの村は、当然のことながら人類の国に属している。
とはいえ、精霊の尖兵に支配されて蹂躙されていたこともあり、ほとんど国からは見捨てられていた状態だったが。
だからこそ、今我を崇めるというような邪教の本拠地になっていても、国から何かしらの接触はないのだ。
おそらく、もう忘れられているのだろう。
中枢からすれば、端っこの方にある小さな村一つで自分たちの安全を買うことができているのだから、これほどありがたいことはない。
話が少しそれたが、とにかくあの村は人類の国家に属している。
そして、今我らが向かっているヘドルンドは、魔族の国だ。
人類と魔族。我との戦争時は手を取り合ったようだが、それ以外はとにかくいがみ合って衝突ばかりしていた、不倶戴天の種族同士。
だからこそ、お互いの国同士に行き来するような道は、整備されていない。
本来は、貿易という観点からあまり仲が良くなくても道を整備しているところは多いのだが、人類と魔族の間の壁は、その経済的な魅力でも乗り越えることはできないようだった。
荒れた道とも言えない道を歩くのは、肉体的にも精神的にも疲れるだろう。
まあ、個人でもそうなのだから、軍隊が往来することはできないのだから、敵国同士ならば正しいのかもしれない。
「んー……ずっと両手足なかったし、なかなかしんどいものだね」
我の後ろをついて来ながら、そうぼやくのは勇者だ。
少し前まで、数百年両手足をもがれていたのだから、むしろない時の方が普通になっていただろう。
そう考えると、これだけの短期間でしっかりと動かせるようになっていることは、流石は勇者と言わざるを得ない。
口では弱音を吐いているものの、決して彼女に気を遣っているわけではない我にも、ひょいひょいと付いてきている。
「しんどいのであれば、戻ってもいいのだぞ」
「リハビリにもなるし、ちゃんとついていくよ」
我の言葉に即答する勇者。
リハビリなら他所でやれ……。
「……まあ、失っていた両手足でそれだけ動けるのであれば、十分だ。流石は勇者というところだろう」
それだけのポテンシャルを未だに秘めているのであれば、また戦うことになればとても素晴らしい戦闘になるだろうに……。
世界を懸けた一大決戦の時に、ぜひとも戦ってみたい。
その気がなさそうなのが、残念でならない。
「おぉ……破壊神に褒められた……。複雑だけど、すっごく嬉しいかも」
「褒めてない。それだけの力を持つ貴様が、我に粘着してくることが残念すぎるだけだ」
目を丸くさせて驚く勇者が鬱陶しく、我はそっぽを向く。
「別に粘着していないよ。子種さえくれて、アーサーを産むことができたら、しつこくせがむこともないさ」
「永劫ないことだから、粘着されるのと同義だ」
だから、我とそういうことをしても、あのアーサーとかいう化け物を産みだすことができるわけがないとあれほど……。
後遺症はひどいままだ。まさか、頭がやられるとはな……。
『一発くらい上げたらいいじゃない。安いものだし、減るもんでもあるまいし。人類の希望である勇者に、世界の大敵である破壊神の子を孕ませるとか、すっごい悪役っぽくていいじゃない』
ヴィルが割れの体内から好き勝手言う。
いや、まあ確かに絶望は集まりそうだが……。
絶望の視線を一身に集める我。悪くはない。
だが……なんていうか、あんまりそういうのは違う……。
うん、違う。
なんか、孕ませるとか、そういうことは違うのだ。
『あんたって変なところで純粋よね……』
え……これって純粋って言うの?
そもそも、我は自分の遺伝子を残すとか、そういう本能がないからだけだと思うけど……。
所詮、作られた存在だしな。
「ッ!?」
そんなことを考えていると、ずっと身体が一気に重たくなる。
まるで、重力が遊撃に増したように。
「な、なにこの力……?」
軽い地響きも起きているため、勇者も驚いたようにキョロキョロと周りを見渡していた。
我も全て分かるわけではないが……これが、自然的なものではなく、人為的なものであることは分かる。
「さあな。まだヘドルンドからは離れている。ということは……迎撃要員だろう」
スッと我らの前に現れた者……いや、『もの』に視線を向ける。
我は面白そうに口角を上げてしまい、勇者は唖然としたように目を丸くした。
なにを驚く必要がある?
我らを止められる可能性があり、立ちはだかることのできる者は限られている。
であるならば、彼女がここに立つのは必然と言うことができるだろう。
「よお。つい先日振りだな、魔王」
我らの前に立ちはだかったのは、魔王ヒルデ。
しかし、彼女の姿はおぞましく変貌していた。
褐色の肌をのた打ち回るように、刺青が入っていた。
やはり、まともな衣服ではなく、娼婦にも劣る露出度の高いものを着用しているので、豊満な肢体が下品な絵で汚されているのがハッキリと分かる。
白い髪の毛はぼさぼさに荒れ、何よりも注意を引くのは彼女の目である。
魔王の目は、潰れていた。
物理的に押しつぶされたわけではないだろう。
轟々と、力が溢れ出している。
その力に耐えきれず、眼球が破裂したのだろう。
「……あたしはもう魔王じゃないわ」
異質な化け物へと変貌した魔王は、小さく呟く。
声量は決して大きいものではなかったが、我と……そして、勇者の耳には、スッと通った。
壊れてしまった目は感情を映さないが、残っていた片目は様々な感情が渦巻いていた。
恐怖、嘲り、快楽、虚栄心。
そして……。
「精霊の……玩具よ」
悲しみ。




