第67話 ありうる未来
「そ、れは……」
言葉が出てこない。
恐怖で喉が引きつる。
必死に声を出そうとするが、出てきてくれない。
そんなヒルデを見下ろして、マルエラは心底呆れたようにため息を吐いた。
「あー……もういいわよ。言わなくても分かるから。あたしも馬鹿じゃないわ。あんたがここに一人で戻ってきて、そんな情けないバカみたいな様子を見せていて……想像できないわけがないわね」
深い深いため息。
そのことに心臓がどきどきと不安で高鳴るが、ヒルデは警告する。
それを無視するには、あまりにも破壊神の力は危険だったからだ。
「精霊様! 気を付けてください! 破壊神の力は……あまりにも強大です……っ。それこそ……」
「あたしの力にも及ぶ、と?」
「…………ッ」
そうだ、とははっきり言うことはできなかった。
それは、精霊マルエラを侮辱していることになりかねないからだ。
しかし、ヒルデが内心で思っていること……破壊神の力は、精霊に匹敵するということは、マルエラにも伝わっていた。
「ふっ、ふふふふ……っ」
それを聞いて、マルエラは噴き出すように笑うと……。
「がっ……!?」
跪くヒルデを、思い切りけりあげたのであった。
鼻血を流しながら倒れこむ彼女に、マルエラは近づいていく。
そして……高いヒールの脚で、何度も何度も強く強く踏みつけ蹴り上げる。
「このっ! あたしのっ! 力がっ! わけのわからないこの世界の雑魚と同列ですって!? ふざけたこと言ってんじゃないわよ!!」
「ぶっ、ぎっ、げぇぇっ!? ゆ、ゆるじで……っ!」
悲鳴を上げてのた打ち回るヒルデ。
蹴りつけられた場所から、激痛と熱が発生する。
血が噴き出し、あまりにも痛々しい絵。
一方的に痛めつけられている姿は、目も当てられないほど凄惨な様子だった。
しばらくそれが続き、マルエラはふーっと息を吐く。
腹立たしさが、多少緩和された。
一方で、ヒルデは叩き潰された虫のように、ピクピクと身体を小刻みに震わせて地面から起き上がることもできない。
「はぁ……あたしは悲しいわ。あんたにそんなに弱く、この世界の雑魚とも一緒だと思われていたなんてね……」
「うっ、あ……そん、なごどは……」
致命傷とも言っていいほど痛めつけられたが、人間よりも耐久力がある魔族で、しかもその中でも最強である彼女は、まだ命をつないでいた。
だからこそ、マルエラも『壊れない玩具』として身近に置いているのだが。
しかし、残念だ。
まさか、自分がこの世界の雑魚と同列に見られていたとは。
だから、教えてあげよう。
「じゃあ、あたしの力……見せてあげるわよ」
もう一度、精霊の力を。
マルエラは凄惨な笑みを浮かべるのであった。
◆
「クソが!! 我のベッドに勝手にもぐりこむなあばずれがぁ!!」
「ああ、バイラヴァ様! わたくしにたくさん子供を……!!」
パリン! と窓をたたき割って外へと脱出する我。
ゴロゴロとダイナミックに地面を転がると、そのまま全力疾走である。
女神に背中を向けて逃げ出すなんてこと、千年前では考えられなかった。
しかも、戦闘で敗北してということなら万が一の考えであるかもしれないが、まさか性的に襲われそうになったからなどと……千年前の我は絶対に信じなかったことだろう。
夜になり、とくにすることもなかったので身体を休める意味を込めて軽く睡眠をとろうとベッドに入れば、待ち構えていたのは全裸の女神だった。ショック死しかけた。
ニコニコと屈託のない笑顔を浮かべて我を迎え入れようとする女神。
色々なものが見えてしまっていた。死ね。
あんな恐ろしい場所にいられるはずもなく、我は当てもなくさまようことになったのであった。
「ちっ……。我に夜とかは関係ないが、何でこの時間に外をほっつき歩かなければならんのだ……」
夜空には大きな月といくつもの星が浮かび上がっている。
とても美しい。我でもそう思う。
いつか、この世界を再征服し、我のものとすることができれば……それは、素晴らしいことだろう。
そんな小恥ずかしいことを考えるほど……。
「我はそんなに弱っているのか……」
女神のあまりにも苛烈な押し。
時折、それに勇者までもが混ざってくるのだから、その疲労度は計り知れない。
やはり、さっさと破壊してしまった方が……。
しかし、うーむ……。
我は木に背をもたれさせ、座り込みながら唸って考える。
美しい夜空を見上げてのんびりとする。
……うむ、悪くない。
女神に迫られて逃げ出した果てだと思わなければ、悪くないぞ。
「こんなとこで何しているの?」
そんな我の隣に、いつの間にか現れて座ったのは、水の勇者エステルであった。
ば、馬鹿な……! もう我の居場所が特定されたというのか……!?
「いや、別に今襲おうとしているわけじゃないから安心してよ。君を探していたわけでもないし、本当に偶然だよ。どうせ、いつか子種はもらうんだし」
やらんわ!
何で我が世界のために考えて行動せんといかんのだ!!
「ちょっと、思い出話がしたくてね。ヴィクトリア様も話はできるんだろうけど、あまり接点はなかったみたいだから」
勇者がそういうことを言うということは……。
「魔王のことか?」
「うん」
コクリと頷く勇者。
やはり、彼女が我と思い出話をしたいといえば、あの魔王のことだろう。
むしろ、それ以外に我らの間に共通の話題などない。
女神もまた千年前に生きていた存在だが、どうやら彼女はあまり魔王と交流がなかったらしい。
まあ、神だしな。流石にそう簡単に話をできるはずもないか。
昔の女神は、非常に女神然としていたし。
今からでも遅くないから、少し元に戻れ。
「なんだ。あいつのことが嫌いではなかったのか?」
「嫌いだよ。魔王だしね。君がいなければ、そもそも一緒に戦うなんてことはなかったし。……そう考えると、君は世界のための共通の敵だったんだね。君がいたことで、世界が一つになったし、本来は相いれない僕たちも協力したし」
からかうように言えば、勇者は苦笑する。
確かに、千年前も世界で様々な衝突や紛争が起こっていた。
人や意思を持つことができる者が集まれば、そうなるのも当然だろう。
だが、それは一時一切なくなったことがある。
それが、我が世界征服に乗りだした時である。
彼らはお互いが足を引っ張り合うようなことをしている場合ではないと悟った。
そのため、本来であれば不倶戴天の敵であっても、手を取り合って我に対抗したのである。
その代表例が、人間と魔族だ。
お互いがお互いを絶滅させるまで戦うような連中だが、我との戦争時には手を組んでいた。
いわば、我のおかげで世界は一切の紛争がなくなり、完全なる平和がもたらされたのである。
まあ、その我が世界を破壊していたのだから、平和もなにもないのだが。
それだけ我が凄いということだ。胸を張りたい。
「今は君のことじゃなくて、あのバカのことだよ」
そんな我を見て、呆れたような目を向けてくる勇者。
分かるか? いつも我が貴様らに向けている感情が。
「あいつが、あんな感じになるとは思わなかったなあ……」
そうしみじみと呟く勇者。
それに引きずられて、我も昔のことを思い返す。
我の前に立ちはだかる魔王ヒルデ。
戦わずして膝をつき、半泣きになりながら服従を申し出たヒルデ。
…………。
「……本当に?」
割とあんな感じじゃなかったか?
そう我が言えば、勇者も少し考えて……。
「……案外あり得る未来だったね」
納得したように頷くのであった。




