第71話 魔王の覚悟
「やあ、ビビりヘタレ魔王。覚悟はちゃんと決めてきたの?」
「あんたから殺してやろうかしら、ゴミ虫」
広い草原のような場所。
その中でも、少し大地が隆起して丘のようになっている場所があり、ヒルデはそこに立っていた。
その後ろから声をかけてくるのは、鬱陶しい勇者エステルである。
彼女はゴミ虫と呼ばれたにもかかわらず、どこか嬉しそうにうんうんと頷く。
「うんうん。君はその方がいいよ。とても似合っている」
「ふん」
鼻を鳴らし、目も向けない。
そんな彼女を満足そうに見るエステル。
そう、魔王はそれでいいのだ。
「……この戦いが終われば、また僕たちは敵同士だ」
「当たり前でしょ。人間と一緒に戦うなんて、これが最後よ」
「うん。僕もそれでいいと思う」
人類と魔族。その溝は深い。
今回、こうして共に立って同じ敵を倒そうとしていることが、奇跡である。
それほど、破壊神が脅威ということだが……その脅威が除かれれば、再び対立することは目に見えている。
今更、そのことをどうこう思うことはない。
二人はそんな子供ではなかった。
「まあ、最初で最後の共闘だ。悔いのないように、一生懸命頑張ろうよ」
ニカッと太陽のような笑みを浮かべるエステル。
「それに、もしかしたら僕たちの出番なんてないかもしれないからね。これだけの大軍勢に……最初に戦っているのが、あの神々なんだから」
自分たちの前を、埋め尽くさんばかりに待機しているのは大勢の兵。
世界中から集められた戦力である。
二人は陣の中央に位置付けられている。
つまり、背後にもこれと同じだけの戦力が待機しているのだ。
壮観である。
しかも、ただの有象無象が集められたわけではない。
世界中の破壊神と戦える強者だけが集められた戦力が、ここに集まっていた。
そして、その先頭に立つのは、四大神。神々である。
最初に破壊神と接敵するのが、神。
いくら破壊神が強大とはいえ、四柱の神を同時に相手すれば、楽勝というわけにはいかないだろう。
エステルの言う通り、出番はないかもしれない。
しかし、ヒルデはどうしても楽観視することができなかった。
「……これは、あたしと魔族の未来を懸けた戦いよ。言われるまでもなく、頑張るわよ」
その目に、もはや迷いはなかった。
エステルもそれを見て、満足そうに笑う。
しかし、その強い思いは、あっけなく瓦解することになった。
「ぐっ……がはっ……!?」
ヒュッと風を切って飛来してきたのは、四大神の一柱であるアールグレーンであった。
全身はボロボロで、血を流している部分さえある。
「えっ……? か、神……?」
唖然とする二人。
これが、アールグレーンとは思えなかった。
破壊神と戦っていたはずの彼が、ここに吹き飛ばされてやってきた。
ということは、非常にマズイことになっているのだろう。
「うっ……ぐっ……!!」
「女神様!?」
さらに吹き飛ばされてきたのは、麗しい唇の端から血を流している女神ヴィクトリアである。
「も、うしわけありませんが、どうやらお二方の出番のようですわ。わたくしたちだけで決着をつけたいと思っていたのですが……甘く見すぎていましたわね」
その言葉の次の瞬間、ヒルデたちの体重が数倍にもなったような重圧を感じる。
それは、ヒルデとエステルの目にも捉えられるほどの距離まで来た、男のせいだろう。
一歩歩けば、その重圧で数十人の強者たちが倒れ伏す。
バタバタと歴戦の戦士たちが倒れていく光景は、まさに異常だった。
攻撃されたわけではない。
ただ、破壊神が近づいただけで、それに魂が耐えられずに倒れていくのである。
それを見るヒルデの絶望は、いかほどのものだっただろうか?
「わ、わかりました! 魔王、行くよ! ……魔王?」
「あ、ああ……」
エステルの声掛けも、ヒルデの耳には届いていない。
ああ、思い出した。思い出してしまった。
自分たちを……魔族をあっさりと蒸発させてしまった、あの異常な力を。
絶対に勝つことはできないと魂レベルに刻まれた、圧倒的な恐怖を。
「ちょ、ちょっと! しっかりしなよ! あんなに威勢のいいことを言っていたのに!」
ぐらぐらとエステルが身体をゆすってくるが、もはやヒルデは反応することもできない。
その間にも、着々と破壊神は歩みを進め……。
「失せろ! 邪魔者が! 時間がないのだ!!」
ゴウッと吹き荒れる暴風に、わずかに意識を保っていた戦士たちもついには地面に倒れ伏す。
そして、立っているのは数人となった。
女神ヴィクトリア、勇者エステル……そして、魔王ヒルデ。
彼女たちを視界にとらえ、面白そうに笑う破壊神バイラヴァ。
「……ほう。なかなか歯ごたえがありそうな者ではないか。女神、これが貴様の切り札か?」
自身の威圧を受けて意識を飛ばさなかったという事実に、少しは楽しめそうだとバイラヴァは期待する。
「切り札、と言えば、わたくしたち四大神だったのですけれどね」
「ふん。まあ、確かに貴様らが仲良く協力して我と戦おうとするとは思わなかったな。貴様以外は自分のことしか考えない連中なのに」
つまらなそうに鼻で笑ったバイラヴァは、視線を二人に向ける。
その目に見据えられただけで、圧倒的な深い恐怖に包まれる。
「で? 貴様らはなんだ? 自己紹介をするのであれば、聞いてやろう。無論、あまり時間はないから、ゆっくりと聞いてやるつもりはないがな」
話せるはずがない。
ヒルデは口が開く予兆すらなかったが、エステルは鋭い目を彼に向けて一歩前に出る。
「僕は勇者エステル! これ以上世界を破壊して、人々を苦しめることは許さないぞ!」
「ほほう! この我を前に、よくぞ言った。貴様は我が丹念に破壊してやろう」
うんうんと満足そうにエステルの啖呵を受けるバイラヴァ。
そして、次はお前だとばかりにヒルデに視線を向ける。
彼女はかわいそうになるくらい、ビクッと身体を震わせる。
「あ、あたしは……」
言わなければ。
言わなければ殺される。
必死に閉じようとする口を開いて、ヒルデは言葉を発した。
「こ、降伏します。だ、だから、い、命だけは、た、助けてください……」
「…………」
命乞いという、言葉を。
バイラヴァの目が一気に冷え、そして……。
「は、はああああああああああああ!?」
エステルの大絶叫が響き渡った。
彼女は、信じられないものを見るような目で、汗をダラダラと大量に流しているヒルデを見た。
「君は今更何言っているの!? 本当に頭おかしくなっちゃったの!? こ、この状況で命乞いって……嘘でしょ!?」
「あ、あたしだから分かるのよ! 力というものに敏感な、あたしだから!」
「ッ!?」
ヒルデのあまりにも迫真の雰囲気に、エステルは言葉を詰まらせる。
「こ、これには……絶対に勝てない。力が……全身から溢れ出している。ここにいる全員でかかっても……こ、殺される……」
「魔王、君は……」
ガクガクと震えるヒルデ。
彼女の目には、バイラヴァの全身から溢れ出す巨大な瘴気が見えていた。
どす黒く、触れるだけでも命を吸い取るような、凶悪な瘴気が身体の何倍も伸びていた。
おそらく、あれに当てられて、強い戦士たちも倒れて行ったのだ。
「ふむ。力の大小を視覚化できるのか。珍しいな……生まれながらのものだろう?」
冷めていた目に、少しだけ興味の色が戻る。
「本来であれば、もっと抑え込んで貴様が戦う気になるように仕向ければいいのだが……悪いな。今の我は、余裕がまったくない」
ゆっくりと覚醒を待ってもいいし、バイラヴァはそういった性格をしているのだが、今はそんなことをしている余裕はない。
早急に決着をつける必要があった。
「ほら、立ち上がってみろ。そこの勇者と女神……三人力を合わせれば、我とも十分に戦えるぞ。我自身が保障してやる」
「い、いえ……滅相もありません! あたしは……魔族は、破壊神様に従属します! だ、だから、どうか……!!」
深く頭を下げる。
頭を下げるということは、大きな隙を生み出すことになる。
だからこそ、謝意などを伝える際に使われている仕草だが……。
「そうか。貴様はそういう選択をとるか」
多くの人は、頭を下げられて嫌な思いはしないはずだ。
しかし……。
「――――――つまらん」
そのゾッとする声音は、頭を下げて顔を見ていないヒルデですらも凍りつかせるほどのものだった。
「なんかこう……あるだろう? こう……な? ほら、そこの勇者がしようとしている感じ。我、そういうのがいいの。分かる? まあ、どちらにせよ世界は破壊するが……」
何やらもにょもにょと言っているが、要するにバイラヴァはヒルデのとった行動を好ましく思っていないということである。
「まあ、そういうことだ。我に従属者など必要ない。我は一人。我は孤独。一人にして世界を脅かす存在でなければならん。ゆえに、貴様は必要ない」
魔族の従属。
なるほど、確かに大きな力になるだろう。
それこそ、世界征服のための大きな前進になることは間違いない。
だが、有象無象を引きつれて世界征服をしたところで、破壊神に対する畏怖と畏敬は集まらない。
たった一人で、広大な世界と多くの生命を従わせる。
それこそが、肝要なのである。
バイラヴァの手には、いつの間にやら剣が持たれていた。
それは、倒れた戦士から拝借したものである。
それを振り上げ、目標に定めるのは無防備にさらされている首である。
ヒルデの細い首は、ギロチンのように剣を振り下ろせばあっさりと切り離すことができるだろう。
「さらばだ、魔王。残念だよ」
そう冷たく言い、剣を振り下ろした。
ヒルデは、呆然とそれを見ることしかできない。
そして、その剣は届いた。
「ぐっ……ぐうう……っ!!」
エステルの構えた、剣に。
ガギン! と重たい金属音が響き渡る。
エステルの全身に襲い掛かるのは、今まで味わったことがないほどの重圧。
少しでも気を抜けば、押し斬られてしまうだろう。
強く歯を食いしばり、乙女がしてはいけないような顔をして、破壊神の一撃を受け止めていた。
「ほう?」
「あ、あんた……」
興味深げなバイラヴァの目と、唖然としたヒルデの目が向けられる。
それらを気にする余裕もなかった。
「早く……どけぇ……っ!!」
ヒルデにそう声をかけるが、みすみす逃してしまうほど甘くはない。
「ふはははは! 貴様の細腕では、そう持ちこたえられん……んんんっ!?」
「でりゃぁっ!!」
なにやら、急に力が弱くなった。
見れば、バイラヴァは脂汗をにじませて苦しそうな表情を浮かべているではないか。
何が起きたかはわからないが、これはチャンスである。
その隙を見逃さず、エステルは剣を跳ねあげ脅威から逃れる。
「はぁぁぁぁっ!!」
そして、追撃を仕掛けるのはある程度回復した女神ヴィクトリアである。
ゴウッと神気がぶつかり合う。
黒と白のコントラストが美しさすら感じられる。
吹き荒れる力の暴風に、エステルとヒルデの髪が大きくたなびく。
「ぐっ……! いい、いいぞ! まずは貴様から破壊してやろうか、女神ぃ!!」
「負けませんわ! あなたを元に戻すまでは……!!」
二人の戦いは、移動しながらも続く。
そのおかげで、ヒルデは近くに破壊神がいないという重圧から解放され、エステルへと気が向く。
そうだ。彼女はどうして自分を助けてくれるのか。
少し前まで対立しあい、殺しあっていた間柄だというのに。
「勇者……あ、あんた……」
どうして助けてくれたのか?
そう聞く前に飛んできたのは、エステルのビンタであった。
パン! と渇いた音が鳴る。
痛みもある。熱さもある。
しかし、何よりも驚愕が強く、ヒルデは唖然として彼女を見上げた。
エステルの表情は、怒りを浮かべていた。
「今更情けない態度をとるな! もう、戦うしかないんだよ! 戦って……勝って……僕たちの未来を掴みとるんだ!!」
「……ッ!」
「そんなに怖いんだったら、後ろで震えていろ! 僕は……戦うぞ!!」
立ち上がり、激しい戦闘音を発生させているバイラヴァとヴィクトリアの戦いの方を見るエステル。
彼女の身体は小さい。
自分よりも小さい。
しかし、今何よりも大きく見えた。
そして、次に思ったのは……そんな彼女に守られている、自分への怒りである。
「……好き勝手言ってくれるじゃないの」
立ち上がる仕草に、迷いはなかった。
恐怖心は確かにある。
おそらく、また破壊神の前に立てば、脚が震えてしまうはずだ。
だが、あの時みたいに、頭を下げて許しを請うことはない。
そう確信できた。
「あたしも魔王よ。あんたなんかに……勇者なんかに、守られて堪るか!!」
エステルの後を追いかける。
そして、戦場に立った彼女の顔を見て、バイラヴァはニヤリと楽しげに笑う。
「ほう。少しはマシな顔をするようになったではないか。では、かかってくるがいい。貴様ら仲良くまとめて地面に這いつくばらせてやろう」
「舐めるな、クソ神いいいいいい!!」
魔王ヒルデは、世界の大敵である破壊神バイラヴァに、勇者エステルと共に協力して立ち向かうのであった。
結果として、為すすべなく打ち倒されたのだが……魔王の覚悟は、こうして示されたのであった。




