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第65話 怖い

 










 怒声、爆発音、悲鳴、剣戟。

 一つの戦争が勃発したこの場所では、そのような音が鳴り響いていた。


 元魔王ヒルデ率いる精霊軍。破壊神バイラヴァが率いたくないバイラヴァ教徒軍。

 本来であれば、魔族という人間よりも優位な力を持ち、荒事にも慣れている尖兵も入っている精霊軍が圧倒するはずである。


 しかし、バイラヴァ教徒たちは、狂信的な信仰心のみで彼らとまともになぐり合っていた。

 一進一退。拮抗した戦闘を繰り広げる両軍。


 そんな中で、不釣り合いなまでの一つの女の笑い声が戦場に響き渡る。


「あーっはっはっは! どうしたの!? 反撃もできないかしら!? それもそうでしょう、あたしも力をつけた。……あんたを一方的にいたぶることができるほどにねぇ……クソ神ぃ!!」


 笑うのは、元魔王ヒルデ。

 彼女は魔力弾をいくつも打ち放つ。


 流石は魔族最強。大地を簡単に削り取り、人が吹き飛ぶほどの爆発を次々に引き起こす。

 しかも、これだけの攻撃を連発しているというのに、消耗した様子は見せない。


 バイラヴァは、自分から攻撃を仕掛けることもできなかった。

 迫りくる魔力弾を避け、かろうじて防いでいる。


 それを見て、面白くないはずがない。

 かつて、自分はこの程度の存在に怯え、服従しようとしていたのか?


 笑わせる。今の破壊神も……昔の自分も!


「あんたなんて、精霊様の足元にも及ばない。さっさとまた地獄に落ちろ! くたばれ! 前時代の遺物!!」


 練りに練った魔力弾は、先ほどまでのそれとは大きさがけた違いだった。

 当然、威力もそれに比例して莫大なものになる。


 撃ち放たれる速度もかなりのもので、先ほどまでの速度とはまったく違うため、それに慣れていたバイラヴァは避けることができず、もろに顔面に直撃した。

 ドン! と凄まじい音が鳴り響く。


 ヒルデの頬が裂けんばかりに歪む。

 ああ、死んだ。破壊神が死んだ。


 首から上はなくなり、血が噴水のように噴き出していることだろう。

 強大な破壊神を殺したのは、自分だ。


 その結果に、嬉々として声を張り上げようとして……。


「……軽いな」

「は……っ?」


 何ともないように平然と煙の中から現れたバイラヴァを見て、マヌケな声が出てしまう。

 死んでいない? 首から上が消し飛んでいない?


 バイラヴァは魔力弾で打たれて多少首を確かめるように、ひねりながらコキコキと音を鳴らしていた。

 ただ、それだけである。


「貴様もアールグレーン同様弱くなったようだな。千年も我よりも生きていて、何をしていたんだ……」

「そ、そんな馬鹿なことが……! あたしの攻撃をまともに顔面に受けて……無傷……!?」


 呆れたようにため息を吐くバイラヴァ。

 やはり、ダメージを受けた様子は微塵もなかった。


 これに、ヒルデは大いに驚愕する。

 それもそうだ。自分は精霊に従属しているとはいえ、魔王。


 魔族最強の存在である。

 そんな自分が、殺すつもりで放った魔力弾が……一切効いていないということになる。


 信じることなんてできるはずがない。

 だが、実際に目の前で怒っていることなのである。


 そこから考えると、すなわち破壊神は精霊と同等か……それ以上の化け物ということになり……。


「精進していない……いや、それも当たり前か。貴様は我が封印されてから、別の存在に服従先を移しただけだからな。それで、我よりも強くなっているはずがない。勘違いしていたのか?」

「…………ッ!!」


 やれやれと首を横に振るバイラヴァに、ヒルデは返す言葉がなかった。

 確かにそうだ。


 ヒルデは、バイラヴァが封印された当初は自分を鍛えていた。

 彼女はビビりだ。ヘタレだ。いつか必ず彼が復活することを予想しており、もしそうなったとき、今のままでは自分はあっけなく殺されてしまうと危惧していた。


 だから、鍛えていた。

 鍛えて鍛えて……数百年前、精霊が現れた。


 彼女はそこでぽっきりと折れ、服従した。

 だって、その方が楽だから。怖い思いも痛い思いもする必要がなく、命を助けてもらえるから。


 こうして、彼女は精霊マルエラに従属した。

 その後の数百年は、ただマルエラに痛めつけられていた。


 痛かった。辛かった。だが、死にたくなかった。

 だから、理不尽な理由で痛めつけられても。女としての……魔族としての尊厳を奪われるようなことをされても、彼女は笑った。


 卑屈な笑顔を浮かべて、ヘラヘラとご機嫌をうかがって……。

 当然、身体にもガタがくる。


 人間よりも強い身体を持つ魔族でも、その中でも最強であるヒルデでも、そのダメージは確実に蓄積していって……。


「貴様は言ったな。精霊は我よりも強いと。精霊に比べれば、我など恐れるに足りんと。だから、貴様は今我の前にしっかりと立っている」

「そ、それが何だって言うのよ……」


 何が言いたい。

 それを予想できず、ヒルデはただ不安を募らせる。


 その視線を独り占めにしているバイラヴァは、ニヤリと不敵に笑うと……。


「ならば、思い出させてやろう。我の力を……貴様が戦わずして服従したくなった、破壊神の力を!」


 そう言って、手のひらをヒルデに向ける。

 そこに集まるのは、魔力。


 彼女が先ほどまで撃ち続けていた魔力弾を、撃とうとしているのか?

 なるほど。確かに、自分の攻撃は通用しないのかもしれない。


 だが、破壊神の力はどうなのだろうか?

 それは、強大なものなのか?


 もし、耐えられるものであるならば……持久戦に持ち込むことができる。

 そして、動けなくなったバイラヴァを、精霊軍で一気に押し、数の力で蹂躙するのだ。


 そこにわずかな希望を見出していたヒルデは……。


「ひっ……!?」


 その手のひらに集まる魔力の質に、量に、絶望した。

 ギュルリと音を立てて収束していく魔力弾。


 それはどんどんと大きくなり……発火した。


「炎の勇者に扱えて、我に使えないのは何となく嫌でな。少し、練習したんだ」


 轟々と唸るそれは、ただの炎ではなかった。

 赤でも青でもない。


 黒。黒い炎だ。

 それが巨大な火球となり、バイラヴァの手のひらに作られたのである。


「さあ、かつて貴様が絶望した破壊神の力だ。存分に味わい、楽しむがいい!」


 そして、それは撃ち放たれた。

 迫りくるは、地獄の業火。


 地面を溶かし、木々を燃やし、水を蒸発させる。

 抗えない。圧倒的な死が、着実に向かって来ていた。


 防ぐ? 避ける? そんなことが成功するとは、微塵も思えない。

 そんな絶望的な攻撃だった。


 ヒルデは思い出した。

 かつて、自分を振るいあがらせた存在を。その力を。


 迫りくる業火。

 まだそれなりに距離があるというのに、もうじりじりと身体が焼け始める。


 身体の水分が蒸発していく感覚すらあった。

 だから……。


「う、ああああああああああああああああっ!?」


 ヒルデは悲鳴を上げて逃げた。

 使ったのは、一度限り設定していた場所に転移することができるアイテム。


 残された精霊軍はどうなる? 率いていた彼らは業火を退ける力を持っている?

 そんなことは、知ったことではなかった。


「(怖い怖い怖い怖い!!)」


 逃げたい。今彼女が思うのは、それしかなかった。

 業火が彼女を飲み込む寸前、姿を消して難を逃れる。


 しかし、ヒルデの心には強烈に刻み込まれた。

 千年前、どうして魔族最強である自分が戦わずして服従を選ぼうとしたのか。


 破壊神の、自分がアリに見えるほどの圧倒的な力を。

 消える寸前、ヒルデが顔に張り付けていた表情は、千年前に破壊神と相対した時の絶望と恐怖でいっぱいになったものそのものだった。




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