第69話 初めての恐怖
破壊神。
この世界には何柱かの神が存在する。
その一柱である。
「だから、何だって話だけどね」
鼻で笑うヒルデ。
彼女は、破壊神のことなんて微塵も恐れていなかったし、気に留めてもいなかった。
神がなんだ。
自分は魔族最強である。
神なんて、所詮崇められるだけの存在だ。
自分と違って、闘争の中にいたこともないだろう。
そもそも、この大陸には、戦いの神……戦神と呼ばれる神は存在しない。
戦いには、皆門外漢なのである。
であるならば、自分が負けるはずがない。
自分は最強だ。全てを屈服させ、目の前に跪かせる。
それは……。
「神も、同じよ」
◆
破壊神は、まず人間の国をいくつか破壊し、滅ぼした。
単体で国家を潰すことができるという時点で、その力の異常性を明らかにしている。
しかし、ヒルデは余裕の考えを崩していなかったし、目の前に現れたとしても負けるとは思っていなかった。
大きな理由の一つは、自分に対する絶対的な自信である。
強い魔族たちの中でも、最強である魔王となった自分。
その気になれば、国だって滅ぼすことができるという自負があった。
だから、怯えることは一切なかった。
滅ぼされた国が弱い人間の国で、しかも小国と呼ばれる規模のものだということもあるだろう。
仮に、魔族と小競り合いを起こしていた大国となれば、彼女も多少は警戒の色を見せていたかもしれない。
しかし、そうではなかった。
これは、彼女にとって致命的な方向へと進むことになり……いや、それは関係ないだろう。
たとえ、警戒していようともしていなくとも、世界を破壊しようとする破壊神と、自分に跪かせる対象はある程度確保したい魔王は、ぶつかり合う運命にあった。
場所は高原。
大勢の魔族たちが、たった独りで立ち尽くす破壊神に襲い掛かる。
それを、遠くから高みの見物を決め込むヒルデ。
自分が相手をするまでもない。
破壊神は、魔族によって殺される。
いや、生かして捕らえて、自分の前にひざまずかせるのもいい。
「…………は?」
そんなことを考えていたヒルデは、凍りつく。
溢れ出す魔力。
……いや、まだ溢れ出していない。
大気に……世界に浮遊している魔力が、急速に集まって行く。
その集まる先には、破壊神の姿があった。
それに気づけたのは、この大勢いる魔族たちの中でもヒルデだけだった。
力に敏感である彼女だからこそ、気づけたことだ。
だから、ヒルデはとっさに魔法で防御壁を作ることができた。
本能が訴えかけてくる警告に従い、ほぼすべての魔力を注ぎ込んだ強固にして堅牢な壁を。
――――――次の瞬間、世界が破壊された。
「ぐっ、あぁぁ……っ!?」
凄まじい音と衝撃が炸裂する。
あまりにも大きすぎて、耳が遠くなり何も聞こえないほどだ。
ドッと発生させられた衝撃は、地面を大きく盛り上げて吹き飛ばす。
ヒルデの張った壁も、バキバキとすぐにひびが入って悲鳴を上げる。
それからも常時魔力を注ぎ込んで、何とか形を保たせる。
しかし、どんどんとかけていき、今にも潰れてしまいそうになる。
「はぁ、はぁ……っ!」
耐えられた理由はなんだろうか?
まず、ヒルデから破壊神までの距離が、非常に離れていたということがあるだろう。
優れた視力を持つ彼女でなければ、おそらく米粒程度にしか映っていなかっただろう。
また、彼女を狙った攻撃ではなかったということも大きい。
群がる魔族を一気に吹き飛ばそうという目的の攻撃だ。
そのため、距離が離れており、またその間に盾となる多くの魔族がいたことによって、ヒルデは何とか命を落とさずに済んだ。
それでも、彼女が全力以上の力を注ぎ込んで作った防御壁は、見るも無残なほどにボロボロになってしまっていたが。
「ど、ういうことなの……?」
あれだけいた自分の部下たちが、跪かせていた者たちが、姿を消していた。
跡形もなく、最初からそこにいなかったかのように。
だが、景色は明らかに変貌し、荒廃していた。
空はおぞましい赤に染まり、大地は植物を一つも生やすことができないほど死んでいた。
「ひっ……!」
ヒルデが悲鳴を上げる。
それは、この惨状を作り出した破壊神を見てしまったからである。
彼女は強い。生まれながらの強者だ。努力すらしたことがなく、魔王に上り詰めたほどだ。
だからこそ、その力の奔流を目でとらえることができた。
自分のそれよりも、比べることすらおこがましいほどの圧倒的な力を。
「か、勝てない……勝てるわけがない……!」
ガクガクと震えるヒルデ。
彼女はとっさに逃げ出した。
誰か魔族が生き残っていたかもしれない。
彼らを率いる者として、それを確認せずに逃げたことは恥知らずと言うことができるだろう。
そんな女だからこそ、破壊神バイラヴァも大して興味を示さず、勝手に逃げることを許可した。
彼女に興味すらないからだ。
「――――――怖い」
逃げ帰ったヒルデの心を占めていたのは、そんな感情だった。
初めて逃げた。初めて負けた。初めて……恐怖した。
怒りとか、恨みとか、そんなものが湧き上がってくるはずもなかった。
そんな感情を抱くことすらはばかられるほど、ヒルデは怯えた。
彼女がなまじ強かったことが、悪い方向に働いてしまった。
誰よりも強さに興味があり、継投していたからこそ、破壊神の強さが誰よりも理解できて、絶望した。
絶対に勝てない大きな存在。
ヒルデはそれと相対し、あっさりと心を折ってしまったのであった。
今まで敵対してきた勇者から、対破壊神の共同戦線を張ることを打診されたのは、この直後のことだった。




