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第70話 重要な選択

 










「お断りよ。絶対にね」


 目の前にいる二人の女に、ヒルデは冷たく言い放つ。

 彼女が座るのは、魔王城玉座の間に置かれた立派な椅子。


 一方で、目の前の二人には椅子さえ用意されていない。

 そもそも、招かれざる客なのだ。これくらいの応対は、当然だろう。


 しかも、こんなバカげた提案をしてくるなんて……論外である。

 そんなヒルデを見て、二人の女の片割れは、深くため息を吐いた。


「あのさあ。君は現実も見られてないのかな? 今、僕たちがいがみ合っている場合じゃないでしょ。僕だって、魔族と手を組むなんて反吐が出る思いだよ」


 そう言うのは、軽装の戦装束に身を包んだ人間。

 今まで何度か相対して戦ったことのある、水の勇者エステル・アディエルソンであった。


 彼女は隠しきれない敵意をにじませながら、ヒルデを睨みつける。


「でもね、今はそんなこと言ってられないじゃん。君たち魔族も、一度痛い目に合っているでしょ?」


 魔族が痛い目に合う。

 最近のことで言えば、一つしかなかった。


「破壊神、のことでしょ」


 その言葉を発するのもはばかられる。恐ろしい。

 つい先日に味わった、人生初めての恐怖がよみがえってくる。


 心臓がキュッと小さくなって痛み、嫌な汗が全身から噴き出してくる。

 ただ、名前を呼んだだけ。


 それだけでこうなるのだから、今度相対したらどうなってしまうのか。

 自分でもわからず、ヒルデは震える。


「そうですわ。今、彼は世界にとっての脅威。世界を破壊しつくし、暗黒と混沌を齎そうとしていますわ。それは、何としてでも防がねばなりません」


 もう一人の女……女神ヴィクトリアが話しかけてくる。

 人類と異なる神であるが、やはり自分よりも上の立場にありそうな彼女は好きではなかった。


 何よりも、ヴィクトリアは他の神とは違い、人間のことを思いやって守ろうとする。

 そのことが気に食わない。


「そのために、手を組もうって話だよ。人類単体で……魔族単体で破壊神を倒せるんだったら、こんな話は持ちかけないよ」


 基本的に誰にでも優しく接するエステルが、ヒルデに対してこのような冷たい態度をとるのは驚きだ。

 とはいえ、人類と魔族との歴史を考えれば、この間柄も納得できる。


「あたしたちとあんたたちが本当の意味で仲間になることができるだなんて、本当に想っているの? 少し前まで、殺し合いをしていたのに」

「それは、君たちが攻めてきたからだろ」


 ギスギスとした空気は、さらに増していく。

 それこそ、この場にエステルとヒルデしかいなければ、殺し合いに発展していても不思議ではなかった。


 もちろん、それを避けるためにここにやってきたヴィクトリアが、間に入る。


「止めてくださいまし。今回は、喧嘩をしに来たんじゃありませんわよ」


 ふうっとため息を吐く。


「彼は脅威ですわ。その目的も……そして、そのバカげた目的を達成することができてしまう強大な力も。彼を崇めるバイラヴァ教徒も暴れまわっていますわ。……このままでは、世界は壊れてしまう……」


 世界を征服する。

 そんなことは、妄想にもなり得ない。


 本当に実行しようとする者は存在しないし、いたとしてもできるはずがない。

 たった一人である。組織を作り、人を集めてするのであれば、まだ納得できる。


 だが、破壊神に仲間はいない。

 バイラヴァ教徒という彼に信奉して世界を荒らしまわっている連中が出てきているが、彼とのつながりは皆無に等しい。


 たった一人で、世界征服へと邁進する。

 そして、それは現実味を帯びている。


 これが、どれほど異常なことかわからない者は、少なくとも三人の中にはいなかった。


「人類と魔族には、深い溝があることは承知しております。何も、これから仲良く手を取り合う必要なんてありませんわ。今、この時だけ、お互いの力を合わせましょう。そう、言いにきたのですわ」

「ふーん、なるほどねぇ。勇者であるあんたも、それを受け入れたのね」


 ヴィクトリアも、何も長年にわたる人類と魔族の溝を埋めに来たわけではない。

 ただ、対破壊神のために、脚を引っ張り合うことは止めてほしいだけだ。


 それを受けたヒルデは、冷めた目のままエステルを見ると……。


「じゃあ、あたしの答えを教えてあげるわ。答えは、お断りよ」

「なっ……!?」

「……ほらね。最初に言ったでしょ、女神様。こいつら、馬鹿なんだから受け入れるはずがないって」


 拒絶。

 その言葉にヴィクトリアは唖然とし、エステルは呆れたようにため息を吐いた。


「ほ、本当に状況を把握していますの!? このままだと、世界は破壊神によって破壊されてしまいますわ! それは、魔族だけでどうにかできることではありませんし、魔族も破壊される対象外になることはあり得ませんわ!」

「……あたしだって、あのクソ神をどうにかできるなんて思っていないわよ。あたしは……それを見せつけられたんだから」


 この中の三人で、誰が一番破壊神の力を知っているかはわからない。

 付き合いがありそうな同じ神のヴィクトリアかもしれない。


 だが、最も近時に力を見せつけられたのは、ヒルデだろう。

 理解している。あの強大な力を。


 その気になれば、魔族が一丸となっても破壊しつくすことができることも。

 しかし……。


「でも、戦ってあの破壊神を倒すことだけが、解決法なのかしら?」

「……どういうこと?」


 なにも、彼と戦って倒すことが、唯一生き延びる道なのではない。

 その言葉に、エステルは興味を引かれる。


 戦うしかないとばかり思っていたからだ。

 そんな彼女に教えてあげるように、得意げにヒルデは話す。


「正直、あの破壊神の力はあたしたちよりも上よ。それは、覆しようのない事実。あたしたち単体はもちろん、徒党を組んだところで、勝てるかどうかわからないわ。勝てたとしても、こちらの被害も甚大。戦場となる世界の被害も想像を絶するものになるでしょ。あたしたちが大きく数を減らし、ボロボロになった世界で、どうやって生き残った人は生きていくというの?」

「そ、それはそうかもしれませんが……」


 破壊神と戦うことができるのは、誰でも……というわけではない。

 ここにいる三人のような、世界でも強者にしかできない。


 しかし、その強者たちで破壊神を倒すことができたとしても、彼らが死んでしまったら?

 指導者を失った数少ない生存者たちが、荒廃しきった世界で、どうやって生きていくというのか。


 もちろん、別の指導者が出てくることだろう。

 だが、それは賢者か? 名君か?


 その可能性だって十分にあり得るが、そうでない可能性の方がはるかに高いだろう。

 神は死なない。だが、神同士の戦いなら?


 死なないと自信を持つことができず、ヴィクトリアも言葉を返すことができない。


「じゃあ、逆にどうするっていうの? 話し合いとか馬鹿みたいなこと言わないでよね。破壊神に、そんなものは通用しないよ」


 エステルがいらだたしげに言う。

 否定することなんて子供だってできる。


 代替案を出さなければならない。

 ヒルデはそれを持っていない……と考えていたのだが、彼女は自信に満ち溢れた顔で言った。


「屈服すればいいじゃない」

「…………は?」


 ポカンと口を開けるエステル。

 屈服する? 誰が? あのプライドの高いヒルデが……自ら屈服すると言ったのか?


 反応を見せないエステルに、どこかイライラとした様子でヒルデが言う。


「だから、最初にこっちから頭を下げて跪いて、許しを請えばいいのよ。『申し訳ありません。許してください』ってね。そうすれば、庇護下に入れてもらえるかもしれない。敵は少ない方がいいもの。魔族という強大な種族が傘下に自ら入ろうとするのであれば、殺されることだってないはずだわ」


 世界を敵に回していれば、当然その数も膨大なものとなる。

 その中でも、魔族という強力な種族と戦わずに済むとなれば、世界征服という目的の達成に近づくことになるだろう。


 誰だって、自ら敗北を認めてくれるというのであれば、そちらを選ぶに違いない。

 ただ、破壊神は別である。


「……君、本物のあのバカ魔王? プライドの塊である君が、自分から他人の下に付くようなことを言うなんて……」

「……それほどだったのよ。破壊神のあの力は……!」


 汗を流し、ヒルデは震える。

 ああ、恐ろしい。怖くて怖くて仕方がない。


 今まで、誰かに跪かれていた自分が跪くことを選ぶほど、あの破壊神と戦うのは嫌だった。

 エステルも、プライドの高い彼女がこんな風になってしまうことに、ゴクリと喉を鳴らす。


 自分がこれから戦おうとしている敵は、それほどのものなのか……。


「残念ですけれど、ヒルデさんのもくろみ通りには進みませんわ。断言します」


 だから、そんな彼女に言うのはためらわれたのだが、ヴィクトリアは無情にもその作戦には無理があることを伝えた。

 唖然とするヒルデ。


「は? なんで?」

「破壊神は……彼は、そんなことを望まないからですわ」


 そう言うヴィクトリアの目は、遠いところを見ていた。

 過去の……まだこうして敵対する前の、破壊神バイラヴァの姿を映していた。


 何も考えず、楽しく笑い合っていた彼の姿を。

 喧嘩をして、次の日には仲直りをして……。


 そんな幸せな過去の記憶を、ヴィクトリアは無理やり踏みにじる。


「彼は、強大な自分に立ち向かってくる者を好みますわ。だからこそ、戦わずして……痛みも伴わずに自分だけ助かろうと頭を下げてくる者は、問答無用で破壊されてしまうでしょう。『そんなつまらないものは、必要ない』なんておっしゃって……」

「そ、そんなこと、やってみないとわからないじゃない」


 ヴィクトリアが正しいことを言っているかはわからない。

 ただ、受け入れがたかった。


 だって、そうでなければ、あの化け物と命を懸けて戦わなければならないということで……。


「まあ、君が勝手に試してもいいけどね。その一度の試しで破壊されて死んじゃったら、何の意味もないけどね」

「……ッ」


 エステルの言葉に、ヒルデは頬を引きつらせる。

 そうだ。これは、取り返しのつくことではない。


 もし、頭を下げて跪いているときに、破壊神の力が上から振り下ろされたら……。

 間違いなく、命を落としてしまうだろう。


 これは、一度決めたらもう後戻りはできない分岐点にきているのだ。

 戦わずして降伏し助けてもらうことにすがるか。


 それとも、あの化け物と戦って力を示し、見逃してもらうように持って行くか。


「ヒルデさんの考え方が間違っているとは、わたくしは思いませんわ。それも一つの選択でしょう。しかし、膝を屈するのであれば、まずは彼と戦い力を見せねばなりません。そうでなければ……殺されるだけですわ」

「で? どうするの? 君たちだけで戦って、降参する前に殺されるか。それとも、僕たちと手を組んで戦うか……どっち?」


 ヴィクトリアとエステルの目が向けられる。

 選択を、迫られる。


 どっちに進んでも、後戻りのできない重要な選択を。


「あ、あたしは……」


 ヒルデが選んだのは……。




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